40. 黄昏時の庭園で
地平性に姿を現した太陽が……荒涼とした平野を、瞬く間にその色に染め上げていく。
城を出て、既に6時間ほど経っただろうか……。
徐々に、馬車の車軸から伝わる振動が荒くなる。
整備された道から外れ、荒地に入ったのだろう。
目的地まではまだ遠い。今は到着までの1分1秒が惜しい。
この王国で、秘密裏に事を運ぶのは苦労した……。
転送先に選んだ場所に、座標石の設置を終えたと報告を受けたのは、瀬戸際だった。
間に合って良かった……。
結果、転送神具を使用し、即座に城から距離をとることが出来たのだ。
痕跡を読み取られる可能性があったため、その使用は一度きりに抑え……準備しておいた馬車に乗り、ひたすら駆けて来た。
ここまで上手く事を運べたのは、先祖の神々の思し召しに違いない。
(ついに……彼女を救うことが出来た……)
腕の中で、ずっと包み込むように抱き上げていたその人を、向かいの座面に慎重に降ろした。
そろそろ薬の効き目が切れる頃だ……。
座面に横たわった彼女の髪が、振動で崩れ……その頬を覆う。
手を伸ばし、そっと耳にかけ整えた。
その時、まつ毛が小刻みに震えた。
僅かに身じろぎすると、その瞼が……静かに開いていく。
ぼんやりとした瞳が、徐々に覚醒し、意志の色を帯びる。
身体を起こそうとするが、辛そうだ……。
肩に手を添え支えてあげると、瞳の焦点が自分に定まった。
急なことに、彼女はきっと混乱するだろう……。
はやる気持ちを抑えながら、これまでも彼女にそうしてきたように、出来る限りの笑顔を作る。
やがて……唇が開き……そこから、恋焦がれた彼女の声が、紡ぎ出された。
「……先生?」
力のない、いつものささやくような彼女の声。
だが、自分にとって、その声はいつも心臓を突き刺すような力を持っていた。
「安心してください」
口元から瞳に視線を移し、優しく微笑みかけた。
静かな興奮が、身体を満たし、ここ数ヶ月間の苦悩が、恍惚とした達成感に塗り替えられていく。
出会ってから、ここに至るまでの全ての苦しみは、この方と結ばれるための試練だったのだろう。
(苦労は全て報われた……)
およそ1年前、黄昏時の庭園で見た……幻想的な光景が、脳裏に鮮明に描き出された。
初夏を迎えた皇城の庭園には、青々と下草が生い茂り、どこも濃い花の香りで満ちていた。
最近、嫌でも鼻につく、甘ったるい香水の匂いを思い出して、苛立ちが募る。
庭園のベンチに深く腰掛け、目を瞑り、今の自分の置かれた煩わしい状況に、思案する。
皇族を祖母に持つ伯爵家の生まれとはいえ、三男であったために、両親からは適度に放任されてきた。
元々、爵位など興味もなかったので、好きなことだけに時間を費やし、自由の身を享受して生きてきた。
その「好きなこと」のひとつが剣だった。
歴史書に描かれた、剣豪の名勝負に夢中になり、自らも剣を持ち、一心で鍛錬し、剣技を磨き……その甲斐あって、同世代の間ではほぼ敵なしだった。
だが、闘技会で優勝し、皇女の目に留まったのが運の尽き……皇帝から、皇女の護衛騎士として仕えるよう、命を受けたのだ。
元々、皇女の好みの見目で揃えた、名ばかりの護衛集団。
そんな中で、実力も身分も備わっている者が1人加われば安心だ……と言うことらしい。
ただでさえ、歴史書の研究や、日々の鍛錬で忙しい中で……
朗読会やら、茶会やら、皇女のいく先々に連れ回されてはたまったものではない。
そしてもう一つの苛立ちの原因。
それは魔物の異常発生に伴う討伐の際に、竜人族がみせた、圧倒的な力だった。
元来、精人族はその神性で作り上げた障壁を盾とし、身を守りながら、隙をついて魔物に攻撃を行う。
一方、魔物の攻撃をモノともせずに跳ね除け、武器に魔素を纏わせ、見上げるほど巨大な魔物を一閃で薙ぎ倒す竜人族。
その上……精人族は治癒能力をもってしても、自身の傷は擦り傷ひとつ治せないが……竜人族は生まれ持った自己治癒能力の高さで、多少の傷など物ともせず戦い続ける。
先の異例の討伐でも、竜人族の支援軍の戦士たちは……力つきた精人族の騎士達を尻目に、その圧倒的な力で、凶悪な魔物を瞬く間に殲滅した。
その戦いは、『共闘』ではなく『一方的な救援』だったのだ。
討伐は無事に終えたものの、残ったのは……敗北感だった。
「くそっ」
そう吐き捨て、目を開けると、視界の端で、揺れるものを捉えた。
そちらに顔を向けると、ひと区画ほど先に女が立っていた。
濃い茜色の夕陽に染められて、髪とドレスを風に靡かせながら、こちらに気づくこともなく、ただ歩く姿に目を惹かれた。
まるで、絵画のような風景だった。
佇まいや、身なりからして、身分の高い令嬢であることは間違い無いが、周囲には供する者もおらず、あてもなく歩いている様子だった。
その時、何かに気づき、しゃがみ込むと……手を前に差し出した。
非現実的な様相とは相容れない、まるで無邪気な子供のような仕草に驚いた、その時…………草葉の影から野鼠が数匹現れて、その手指で戯れた。
呆気に取られ、ベンチから身をおこし、凝視していると……その女はまたゆっくりと立ち上がり、遠ざかっていった。
ふと視界から、その後ろ姿が消えた瞬間、我に返り、慌てて後を追った時には遅く、気配さえ残っていなかった。
それ以降、何度も庭園に足を運び、彼女を探した。
衛兵や召使にも尋ねたが、皆一様に首を振る。
あれは、夢現で見た幻か……何の手がかりも得られず、諦めるしかないと思った矢先、予想外の形で、その機会は訪れた。
魔物討伐の支援軍の見返りに、竜王の側室として、王国に送られることになったという皇帝の姪。
その出生と、奇異な見た目で差別を受け、碌な教育も受けてこなかったそうだ。
だが、精人族の姫として送った者が、礼儀作法も知らず、教養もないとなると、流石に面子が潰れると言うわけで……それらを身につけさせるため、急遽、教師が集められた。
そして、その一陣に、大陸の歴史研究家として実績を積んだ自分も、名を連ねることとなったのだ。
断ろうとも思ったが……その時間だけは、我儘な皇女から離れられる。
どうせ、無知で馬鹿な女だろう。適当にあしらえば、授業の体で、研究に充てる事ができる……。
そんな不純な動機は……扉を開けて彼女を目にした瞬間に、跡形もなく吹き飛ばされた。
『神性魔具』、王国では『魔具』、皇国では『神具』と略されて使用されております。
無駄にややこしい設定すみません。




