大反攻②
【1943年8月02日 カリ―ニン要塞陣地 中央軍集団 第九軍 第23軍団 第78狙撃師団 第41突撃連隊第1大隊】
第14突撃連隊第1大隊長アルブレヒト・ライエン大尉は最前線に赴いていた。
師団司令部から警戒命令が下ったのは7日前。その間、赤軍はいっこうに動きを見せなかった。
とくにここ数日は不気味なほど静まり返っている。
カリ―ニン要塞陣地は第九軍の指揮下にあり、ライエンの属する第78突撃師団はモスクワ=ヴォルガ運河の渡河地点を抑えている。敵の第一撃は自分達に向けられるはずだと、ライエンは考えていた。
「どうだ?目立った動きはあるか?」
「イワンの姿はどこにもみあたりません。まるで、眠っちまったように静かですぜ」
軍曹の返事を聞きながらライエンは双眼鏡を取り出す。
運河の東岸にソ連兵の姿はない。東岸奥の森林地帯に視点を移すも、やはりソ連兵の姿は確認出来ない。
「やけに静かだな…」
「どうしやすか?」
「…よし。東岸に行くぞ」
ライエンは頭の中で地雷原の配置を思い描いた。第78突撃師団は赤軍の再攻撃に備えて、ヴォルガ運河の東岸と西岸にびっしりと地雷を敷設させている。
警戒命令が下ってから、師団は守備隊を全て西岸に引き上げていた。赤軍が攻撃を意図しているなら、東岸に異常があるはずだった。
東岸に渡ったライエンは地雷原の配置を丹念に確かめていく。
「くそっ!ここを見てみろ軍曹。掘り返した跡があるっ!最後に東岸を確認したのはいつだ軍曹?」
地雷の一部が掘り返されていた。掘り返された部分をたどってみると、地雷原の中に通過可能な回廊が確認された。
「西岸からの撤退が完了したのが3日前ですぜ」
「つまり、イワンどもが動いたのは最速で3日前の深夜ということか」
ライエンは背筋が凍る思いだった。味方は敵の動きをまるで把握できていない。
「すぐに司令部に戻るぞ軍曹っ!一刻を争う!」
◇
カリ―ニン要塞陣地一帯は砲撃の炎で焼き尽くされた。
カリ―ニン戦線軍は13500門の火砲をドイツ軍陣地に叩き込んだ。南方のトゥーラ要塞陣地でも西部戦線軍麾下の12000門の火砲が一斉に火を噴いた。
赤軍砲兵は観測所、指揮所、機関銃陣地、橋梁、集積地、対戦車陣地を徹底的に叩いていく。
赤軍の砲爆撃には慣れていたドイツ軍将兵にとっても、言語を絶する激しさであった。
3時間にわたる奇襲的な砲撃の後、砲爆煙が薄まらぬうちに狙撃師団群が浸透を開始した。
幅15キロの突破区画に7個狙撃師団、5個支援戦車旅団の戦力が殺到する。
この区画を守るのは第78突撃師団の第14突撃連隊、第519突撃連隊。赤軍の目標はカリ―ニンを突破して、中央軍集団の陸上輸送路であるヴャジマまで進出することである。
モスクワを直撃するのではなく、その背後に回って中央軍集団ごと屠殺するのが狙いだった。
赤軍の猛砲火を塹壕の中でなんとか生き抜いたライエン大尉は、掩蔽豪からはい出て様子を伺う。
すでに1個狙撃師団が運河を渡河して西岸に取りついていた。
密集状態の狙撃兵の大群が渡河地点から続々と押し寄せてくる。
対岸からの反撃をまるで考慮しないような密集ぶりだった。周囲にはなんの遮蔽物も存在しない。
「さては俺たちが全滅したと思っているな」
ライエンは砲撃から生き残った部下達を配置し、ソ連兵が有効射程距離に入ってくるのを待った。
先ほどの準備砲撃で第1大隊は73人が死傷したが、幸いなことに重機関銃と迫撃砲はほぼ無傷で残っている。
砲兵観測員達は携帯無線でソ連兵の正確な位置を繰り返し指揮所に送る。
600メートル。
500メートル。
400メートル。
「まだだ。まだひきつけろ」
はやる部下達を抑えてライエンは待ち続ける。
300メートル。
250メートル。
200メートル。
「うてっ!!!」
ライエンの合図と同時に重機関銃、重迫撃砲、野砲が一斉に咆哮する。
密集していたソ連兵は片っ端からなぎ倒されていく。勇敢なソ連兵は「ウラ――――――――ッ!!!!」と絶叫しながら、突撃を開始したが火線に入った途端にうちたおされた。
瞬く間にソ連兵の遺体の山が積み上げられたが、赤軍は攻撃の手を緩めず次から次に新手を繰り出す。
火線をくぐり抜けたソ連兵は片っ端から陣地帯に取りついていく。しかし、そこで待ち受けていたのは塹壕、地雷原、鉄条網で構成された要塞迷路だった。
ライエンの第1大隊は第2大隊、第3大隊と共同で迷路に迷い込んだソ連兵を刈っていく。
第14突撃連隊の猛反撃を前に第55親衛狙撃師団はいたずらに屍をさらし、全く取りつくことが出来なかった。
第六派の突撃が阻止されると、第55親衛狙撃師団は攻撃を断念。大量の遺体を残して撤退していった。
しかし、安心は束の間。
連隊長に呼びだされたライエンは衝撃的な事実を耳にする。
「第519連隊との連絡が途絶した。敵はすでに我々の背後に迫っている。すぐに第二線へ下がるぞ」
ライエン達が波状攻撃を裁いていた頃、第519突撃連隊は敵攻撃軍の集中攻撃を受けていた。
赤軍は第41連隊に1個師団をあてがい、残りの6個師団全てを第519連隊にむけた。第519連隊は懸命に防戦したが、第七波で耐えきれず押し流された。
第519連隊戦区を蹂躙した赤軍は突破口を広げて、第41連隊の背後に浸透しつつある。
ついさっきまで健闘していたのに、その間に友軍は全滅し、自分達は包囲殲滅の危機に瀕している。
ライエンは戦況の移り変わりの激しさに戦慄するほかなかった。




