後手から撃つ②
「我々にはもはやソビエトを打倒する兵力も武器弾薬もないと私は考えます。ならば、防御に徹するのが当然と思われます」
二人の顔色を窺いつつ、俺は話を続ける。
「残ったリソース全てを防御にまわし、クレムリンに和平交渉の機をおこさせるまで、ひたすら赤軍に出血を強い続ければ、今大戦を引き分けに持ち込むことも難しくありません」
「なにを言っている!我が軍は勝っているのだぞ!?敵の首都を落とし野戦軍を撃滅し、工業の中心地を奪いつつあるのだ!なぜ引き分けなど狙わねばならん!」
予想通り陸軍総司令官ブラウヒッチュが吠える。反発はある程度予想していた。
「後手から撃つ」戦術は史実において、赤軍の機動突破作戦に対する処方箋として、マンシュタイン元帥が考案した。一般的には機動防御として知られる。
マンシュタインが機動防御を考案した時、戦況はすでに劣勢で、数千キロの戦線を守りきるには、兵力が足りなかった。
俺の考えは兵力に余裕のある戦況が有利なうちに、この機動防御を実施しようというものだ。
だが、史実を知らない人間からすれば、せっかくの有利な戦況を引き分けという消極的な成果に浪費する俺の戦略は狂気の沙汰だ。
開戦から三か月。大きな抵抗も失敗もなくモスクワを落とせたことが、赤軍の過小評価にもつながっている。あと数年で赤軍が質でも量でもドイツ軍をはるかに凌駕するなどと言っても、彼らは信じないだろう。
「先ほど説明した通り、我が軍の進撃は鉄道線に依存しています。決定的な勝利を得るための攻勢を行うには、改軌作業を完了させ、ロシアにおける交通網を整備しなければなりません。しかし、我々がそれを終えた時、兵力差は逆転しています」
「そんなはずがあるかあっ!最低でも240万人以上のロシア兵を、1万2000両以上の戦車を、2万機以上の航空機を我々は撃破しているのだぞ。ロシア人にはもはや大きな予備兵力はないはずだ!」
ブラウヒッチュは驚愕の表情を浮かべ、再び吠えた。
その気持ちは俺にもよくわかる。
ソ連はすでに総人口の半分にあたる国民と、欧州における主要な軍管区全てを失いつつある。
9000万人以上の国民がドイツ軍占領地帯に取り残され、産業、工業、軍事の中心地を奪われた。
しかも、政治・交通の中枢たるモスクワも陥落している。
俺が元いた世界の日本で例えると、東京を含む東日本全域が外国軍に占領されたに等しい。
兵士が畑からとれると揶揄されたソ連だが、その畑すら半分が失われたのだ。
まともな資本主義国家なら間違いなく崩壊してるだろう。
が、残念なことにロシア人は自分達が敗北したとは微塵も考えていない。そして、それはある意味正しい。
「捕虜の供述や鹵獲した赤軍の動員計画書を見る限り、赤軍にはまだまだ余裕があります。少なくともカフカス、中央アジア、トルキスタン、ウラル、ザバイカル、シベリア、極東の8軍管区が現在稼働中であり、半年以内に最低でも600万以上の新兵力を生成できると考えられます。これらの新兵力が欧州に移動すれば戦力のバランスシートは一気にひっくりかえります」
ブラウヒッチュだけでなくハルダ―まであんぐりしている。
現在のドイツ軍は300万を切った兵士に若干の同盟軍や義勇軍をあわせた程度の戦力だ。
国内の予備師団や西欧・北欧に展開中の全兵力を東部に呼んでも600万には遠く及ばない。
編制や補充、装備の充足を考えると600万の兵士が即戦力化するわけではないが、大きな脅威であることに変わりはなかった。
「バルバロッサ作戦のような奇襲はもはや通じません。正攻法でこの大兵力を粉砕する手段が我が軍にない以上、反撃を防ぎバルバロッサ作戦で得た成果を守りきる手段を考えるべきです」
「・・・守勢が必要なのはわかった。ならば、なぜ貴官はモスクワ攻略にこだわった。途中で防御に徹するのならば国境に近い、ドニエプル河で留まればよかったではないか」
さて、ここからが本番だ。モスクワを攻略した理由をわからせる必要がある。
「理由は二つあります。一つは軍事上の要件です。ブラウヒッチュ閣下は赤軍の軍事ドクトリンをご存知ですか?」
「いや、知らん」
「ならばご説明します。赤軍の軍事ドクトリンは簡単にいうと、我が軍と同じ機動突破戦術です。第一梯団の機動兵力が敵防衛線に穴をあけ、時期を見て主力の第二梯団が戦果を拡大、戦線そのものを崩壊させます。我が軍の電撃戦との違いは砲兵火力を機動保証として重視する点ぐらいのもので、非常に酷似しています。彼らはこれを「縦深攻撃」と呼んでいるそうです」
「その機動戦とモスクワ攻略になんの関係がある?」
「機動戦は戦線が長ければ長いほど、敵兵力が分散され、効果を発揮します。攻撃側は兵力集中地点を自由に選択出来ますが、防御側は枢要部に全てを守らなければなりません。私がモスクワを攻略したのは、攻撃側の選択肢を敵から奪うためです」
「ご存じの通り、全ての攻勢作戦は鉄道線に沿って行われます。そして、モスクワは全ての鉄道線の終着駅です。つまり、敵が国土を奪還するための攻勢を行うにはモスクワとモスクワから各方面に延びる鉄道線を奪取しなければならないのです」
ハルダ―が納得したように頷く。
「なるほど。重点と重点の戦いができるというわけか」
「はい。我々がモスクワを保持する限り、敵兵力はモスクワに吸収されます。バルト海~黒海まで伸びる3000キロの戦線がモスクワ周辺の200キロ程度の戦線に縮小されるのです。3000キロに分散配置していた兵力を200キロに集中させられれば、大兵力の攻勢を防ぐのも不可能ではありません」
史実において赤軍はその長い戦線を最大限利用した。攻勢方向を巧みに秘匿してドイツ軍に正確な方向をさとらせず、最も手薄な戦線に全兵力の大半を叩きつけてきた。主戦線以外には敵兵力を拘束できる最低限の阻止部隊だけを置き、攻勢方向への兵力集中を実現したのだ。対するドイツ軍は全ての戦線に均等に兵力を置くという無駄をやり、攻勢に対応できなかった。
戦争終盤の独ソ両軍の圧倒的な兵力差は動員兵力の差よりも、巧みな欺瞞作戦と兵力節約術の賜物といっていい。
そこで俺は、強制的に戦場を設定することで、史実の失敗を阻止することにした。
攻勢方向さえわかっていればドイツ軍は易々と負けはしない。
無論、これも赤軍が「縦深作戦」を完成させるまでの間という話だが。その攻撃が戦術レベルの縦深攻撃であるうちは十分に防げる。
「それで二つ目の理由はなんだ」
「人口密集地と経済的供給源を抑えるためです。ソ連の政治・経済の中心は欧州に集中しています。そして、欧露を占領するには全ての鉄道線を掌握できるモスクワ攻略が最大の近道だったというわけです」
炭鉱生産の80%を占めるドネツ盆地。
食料供給の60%を占めるウクライナ穀倉地帯。
その他ロークの鉄鋼に、ニコポリのマンガンに、サポロジュのニッケル。
占領地に取り残されたおびただしい数の発電所や工業設備。
ソ連にとっては国家を運営する上で欠かせない経済供給源だ。
「産業の中心地帯を長期間占領される状況はクレムリンにとっても望ましい状況ではありますまい。石油はあっても、鉄鋼、石炭、食料、石炭の欠乏は深刻なものになるでしょう。労働力の減少も痛いはず。
ソ連にとっても長期戦は避けるべき事態なのです。国土の奪還に乗り出したくても、その攻勢はモスクワに吸収されてしまいます。モスクワへの攻勢を何度か叩きのめせばクレムリンに講和を突き付けることは不可能ではないと私は考えます」
ソ連が占領地に残した工業設備の多くはドイツ軍が無傷のまま確保している。
もしソ連が反撃に転じれば、ドイツ軍はこれらの設備を破壊して撤退するだろう。そうなれば、例え勝利してもソ連は致命傷を負うことになる。いわば人質というわけだ。
そこで、こちらが講和を提案する。確保した設備は全て無傷のまま返還する。北欧や東欧も全てソ連に譲渡してもいいと。
ソ連からしてみれば、攻勢にでたくても、モスクワという障壁が邪魔になる。
膨大な犠牲と引き換えにモスクワを抜けても、守勢に徹したドイツ軍は史実よりはるかに温存されている。ベルリンまでの道は険しいものになるだろう。
最終的にドイツを蹂躙できても、国内はボロボロ。その状態で米英ら西側連合国と戦後世界で覇権を競わなければならない。
講和すれば犠牲を出すことなく国土も設備も回復でき、しかも東欧や北欧まで無償で手に入る。
それでも、スターリンはドイツの無条件降伏にこだわるだろうか?そして、連戦連敗を続ける赤軍の戦闘能力を信じられるだろうか?
赤軍がいずれドイツ軍を凌駕することは転生者である俺しか知らない事実だ。
モスクワ奪還を無理だと思わせれば、講和の道は十分にある。
そして、独ソの講和が進み、ソ連が東欧や北欧に進出すれば米英の行動も史実と違ったものになるはずだ。
講和までの道筋は俺の頭の中で、できつつある。
①バルト地方とウクライナ地方を平定。
②モスクワの防備を強化。
③ソ連の攻勢をモスクワで複数回撃破。
④フランスに上陸した米英軍を一時的に撃破。
⑤ナチス問題の解決。
⑥ソ連との講和。
⑦米英との講和。
むろん、今は全てを話すつもりはないが。
俺が話を終えると沈黙が訪れた。二人ともじっと考えこんでいる。
「・・・貴官の考えはよくわかった。だが、ここで立ち直る機会を与えて赤軍を撃破できるのか?モスクワを守りきれるのか?」
ハルダ―がといかけてくる。彼の言いたいことはわかる。
それほど、強大な敵なら勝っているうちにとどめをさしておくべきだといいたいのだろう。それでも、俺の結論は変わらない。
「はい。守りぬけます」
俺の答えになにかを感じたのかハルダ―は決心したように頷く。
「私は中佐の意見を支持する」
「!」
ブラウヒッチュは今だ煮え切れないようだ。じっと黙りこんでいる。
10分ほど考えこんだのちようやく結論を口にした。
「・・・貴官の主張はよく理解できた。納得できる部分も多々ある。だが、やはりわしにはソ連にそれだけの継戦能力が残っているとは信じられん。1942年春までの間は貴官の言う通り、守勢に徹しよう。その間に状況を見極めて結論をだしたいと思う。今の時点で全てを決断することはできん」
「・・・わかりました」
残念だが、仕方がない。
一定期間でも守勢を認めさせられただけ十分だと考えよう。12月にはアメリカが参戦し、42年春になればソ連の反撃も始まる。
喜んでいいいのか悲しんでいいのかわからないが、今よりも説得する材料はずっと増えるはずだ…。




