西方戦役⑤
【1940年5月24日 フランス共和国 シャルルヴィル A軍集団司令部】
A軍集団司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット上級大将はある人物を待ちわびていた。
伝統的なプロイセン軍人であるルントシュテットはその人物が好きではない。
陸軍の伝統を尊重せず、意のままになる自分専用の司令部を作ったばかりか、貪欲にもその司令部を使って陸軍を牛耳ろうとしている。
それでも、今陸軍総司令部の横暴を押さえられるのは彼だけなのだ。
その人物が司令部に到着するとルントシュテットは自ら出迎えた。
「お待ちしておりました総統閣下」
「出迎えご苦労将軍。それで戦況の方は?」
「『黄作戦』はすでに完了しました。A軍集団は準備が完了次第、『赤作戦』に取り掛かります」
陸軍総司令部の考案した西方攻勢は二段階に分かれている。
英仏軍主力を包囲する『黄作戦』が第一段階、フランス全土の平定を目指す『赤作戦』が第二段階。
ルントシュテットは『赤作戦』こそが本命の攻勢だと認識していた。
マジノ線やパリ、そしてフランス南西部では依然として強大なフランス軍が健在である。
これらの兵力を砕きつつ、フランス本土を平定する『赤作戦』が控えている以上、勝負が決まったダンケルク包囲戦で兵力を消耗させることは不合理でしかない。
沿岸部で孤立したイギリス軍など短兵急に殲滅しなくてもキュヒラーの歩兵軍と空軍で締め上げれば十分だとルントシュテットは考えていた。
「ふむ。それで『赤作戦』の開始はいつ頃になる?」
「遅くても一週間以内には。しかし、一つ懸念事項があります」
「なにかね将軍?」
「先ほど陸軍総司令部がA軍集団麾下の第四軍をB軍集団に編入しました。これでは『赤作戦』の遂行に支障がでかねません」
「なにっ?!予はなにもきいておらぬぞ!」
「ご存じなかったのですな。やはり、総統閣下を無視した陸軍総司令部の独断でしたか」
陸軍総司令部はダンケルクに追い詰めた英仏軍の殲滅に全力を注ぎたいらしく、ルントシュテットの反対を押し切り、強引に第四軍をB軍集団に編入させた。
ルントシュテットからすれば、主攻勢を前に戦力を引き抜かれたも同然であり、到底許せる事態ではなかった。
軍に対する絶対的な指揮権を確立させたいヒトラーにとっても、陸軍総司令部の行動は許せないものだ。
陸軍総司令部主導の作戦でダンケルクの英仏軍を殲滅すれば、戦争の最大の殊勲者はヒトラーではなく陸軍になってしまい、政治的にもヒトラーの立場は危うくなる。
「よく知らせてくれた将軍。陸軍総司令部の命令はすぐに取り消させる。将軍は安心して『赤作戦』に取り掛かりたまえ」
「ありがとうございます総統閣下」
ボヘミア生まれの伍長とプロイセン貴族の利害が一致した瞬間だった。
【1940年5月24日 フランス共和国 ダンケルク 海外派遣軍司令部】
政府主導の救出作戦『ダイナモ作戦』があと二日で始まる。
海外派遣軍司令官第六代ゴート子爵ジョン・ヴェレカーはようやく一息をつくことができた。
ここ数日、海外派遣軍はアレス攻勢からダンケルク撤退と息つく暇もなかった。
幸いなことに、海外派遣軍はドイツ軍の追撃を振り切り、ダンケルクに到達することが出来た。
南方から迫ってきていたグデーリアンも、カレーに籠るフランス軍に足止めされて動けないようだ。
あとは作戦開始日まで持ちこたえる準備をするだけだ。
「し、司令官閣下!た、大変です!」
「落ち着きたまえ。なにがあった?」
嫌な予感を打ち消しながら、ゴート卿は務めて冷静に報告をきくことにした。
オペレーターからの報告は考えうる中で最悪なものだった。
「王立空軍司令部からの報告です。西方から大規模な装甲部隊がダンケルクにむけ殺到してるとのことです!」
「馬鹿なっ!」
そんなはずはない。
カレーを無視してダンケルクに直行すればフランス軍に側面を突かれるはずだ!
フランス軍はなにをしている!?
「カレーのフランス軍司令部につなげ!私が直接話をきく!」
「は、はい。」
「こちら海外派遣軍のゴート司令官だ。ランクトゥーニ准将をすぐに呼びたまえ!一刻を争う!」
一刻を争うといったのに准将はなかなかでない。
フランス人とはどれだけ危機感のない連中なのだ!
「ゴート司令官。私がランクトゥーニ准将です。私になにか御用ですかな?」
准将の危機感を欠いた受け答えにゴートのイライラはピークに達した。
「准将!君はなにをしているのかね?グデーリアンはすでにこちらへ殺到してきているぞ!今からでも遅くはない!すぐに背後を突きたまえ!」
「なるほど。あなた方がブリテン島に逃げるまでの間、我々が盾になれと?」
「な、なにを言っている准将」
「あなた方イギリス人が逃げようと、私達フランス人の祖国を守る戦いは続きます。先ほどウェイガン将軍からカレー守備軍は包囲を破り、脱出せよと命令が下りました。残念ながら将軍のご要請には答えられません」
「・・・」
政府がフランスを見捨て、海外派遣軍だけを助けようとしているのはれっきとした事実だ。
軍人としてその行為を恥じるわけではないが、全く負い目がないわけではない。
結局ゴートはランクトゥーニ准将の説得に失敗した。
あと数日あればダンケルクに孤立した海外派遣軍九個師団、フランス軍十個師団、ベルギー軍一個師団の戦力を立て直し、それなりの防衛体制を敷くことも出来た。
装備を放棄して命からがらダンケルクに到達した今の連合軍にまともな戦闘は期待出来ない。
全員を救うことはもはや不可能。
一部の殿部隊を盾にして一兵でも多く、ブリテン島に逃がす。
素早く思考をまとめたゴートは迅速に部隊を動かしはじめた。




