お稲荷様、初めての契約
アレンの学園入学が決まった。
イリーナからそんな話を聞かされて一週間後。
俺はアレンと共に馬車に揺られてその入学先へと向かっていた。
馬車にはアレンの両親の姿はなく、御者を含めて二人と一匹。
アレンは何処と無く寂しそうな表情を浮かべたまま、手慰みに膝の上に乗っていた俺の背中を撫でていた。
しかし、うわの空なせいか撫で方も酷く、毛並みが次第に乱れていく。
生まれて初めて母親から離れ、寂しい気持ちである事が伝わってくるので最初は我慢していたが、流石に数時間、酷い手際のまま撫でられ続ける事に、俺は堪らずその手を尻尾で押しのけて、対面の席まで逃げ出した。体を捻り、口で毛を整えようとしても上手くいくはずもなく、無残に乱れた毛並みだけが残る。
ああ、もう! 櫛が欲しい!!
……って女子か!? …………いや女子だよっ!!
自虐的にぷんすかしつつ、どうしようもないので丸まってアレンに背中を向ける。
アレンはそんな俺の態度を受けてさらに落ち込んでしまったようだ。少々罪悪感を覚えるけれど、これ以上自分の毛並みを犠牲にしたくはないのだ。
普通に戻るまで、出来れば勘弁願いたい。ホント……
◆◆◆◆◆
「アレンは王都の学園に入学させる事に決まりました。ソフィ、貴女はあの子の心の支えとして側にいてあげてください。」
そんな言葉に対し、俺は勿論とばかりに首を縦に振る。
前々から、アレンはいづれ学園に通うことになると聞いていたし、同行することも願ったりだったのだ。
俺にとってのこの世界の知識習得はもとより、アレンの授業風景とか超見たかったのだ。逆に連れていけないとか言われたらどうしようかと思っていたくらいである。
そうした思いを込めた首肯を返すと、イリーナは安心したように胸に手を当てる。
そして、そのまま歌うように魔法の詠唱を始め、いつも首元に下げていた、菱形の枠に十字が嵌められた緑色のアクセサリーを手で待って俺に向けた。
アクセサリーが一瞬の発光を見せた途端、俺の身体を縛っていた何かが消えて身が軽くなる。
そして、今度は内側から込み上げてくる強い力の脈動を感じ始めた。
おお!? なんだこれ。
「十年という決して短くない間、貴女のことをしっかりと見させて貰いました。そして今日、貴女を家族と認めた上で、貴女の弱体化を解こうと判断しました。」
非常に嬉しい事を言われた気がしたが、残念ながらそれどころではない。体の内側から謎の力の奔流が発生し、集中しなければ爆発してしまいそうな状態なのだ。
体から溢れ出そうな力を全力で抑え込むこと数分、心の中で何かが溜まったような感覚と、聞き覚えのあるファンファーレが頭の中で景気良く鳴り響く。
十年ぶりとはいえ、その音の正体を俺は一瞬で看過した。
今のはレベルアップの音だ、と。
この世界に来てから、普段見ていたはずのステータス画面は消失した。
しかし、ゲームスタートからこの世界に生まれ出でたので、自分のレベルだけは把握することはできていたのだ。
何せこの十年、敵という敵が現れる事はなく、安穏と過ごしていたので、レベルが上がることは無かったからな!
レベルによる最大使用SPの上限もあって、1レベルから上がる事のなかった現在までSPを割り振る機会も皆無であった。
だが、これでスキルを強化したり、増やしたりできるぞ!
1レベルでの最大使用SPの上限は2までなので、変化1と狐火1のみ取得していたのだが、さっきのでレベルが1上がって、SP使用上限が2増えて4まで使えるはずだ。
だがしかし、ステータス画面も無く、どうやってSPを割り振るのだろう。
……念じれば叶うかな?
えー、変化、変化、変化、変化、変化、変化、変化『ブブー』
ん? ……んんん???
待て。聞き覚えがあるぞ、この音。確か、システム上でエラー音として出る音じゃなかったか。
SP上限まで振ろうと連打した時に景気良く鳴ってたような……。
……へ、変化『ブブー』
…………俺、さっき変化って何回念じたんだ。結構な回数してた気がするぞ!?
まさか、スキル上限まで達したとか……?
おさらいしてみよう。
1つのスキルの最大割振りポイントは総じて7だったはずだ。
変化のスキルは生み出すのに1SPで、更に6SP足せば最大値の変化7まで上げることができる。
さっきので変化7を取得しているなら、俺のレベルは少なくとも1から4まで上がり、最大使用SPはレベル×2なので上限が8となっているはずだ。
もしも、レベルが更に高ければ、狐火も同様に増やせるって事になる。
早速やってみよう。勿論数を数えながら。
狐火、狐火、狐火、狐火、狐火、狐火、狐火『ブブー』
……えっと、これでレベル7は確定。
これ、さっきのでどれだけレベル上がってんだ。
てか、割り振りが出来るのは助かるが、それよりも念じている途中で非常に困った事に気がついた。
十年前にちらっと見ただけの九尾のスキルツリーなんて覚えてねぇよ!!
人間プレイヤーキャラなら今でもそらで言えるが、そもそも転生キャラとして選んだのは突発的な理由だったし、ステータスウィンドウで確認できてたから覚える必要もなかったのだ。
……他に九尾の狐のスキルって何があったっけなぁ。
あの時は色々組み合わせ考えていたはずなのに、十年という時は、記憶を忘却するのには十分過ぎた。
自分のレベルやスキルは気になる所だが、取り敢えず置いておこう。
抑え込んでいた力も安定し、気分も随分と落ち着いてきた。
いつの間にか寝そべっていた体を起こし、両足で立ち上がって背を伸ばす。
「……ソフィ、気付いた。」
カイトが青い球体を載せた魔法の杖を片手に、俺の状況を周りに報告すると、一行から安堵の息が漏れる。
いつの間にか、勇者一行は各々の装備を手に持っており、いつでも応戦できるような態勢を取っている。
そんな光景に訝しみつつ、周囲を見回すと俺は気付いてしまった。
この部屋の天井には巨大な魔法陣が描かれていたのだ。俺にはそれらの知識がないので効果までは読み取れないが、見ていると奇妙な危機感を覚えてくる。
ぶわりと体の毛が総毛立つのを感じていた。
「幻術で隠していたが、やはり成長度が上がって見えるようになったか。こいつは、お前が暴れ出した時のために用意した拘束の魔法陣だ。……使わずに済んで良かったぜ。」
アロンドのその言葉に、成長度ってのはレベルアップの事かな、などと考えつつ、あの体内に渦巻く力の奔流を抑え込まなかったら、この禍々しい雰囲気の魔法を使われたのだと思い身震いする。
レベルアップしたとはいえ、この十年間鍛えに鍛え上げた彼らに対し、惰眠を貪りペットのように過ごした俺が勝てる道理は無い。
見た感じ、彼らは十年前よりも格段に強くなっている様に伺えた。
当時の俺が今の彼らに挑んでいれば、まず間違いなく瞬殺されただろうと思える程度には力の差を感じている。
そういえば、ついさっきまでは彼らの力量に何も感じていなかったけれど、レベルアップによって力の差を感じ取れるくらいには、俺も強くなってるって事なのかな?
「何だか少し目を回してるっぽいけど、大丈夫なのかい?」
「恐らくは成長酔いだろう。弱体化による反動が、力の成長に一役買ったのだ。今は少し、世界が違って見えている事だろう。」
「ふーん。それにしても、術を解いたら昔みたいに大きくなるのかと思ってたけど、その姿は変わらないんだね。小狐のまんまだ。」
「あれは威嚇の為の変化だったのではないか? 妖狐は時として人の姿に変わるとも言われるから、幾つもの姿があるのだろう。」
「聖騎士さまは流石、博識だねぇ。ってことは、この子も人に化けることができるのかい?」
「元、だがな。妖狐は数が極めて少ないから、正直なところ分からない事だらけだ。特に、こいつみたいに九つの尾を持つ妖狐など聞いたこともなかったしな。人化の術ができるかは、こいつ自身に聞いてみるのが良いだろう。」
ほう、人化の術か。
これは確実に断言できる。九尾の狐に人化というスキルは無い。
九尾の狐における歴史的背景を思うに、あるべきだとは思うが、そもそもゲームとして一つのキャラに二つ目の化けた姿を作るのは、残念ながら認められていなかった。
そもそも、全シナリオ踏破者でないと使用出来ないし、需要も無かったのだろう。
一応、駄目元で念じてみるが、反応があるはずもなく『ピローン』
……うそやろ。
確認の意味合いで、SPを足していくと、人化4まで上げることができた。
つまり今のレベルは9なのかと単純に考えてしまうが、実は上位スキルになるとSP使用量はそれに応じて高くなるのだ。
人化というスキルはそもそも無かったはずなので、使用したSPが幾つだったのかは不明である。
狐火や変化と同様に使用SPが1なら9レベルという事なのだろうが、多分違う気がする。
確証はないが、ごっそりと何かが埋まったような感じがしたので、かなりSPを使ったような気がするのだけれど……。
同時に、これで俺のレベルも分からなくなった。
うん。
気にしないようにしよう。見えないものを考えてもどうしようもない。
「ソフィ。アンタ、人化の術ってのは使えるのかい?使えるなら見せておくれよ。」
俺も単純に興味があったので、アンナのリクエストにお応えし、人化4のスキルを使用した。
身体が薄く発光して金色の毛並みが更に輝きを増し、前足が床から離れてどんどんと目線が高くなる。
そして発光が収まると、屈みこんでいたアンナと目の高さが揃っていた。
……というか、かなり顔が近かった。
互いに驚いて目を見開いていたが、先に動いたのは俺の方だった。狐の時の癖……というか、条件反射である。
気付くと俺はアンナの左頬をチロリと舐めていたのだ。
これは何というかアレだ。
なんかこう、手とか顔とか自分の目の前に突き出されたら無性に舐めたくなるだろ?
……あ、いや。ならないか。
例えば、人懐っこい犬とかなら、飛びかかって舐め付けたりするし、割と動物的な意味で普通のはずだ。……犬じゃねぇけど! 俺は狐だけども!!
兎も角、反射的にそんな行動をやってしまったのだが、いつもと違って舌が短か過ぎてキスするような形になっていた。
「ひゃっ!」
と可愛らしい声を上げてアンナは尻餅を付き、舐められた頬を手で触れ、ひたすらに驚いている。
そんな様子を見たおかげか、俺もハッと我に返った。
一度耳をくるりと体操させ、周りの反応も落ち着いて見渡せるようになる。
イリーナはせっせと布を用意していて、アロンドは目を見開いたアホ面のまま俺の頭を凝視している。
イングバルドは難しそうな表情のまま、何やら考えている。
カイトはなんか怖い。
普段の無表情を崩して目がやや血走りら鼻の下が伸びていた。
……凄く怖い。
それらを視線から一旦外し、俺は俺で自分の姿を確認する。
黄金の毛で囲まれていた体は肩まで伸びる長い髪を除いて肌色に染まり、酷く寒い。
身長は100センチ強くらいで、手足もそれなりに小さい。人間の子供の手足だ。
お尻の尾骶骨あたりから尻尾が九つ生えていて、今は直立歩行を補助するように床を抑えている。
頭の感覚から多分、狐耳も健在だ。
なお、人間の耳は無い。触れてみるが髪の毛があるだけだった。
そして、そうだろうなとは思っていたけれど、元の狐の姿同様に性別は雌。
つまり、九尾と狐耳の生えた、全裸の金髪幼女へと変身しているのだった。
ーーー
「そういやソフィ。今のお前は喋れるのか?」
イリーナが持ってきた大きな布を体に巻きつけ、久々の肌に当たる布の感触を楽しんでいると、アロンドがそう切り出してきた。
確かにそうだ。
狐の体ではろくに喋ることはできなかったが、人間の声帯である今ならば、普通に喋れる事ができるのではないだろうか。
よし。
俺は、アロンドを指差して名前を呼んだ。
「あろんろ。……けふ、けふ。」
「…………」
「にへぇあ。」
無言で狐耳の間を撫でられた。
あ、なんかこれいつもと違って新感覚かも……。
狐の時となんか違う。
アロンドの撫でランク昇格かな……?
……いやいや、そうじゃない。
滑舌悪くて、しかも咳き込んでたのになんで俺撫でられてんの!?
気恥ずかしくて、わたわたと慣れない両腕を持ち上げてアロンドの手を払いのけると、周りから優しい視線を向けられる。
俺はなんだか居た堪れず、視線から逃れるように布の中に潜っていった。
ふむ。それにしても、やはり聞くと喋るのではまるで違うようだ。
十年間、狐としての鳴き声を使うことが多かったので、人としての言葉の発し方を忘れてしまっている。
更には言語が日本語の発音体系とは違う事も困り者だ。
練習が必要だろう。
あと、できる事なら将来的に文字も書けるようになりたいな。
閑話休題。
状況が落ち着いたところで、ようやく本題に入ることになった。アレンの入学の件である。
「あの子と貴女を学園に送り出す前に、貴女はアレンの使い魔としての本契約を行わなければなりません。学園では、そう規定されていますから。」
本契約。
今までは、上位者からの『命令』としてアレンの守護に徹していたが(無論、命令はキッカケなだけで自分の意志で行なっていたつもりだ。)、今は弱体化と共に解放されている。
一応、逃げ出しても問題のない状態ではあるのだが、そもそも行く当てもなく、出ていく理由もない。自由になる事よりもアレンと離れたくない気持ちの方が大きいので、本契約は是非もない。
なので俺は両手を上げて大きく返事をした。
「やう!」
精神大人なのに子供っぽいとか言わないでほしい。
……体が小さいとね、表現がどうしても大袈裟になるんだよ。
ほら、小動物状態なら特に、あれこれ気付いて貰えないからさ。
それよりほら、金髪狐耳幼女が両手を上げて元気よく返事してるんだぜ。
喜べよおまえら(真顔)
「ふひっ」
不気味な笑い声が、イリーナの後ろから漏れる。
発生源は、寡黙なる黒髪のイケメン魔術師カイト。
彼は口元を押さえて、俺から顔を大きく逸らしている。
彼を除く勇者一行は、そんな様子のカイトを微妙そうな表情で見つめていた。
ーーー
暫くして、アロンドが一人別室にいたアレンを連れてきた。
俺が同意したことにより、使い魔としての本契約を行う為である。
因みに、今の俺は元の狐の姿に戻っている。
人化した姿を見せたら、アレンがいつもの様に接してくれなくなりそうな気がしたのと、何となくカイトからあの姿を隠したかったのもある。
あの姿でいる時のカイトは妙に怖いのだ。
イリーナも心なし、カイトから離す様な形でアレンの肩をとっている。
……うん。気持ちは分かるよイリーナ。
「こほん……。で、ではカイト。本契約の儀を頼みますね。」
「了解した。」
イリーナがアレンから離れ、カイトが一歩前に出てくる。
アレンと俺は対面し、カイトがその真ん中にいる状態だ。
……何となく後退りそうになったが我慢した。
アレンが妙にワクワクした様子でいるので、俺が無様を晒すわけにはいかない。
「術式展開。契約の儀」
カイトが床を杖でトンと突くと、一瞬で白い幾何学的な文様の魔法陣が俺とアレンの足元まで広がる。
「アレン。契約の誓いを」
カイトが陣から外に出ると、そうアレンに呼びかける。魔法陣に見惚れていたアレンはハッとして、俺の方に顔を向け、両手のひらを広げる。
「『請う。汝、我と魂の契りを結び、永遠なる友愛を示さんことを。』……応えて、ソフィ。」
契約の誓いは、この国の言語でも、ましてや日本語でもなかったが、確かに理解した。
こうした呼び掛けの言葉ってのは魂で理解できるらしい。
そして、俺はその呼び掛けに、こう応えた。
「『我、病める時も健やかなる時も汝を愛し、生涯支える事を誓う。』」
勝手な翻訳により、言いたかったニュアンスが少し違うような気もするが、取り敢えず誓う事に同意したので問題はないだろう。
誓いを行った途端、胸の内に先程の力の奔流とは違う、柔らかな力の繋がりを感じた。
その繋がりの先は、間違いなく目の前にいるアレンである事が感じ取れる。
アレンもそんな感覚の中にいるようで、頻りにこっちを見ては嬉しそうにしている。
契約は完了した。
カイトがそう宣言し、魔法陣が消失した瞬間俺は走り出し、アレンに飛びついた。
この喜びをどうにか落ち着かせたのは、その数分後。
アレンが俺のヨダレと毛だらけになって、イリーナに叱られるまで続くのであった。
◆◆◆◆◆
「ソフィ! 見て、大きな街だよ!!」
寂しそうな表情も一転。
元気一杯になったアレンは、馬車の窓から顔を出して感嘆の声を漏らした。
そんなにはしゃがなくてもと思うが、実は俺も少し興奮覚めやらずといった感じでいた。
何しろこの二日間、途中の休憩を何度も挟みながら、大半を馬車の中で過ごしてきたのだ。
体力の有り余る身としては暇過ぎてどうにかなってしまいそうだったので、見てるだけでも楽しいものに出会うのは非常に嬉しい限りである。
それに、横いっぱいに広がる大きな街に来るのは、この世界では初めての事である。
アレンにとっては生まれて初めて訪れた都会。
興奮しないはずがないのだ。
すれ違う、ファンタジー然とした格好の戦士や商人にいちいち感動しつつ、俺達ははしゃぎ回る。
あれは何だ、これは何だと右手の窓を、左手の窓をと行き交い、これまで何をしても苦笑していただけだった御者のおじさんも流石に注意する程だった。
注意を受けて大人しくなった俺達は、興奮しつつも実感を次第に噛み締めていく。
この街こそがアレンと俺の目的地でもあり、暮らしていく場所なのだ!と。
ここはダルフォニア王国、王都『イリア』。
間も無くして、アレンが通うべき学園に到着したのであった。




