第13話 告知動画の一秒
再生バーが「1分20秒」を指した瞬間、画面がわずかに乱れた。
軽快なエレクトロポップのBGMとともに流れていた商店街のパレード映像が、不意にノイズの向こう側へと切り替わる。
現れたのは、華やかなイベント告知とは無縁の、薄暗く埃っぽい空間だった。
乱雑に積み上げられた3.5インチハードディスクの山。無機質なスチール製の棚。表面に細かい傷が無数に刻まれた、古びた作業台――。
時間にして30フレームにも満たない異物が、フラッシュのように再生され、再び元の明るい映像へと戻った。
「……これです。さっきから、何度再生してもここで同じ映像が挟まるんです」
分厚いノートPCの画面を指差し、加藤茜が切迫した声を上げた。
肩にかかる明るめのハニーブラウンのセミロングが、焦りを表すように激しく揺れる。彼女は秋葉原電脳商店会の臨時広報スタッフだ。小柄な体型に合わせた明るい色のジャケットの胸元には、商店会のスタッフ証が不自然に揺れていた。可愛い印象の丸みのある頬を紅潮させ、大きな瞳に強気な焦燥を宿したまま、茜は悠作を見つめている。
だが、悠作の視線は、既にスリープ状態に戻りつつある画面の奥へ釘付けになっていた。
(記録工房――)
5年前に閉店したはずの、あの場所。昨夜、西尾直樹のスマートフォンから引きずり出されたローカル一時画像と、寸分違わぬ風景だった。
隣に立つすずの肩が、不意に強張る。彼女はモニターの僅かなノイズに視線を縫い付けられたまま、薄い唇をきつく引き結び、喉を小さく鳴らした。すずは悠作の過去こそ知らないが、それが昨夜見たばかりの「5年前に閉店したデータ復旧店」の光景であることは即座に理解したはずだ。
悠作は作業着のポケットにある煙草の箱に手を伸ばしかけたが、作業台の上のSSDや茜のノートPC、そして自分の検証用PCが一瞥に入り、ピタリとその手を止めた。
「煙草吸ってくる」
煙草と携帯灰皿を掴み、悠作は作業場奥の勝手口へ向かった。重い鉄扉を開けて裏路地へと出ると、建物の排熱が混じった生ぬるい風が頬を撫でる。
暗がりのなかでライターのフリントを弾き、揺れる小さな炎を先端に押し当てた。深く吸い込んだ紫煙を、夜の淀んだ空気の中へ細く長く吐き出す。
(西尾の端末に残っていた画像が、なぜ茜の担当する商店会の動画に混ざる)
ニコチンが血中を巡り、脈打つような動揺が強制的に鎮められていくのを待つ。熱を持っていた思考が平熱を取り戻したことを確認し、悠作は携帯灰皿に火を押し付けてから店内へと戻った。
「状況の確認だ」
悠作はカウンター越しに茜と向き合った。
「自分がクラウドの共有フォルダに上げた動画と、今再生している動画が違う。そう言ったな」
「はい。編集を終わらせて共有フォルダにアップロードしたんです。そのあと、念のためローカル側で最終確認の再生をしたら、1分20秒のところがおかしくなってて……」
「わかった。確認する」
悠作は茜のノートPCから視線を外し、店舗のシャッターを半分下ろすボタンを押した。重いモーター音が響き、外の喧騒が遮断される。
「だが、その前に腹に入れるぞ」
「えっ? いや、でもイベントの告知が……」
「焦燥は判断を鈍らせる。機器の調査には時間がかかるし、ログの照合には集中力が必要だ。お前も息が上がっているだろう」
有無を言わせぬ口調で告げると、悠作は作業台の奥にある簡易キッチンへと向かった。戸惑う茜を横目に、すずが「悠作さんがこう言った時は、待った方が早いです」と苦笑しながら丸椅子を勧めた。
悠作は大きなアルミ鍋にたっぷりの湯を沸かした。戸棚から取り出したのは、乾麺の讃岐うどんだ。沸騰した湯にパラパラと麺を扇状に投入し、菜箸で静かにかき混ぜる。
茹で上がるまでの間、隣のコンロで小鍋に火をかける。乾麺に添付されている粉末出汁だけでは深みが足りない。冷蔵庫から取り出した市販の白だしと薄口醤油をわずかに足し、味の輪郭をはっきりとさせる。
タイマーが鳴ると、悠作は茹で上がった麺を素早くざるにあけ、流水で一気に揉み洗いした。乾麺特有の表面のぬめりを落とし、麺をしっかりと締める。それを再び熱湯にくぐらせて温め直し、三つの丼に手際よく取り分けた。
熱々の出汁をたっぷりと張る。具材は、作り置きしておいた半熟のゆで卵を半分に割ったものと、沖縄産の太く歯ごたえのあるもずく。そこに小口切りにした万能ネギを散らす。
最後に、カウンターの隅から小さな竹筒を取り出した。某所の常連客から差し入れでもらった、京都の老舗の黒七味だ。それをひと振りすると、山椒の爽やかな抜け感と、焙煎された唐辛子の鮮烈な香りがふわりと立ち上った。
「ほらよ」
作業台の端に丼を並べると、悠作はさっそく自分の分の箸を割った。足元では、ロムがかつお節の匂いでもしたのか、ミャアと小さく鳴いてすずの足首にすり寄っている。
茜は「食べてる場合じゃ……」と口ごもったが、立ち上る出汁と山椒の香りに抗えなかったのか、観念したように両手を合わせた。一口すすると、負けず嫌いな彼女の表情がわずかに緩む。
もずくの磯の香りと黒七味のピリッとした刺激が、疲れた脳に沁み渡るようだった。三人で黙々と麺をすする間だけは、再起堂に奇妙な平穏が訪れていた。
★★★★★★★★★★★
「さて、整理するぞ」
食後。悠作は自分の検証用PCを立ち上げ、茜のノートPCと並べた。
「お前が編集を終え、クラウド共有フォルダにアップロードした。その後、ノートPCのローカルストレージで再生したら異常があった。間違いないな?」
「はい」
悠作は検証用PCから、茜の指定したクラウド共有フォルダへアクセスした。アップロードされた最終版の動画ファイルをクリックし、シークバーを「1分20秒」に合わせる。
再生。
そこに異常はなかった。一秒のノイズも、古びた作業台も映らず、パレードの映像がそのまま流れていく。
「クラウド上のデータは正常だ」
「えっ……じゃあ、なんで私のPCだとあの映像が?」
「今お前が再生していたのは、ノートPC側に保存された書き出し済みのファイルだ」
悠作はノートPCの編集ソフトのプロジェクトファイルを開いた。
「素材はどうやって管理していた? 内蔵ストレージにコピーしたか、それとも外部ストレージから直接読み込んでいたか」
「外部のポータブルSSDです」
茜はトートバッグから黒い長方形のSSDを取り出した。
「イベントの過去映像とか、各店舗からの提供素材が重くて、内蔵に入りきらなくて。これを繋ぎっぱなしにして編集してました」
「それを貸せ」
悠作はSSDを受け取ると、書き込み防止措置であるライトブロッカーを噛ませてから検証用PCへ接続した。
すずが、無意識にSSDへ手を伸ばそうとする。
「悠作さん、私が――」
「待て」
悠作はすずの指先を手で制した。
「記憶の幽霊を頼る前に、まずは通常データがどうなっているかだ。見境なく読むのはお前の負担になる」
すずは少しだけ目を伏せたが、すぐに「……はい。わかりました」と頷き、手を引っ込めた。西尾の事件を経て、彼女もただ能力を使うだけでなく、技術的な裏付けを待つことの重要性を理解し始めている。
悠作はSSDの隠しファイルとキャッシュ領域を表示させるコマンドを叩いた。
「動画編集ソフトは、外部ストレージの素材を扱う際、プレビューを軽くするために一時的なキャッシュファイルを作成することがある」
大量の不可視ファイルの中から、更新日時の矛盾する一つの断片データを復元・抽出する。
画面に表示されたのは、あの一秒間の「記録工房」の映像だった。
「原因はこれだ。このSSDのキャッシュ領域の底に、過去の古い映像データが残っていた。動画の書き出し処理の際、ソフトウェアの不具合か、ファイルシステムのエラーで、この古い断片がタイムラインに混入してエンコードされたんだろう。クラウドに上げたものは正常なタイミングで書き出された別ファイルだ」
茜はほっとしたように、大きく息を吐き出した。
「なんだ、SSDのエラーですか。びっくりしました。じゃあ、クラウドにあるデータはそのまま使って大丈夫ってことですよね。よかった……。原因がわかったなら、そのSSDをこっちに戻してもらえますか。まだ追加のテロップ修正とか、明日までにやらなきゃいけない作業があって」
茜が手を伸ばすが、悠作はSSDを検証用PCから外さなかった。
「ダメだ。このSSDは使用不可だ」
茜の顔がこわばる。
「どうしてですか! イベントは今週末なんですよ? 広報のスケジュールはカツカツで、私、ただのお手伝いじゃありません。商店会の責任があるんです。作業を止めるわけにはいかないんです!」
19歳という年齢を甘く見られたくないのだろう。彼女の言葉には、任された仕事への強いプライドが滲んでいた。
「イベントを止めろとは言っていない」
悠作は静かに、しかし断固とした声で告げた。
「異常なデータ混入が起きた物理媒体を、そのまま使い続けるなと言っているんだ。単なるファイルシステムの破損かもしれないが、意図的に古いデータが仕込まれていた可能性も捨てきれない。安全な別の媒体に、必要な素材だけをクリーンコピーして作業を再開しろ。このSSDは再起堂で保全する」
茜は反論しようと唇を噛んだが、悠作の技術者としての妥協のない視線に押し返された。彼は茜を子ども扱いしているのではなく、機器とデータに対する正当なリスク評価を下しているのだ。
すずも茜を真っ直ぐに見つめた。
「茜さん。悠作さんの言う通りにしてください。この媒体は……普通の壊れ方じゃないかもしれませんから」
すずの静かな凄みに、茜は少しだけたじろぎ、やがて小さく頷いた。
「……わかりました。クリーンコピー、お願いします。作業の遅れは、私が徹夜してでも取り戻しますから」
「わかればいい」
悠作は新しい外付けドライブを取り出し、クリーンコピーの処理を仕掛けた。進行状況を示す青いバーが少しずつ伸びていくのを確認し、悠作は画面から目を離さずに茜に尋ねた。
「ところで、この素材運搬用のSSD。元々誰が管理していたものだ? お前が買ったものじゃないだろう」
「ええ、私のではありません。イベントに参加する各店舗を回って、過去の映像素材とかを集めてもらったドライブです」
「誰が集めた?」
「ええと、ライブスペース『LIVE BOX 47』のスタッフさんです。新田香織さんっていう……」
悠作とすずの視線が、音もなく交差した。
新田香織。アキバ中央署の山田しずかが追っている、行方不明の人物。
「新田香織……」
悠作は低く呟き、クリーンコピーの進捗バーを見つめながら問いかけた。
「彼女、失踪する前に何か変わった様子はなかったか」
「変わった様子……」
茜は少し首を傾げ、記憶をたどるように答えた。
「そういえば、香織さん、いなくなる直前にすごく焦って誰かに連絡してました。今回のイベント、直前で参加を取り消した出演者の人がいたんですけど、その人に個人的に何度も電話とかメッセージを送ってて。私、代役の手配とかでバタバタしてたから詳しくは聞けなかったんですけど……」
(新田香織。そして、出演を取り消した人物――)
西尾直樹のスマートフォンから、一つのSSDを経由して、次の失踪者の名へと。
繋がってしまった見えない糸の冷たさに、悠作は無言のまま、進捗バーが100%になるのを睨みつけていた。再起堂の作業場には、検証用PCの冷却ファンの駆動音だけが重く響いていた。




