夕焼けの下で
やってしまった。
一時的に大通りから外れて、路地裏に腰を下ろしたキリアは頭を抱え込んだ。
いくらカッとなったからといってどうして警備兵を殴り倒すなんて、真似をしてしまったんだろうか。
魔導院の支配下にあるこのベルフェリングで警備兵を殴り倒すなんてことが一体どれほどのことなのかまだキリアは図りかねているが、事実かなりの重罪だったりする。
少なくとも今警備兵と敵対してしまってはギルダーとしても動きにくい。
まさに、やらかした。といった感じだ。
一度、受諾してしまった依頼を簡単に無下にはできない。
依頼を受諾してから自分から破棄すると「信頼度」なるものが減点され、受けることができる依頼が制限されてしまうことがある。
唯一の稼ぎ口であるそのギルドで信頼度を下げることは自分の生活水準とそのまま直結してくる。
目指している「旧ミリステリアル帝国城下」に着くまでは何があってもギルドで干されるわけにはいかない。
ともあれ、依頼主のそばに警備兵が居る以上、キリアは他のところから情報を集めるしかないということだ。
「さて、どうするか……」
両手を顔の前で組んで思案する。
ギルドからもらった事前情報を思い出しながら、少しずつこれからの方針を決めていく。
今回の依頼は「被害者の捜索」だ。
要するに失踪した人間を見つけ出す作業だ。それに一番必要な情報は最終的に目撃された場所はどこか、だ。
目的地が「失われた未来」の居る場所、と言ってたことから自宅から路地裏に入ったのは確実だろう。
「……「失われた未来」、か」
自分もそのカテゴリに入るわけだが、今その名称で思い出される人物はキリアには一人だけだった。
エリスだ。
このベルフェリングにいる「失われた未来」の数などキリアには分かるはずもないし、分かったところで途方もない数になるだろうが、その中から今回の「容疑者」を搾り出すのは正直言ってかなり無理がある。
昔の警察と呼ばれる国家自治隊がいるのならば、それこそ可能だったかもしれないが、今の世界の技術では到底不可能だ。
だから今キリアの頭に掠めているそのエリスという存在は、あくまでこのベルフェリングで一番印象に残っている「失われた未来」だからという理由でしかない。
今の少ない情報では「失われた未来」という手がかりの一つとしてエリスが挙がる。
「……とりあえずエリスって奴を探すところからだな」
今大通りを歩くわけには行かない。
警備兵が血眼で自分のことを捜しているかもしれない。
とりあえずは路地裏でエリスを見つけるところから始めようと決めた。
しかし、情報収集というのは過酷なものだ。
身体的なのはもちろん、一番辛いのは「情報が上手く集まらない」ことによる焦燥だ。
なにより一日で簡単に事件の真相に近づける情報が手に入ることなんて早々ないのだけれど、警備兵を殴り倒してしまったことで、自分が追われる立場かもしれないというのが今の焦燥の正体だ。
そしてなにより、ベルフェリングの迷宮の名は伊達ではない。
考えもなしに歩こうものならたちまち方法感覚を失い道に迷う。
数十分歩いただけでキリアは完全に道に迷っていた。
「くそ……やってられねぇ」
一番最後にエリスと邂逅した空き地。
そこを目標にして歩いているわけだけれど、いつまで経っても路地裏から抜けれない。
変わり映えしない路地裏の壁にもたれて狭い空を見上げる。
そこでふと思い浮かんだのはリュヒナのことだった。
リュヒナがエリスのことを気にかけているのは知っている。近頃の様子やあいつの話す内容を聞いていて、気付かないほどキリアも鈍感じゃない。
あんまり親近感が湧きすぎて、別れのとき……最悪、死に別れることがあったときに悲しんでほしくない。
この世界の「失われた未来」の現状を身近に感じてきたからこそ、放ったあの時の言葉。
だけれど、彼女はキリアに言った。
「私を守ってくれる?」と。
リュヒナはリュヒナなりに考えを固めて、キリアにそれを許可して欲しかったのだろう。言外に。
「わかってるって、そんなことは」
そう分かってる。
だけれど、もし。もし。
エリスが今回の事件に関与していたら。
「俺はお前とあいつを切り離すしかなくなっちまう」
出来ればなって欲しくない事実。だが有り得る事実。そして――
――それが真実。
「ん?」
微かな地面を足がこする音がキリアの耳に届いた。
すぐに視線を路地裏に向けると、一人の十にも満たない少女が キリアの方を見つめていた。
「失われた未来」であることに間違いはない。だけれどエリスやカズヤたちと違って、服装がやや綺麗だった。
綺麗といっても「失われた未来」にしては、という意味だ。
薄着の茶色いYシャツに無地の白い短パン。やや煤汚れているとはいってもその汚れは「使い込んだ衣服を洗い続けて」も残ってしまった汚れのようだった。
なによりも少女の足には無地の煤汚れた白いスニーカーが履かされていたのだから。
「……」
キリアと少女の距離は十数メートル。
その距離で二人の「失われた未来」は無言で向かい合う。
決してキリアは少女を警戒しているわけじゃない。
ただその身なり。手入れされてるとは言いがたいが、比較的綺麗な腰まで伸びた黒髪。衣服から出る健康的な身体はどう見ても「孤児」には見えない。
あの「誘導声」を使いきれるエリスでさえ、ここまで清潔さを保ててはいなかった。
エリス以上の能力を、エリス以上にうまく活用できている?
いや、まさかあそこまで幼い子が、そんなことはないだろ。
少女と見つめ合いながらキリアはそうやって自問自答を繰り返す。
と、なると残されている可能性はひとつだ。
「大人に保護されている」という可能性。
「……みち」
「ん?」
考えるキリアに少女は小さく言った。
いや、ある程度大きい声だったが距離的にキリアには聞こえにくかっただけだ。
「……道、迷ってるの?」
次ははっきりと聞こえた。
「あ、あぁ。ちょっとな」
改めて今の状況を言われると恥ずかしさがこみ上げてきた。
ぽりぽりと頬を掻きながらキリアは壁から体を起こす。
「……大通りならあっちだよ」
少女はキリアから見て右のほうを指差した。
どうやらこの少女はキリアのことを「大通りから迷い込んだ人」と認識しているようだった。
というかむしろそう思わないほうが珍しいのだが。
「いや、実は俺は大通りに行きたいわけじゃないんだ」
「……そうなの?」
少女は不思議そうに指差している手を下ろして、首を傾げた。
「ちょっと人探しをしててな」
「……そうなんだ」
話しながら、歩いてキリアは少女に近づく。
だが少女は特に逃げるような素振りは見せない。
――ふーん。
珍しい。心底キリアはそう思った。
キリアの印象的に、大人しくて知性の高そうな子ではあるが、警戒心がなさそうな子でもないとも思う。
十八になるキリアを外見で大人と判別しないのは個々人によって分かれるが、基本的にかなりの人間は大人と判断してしまう。
「失われた未来」であることは、変えようのない事実なのだけれど、あくまで外見的に見て「二十以上」に見えてもおかしくないのだ。
にも拘らず。
この少女は警戒していない。
大人を警戒していないのか?
まず迫害される環境に育ったせいもあって「失われた未来」の孤児は同じ境遇である「失われた未来」であっても警戒するものだ。
ましてや迫害してきた大人なら尚のこと。
にも拘らず。
この少女は歩いてくるキリアを黙って見つめるだけだ。
「エリス、って子供を知らないか?」
「……エリス?」
「あぁ。銀色の短髪の女だ」
「……その子ももちろん「失われた未来」なんだよね?」
「あぁ」
「……名前は知らない。聞いたこともない」
「そうか」
路地裏に居る「失われた未来」なら、もしかしたら知ってるかもしれないと思って聞いたキリアだったが、今回は失敗のようだった。
次を当たるか、そう思った矢先。
「……でも、もしかしたら私の知り合いが、知っているかもしれない」
まだ、可能性は消えたわけではないようだった。
いつまで座り込んでいただろうか。
リュヒナはボーっとした目をやっと立てた膝の中から上に向けた。
空はやや赤く染まっている。もう夕方だ。
「……疲れた」
そう言って拗ねたように口を尖らせた。
いつもほわほわして、面倒見のいいリュヒナからは若干想像できないような不貞腐れ方だった。
なによりも。
「泣くのって疲れる」
久しぶりに大泣きしたのだから。
リュヒナはジクジクと痛む立てた右膝に視線を落とした。
その膝頭には、やや大きな傷と出血があった。
だが時間もそれなりに経過してるので血は黒く固まっている。
汚れないように、黒色のニーソックスは、ふくらはぎまでずらされていた。
「こけるし、痛いし……」
ぶつぶつと一人ごちる。
「約束も守れないし、泣くし、言い返せないし」
そこにいるのはただただ不貞腐れる一人の少女。
「……私って弱い」
「そんなことないよ」
急に聞こえた声に、リュヒナはばっと視線を上げた。
きづかなったのが不思議なほどに、すぐ目の前にまでその声の主はリュヒナに近づいてきていた。
「カズヤくん……」
「見つかってよかった」
カズヤはにっこり微笑んで、リュヒナの隣にしゃがみこんだ。
そこでリュヒナの右膝の怪我に気付く。
「痛そうだね。大丈夫?」
「うん。もう血止まったしねー」
リュヒナの話し口調はいつも通りのほわほわ口調に戻っていた。
「ごめんね。私があの夜残ってたらこんなことにならなかったのにね」
「リュヒナさんは悪くないよ。……何が悪いのかなんて、もう、わかんないけどね」
「……エリスちゃん……どう?」
「……いつもと、変わらないよ」
いつもと変わらない。
その言葉に嘘はない。むしろ、「変わってしまっていた」のはここ三日間だけだ。
冷徹で冷静で、それはいつものこと。
「エリスはさ……」
「……」
「いつも僕らのために必死なんだ」
「……そうだね」
「エリスはいつも言ってた。絶対誰も傷つけないって」
「うん」
「それと、絶対誰も殺さない」
「……」
誰も殺させない、ではなくて、誰も殺さない。
それは深く考えなくてもリュヒナには分かった。
その「誰も」というのは「カズヤ」たちの事じゃない。
「大人」たちのことだ。
「エリスは……どっちかを破らないといけなかったんだよ」
「……」
リュヒナの頭に反芻されるエリスの言葉。
「どうしたもこうしたもないわ。殺さなければ私たちが殺されてたのよ」
「で、でも……」
「じゃあ私たちは黙って殺されれば良かったって言うの?」
あの時のエリスの悲痛さは、リュヒナには測りえないものだろう。
「ねぇ、リュヒナさん」
「……ん?」
「……こんなこと、リュヒナさんに頼むのはおかしいんだけどさ」
「どうしたの?」
変に改まって言うカズヤにリュヒナは不振に首を傾げる。
カズヤはゆっくり立ち上がって、座っているリュヒナをしっかりとした目で見下ろした。
「エリスを、助けてあげてください」
そういって頭を下げた。
「……え?」
リュヒナは困惑するしかなかった。
自分に何が出来る。大事なときに居合せなくて、その後の助けも否定されて。
それでも出来ることが自分にあるのか?
自分は、エリスを救えるのか?
「……私じゃ、無理だよ」
「リュヒナさんは、エリスを笑顔にしてくれた」
見上げたカズヤの顔はくしゃくしゃになっていた。
その表情に一体カズヤが何を想っているのか。リュヒナにはすぐに理解できた。
「僕じゃ出来なかったことを……リュヒナさんは、いとも簡単に成し遂げた。出会って二日で、エリスのことを分かってあげた。心を、休ませてあげた」
悔しいんだ。
「僕じゃ、今のエリスを守れない……お願いします。助けてください」
「……カズヤくん……」
一番助けたい、そう願っているのはリュヒナよりきっとカズヤだ。
リュヒナより長く、エリスのそばにいたカズヤは、リュヒナより努力したのだろう。
なによりも、大事に想い、守ろうとしただろう。
でも自分じゃ足りない。そのこと薄々気付いてきていた矢先に、リュヒナが現れて。
エリスを、心から笑わせた。
嫉妬した。
でも、それよりも。
感謝した。
「……カズヤくん」
「……はい」
自分には何も出来ない。その答えをまだリュヒナは変えることが出来ない。
解決策を思いついたわけでもない。何をすべきかとりあえずの目標が立ったわけでもない。
それでも――
――守ると決めたんだから。
「エリスちゃんのこと好き?」
「大好きだよ」
即答だった。
「えへへ。そうだよね」
ゆっくりリュヒナが立ち上がった。
そっとカズヤの頭を撫でる。その行動にハテナを浮かべるカズヤにリュヒナは優しく微笑んだ。
「私も、大好きだよ」




