15話
「私の家は大学から1時間もかからないところです」
大学の最寄り駅から電車で約30分。威勢よく大学を出発したが、出鼻は早速くじかれた。美雪ちゃんの家まで公共機関で向かうわけだが、なんだか周囲の目が怖い。スカートの裾をぎゅっと握りしめ、なるべく電車の壁に身を寄せつつ、体を動かないようにこわばらせる。
千代田さんと美雪ちゃんの2人に囲まれるというとても甘美な空間のはずなのだが、2人の会話は全く頭に入ってこなかった。
マスクを持ってくればよかった。早く目的の駅についてくれ。
「次の駅ですね、もうすぐの辛抱ですよ、陽一さん」
俺の様子がおかしいのを察してか、美雪ちゃんが声をかけてくれる。対する千代田さんはケラケラと笑っているが。30分が何倍にも感じるんだけど、相対性理論的な何かにも関係しているのだろうか。
「ほら陽ちゃん、着いたわよ」
千代田さんは呼び名も変え、電車から降りる際に手を取ってエスコートしてくれる。
俺はお姫様か何かか。悪い気分は……しないけど。変な扉を開こうとしている気がする。ちゃんと戸締りしとかんと。
そして駅の出口から数分歩いたところで人通りも少なくなり、ようやく気持ちも落ち着いてきた。
「ふ~、なんかここまでで凄い疲れたな」
「ダメよ陽ちゃん、もっと女の子らしい言葉遣いにしないと。本番はこれからなんだから」
「……はい」
そういやそうだった。これから美雪ちゃんのお母さんの除霊をしなければならないんだった。
「でも、どうするんですか? 降霊術で憑けてもらったって、除霊には非協力的な気がしますけど」
意図的に俺が高い声で話すと、千代田さんはまるで玩具を見つけた子供のように微笑み、右側から俺の腕をぎゅっと抱きしめる。
そんなことしたら、柔らかい感覚が……あれ、ない。薄目で見てみると、ちゃんと俺の腕と千代田さんの胸との間には短いようで分厚い距離が確保されている。くそが。
「陽ちゃんは心配しなくていいわ! 私に全部任せておきなさい!」
何故かテンションが上がっている千代田さんとは対照的に、左側に居た美雪ちゃんは、おもちゃを取られたかのようにムッとした顔となる。なんなの? 俺は着せ替え人形ではないのだけれど。
「全部お任せなら俺……わたしが来る必要なかったのでは」
「それは駄目よ。私が委縮しちゃうじゃない」
この状況からはとてもそう言う風になりそうとは思えないけど。
「あと陽ちゃんにお願いしたいのは、弟君の方よ。冬馬君……だっけ、家族に対して心を開けるようにアドバイスして欲しいのよ」
言うのは簡単だけども。
「どうやってです?」
「そこは……男の子の考えを熟知しているであろう、陽一くんにお願いするわ」
都合のいい時だけ男/女を使い分けるのはずるいのでは?
しかし、俺にも考えがないわけではない。反抗期ってのは、俺が思うに認識のズレから来る問題だ。
弟の冬馬君は自分のことを大人だと思っているが、母親はまだ子供だと考えている。自分は大人だという自認なのに、子供扱いなのがどうにも我慢ならんのだ。それが四六時中家にいる相手となれば猶更。
ともすれば、冬馬君にまだ子供であると自認を植え付けるか、片足だけではなくどっぷり肩まで大人として仕立て上げ、母親に息子はもう大人だと認識させるかのどっちかだ。
前者は先述の風呂スキップ同様、問題の先送りにしかならない。何時かは風呂に入る必要が……ではなく、子供/大人の認識のずれに向き合う必要が出てくる。
ならば残るのは、立派な大人に仕立て上げるのが取り得る戦術なのだ。ちょっと早い気もするが、冬馬君に大人の階段を昇ってもらって、多少親にからかわれたところでびくともしない自信を持たせてあげなくてはならない。
そう、これは除霊だけの問題じゃない。まだ冬馬君は物心ついていなかった頃だが、俺は冬馬君のことは知っている。近所の気のいいあんちゃんとして、導いてやる義務が俺にはあるんだ。俺や柳生、橋本のような拗れた大人にならないように、自信を付けさせてあげなければ。
「何か考え込んでるようですけど、陽一さん大丈夫ですか?」
「私のことは陽子ちゃんと呼んで欲しい。冬馬君を救うため、私は一肌脱がなくてはならないっ!」
「えぇっ!? よく分かりませんが……お願いします」
『俺』でも惚れるこの美貌で、私がハグの一つでもしてあげるか……。千代田さんの香水も付けてもらったしな。後で同じやつ買って使おう。何にとは言わないけども。
「着きました、このマンションです」
美雪ちゃんが指さした先を見上げる。大学生の一人暮らしである俺のアパートと比べるとすごくちゃんとしている。そりゃそうか、父母姉弟の4人暮らしと比べたらそうだよな。
「ここです。たぶんお父さんはまだ帰ってないでしょうけど、弟は今日部活がないのでいると思います」
エレベーターで昇り、霊山の表札があるところで立ち止まる。
ドアは隔てているものの、確かにする。幽霊の気配が。
心拍数が上がっていくのを抑えるように、俺は深く息を吸って前方を見つめた。




