義父の一年祭
1933(昭和5)年10月28日土曜日午後2時20分、東京市淀橋区戸塚町2丁目にある南部利祥上皇武官長の自宅。
今、この家の応接間には、6人が集まっている。
南部利祥さんの奥様・萬子さん。
南部利祥さんの長男で、私の娘・万智子の夫である利光くん。
ここ数か月、南部家で万智子の世話をしている私の乳母子・東條千夏さん。
万智子の主治医で私の恩師でもある東京女医学校の校長・吉岡弥生先生。
軍医学校での勤務を終え、この家に駆け付けた私。
そして、私の長女・万智子だ。
12月下旬に出産予定の万智子は、そろそろ妊娠9か月になる。お腹はかなり大きくなり、歩いたり動いたりするのもかなり辛そうだ。ところが、そんな状態でも万智子は、掃除や洗濯、炊事などを、今までと同じようにやってしまう。それが激しくない運動だったらいいのだけれど、万智子は重いものを持ち運びしたり、長い階段を何度も上り下りしたり、高いところにあるものを取ろうとしたりと、危なっかしいことを平気でやるようだ。
――このままでは、万智子さまが倒れてしまいますわ。それに、あんなふうに動いていたら、転んでお腹をぶつけてしまうかもしれないし……。万智子さまには、盛岡町のお屋敷に移ってもらって、お産までのんびりしていただく方がよろしいと思いますの。前内府殿下、ご協力いただけませんか?
昨日、萬子さんと、南部家にいる千夏さんから要請を受け、私は急遽弥生先生に連絡を取り、私と一緒に南部家に行ってくれるように頼んだ。そして、南部家とも改めて連絡を取り合い、今日、関係者を南部家に集めて、万智子との話し合いをすることにしたのだけれど……。
「あのね、万智子」
私は娘に呼びかけるとため息をついた。
「私、あなたを産んだ時、今のあなたぐらいの週数にはお仕事をお休みして、盛岡町でのんびりしていたわ。謙仁を産んだ時は色々あって、帝国議会の閉院式の時に破水したから大変なことになっちゃって……。あなたは今回初産だけど、無理をしたら、謙仁を産んだ時の私みたいに、予定より早くお産が始まっちゃうわよ」
私が身を乗り出して言うと、
「別に、無理はしておりません」
万智子は強張った表情で答える。
「私は南部家の嫁としての務めを果たしているだけです。この程度の家事ができないようでは、南部家のご先祖さまに申し訳が立ちません」
すると、
「その“務め”は、身体に過度の負担を掛けてまで果たさなければならないものですか?!」
応接間の隅の方に立っていた千夏さんが、そう問いながら一歩前へと踏み出した。
「絶対に違うと思いますわ、千夏さん」
万智子の姑の萬子さんが、心配そうな顔で万智子を見ながら言った。
「無理を重ねて、お腹の中の子供に万が一のことが起こってしまう方が、ご先祖さまに対して申し訳ないのではないかしら」
「奥様のおっしゃる通りですよ」
万智子の真正面に座る弥生先生も、萬子さんに同調した。
「確かに、適度な運動は勧められるところではありますが、過度に行うことは慎むべきです。特に、重いものを持ったり、高いところにあるものを取ったり、階段を異常に上り下りしたりして、母体に負担を掛けてしまうと、早産になる危険が上がりますし、そうなれば、母体にも命の危険が出てきてしまいます。妊婦さんの中には、自分は決して無理はしていないとおっしゃる方も一定数いるけれど、そうおっしゃる方に限って、周りから見ると無理を重ねていて、早産になってしまうことがあるのですよ」
「……」
産科医療に長年従事している弥生先生の言葉には重みがあった。万智子が反論できずにうつむいた時、
「万智子さん、あなたが危険な状態になることも、お腹の子が危険な状態になることも、僕は避けたいです。だから、盛岡町のお屋敷でゆっくりさせてもらって……」
万智子の隣に座っている軍服姿の利光くんが、万智子に優しく言った。しかし、
「嫌です。……それに、“万智子”と呼び捨てにしてください、と、いつも申し上げているではありませんか」
万智子はこう返答して、利光くんの言葉を拒絶した。
(困ったわねぇ……)
私が軽く顔をしかめたその時、
「申し訳ありません、前内府殿下。戻るのが遅くなってしまいました」
応接間のドアが開いて、この家の主である南部利祥上皇武官長が姿を現した。彼はなぜか、黒い文箱を大事そうに捧げ持っている。南部さんも、私が本日の話し合いに招集した1人なのだけれど、今日、私が南部家に到着してから、“勤務がまだ終わっていないようで、帰宅していない”と萬子さんに聞かされた。
「ううん、気にしないでください」
本当は、業務が長引いたから帰宅が遅れたのか、業務が長引いたのなら、その原因に兄や節子さまが関わっているのかどうか、など、南部さんに聞きたいことがたくさんあるのだけれど、機密事項に触れてしまう可能性もあるので、私はこれ以上反応せずに口を閉じた。
すると、
「万智子さま」
南部さんが自分の嫁に呼びかけた。
「お義父さま、呼び捨てにしていただいて結構です」
はねつけるように答えた万智子に、「あ、ああ、すまなかったな……」と謝罪した南部さんは、
「実は、上皇陛下から、万智子……あてに、手紙を預かってな」
そう言いながら、黒い文箱を万智子に差し出した。
「今日は定時で帰るつもりだったのだが、上皇陛下にあいさつをしたら、“今日は急いでいるようだが何かあるのか”と聞かれてな。それで、この話し合いのことを申し上げたら、上皇陛下が“しばらく待て”と仰せられて……そして、この書状をお書きになった」
(兄上が……)
私が万智子の後ろから、利光くんと萬子さんが万智子の左右から、兄の書状を覗き見る。兄が万智子にあてた書状には、兄特有ののびのびとした筆跡で、こんなことが書かれていた。
『南部から、万智子の腹の中の子が無事育っていると聞いてほっとしている。南部だけではなく、有栖川宮の両親もさぞ喜んでいることだろう。だが、周りから見て万智子が辛そうなのに、無理をして家事をしているとも南部から聞いて、とても心配だ。元気な子を産むには、その子を産む母親も元気でなければならない。万智子の中には、義理の両親に孝行したいという気持ちがあるのだろうが、まずは親元に戻って身体を休めるべきだと俺は思う。しっかりと休養を取って体力を充実させ、元気な子を産むことこそが、義理の両親と実の両親に対する孝行と心得よ』
「伯父上……」
書状の最後まで目を通した万智子が、うつむいて呟く。そのまま動こうとしない彼女に、
「それで……上皇陛下は、お手紙で何と仰せに?」
南部さんが声を掛けると、万智子は兄からの書状を南部さんに黙って差し出した。
「あの、お義父さま、お義母さま……大変、大変申し訳ないのですが、……私、お産まで、里に帰らせていただこうと……」
下を向いたまま、おずおずと申し出た万智子に、
「もちろん構わないよ」
と南部さんは即答した。
「恐れ多くも、上皇陛下からのご助言だ。上皇陛下にお仕えしている私としては、絶対に従わなければならない。……前内府殿下、申し訳ありませんが、万智子……の療養のこと、頼んでもよろしいでしょうか?」
「もちろんですよ。兄上の言葉なら、我が家としても従うしかありませんから」
そう答えながら、私は兄に感謝していた。以前、私は兄に、万智子が義理の両親に過度に遠慮しているので、千夏さんを南部家に派遣したことを話していた。それを覚えていた兄が、南部さんから今日の事情を聞き、万智子を諭す手紙を書いたのだろう。
「万智子……上皇陛下のおっしゃるように、盛岡町のお屋敷で療養してください。僕も、邪魔でなければ、休みの日には盛岡町に参ります」
利光くんが話しかけ、それに万智子が頷くのを見て、私は心の底から安堵した。
1933(昭和5)年11月2日木曜日午前11時、東京市小石川区小石川大塚坂下町にある豊島岡墓地。
昨日から降っていた雨は早朝に止み、一年祭の墓所祭を終えた私の義父・有栖川宮威仁親王の墓には、秋の陽光が降り注いでいる。
(お義父さまが亡くなって、1年経ったのか……長かったような、短かったような……)
義父の墓をぼんやり見ながら、私が感慨に浸っていると、ステッキを地面につく音、そして足音とともに、
「章子」
と私を呼ぶ声がする。振り向くと、節子さまと甘露寺上皇侍従長を従えた兄が、私の後ろに立っていた。兄と節子さまは、先ほどここで行われた墓所祭にも、朝に霞ヶ関の本邸で行われた権舎祭にも参列してくれた。もちろん、異例のことである。
「義兄上のことを思い出していたのか?」
「……思い出してた、ってほどでもないかな」
私は兄に答えると、再び義父の墓へと視線を動かした。
「ただ、お義父さまが亡くなってから、色々あったなぁ、って思ってね。節子さまのお兄様が亡くなって、昭和三陸地震があって、万智子が妊娠して、謙仁が海兵士官学校を卒業して、禎仁が臣籍降下して……」
「だな」
相槌を打った兄は、義父の墓に目をやると、私に視線を戻し、
「万智子が元気そうでよかったよ。権舎祭での様子を見て、少し安心した」
と言った。
「しかし、万智子は墓所には来ていないようだが」
「妊娠9か月だし、霞ヶ関の本邸から豊島岡まではちょっと距離があるから、何かあるといけないと思って、盛岡町に戻ってもらったのよ。……でも、先月の末に盛岡町に来てからは、万智子はとても元気よ。……兄上、先週の土曜日は万智子に手紙をくれて本当にありがとう」
「おいおい、昨日も俺に礼を言ってくれただろう。そう何度も礼を言われてしまうと、面映ゆくなってしまうぞ」
「だって、本当にありがたかったんだもん。あの子を説得するの、本当に大変で……」
苦笑いした兄に私が訴えていると、
「あら、栽仁さま」
兄のそばにいる節子さまが声を上げる。見ると、私の夫で現在の有栖川宮家当主である栽仁殿下が、こちらに急ぎ足で向かってくるところだった。
「本日は、亡父の一年祭に御参列いただきまして、まことにありがとうございました」
深々と頭を下げた栽仁殿下に、
「いや、俺は義弟として、当然のことをしたまでだが……」
と応じた兄は、「ところで、栽仁」と少し鋭い口調で言った。
「お前、体調は大丈夫か?権舎祭の時から、ずっと気になっていたのだが……」
「そうですよ、目の下にくまをお作りになって……。ちゃんと休んでいらっしゃいますか?」
次々に問いを発した兄と節子さまに、「ご心配をおかけして申し訳ありません」と一礼すると、
「実は、ここ2、3か月、仕事が忙しくて……」
栽仁殿下は事情を簡単に説明した。
「大丈夫よ。日曜の昼まで、栽仁殿下は東京にいるから、これからしっかり休んでもらうわ」
私がこう言いながら兄と栽仁殿下の間に入ると、
「む、そうか……」
兄は顔を少ししかめて頷く。そして、
「では、しっかり休めよ、栽仁。お前に先立たれてしまったら、俺は義兄上に何と詫びればよいか分からん」
と兄は言い、節子さまとともに墓所祭の会場から去っていく。私と夫は慌てて最敬礼し、兄夫妻を送り出した。
兄夫妻の姿が見えなくなると、
「有栖川宮殿下」
後ろから栽仁殿下を呼ぶ声がした。振り向くと、黒いフロックコートを着た原さんが立っている。彼を挟むようにして、枢密院議長の伊藤さんと、我が臣下も佇んでいた。
「ああ、閣下方……。今日は、ありがとうございました」
栽仁殿下が原さんたちに、今日の一年祭に参列してくれたお礼を言うと、原さんは黙って一礼を返し、
「ところで有栖川宮殿下、今週末は東京にいらっしゃいますか?」
と栽仁殿下に尋ねた。
「ええ、おりますよ。亡父の一年祭のこともありましたので、このまま東京にいて、日曜の午後に横須賀に戻るつもりですし……」
栽仁殿下が答えると、
「ん?すると、明日の夜も東京にいらっしゃるということですかな?」
伊藤さんが更に問う。
「ええ、そうですが……」
栽仁殿下が返答すると、大山さんと伊藤さんと原さんは目配せし、小さな声で何事かを話し合う。そして、
「では、有栖川宮殿下、明日の夜に盛岡町に伺ってもよろしいでしょうか?少し、お話ししたいことがございまして……」
大山さんが丁重に栽仁殿下に尋ねた。
「それは構わないですが……梨花さんではなく、僕に話したいこと、ですか?」
自分を指さした栽仁殿下に、「ええ」と応じた伊藤さんは、
「もちろん、前内府殿下にご同席いただいても構いません」
と付け加えると栽仁殿下に頭を下げ、私たちの前を去る。原さんと大山さんも伊藤さんに続いた。
「何かしら、話って……。栽さん、心当たりはある?」
「いや、特には……」
私と栽仁殿下は言葉を交わすと首を傾げる。2人とも、話の内容に思い当たることがない以上、とにかく、明日の夜を待つしかなかった。




