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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第89章 1933(昭和5)年立秋~1934(昭和6)年小暑
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1933(昭和5)年9月の梨花会

 1933(昭和5)年9月9日土曜日午後2時、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「それでは、今月の梨花会を始めます」

 私の斜め向かいに設けられた席……つまり、亡き義父・有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下が座っていた席の隣は、いつのころからか、梨花会の司会役を務める現在の内閣総理大臣が座ると決まっている。先月まではその席に、立憲改進党の党首である桂太郎さんが座っていたのだけれど、今日は立憲自由党総裁の原(たかし)さんが腰かけている。6日前、9月3日に施行された衆議院議員総選挙で、総議席数300のうち、立憲自由党が過半数を超える155議席を獲得したため、立憲自由党総裁である原さんが内閣総理大臣に任命されたのだ。

「原総理」

 やや緊張している原さんに、お(かみ)が玉座から呼びかけた。

「せっかくの機会だから、梨花会の皆に、総理としての施政の方針を伝えて欲しい。簡単で構わないから……」

 原さんは「かしこまりました」と上座に向かって恭しく一礼すると、

「今回の衆議院議員総選挙の結果、再び内閣総理大臣を務めることとなりました」

今度は身体を梨花会の面々に向けて喋り始めた。

「先年、我が立憲自由党が与党となった際、選挙権を拡大いたしました。すなわち、男子、もしくは軍籍を持つ女子が選挙権を得られる直接国税納税額を、5円から2円50銭に引き下げたのです。今回、我が党は再び与党となりましたので、公約通り、選挙権を得られる直接国税納税額を2円50銭から1円に引き下げたいと考えています。……となると、次は、普通選挙を実施するか否かということになりますが、慎重に考えなければなりません」

 原さんは論を展開し始める。確かに、”史実”では1925(大正14)年に25歳以上の男子による普通選挙が制定されているから、この点だけを見ると、この時の流れでは選挙権の付与が”史実”より遅れているとみなされるかもしれない。

「特に、女子の場合、軍籍を持っていない者への選挙権付与をどうするかについては、議論を深めなければならないところです。直接国税を1円以上納めていて、軍籍を持たない女子は多数おります。そういう者にも選挙権を与えるのか。また、義務教育が無償化されたことで、特に大正の御代となってからは、日本に生まれた子供は全員小学校に就学しております。それを踏まえ、ある程度自分の頭で考えて選挙に投票することができると思われる小学校卒業以上の学歴を持つ者に選挙権を付与することにしますと、高齢のために義務教育を受けたことはないが、直接国税を1円以上納めていたために今まで選挙権を付与されていた者が、選挙権を奪われることになります。……直接国税による縛りがなくなった場合、どのように選挙権を国民に与えるのか、議論の深化は必要不可欠です。ですから我が党だけではなく、是非立憲改進党の皆様方にも、議論に参加していただきたい」

 原さんはここまで一気に言うと、出されたお茶を一口飲んだ。そして、

「もちろん、選挙権のことだけではなく、今後片付けなければならないことは他にもあります」

と話を再開する。

「直近で考えなければならないことは、来年秋に我が国を襲う凶作のこと、そして、来年の年明けから予備交渉が始まる軍縮会議のことです。明治の御代から冷害に強い農作物の品種が開発されてきた結果、おととしの冷害は“史実”よりは少ない被害で済んでいますし、冷害対策の温水池(おんすいち)や迂回水路なども、昭和三陸地震の被災者を救済する雇用創出を兼ねて建設が進められています。しかし、それらの対策をもってしても、来年秋の凶作に対応できているのかは分かりません。……そこで、農商務省には横田君を配置することにしました。農家への手当、種まき用の種子の配布、問屋の極端な農作物買い占めを防ぎ、農作物の市場価格を安定させること……凶作となってしまった場合、やらなければならないことは山のように出てきます。横田君なら、他省庁と協力して、適切な対応策を実施できるでしょう」

 原さんの言葉に合わせて、末席に近いところに座っていた横田千之助さんが一同に黙礼する。彼が農商務大臣になると聞いて、最初は首を傾げたのだけれど、こうして事情を聞けば納得できる。原さんは、一番有能な人を、一番大変になるであろう部署に投入したのだ。

「軍縮会議への対応については、ここにいる皆様の力をお借りしなければなりません。前回、1929年の第3回軍縮条約の締結から4年が経ちましたが、その間、イギリス・フランス・ドイツは、艦齢20年を過ぎた主力艦の更新を着々と進めております。……これは、資料をご覧いただく方がよろしいでしょう」

 原さんの声で、全員が事前に配布された資料に視線を落とす。そこには、今年の12月末までに、イギリス・フランス・ドイツが保有する予定の主力艦の艦型と隻数が記載されていた。


・イギリス(計44隻、排水量1426110トン)

 ヴァンガード級巡洋戦艦(排水量35000トン):7隻……戦艦“ネプチューン”、コロッサス級戦艦2隻、キング・ジョージ5世級戦艦4隻の代艦

 セント・アンドリュー級戦艦(排水量35000トン):4隻……オライオン級戦艦4隻の代艦

 クイーン・ヴィクトリア級戦艦(排水量35000トン):9隻……ライオン級巡洋戦艦3隻、インヴィンシブル級巡洋戦艦3隻、インディファティガブル級巡洋戦艦3隻の代艦

 アイアン・デューク級戦艦(排水量25000トン):4隻

 クイーン・エリザベス級戦艦(排水量31585トン):6隻

 リヴェンジ級戦艦(排水量29150トン):8隻

 ネルソン級戦艦(排水量35000トン):5隻

 巡洋戦艦“タイガー”(排水量28400トン)


・ドイツ(計26隻、排水量803800トン)

 デアフリンガー級巡洋戦艦(排水量26600トン):3隻

 ケーニヒ級戦艦(排水量23500トン):4隻

 バイエルン級戦艦(排水量31000トン):4隻

 マッケンゼン級巡洋戦艦(排水量31000トン):2隻

 ティルピッツ級巡洋戦艦(排水量34800トン):7隻……モルトケ級巡洋戦艦2隻、巡洋戦艦“ザイドリッツ”、ヘルゴラント級戦艦4隻の代艦

 ローン級戦艦(排水量35000トン):6隻……巡洋艦“ブリュッヒャー”、カイザー級戦艦5隻の代艦


・フランス(計21隻、排水量582270トン)

 クールベ級戦艦(排水量23474トン):2隻

 プロヴァンス級戦艦(排水量23230トン):4隻

 ノルマンディー級戦艦(排水量25230トン):5隻

 リヨン級戦艦(排水量25230トン):2隻

 ダンケルク級戦艦(排水量30264トン):3隻

 リシュリュー級戦艦(排水量35000トン):5隻……ダントン級戦艦3隻、クールベ級戦艦2隻の代艦


(結局、イギリスもフランスもドイツも、枠を全部使って戦艦を作っちゃったのかぁ……)

 資料に目を通した私はため息をついた。軍縮条約では、艦齢20年を超えた主力艦は、新しく建造した主力艦に置き換えていいことになっている。前回、1929(昭和元)年に結ばれた第3回軍縮条約以降、今年の末までに艦齢20年を超える主力艦は、イギリス20隻、ドイツ13隻、フランス5隻だった。この資料によれば、イギリス・ドイツ・フランスともに、艦齢20年を超えた主力艦は全て更新したことになる。

「こんなに主力艦を建造して、イギリスもドイツもフランスも財政は問題ないのでしょうか?」

 新しい農商務大臣の横田さんが顔をしかめて一同に問うと、

「植民地からの“献金”という形で財政のひっ迫を糊塗している部分もありますが、3か国とも、外債を発行しています。ベルギーやスイス、新イスラエルの銀行家たちが投資目的で購入しておりますし、アメリカの投資家たちも手を出していますな」

大蔵大臣を引き続き務めることになった浜口雄幸さんが横田さんに答えた。

「アメリカの投資家、ですか……。少し不気味ですね。まさか、とは思いますが、彼らに共和党の手が伸びてはいませんよね?」

 浜口さんの言葉を聞いた山本五十六(いそろく)国軍航空本部長が、上座に向かって自らの懸念を示す。

「そこは問題ない。投資家たちに思想的な背景がないことは確認が取れている」

 かつての自分の部下に請け負った児玉さんは、

「しかし、年明けからの軍縮会議予備交渉……イギリス・フランス・ドイツは……いや、イギリス・フランス・ドイツの造船会社はどう出ますかな」

と言って首を傾げた。

「1939年の軍縮会議までに、つまり1938年末までに艦齢20年を超える主力艦は、イギリス18隻、ドイツ11隻、フランス13隻となりますが……」

 国軍大臣の斎藤(まこと)さんがこう言ったので、

「全部廃艦にしろ!……と言いたいけれど、無理でしょうね。せめて、イギリス4隻、ドイツ3隻、フランス2隻は減らしたいですけれど」

と私は応じた。

「それが限界でしょうな。イギリス・フランス・ドイツの造船業界は、この5年間での主力艦の建造数の多さにより大儲けしておりますが、それにも飽き足らず、我が国にも“補助艦を建造しないか”と営業を掛けております。彼らが主力艦の廃艦を許容する可能性は限りなく低いでしょう」

 私の隣に座る大山さんの発言に、

「しかし、可能な限り、主力艦削減への努力は続けなければなりません。このままでは、英・仏・独の艦隊は肥大するばかり。ひとたび戦争が起これば、その時に発生する破壊力が大きくなってしまいます」

国軍大臣官房長の堀悌吉(ていきち)海兵大佐が反論した。

「大山閣下、児玉閣下……何か、英・仏・独の造船業界に打撃を与えられる話はありませんか?例えば、造船会社が、賄賂を政府高官に渡したとか……。その話を現地の新聞に書きたて、野党や与党の非主流派に追及させて世論を動かせば……」

 山下奉文(ともゆき)歩兵大佐の訴えに、

「無論、いくつかネタはある」

と児玉さんは頷きながら答える。

「だが、効果は限定的と捉えるべきだろう。あくまでも、正面からの交渉が主攻であるという認識は変えてはいけない」

 児玉さんに向かって山下大佐が深々と頭を下げた直後、

「皆に聞きたいが……」

とお上が口を開いた。

「今回の軍縮で、補助艦の削減まで踏み込むことはできそうか?」

「……なんとも申し上げられないところでございます」

 お上の問いに、斎藤さんが一礼して答えた。

「交渉の展開によるところも大きいでしょう。軍縮会議では陸軍戦力の削減についても話し合われます。もし、陸軍のことや主力艦のことで交渉が長引けば、補助艦のことまで踏み込めないかもしれません」

「分かった、ありがとう」

 お上が斎藤さんにお礼を言うと、牡丹の間は静かになった。その沈黙の中で、

(主力艦の話や陸軍の話を長引かせて、補助艦の話まで踏み込ませないという戦法を、ドイツが取って来る可能性もあるわね……)

私は来年の軍縮交渉が厳しいものになる予感がしていた。


 1933(昭和5)年9月9日土曜日午後9時10分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。

「なるほど、内閣が変わっても、国防に関する基本方針は変わらないってことかな」

 週末になると、栽仁(たねひと)殿下は横須賀の第1艦隊から東京に戻って来る。今週末も帰京してくれた彼に今日の梨花会での話をすると、こんな感想が返ってきた。

「それなら、安心して仕事に打ち込めるよ。与野党が入れ替わるたびに国防の方針が変わったら、軍もそれに合わせて防衛作戦を変えないといけないもの」

「それは一理あるわね」

 私が答えて頷くと、

「だけど、軍縮会議がそんな調子になるなら、“鳥海(ちょうかい)”が列強に咎められることはないかな」

栽仁殿下はそう言って笑う。“鳥海”は、金剛型装甲巡洋艦の代艦となる鳥海型装甲巡洋艦の1番艦で、10月末に竣工する。主力艦に分類される軍艦の中では世界最速となる34ノットの最大速力を発揮しながらも、防御力はきちんと保っているという軍艦で、今後、1916年までに竣工した金剛型の“比叡”“榛名”“霧島”は、鳥海型に順次置き換えられることが決まっていた。

「鳥海型の排水量は34950トン、金剛型が全部鳥海型に置き換わっても、葛城(かつらぎ)型と合わせて主力艦の総排水量は20万トンちょっと……。列強に文句を言われることはないと思うけど、新型缶とタービンについては今後も気をつけないとね。多喜子(たきこ)さまが開発しているレーダーも、完成次第鳥海型に搭載すると知れたら、また黒鷲に狙われそうよ」

「多喜子さまたちの身柄は、厳重に保護しないとね。輝久(てるひさ)からも“厳重に警備されている”とは聞いているから、大丈夫だと思うけど……」

 そこまで言った栽仁殿下は、口を手で押さえ、大きなあくびをする。この時間に彼が眠そうにしているのは珍しいので、「どうしたの?疲れてる?」と私が尋ねると、

「うん、ちょっと……。最近、仕事……というか、妙に難しい問い合わせが多くてね」

夫は私にこう答えた。

「どれも滅茶苦茶頭を使うから、ちょっと疲れてるんだ。軍機が絡んでいるから、誰かに手伝ってもらうわけにもいかなくて」

「そっか……」

 私は軽いため息をついた。

「軍機が絡んでなければ、(たね)さんを手伝えたのに。ほら、私が内大臣だったころは、(たね)さんに話してもいい仕事は、(たね)さんに手伝ってもらったこともあったからさ」

「僕は、梨花さんの話を聞いていただけだった気がするけれど」

 私の言葉に微笑んで返した栽仁殿下に、

「それだけでも、頭の中が整理されて、私、すごく助かったのよ。だから、(たね)さんのことが手伝えないのが申し訳なくて……」

と私は言った。

 すると、

「気にしなくていいよ」

栽仁殿下は私の頭を撫でた。

「こうやって、家に戻ってくつろいで、梨花さんと話をするだけでも、僕はすごく助けられているんだ」

「そうなんだ……」

 頷いた私に、

「でも、今日は流石に疲れているから、早めにお風呂に入って寝ようかな」

栽仁殿下はそう言うと、また小さなあくびをした。

「その方がいいわ。じゃあ、私、職員さんにお風呂の支度を頼むね」

 長椅子から立ち上がってドアへ向かった私は、ふと夫の方を振り向いて、

「寝る前に、肩を揉んであげる」

と付け加えた。

「それはありがたいね」

 栽仁殿下が微笑したのを確認すると、私は再び前を向き、ドアへと歩いた。

※見慣れない主力艦のクラスが出てきていますが、勝手に想像しています。スペックなどについては全然考えておりませんのでご了承ください。

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― 新着の感想 ―
ラストにある欠伸の描写がやけに気にかかる。悪い方向へいかなければ良いのだが
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