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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第89章 1933(昭和5)年立秋~1934(昭和6)年小暑
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有栖川伯爵家の創設

 1933(昭和5)年8月15日火曜日午後0時30分、東京市麹町(こうじまち)区霞ヶ関1丁目にある有栖川宮(ありすがわのみや)家霞ケ関本邸。

「今日は、ちょっと暑いわねぇ」

 本館1階にある食堂の四隅には、大きな氷の柱が立っている。そのそばにはそれぞれ扇風機が置いてあって、氷で冷やされた空気を周囲に送り続けている。今の外の気温は30℃前後……私の時代の夏の東京に比べれば涼しいけれど、長袖の軍服を着ている私には蒸し暑く感じてしまう。私が扇子を使っていると、

「確かに、少し暑いかな」

隣に座っている栽仁(たねひと)殿下が微笑む。彼も私と同じように、長袖の軍服を着ていた。

「姉上、お辛くはないですか?もし暑いようなら、扇風機をもう1台出して、姉上のそばに……」

 私の斜め前の席にいる長男の謙仁(かねひと)が、向かいにいる私の長女・万智子(まちこ)に尋ねると、

「大丈夫よ。私、暑さには強いの」

そう言って彼女は笑顔を見せる。昨年南部家に嫁いだ万智子は、妊娠6か月に入ったところだ。そろそろ、お腹が膨らんできたかしら、と私が感じた瞬間、

「お待たせいたしました」

我が家の別当・金子堅太郎(けんたろう)さんの声とともに、私たちの正面にあるドアが開かれる。私が背筋を伸ばすと、今日、満20歳の誕生日を迎えた次男・禎仁(さだひと)が、黒い束帯(そくたい)をまとい、敷かれた赤いじゅうたんを踏みしめながら、食堂の中へと入ってきた。

「まぁ……!」

 栽仁殿下の右隣に座っていた義母の慰子(やすこ)妃殿下が、束帯姿の禎仁を一目見て声を上げた。

「何て凛々しくて、何て美しいのかしら……!殿下のお若いころを思い出してしまいますわ……」

 そう言った義母は、手に持ったハンカチーフで溢れる涙をそっと拭う。確かに、昨年秋に亡くなった義父の有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下も、若いころは、私が思わず見惚れてしまうほどの端正な顔立ちだったけれど……。

(いや、このイケメンっぷり、お義父(とう)さまを超えてるわ)

 私は次男の全身を、頭のてっぺんからつま先までなめるように確認した。私の身長は150cmとちょっとくらいだけど、栽仁殿下が170cmを超えているためか、3人の子供たちは私より背が高い。特に禎仁は173cmと、兄の謙仁より1cm身長が高く、筋肉質でありながらもすらっとした体格をしている。おまけに、鼻筋の通った完璧に整った顔立ち……もし、この束帯姿の次男をこのまま私の時代に連れて行ったら、“時代劇の撮影をしている美形の男性タレント”と騒ぎになるだろう。

 そんな禎仁は(しゃく)を持ち、落ち着いた足取りで私たちの正面に立つと、

「父上、母上、おばあ様、兄上、そして姉上、本日をもちまして、無事成年となりまして、臣籍に降下いたします。今まで僕を育ててくださり、誠にありがとうございました」

明るい声でこう言った。基本的に、現在ある宮家で、当主が天皇から分かれて4世代を超えている場合は、当主の長男以外の男子は、成人すると臣籍に降下することになっている。なので、特例で天皇から分かれて5世代目の王とされている栽仁殿下の次男である禎仁は、本日付で皇族から華族となり、“有栖川(ありすがわ)禎仁(さだひと)”として、有栖川伯爵家を創設したのだ。

「うん。皇族でなくなったとは言っても、僕が禎仁の父親であることは変わりのない事実だ。そのことは忘れないでね」

 栽仁殿下が答えたのに続いて、

「あなたの夢が実現できるように、これからも頑張ってね。何かあれば相談に乗るわ」

と私も禎仁に言う。流石に、禎仁が諜報の道に進みたいことはこの場では伏せておいた。

「この男ぶり……きっと、あの世にいらっしゃる殿下も、喜んでいらっしゃることと存じます」

 義母は禎仁に声を掛けながら、再び涙をハンカチーフで拭う。義母の後ろには私の実母・花松(はなまつ)権典侍(ごんてんじ)が佇んでいて、禎仁を見つめながら何度も首を縦に振っていた。

「禎仁、お前が皇族であったということは厳然たる事実だ。そのことを決して忘れないように、己を律して生きろ」

 7月末に卒業した海兵士官学校の夏用の白い制服を着た謙仁が言うと、禎仁は恭しく頭を下げる。そして、

「じゃあ、あいさつも終わったから、着替えてくるよ。この装束、兄上からの借り物だしね」

と、やはり明るい口調で言った。

 すると、

「おい、禎仁。写真を撮ってないだろう」

謙仁が禎仁を軽く睨んだ。

「宮中で撮ったよ。それに、ここに戻ってからも撮った」

 禎仁が軽い調子で返すと、

「家族全員での集合写真を撮ってないだろう、ということだ」

謙仁は厳しい声で弟に指摘する。

「今も言ったばかりだろう。お前が皇族であったということは厳然たる事実。つまり、僕たちと禎仁が家族であることはこれまでも、そしてこの先も変わりないのだ。だから、禎仁の成年の記念に家族で写真を撮っておくのは当然のことだ。……今、準備をしてもらうから、着替えずにそのまま待て」

「はいはい、分かったよ」

 めんどくさそうに答えた禎仁に、

「返事は1回で十分だ!」

という謙仁の注意が飛ぶ。禎仁が「はい」と返事をし直すと、謙仁は金子さんに家族での集合写真を撮る準備をするように言いつけた。

「相変わらずねぇ、謙仁も禎仁も」

 万智子が呆れたように言ってから顔に苦笑いを浮かべると、

「謙仁は、僕よりも宮家の当主らしいや」

現在有栖川宮家の当主である栽仁殿下も苦笑する。

「しっかりしてよ、栽仁殿下。今の当主は栽仁殿下なのよ」

 私の声に夫が「ま、そうだけどね」と応じた瞬間、

「皆様、撮影の準備が整いました」

金子さんが私たちに声を掛ける。見ると、赤じゅうたんの上には既に椅子が6脚並べられており、我が家で手配したカメラマンも準備を終えていた。

「禎仁、あなたは今日の主役だから、真ん中に座りなさいね」

「ありがとう、母上。じゃあ、そうさせてもらうよ」

 立ち上がりながら言った私に禎仁は答えると、クルリと踵を返す。その流れるような動きは妙に美しかった。

 こうして、私たち家族は、万智子が南部家に嫁いで以来約1年ぶりに家族の集合写真を撮った。


 1933(昭和5)年8月15日火曜日午後2時30分、東京市麹町区霞ヶ関1丁目にある有栖川宮家霞ケ関本邸。

 各々の衣装を脱いで、普段着ている和服に着替え、昼食を済ませた私たち家族は応接間に集合した。着替えに一番時間がかかった本日の主役・禎仁も、私たちから20分ほど遅れて応接間に入る。すると、金子さん以下の職員たちが、あんみつとお茶を応接間に運び入れてくれた。あんみつは、バニラアイスクリームもトッピングされた豪華版だ。早速、あんみつを食べながら、禎仁を交えての気楽なお喋りが始まった。

「……姉上が元気そうでよかったよ。一時期、つわりが大変だったって母上から聞いたから」

 そう言った禎仁は、あんみつにトッピングされたアイスクリームにスプーンを伸ばし、「うーん、冷たくて甘くて美味いなぁ」と舌鼓を打つ。そんな弟を見つめながら、

「うん、今は大丈夫よ。お義父(とう)さまにもお義母(かあ)さまにもよくしてもらって、かえって申し訳ないわ」

と万智子は微笑む。そして、

「ところで、禎仁は伯爵になったわけだけど、これから住むところはどうするの?」

と、彼女は本日の主役に尋ねた。

「しばらくは、盛岡町の屋敷に居候だね。少なくとも、自分の家を構えるのは、何かの職に就いてからだなぁ」

 禎仁は姉に答えると、再びあんみつにスプーンを伸ばす。

「それは、やっぱり林学関係のお仕事?」

「そうだね。今度の9月に、僕は技術士官学校の3年になる。それで、来年の夏に士官学校を卒業して、その次の夏に帝大を受験して合格して、ようやく林学の勉強ができる。だから、あと何年かは父上と母上のところにいさせてもらうことになるかな」

 あんみつの入った器の3分の1ほどを綺麗に食べた禎仁は、指を折りながら姉に答え、

「あー、でも、帝大に受かったとして、僕、ちゃんと林学の研究ができるのかなぁ。ちょっと自信がないや」

と、珍しく弱気な言葉を吐いた。

「できるだろう。山階(やましな)伯爵の例もあるじゃないか」

「謙仁の言う通りだ。それに、禎仁は要領がいいから、入学試験はかなりの確率で合格するだろうし、研究もすぐにコツを掴んでできるようになるんじゃないかな」

 謙仁、そして栽仁殿下が口々に言うと、

「……って、芳麿(よしまろ)さまは、元から頭がいいじゃないか。陛下の生物学の研究のお相手もしてるって聞いたぜ」

と禎仁は兄に反論する。1930(昭和2)年に皇居内に完成した生物学の研究室で、お(かみ)は植物や海洋生物の研究をしている。お上の母方の従兄であり、元皇族でもある山階芳麿伯爵は、鳥の研究で博士号を取っていることもあり、しばしばお上に呼ばれ、研究の指導をしたり、お上の研究の相談に乗ったりしている……私はお上から直接そんな話を聞いていた。

「お前、よく知っているな、そんなことを」

 両目を丸くした謙仁に、

「母上に聞いたんだ」

禎仁はサラっとネタばらしをする。すると謙仁は私の方を向いて、

「よろしいのですか、母上、お上のことを禎仁に漏らして……」

顔をしかめながら私に苦言を呈す。

「大丈夫よ、他人に知られてお上が困るようなことじゃないし、国家の機密事項でもないしね」

 堅物の長男に答えながら、

(この子、中央情報院のことを知ったら、一体どうなるのかしら……)

私は少し心配になった。この7月末に海兵士官学校を卒業した謙仁は、何年かしたら、国軍大学校に通うことになる。そうなれば、嫌でも中央情報院のことを知らされるだろう。幼いころから自分の身近にいた爺たちが、諜報機関の運営に携わっており、おまけに、自分が生活していた家が諜報機関の拠点として使われていたと知った時、この真面目過ぎる長男がどう反応するのか、私は全く予測ができなかった。

 と、

「ところで姉上、先ほどはゆっくり話を聞けませんでしたが、ご体調はいかがですか?」

その真面目な長男が万智子に尋ねた。

「そうそう、僕も心配なんだよ。お腹の中の子供、ちゃんと育ってるの?」

 次男も一緒になって質問すると、

「育ってるわよ。だから心配しないで」

そう言った万智子は、スプーンですくったアイスクリームを口に運んだ。

「本当?5月に、“妊娠して少し痩せた”って話を母上に聞いたから、心配なんだよ。だからって、姉上のところに押しかけるわけにもいかないしさ」

「それ、お義父(とう)さまにもお義母(かあ)さまにもご迷惑だからやめてちょうだい」

 身を乗り出した禎仁にピシャリと言った万智子は、

「母上が私をご覧になったのは、つわりが一番ひどかった時期よ。あれから、食事は少しずつとれるようになって、今はきちんと食べられるようになってるわ。さっき出されたお昼ご飯だって、残さず食べられたもの。……ね、謙仁」

と、すぐ下の弟に同意を求めた。「あ、ああ……」と気圧されたように首を縦に振った謙仁は、真面目な表情に戻ると、

「姉上」

と呼びかけた。

「僕たちは明日から、葉山の別邸で避暑をします。もしよろしければ、姉上もご一緒にいかがですか?」

「え?」

 万智子だけではない。スプーンを上品な動作で口に運んでいた義母も、応接間の隅にひっそり控えていた母も、驚いたように謙仁を見つめている。そんな中、

「妊娠なさってから、姉上はずっと南部家にいらっしゃると聞きました。つわりがひどかったころは、遠くへのご移動は難しかったと思いますが、体調が安定している今なら、葉山に出かけることはできるのではないでしょうか」

謙仁は真摯な態度で姉に訴えた。

「……」

「葉山は東京よりのんびりした雰囲気ですから、葉山で過ごせば、姉上にも、お腹の中の子にも、よい気分転換になると思います。それに、母上もいらっしゃいますから、万が一の時にも対応できますし、僕たちも、姉上と一緒に夏を過ごせる方が楽しいです。ですから姉上、どうか一緒に葉山にいらしてください」

(謙仁って、意外と優しいのよねぇ……)

 姉に向かって一礼した長男の姿を見た私は頷いた。謙仁は、生真面目な一方で、人に対する優しさも持ち合わせている。それがここ数年で分かるようになってきた。

「……遠慮しておくわ」

 謙仁の言葉に、万智子は少し考える素振りを見せたけれど、やがてこう返答した。

「お義父(とう)さまにもお義母(かあ)さまにも、利光(としみつ)さまにも申し訳ないし、それに、葉山までは2時間ぐらいかかってしまうでしょう?その間に、お腹の子に何かあったら大変だし……」

「そうですか……残念です」

 姉の回答にうな垂れた謙仁は、すぐに顔を上げて微笑み、

「では、葉山のお土産を、姉上のところに持って参ります。僕は来月の頭から練習航海に出て、しばらく東京に戻れません。練習航海に出る前に、姉上に会いたいのです」

と言った。

「分かったわ、ありがとう。お土産、楽しみに待ってるわね」

 万智子も明るい表情で頷き、それから話は別の方向へと流れて行ったのだけれど、

「ねぇ、章子さん」

午後4時過ぎ、南部家へと戻る万智子を家族全員で見送った直後、義母が僅かに顔をしかめながら私を呼んだ。「何でしょうか」と応じると、

「万智子さん……お産の前後は、この家か盛岡町の家にいてもらう方がいいんじゃないかしら?先ほどのご様子を見ていると、心配で……」

義母は眉根を軽く寄せたまま私に言う。

「わたくしもそう思いますわ」

 義母の後ろにいた母も、少し小さな声で義母に同調する。

「万智子さまは南部家の皆様に、過度に遠慮なさっている気がいたしますの。子供を育てる時には、周りに頼らなければ上手くいきませんのに……あのご様子では、必要な助けを求めることができないのではないかしら」

「だよねぇ……」

 私は頷くと、栽仁殿下の方を向き、

「栽仁殿下、産前産後の期間中、盛岡町で万智子の面倒を見てもいいかしら?」

と尋ねた。

「もちろんだよ。……嫁いだら、性格や態度が変わるのはあり得る話ではあるけれど、あの様子はちょっと心配だ」

 栽仁殿下の返答に、私は黙って首を縦に振った。ひょっとしたら万智子は、産前産後の期間を我が家で過ごすのを嫌がるかもしれないけれど、弥生先生や南部家の人たちにも手伝ってもらって、盛岡町の家で万智子の面倒を見よう。私はそう心に決めた。

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芳麿さん、史実より寄り道せずに鳥の研究ができてなにより。
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