義父の国葬(3)
1932(昭和4)年11月9日水曜日午前8時10分、東京市麹町区霞ヶ関1丁目にある有栖川宮家霞ケ関本邸。
今日は、義父・有栖川宮威仁親王殿下の斂葬の儀……一般で言う葬儀・告別式が行われる日だ。出棺前に行う最後の儀式・斂葬当日柩前祭の儀が先ほど終了し、私は1階の廊下の窓からぼんやりと外を眺めていた。庭園の上に広がるのは、雲一つない秋晴れの空だった。
早くも、ここまで来てしまった。いや、“やっと”という言葉を使う方が正しいのかもしれない。私たち家族にとっては、こんな悲しい日なんて来てほしくなかったけれど、義父の国葬の運営に当たっている人々には、膨大な事務作業から一刻も早く解放されたいという思いもあるかもしれない。なんせ、今回の国葬、今までに行われたどの国葬よりも規模が大きいのだ。
まず、斂葬の儀が行われる小石川区の豊島岡までは、義父の棺を中心に葬列を組んで移動することになっている。葬列に参加する人は、一般的には、葬式が出る家に向かい、そこで出棺まで待機すると思うのだけれど、霞ヶ関の本邸には、その全員を入れる余裕は全くなかった。なぜなら、葬列に参加する義務のない政府の役人たちや軍人たちから、“葬列に加わる”という希望が相次いでいるからだ。その数は少なくとも1000人近くになると思われた。更に、義父がかつて総裁を務めていた団体や、我が有栖川宮家の別邸がある兵庫県垂水町・神奈川県葉山町・福島県翁島村からも葬列参加への嘆願があり、その他、生前の義父と縁があった地方自治体や会社……特に自動車会社からも、“葬列に加わりたい”という嘆願が殺到していた。このため、義父の葬列に参加する人は、霞ヶ関本邸だけではなく、隣にある外務大臣官舎、更にはご近所にある内閣総理大臣官舎、国軍大臣官舎、参謀本部、国軍省にも待機することになった。
この人数を1か所の受付で捌こうとしたら、事務は滞るし、周辺道路は渋滞してしまう。なので、葬列の参加者の受付は合計6か所に設けられることになった。……受付が6か所ある葬儀なんて、私は前世でも今生でも聞いたことがない。
その葬列に、近衛師団の半分と第1師団の全部、更に第1艦隊の海兵隊の半分が儀仗兵として加わる。そして、豊島岡の葬儀場には各国元首の名代として参列する駐日大使たちや、葬列に加わらなかった役人たちや軍人たちが待ち構えている。国葬委員を務めてくれている枢密顧問官の山本権兵衛さんは、
――最終的に、葬儀への参列者は2500人を上回るでしょうな。
先ほど私にこう教えてくれた。
こんな状況なので、本邸には連日弔問客が押し寄せている。長男の謙仁が江田島から戻って来てくれたので応接要員が増えたこと、そして、次男の禎仁が各人のスケジュールを適切に組んでくれていることで、私たち家族の負担は義父が亡くなった直後よりは軽減されているけれど、兄と節子さまが毎日霞ヶ関の本邸に訪れるので、そのたびに丁重にもてなさなければならない。3日前の11月6日には、お上も霞ヶ関本邸に訪れ、義父の棺を拝礼したので、私たちはその対応にてんてこ舞いだった。
(今日、埋葬を済ませたら、この忙しさから解放されるのかしら。でも、これから50日祭まで10日ごとに儀式は続くし、兄上と節子さまはまた本邸に来るだろうし……しばらく忙しいのは変わらないかしらね。泣く暇も全然ないし、涙も出てこない……)
青空を眺めながら、私がこっそりため息をついた時、
「前内府殿下」
声を掛けられ、私は後ろを振り向いた。江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜さんの息子である徳川慶久公爵が、私を心配そうに見つめている。彼は栽仁殿下の妹・實枝子さまの夫で、親族の1人として、霞ヶ関本邸での弔問客の応対などを手伝ってくれていた。
「お疲れではありませんか?いつになく、お元気がなさそうに見えて心配になりまして」
私に尋ねた慶久さんに、
「お気遣い、ありがとうございます。息子たちが頑張ってくれていますし、慶久さまと實枝子さまをはじめとして、ご親族の方々にもお手伝いいただいておりますから、何とかやれておりますわ」
私は少しだけ警戒しながら回答した。この義理の妹の夫は、非常に頭が切れる人だ。だから、知られたくないことまで暴かれてしまうのではないか……そう思ったのだ。
すると、
「いえ、私と實枝子の手伝いなど微々たるもの。私たちは、禎仁王殿下のお指図に従って動いているだけです」
慶久さんの口から、思いがけない言葉が飛び出した。
「それに、若宮殿下のご態度も非常にご立派です。華族だけではなく、皇族の方々に対しても堂々と振舞われておいでで、成人なさったばかりとはとても思えません。前内府殿下、若宮殿下と禎仁王殿下に、どのようなご教育をなさったのですか?」
「え、ええと……」
慶久さんの質問に、私は完全に戸惑っていた。長男と次男に、特別な教育をした覚えはない。まぁ、亡くなった義父は2人に和歌や書道を教えていたし、禎仁は自分から進んで諜報の勉強をしているけれど……。
「特に私が何かしたということはないですから、あの子たちの天性のものだと思いますよ」
私が顔に愛想笑いを浮かべて答えると、
「そうですか。いや、特に禎仁王殿下は、軍人のままでいらっしゃるのは惜しい才だと私は見ました。役人になっても十分にやっていけるでしょうし、政治家も向いているかもしれない」
慶久さんは頻りに頷きながら言う。
「はぁ……」
私は曖昧な返答をした。まさか禎仁が、軍人でも役人でも政治家でもなく、諜報の道に進もうとしていることなど、例え親戚筋であっても言ってはならないことだ。なので、
「どうなんでしょう。あの子ったら、将来のことを、私に全然相談してくれませんの。きっと、私を頼りない母親だと思っているのでしょうね」
と私は愛想笑いを崩さずに答えた。
と、
「ほう……」
慶久さんの眼鏡の奥にある眼が、一瞬光ったような気がした。
(あ、これ、何かあるってバレたかな……)
私がそう感じた瞬間、
「ご心配なく。義父の葬儀の席です。流石に私も、禎仁王殿下の進路を暴き立てるような無粋なことはしませんよ」
慶久さんは穏やかに微笑んで言った。
「ただ、禎仁王殿下にこうお伝え願います。“もし、臣籍にご降下なさった後、貴族院の議員になられることがあれば、共に国を良くして参りましょう”と」
そして、穏やかな口調で言葉を続けると、慶久さんは一礼して、私の前から去っていく。
(今のこと、禎仁には伝えておかないとね。今の禎仁がやりあって勝てる相手ではないし……)
私はそう思ったけれど、それと同時に、いつか禎仁が、慶久さんと互角に……いや、慶久さんを打ち負かしてしまう日が来るのではないかという想像がひょいと頭の中に現れてしまい、私は慌てて深呼吸をして、物騒な想像を打ち消した。
私が慶久さんと話をしている間にも、義父の出棺に向けて、準備は着々と進んで行く。義父が闘病生活中に居間として使っていた部屋に安置されていた棺は、午前8時30分、有栖川宮家の職員たちの手によって玄関まで運ばれた。玄関先には、棺を載せる砲車が待機している。義父は海兵大将だったので、軍人として葬られる。だから、棺を葬儀場まで運ぶのに砲車を使うのだ。
(そう言えば……)
義父の棺が砲車に載せられ、その上に義父が生前使っていた海兵大将の正装が置かれた時、私はふと、自分の葬式の時、私の遺体はどうやって運ばれるのだろうか、と考えてしまった。私は軍医だから、義父と同じように砲車で遺体が運ばれるのだろう。しかし、軍人ではなく、栽仁殿下の妃として葬られるのならば、3年前の董子妃殿下の葬儀のように、棺は輿に載せて運ばれるべきだ。でもその前に、霊柩自動車を使うのが一般的になれば、軍人とか皇族妃とか関係なしに、棺は霊柩自動車で葬儀場まで運ばれるのかもしれない。
(……ま、いいか。死んだ後のことなんてわかんないし、宮内省で検討してもらえばいいよね……)
私が結論を出した時、門の外から悲しみを帯びた吹奏楽の旋律が流れてきた。国軍から派遣された軍楽隊が、葬送の曲を奏で始めたのだ。国軍の兵士たちに曳かれ、義父の棺を載せた砲車がゆっくりと動き出す。そして、喪主である栽仁殿下が乗る自動車も……。遠くから弔砲が響く中、私は義母・慰子妃殿下や万智子とともに葬列に向かって最敬礼し、義父の棺が豊島岡の葬儀場に向かうのを見送った。
もちろん、これで葬儀は終わりではない。葬列の見送りが終わると、私たちは自動車に分乗し、葬列とは別のルートで豊島岡の葬儀場へと出発した。前後に儀仗兵が付くので、葬列は人が歩く速さで進む。だから、多少遠回りをしても、自動車を使えば、葬列の先頭が到着するよりも早く豊島岡の葬儀場に着くのだ。豊島岡の葬儀場は、かつてここで行われたどの皇族の葬儀よりも、厳重な警備が敷かれていた。
「ああ、来たか」
皇族の待機場所に指定された参集所の2階。その1室に、燕尾服を着た兄と、黒い通常礼装をまとった節子さまがいた。上皇と皇太后は、皇族の葬儀にあたって、使者を遣わして代拝させるのが普通だ。ところが今回の義父の葬儀で、兄と節子さまは自ら義父の棺に拝礼することを選んだ。これは前代未聞のことであり、このせいで、葬儀場周辺の警備は大幅に強化されることになった。
「この度は、葬儀場までお越しいただき、誠にありがとうございます。夫に成り代わりまして、御礼申し上げます」
黒橡色の袿に柑子色の袴をつけた私が丁重にお礼を言うと、
「おい、その堅苦しいあいさつは何だ。いつも通りでいいだろう」
「そうですよ、お姉さま……。ここには甘露寺さんしかいませんし」
兄と節子さまは不満の言葉を漏らした。
「うーん、私もそうしたいところではあるんだけど、挨拶ぐらいは丁重に言っておかないと、慣れてない宮内省の職員さんたちが“不敬だ”って騒ぎそうだからね。それにほら、ここ、壁が薄いから、会話が漏れちゃうし」
「前内府殿下のおっしゃる通りですよ」
兄のご学友で親友でもある甘露寺受長さんは、私の言葉を聞くとため息をつきながら言った。
「先代の有栖川宮殿下が吐血なさってから、上皇陛下も皇太后陛下も毎日のように霞ヶ関のご本邸を訪れていらっしゃいます。両陛下と先代の有栖川宮殿下とのご関係を考えれば当然のことではありますが、それでも、有栖川宮家への妬みを抱く者は出て参りましょう。前内府殿下のご判断は正しいです」
「むう……確かに、そういう考え方もあるか」
兄は軽く唇を尖らせると、
「だがな、俺は義兄上のことは、本当の兄と同じと思っているのだ。天皇の位に就いていた時なら控えたが、上皇となっている今なら、きちんと葬儀に出て、兄を弔うべきだろう」
「そうね……。ありがとう、兄上も節子さまも」
兄を説き伏せるには時間が掛かるだろう。そう判断した私は、兄と節子さまに軽く頭を下げ、別室で休憩している義母のところに戻った。
午前9時に霞ヶ関の本邸を出発した義父の葬列は、午前11時10分に葬儀場に到着した。それに続き、先着していた参列者たちが、祭壇の左右に建てられた幄舎に着席する。続いて私たち皇族や親族、そして勅使などが葬儀場に入る。兄と節子さまが葬儀場に入場した時には、声にならないどよめきが葬儀場内を駆け巡った。最後に、喪主の栽仁殿下が、黒橡色の衣冠単の上から、白い麻布でできた素服をまとい、藁沓を履いて杖をつきながら葬儀場に入り、正午ちょうどから義父の国葬が始まった。
勅使を筆頭に、参列者たちが次々と拝礼していくのを眺めながら、私は現実を受け止めきれずにいた。確かにこの数日、弔問客の対応や葬儀の準備に追われていたけれど、義父の死をゆっくり悼む暇はなかった。だからだろうか、目の前で繰り広げられる光景が、私には夢の一場面としか思えなかったのだ。
ふと横を見ると、杖を持つ栽仁殿下も、生気のない瞳で、真っ直ぐ前を見つめていた。その姿を見て、ああ、栽仁殿下も私と同じなのだ、と私は感じた。
午後0時30分、義父の葬儀は終了した。国軍の兵士たちに担がれた義父の棺は、葬儀場の奥にある有栖川宮家の墓所へと運ばれる。墓所の敷地の一角に急ピッチで掘られた穴に、義父の棺は静かに下ろされた。
棺を埋める土が穴に放り込まれた時、私の脳裏に、義父と初めてまともに顔を合わせた時のことが鮮やかに蘇った。
兄と一緒に伊香保の御用邸に行き、兄がマラリアで倒れてしまった時、ちょうど伊香保に滞在していた義父が、兄を見舞うために御用邸を訪れたのだ。端正な顔立ちに柄にもなく見惚れてしまった私の淡い想いは、3分後、伊藤さんに粉々に壊されたのだけれど……。
そして、私が未来の知識を持っていることがあっさりと義父に露見し、義父が梨花会に加わった後、私が兄とお父様とお母様、そして輝仁さまの次に親しく接していた皇族は、この義父だった。私をからかって遊ぶことも多かったけれど、兄の義兄であった義父は、私にとっても兄のような存在だった。
私が栽仁殿下への恋心を自覚しないまま、栽仁殿下の虫垂炎の手術を執刀して彼の運命を変え、彼と想いが通じて結婚すると、義父は“兄”から“義父”となった。有栖川宮家に伝わる書道や歌道がなかなか身につかないことに対してお叱りを頂戴することはしばしばあったけれど、私が孫を生んだ時、義父はとても喜んでくれた。そして、孫たちを可愛がってくれて、私が軍医や内大臣として働くのも、“これが我が家の家風だから”と許してくれて……。
埋棺が終わった時、墓所には夕闇が迫っていた。一度休憩をするため、私と栽仁殿下が参集所の2階に戻ると、甘露寺さんが廊下に立っていて、
「上皇陛下と皇太后陛下がお待ちになっておられます」
と私たちに告げた。恐らく、埋棺式の様子が聞きたいのだろう。急いで兄夫妻が待つ部屋に入ると、兄と節子さまは小さなテーブルを挟み、向かい合って椅子に座っていた。
「埋棺の儀、無事に済みましてございます」
栽仁殿下が一歩前に出て、兄と節子さまに報告する。「そうか……」と呟くように応じた兄は、
「参列者が、だいぶ多かったようだな」
と窓を覗きながら言う。窓の下には、埋棺式に参列してくれた政府高官や軍人たちが、出口へと歩いていく様子が見える。彼らの服の金モールや勲章は、夕日の最後の光に照らされてキラキラと輝いていた。金と橙色の混じった無数の光が葬儀場の出口へと動いていく光景は、死者の魂を弔うたくさんの灯篭が、夜の川を河口へと流れる様子を連想させた。
「うん……」
首を縦に振った瞬間、私の目からポロリと涙がこぼれ落ちた。義父が亡くなってから、泣くことなんてなかったのに、なぜか今になって涙が出てきた。
栽仁殿下が、私の肩にそっと手を置く。見上げると、栽仁殿下の両頬にも、涙が伝っていた。そして、兄と節子さまの頬にも……。
夕闇がその色を夜へと変えていく中、私たちは義父を思い、いつまでも泣き続けた。