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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第88章 1932(昭和4)年霜降~1933(昭和5)年小暑
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義父の国葬(2)

 1932(昭和4)年11月3日木曜日午前7時20分、東京市麹町(こうじまち)区霞ヶ関1丁目にある有栖川宮(ありすがわのみや)家霞ケ関本邸。

「……」

 本邸1階にある食堂。私と栽仁(たねひと)殿下は向かい合い、無言で朝食をとっていた。食堂の窓から見える空は、昨日とは打って変わって晴れ渡っている。けれど、黙々と箸を動かす私たち夫婦の心は重かった。

 ……思い返せば、約4か月前には、この食堂にお(かみ)を迎えた。そして7月の下旬には、成年式を終えた長男の謙仁(かねひと)が、ここで束帯(そくたい)姿を披露してくれた。9月には、長女の万智子(まちこ)が南部家に嫁ぎ、この食堂で別れの盃を交わしたのだ。数々の喜びの舞台となった場所で、今、私たち夫婦は義父を喪った悲しみを抱えながら食事をしている。その事実に私は打ちのめされてしまいそうだった。

(でも、倒れちゃいられない。やること、たくさんあるのよね……)

 3年前に私の義理の祖母・熾仁(たるひと)親王妃董子(ただこ)妃殿下が亡くなった時にも、斂葬(れんそう)の儀……一般の葬儀・告別式にあたる儀式が終わるまで、さまざまな儀式があった。しかし、今回の義父の斂葬の儀は国葬となることが決まったので、死去に伴う儀式は更に増える。残念ながら、打ちのめされている暇はないのだ。

 朝食を食べ終えた私は、次男の禎仁(さだひと)が作ってくれた今日の予定表を机の上に広げた。私はこれから、正午まで仮眠を取り、午後からは弔問客の応対をすることになっている。日付が変わったころから先ほどまで、義父の亡骸のそばで通夜をしていたので、疲れはたまっている。さっさと寝なければいけないな、と考えた瞬間、

「父上、母上、助けてくれ!」

その予定表を作成した禎仁が、血相を変えて食堂に現れた。

「どうした、禎仁?」

 私と一緒に義父の通夜をした栽仁殿下が、少し眠たげな声で聞くと、

「今、江田島の海兵士官学校の鳥巣(とす)校長から電話があってさ……」

と禎仁は答える。

「何、鳥巣閣下から?一体どうして?」

 海兵士官学校と言えば、現在、長男の謙仁(かねひと)が在学している学校だ。まさか、謙仁の身に何かあったのだろうか。身構えた私の耳に、

「おじい様が亡くなった知らせを聞いたから、兄上に東京に戻るように言ったんだけど、頑として聞き入れない。だから、電話で説得して欲しいって鳥巣校長に頼まれたんだ」

という、禎仁の必死な声が届いた。

「それで、僕と金子の爺が、電話で兄上と話したんだけど、兄上、“公休日でない限りは霞ヶ関に来るなとおじい様に言われている。だから、冬休みになるまで東京には戻らない”の一点張りでさぁ……埒が明かないから、父上と母上にも、兄上を説得してもらおうと思って……」

「あの子らしいわねぇ……」

 私はため息をつくと苦笑した。年子で生まれた長男と次男、同じように育てたつもりだったけれど、長男は超がつくほど真面目になり、次男はこちらが心配になるほどの柔軟性を持つ人間になった。

「でも、葬儀には、謙仁にも出てもらわないとね」

 栽仁殿下はそう言って、少し顔をしかめた。

「未成年なら葬儀に出なくても許されるだろうけれど、謙仁は成人しているんだ。有栖川宮家の次期当主が、先代の当主の葬儀、しかも国葬に出席しないとなると、何があったのかと世間に勘ぐられてしまう」

「そうね。……禎仁、電話に出るわ。どこの電話につながってるの?」

 私がこう尋ねたのは、霞ヶ関の本邸には、普段から電話が2回線引いてあるからだ。更に、今度の国葬のためにもう1回線電話を新設したと聞いた。禎仁が私たち夫婦を案内したのは、玄関わきの小部屋にある電話……官公庁向けの電話帳にメインの電話番号として掲載されている電話だった。

「もしもし、謙仁」

 まず、栽仁殿下が受話器を取った。私は夫の後ろ姿を、少し離れたところから禎仁と見守った。

「……いや、ちょっと待って。国葬になったんだよ?それでも東京には戻らないと言うのかい?」

 栽仁殿下が電話の向こうの謙仁と話す声は、最初は聞こえなかったけれど、次第に聞き取れるようになった。そして、

「……そうか、そう言うのか。……あのね、謙仁。母上もお前と話したいと言っているから、電話を切らずにそのまま少し待つんだよ」

栽仁殿下はこう言うと、受話器を顔から外してため息をつき、私を無言で手招きした。

「ダメだ。国葬になったことは伝えたんだけど、謙仁、“おじい様のご命令を守ります。それが孫の務めです”って主張するばかりで、こっちの言うことに耳を傾けてくれない」

 首を横に振りながら小声で言った夫に、

「やっぱりねぇ」

私も囁くように応じた。

「とにかく、謙仁と話してはみるけど……余り期待しないでね」

 こう言った私は栽仁殿下から受話器を受け取ると、

「もしもし、謙仁?」

と、電話の向こうにいるはずの長男に呼びかけた。

「母上……」

 夏休み以来、約2か月ぶりに聞く謙仁の声は、いつもより張りがないように思えた。

「あなた、食事はとれている?体調は問題ない?」

 私が心配になって尋ねると、

「はい、おじい様が亡くなられたと聞いて、昨夜は全く眠れませんでした」

長男は私にこう答える。

「そう。……余り、無理したらダメよ。今は身体も心も乱れる時期だから、何かおかしいと思ったら、ちゃんと休息を取ってね」

 生真面目な長男に注意してから、

「ところで、今、あなたの父上からも聞いたと思うけれど、あなたのおじい様の葬儀、国葬になったの」

と私は告げた。

「宮中では昨日から、5日間の喪に服すことになった。今日から3日間、廃朝になる。それから、おじい様の国葬の当日は公休日になるわ。それでも、東京には戻らないの?」

「……江田島から東京までは、どう急いでも移動に丸1日かかってしまいます」

 一瞬の沈黙の後、謙仁は答えた。

「国葬の当日が公休日であっても、江田島と東京を往復する時間の全てが公休日という訳ではありません。残念ですが、おじい様の葬儀に参列するわけには……」

「あなた、その選択をして、後悔しない?」

「……」

「おじい様の国葬に出席しないという選択をして、後悔が1mmでも残りそうだというのなら、東京に戻って、国葬に参列しなさい」

 電話の向こうで沈黙する長男に私は言った。

「勉強はいつだってできるわ。あなたの父上も、虫垂炎にかかったせいで1週間くらい授業を休んで、1か月ぐらい体操の授業に出られなかったけれど、ちゃんと海兵士官学校を卒業することができた。でも、あなたを可愛がってくれたおじい様の葬儀は、後にも先にもこの1度しかないのよ」

 すると、

「……分かりました」

長男が私に返答した。

「これから、校長閣下に許可をもらって、国葬の前日に東京に着くようにします」

「そう……」

 ほっと胸をなで下ろしたその時、受話器の向こうが一瞬騒がしくなり、

「もしもし?!」

今度は、謙仁とは別の男性の声が聞こえた。

「私、海兵士官学校の校長を拝命しております鳥巣と申します。失礼ですが、今、お電話に出られているのは……?」

「……鳥巣閣下ですね。はじめまして、軍医学校校長の章子と申します」

 軍医学校の校長は大佐が務めることになっているけれど、士官学校の校長は中将が任命される。階級が上の相手に私が丁重にあいさつすると、

「さ、(さきの)内府殿下?!」

鳥巣校長の声がひっくり返った。

「た、た、大変失礼いたしました。謙仁王殿下には、直ちに本日からの休校許可を出し、私が責任を持って、霞ヶ関のご本邸に送り届けさせていただきます!」

「あの、閣下、そこまでしていただかなくても……。謙仁も成人しておりますから、流石に移動は1人でできると思いますし、それに、閣下ご自身のご予定もおありでは?」

 私がやや困惑しながら尋ねると、

「いえ、私、極東戦争の前、亡くなられた有栖川宮殿下が指揮を執っておられた第3艦隊所属の“松島”に勤務しておりまして、恐れながら、有栖川宮殿下の薫陶を受けさせていただきました。ですから、私も有栖川宮殿下に、最後のお別れを申し上げたいのです」

鳥巣校長は食い気味に私に答える。と、再び受話器の向こうが騒がしくなって、

「もしもし、母上」

今度は謙仁の声がした。「殿下、受話器をお返しください!」という鳥巣校長の叫びも遠くから聞こえる。

「舞子の別邸には、花壇はあるでしょうか?」

「花壇?」

 長男の突然の質問に、私は首を傾げた。兵庫県の舞子にある別邸は、有栖川宮家の人間の利用頻度は少ないけれど、その庭園の花壇では様々な花が育てられている。見ごろになった花は、別邸の職員さんが霞ケ関の本邸に送ってくれるのだ。6月に舞子の別邸を訪れた時にも、庭園には様々な花が咲いていた。

「花壇はあるわよ。……それがどうかした?」

 私がこう言うと、

「あの……舞子の別邸の花壇の花を摘んで、おじい様にお供えしようと思って……。江田島から東京に戻る時、舞子も通りますから」

謙仁は思いがけない言葉を私に返した。

「そう……」

 私は微笑むと、

「だったら、早く戻る方がいいわ。あさっての夜7時から御舟入(おふないり)だから、それまでには東京に戻って、おじい様に舞子のお花を見せてあげて」

長男にこう頼んだ。“御舟入”というのは、一般で言う納棺の儀式だ。亡骸が棺に納められてしまう前に、長男と義父とを会わせたい、義父の周りを長男が摘んだ花で飾ってあげたい……私はそう思った。

「かしこまりました。あさっての御舟入までには、霞ヶ関に着くようにいたします」

 謙仁は私の言葉に、しっかりした声で答えてくれた。


 1932(昭和4)年11月5日土曜日午後5時30分、東京市麹町区霞ヶ関1丁目にある有栖川宮家霞ケ関本邸。

「謙仁は、まだ到着しないのか?」

 応接間の椅子には、今日も兄が座っていた。義父が亡くなった後も、兄と節子(さだこ)さまはこの霞ケ関本邸に連日訪れている。今日も、義父の御舟入に参列するため、午後3時過ぎに本邸にやって来た。もちろん、異例中の異例と言っていいことで、度重なる上皇と皇太后の訪問を受け、この本邸周囲の警備は普段より強化されていた。

「落ち着いてよ、兄上。御舟入が始まるまで、まだ1時間以上あるじゃない」

 私が兄をなだめると、

「それは分かっているがな。御舟入の前に、謙仁と義兄上(あにうえ)をゆっくり会わせてやりたいではないか」

兄は顔をしかめ、左の手で自分の頭を掻く。

「そうだけどさぁ……。ちゃんと予定の列車に乗ったって、舞子の別邸の職員さんが報告してくれたのよ。だから、もう東京駅には着いてるわ」

 私は兄に言うとため息をついた。謙仁は昨日江田島を出発し、舞子の別邸に1泊した。そして今朝7時、東京行きの特急列車で神戸駅を発っている。謙仁には、海兵士官学校校長の鳥巣玉樹(たまき)海兵中将も同行しているということだ。

「神戸を朝7時に出る特急は、東京駅に午後5時前に着くのですね」

 手元にある時刻表のページを繰っていた節子さまが呟くように言う。

「東京から神戸まで、9時間から10時間で行けるようになるなんて。私が子供だったころは、20時間ぐらいかかったのではないかしら。時代は変わりましたねぇ」

「本当ね」

 節子さまに相槌を打ちながら、私の時代では、東京から神戸まで何時間で行けただろうかと考えようとした時、応接間のドアがノックされ、

「申し上げます。若宮殿下が到着されました」

玄関に待機していた職員さんが報告する。義父の死により、有栖川宮家の当主は栽仁殿下となったので、有栖川宮家の嗣子、つまり“若宮”は謙仁となる。私は椅子から立ち上がると、急いで玄関へと向かった。

「母上、ただいま到着しました」

 海兵士官学校の紺色の制服を着た謙仁は、両手で大きな花束を抱えていた。黄色や白、桃色など、色とりどりの菊の花の周囲を、青紫色のリンドウの花が取り囲んでいる。1つ1つの花はどれも立派で美しく、舞子の別邸の職員さんたちが心を込めて育ててくれたことがうかがえた。

「おう、来たか、謙仁」

 杖をつきつつ玄関まで歩いてきた兄が、私の後ろから謙仁に声を掛ける。謙仁の斜め後ろに立っていた鳥巣海兵中将が、兄の姿を見て慌てて最敬礼した。

「もし義兄上(あにうえ)の葬儀に出席しないと強情を張り続けるなら、俺が直接江田島に電話するところだった」

「兄上、それ絶対やめて。鳥巣閣下が気絶するから」

 真顔で謙仁に言った兄を、私は慌てて止めた。私の横で節子さまが「ごめんなさいね。上皇陛下はお気軽にお電話なさいますから……」と言いながら、鳥巣校長に頭を下げる。

「上皇陛下の御心を煩わせてしまい、大変申し訳ございませんでした」

 両腕で花束を抱えたまま、謙仁が一礼すると、

「抱えているのは、舞子の別邸の花か?」

花束に目を留めた兄が尋ねた。

「はい。別邸の職員たちが、丹精込めて育ててくれていたものです」

 謙仁は答えると、微笑んで花を見つめた。

「東京に持って行って、おじい様に供えると言ったら、職員の皆が喜んでいました」

 こう続けた謙仁は、「そうだ、父上にごあいさつを……」と言いながら、周囲をキョロキョロと見回す。

「ああ、今は仮眠を取っているの。だから、起こさないであげて。謙仁、おじい様のところに連れて行ってあげる」

「そうですね。早くお花を持って行ってあげる方がよろしいわ」

 私と節子さまに促された謙仁は、「では……」と軽く頭を下げると奥へと向かう。私は長男を義父の亡骸が安置されている部屋へ案内した。

 闘病生活を過ごしたベッドの上に、義父の亡骸は横たわっていた。ベッドのそばにある白木の台の上には、榊や供え物が並べられている。私は義父に向かって軽く頭を下げると、義父の顔を覆う白い布を外した。青白い義父の死顔は、薄っすら笑みを湛えているように見えた。

「おじい様……」

 義父の顔を見た謙仁の両目から、ポロリと涙がこぼれた。

「こんなに、お痩せになって……」

 謙仁が江田島に戻るために東京を出たのは9月初めだ。そのころの義父は、万智子(まちこ)の結婚式までは体調を崩すまいと気を張っていたのか比較的元気で、食事もきちんととれていた。謙仁が最後に見たのは義父の元気な姿だったから、思い出の中にいる義父の姿と、今の義父の姿との違いを、私より大きく感じているのかもしれない。

「おじい様……」

 拝礼すると、謙仁は両目をハンカチーフで押さえて嗚咽し始める。謙仁の後ろに控える鳥巣校長も無言で涙を流している。私は謙仁のそばに身体を寄せると、彼の肩を後ろからそっと支えた。

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