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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第87章 1932(昭和4)年小満~1932(昭和4)年霜降
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最後の夏

※台詞を修正しました。(2025年9月11日)

 1932(昭和4)年7月27日水曜日午後0時30分、東京市麹町(こうじまち)区霞ヶ関1丁目にある有栖川宮(ありすがわのみや)家霞ケ関本邸。

「んー、まだかな、兄上」

 本館1階にある食堂。工兵士官学校の制服を着て、落ち着きなく歩き回っているのは、私と栽仁(たねひと)殿下の次男・禎仁(さだひと)だ。

「禎仁、そんなに歩き回っても、謙仁(かねひと)の着替えは終わらないわよ。少しは落ち着いたらどう?」

 私の長女の万智子(まちこ)が注意をすると、

「でも、姉上。僕だって、いつかはやるんだよ。様子を知っておきたいじゃないか」

禎仁はソワソワする様子を隠さずに姉に言い返す。

「まったくもう……」

 自分の注意を聞かない弟に苛立つ長女は、横を振り向くと、

「おじい様もおばあ様も父上も、禎仁に言ってやってください!」

と、更なる注意を自分の年長者たちに要請した。

(私には、“注意してくれ”って言わないのね……)

 私が少しだけ気落ちしていると、

「それはできないな」

「うん、僕もできない」

食堂の上座にどっかり座った私の義父・有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下、そして私の夫の栽仁殿下が断言する。「ど、どうしてですか?!」と詰め寄らんばかりの勢いで尋ねた万智子に、

「おじい様も、謙仁の束帯姿を早く見たくてたまらないのだ」

と、義父は真剣な表情で言う。更に栽仁殿下が、

「父上も、おじい様と同じ気持ちだよ」

と万智子に答えると、万智子は「そんな……」と言ったきり、呆然としてしまった。

「殿下も栽仁も禎仁も、せっかちねぇ。よく似ていますこと」

 私の義母・慰子(やすこ)妃殿下はそう言って笑い、食堂の隅に控える私の実母・花松(はなまつ)権典侍(ごんてんじ)は顔に苦笑いを浮かべた。

 私と栽仁殿下の長男・謙仁は、今年の3月26日で満20歳となった。そこで、皇居・賢所で成年式を挙げることになったのだけれど、謙仁は、成年式は自分が通学する海兵士官学校の夏休み期間中に行いたいと強く主張した。今年の4月17日に20歳になった兄夫妻の4男・赤城宮(あかぎのみや)興仁(おきひと)さまよりも先に成年式を挙げるのは恐れ多い……どうやら謙仁はこう考えたようだ。そんなことは気にせず、士官学校の春休みで帰京している間に成年式を挙げろと私も栽仁殿下も説得したのだけれど、謙仁は頑なに拒否した。それで仕方なく、赤城宮さまが4月末に成年式を挙げた後、海兵士官学校の夏休みに合わせて、謙仁の成年式が行われることになった。

「まぁ、確かに、来るのが遅いわねぇ……」

 成年式の時期を巡る騒動を思い出した私は、食堂のドアを見つめて呟く。今日の午前9時、賢所で成年式を挙げた謙仁は、海兵士官学校の制服にもらったばかりの勲一等旭日(きょくじつ)桐花(とうか)大綬章(だいじゅしょう)をつけ、お(かみ)と皇后陛下にあいさつをした。その直後、兄と節子(さだこ)さまに成年式を無事終えた報告をするために仙洞御所に行き、霞ヶ関の本邸に戻ると、私たちに勲章をつけた晴れ姿を見せてくれた。そして、束帯に着替えるために別室に入ってから1時間……。そろそろ、着替えが終わってもいいころだ。

「あら、章子さままで、禎仁のせっかちがうつってしまいました?」

 義母が軽く笑ったのと同時に、食堂のドアが開き、

「お待たせいたしました。お召し替えが終わりました」

我が家の別当・金子堅太郎さんがこう告げて一礼する。私たちが姿勢を正すと、職員さんに先導され、黒い束帯をまとい、(しゃく)を持った謙仁が、ゆっくり食堂に入ってきた。

「兄上、カッコいい……!」

 思わず感嘆の声を漏らした禎仁を、万智子が無言で睨みつける。だけど私も、他人の目がなかったら、禎仁と同じように声を上げていただろう。成人の証である黒い縫腋袍(まとわしのうえのきぬ)に、頭に垂纓冠(すいえいのかんむり)をいただいた謙仁の姿は、まるで平安絵巻から抜け出たようだ。そして、彼の栽仁殿下譲りの目元を見た瞬間、私は自分の結婚式の時の栽仁殿下の姿を思い出した。賢所で五衣(いつつぎぬ)唐衣裳(からぎぬも)……いわゆる十二単を着た私を出迎えた栽仁殿下も、やはり今の謙仁と同じ、黒の束帯姿だった。

「……よく似合っている」

 謙仁の束帯姿をジッと見つめていた義父は、満足げに頷いた。

「栽仁が成人した時のことを思い出した」

 自分の祖父の言葉を聞いた謙仁は一礼すると、

「おじい様、おばあ様、父上、母上、今日の日まで、僕のことを慈しみ深く育てていただき、ありがとうございました。これからは成年皇族の一員として、国家のために尽くせるよう励みます」

としっかりした口調で述べた。それに「うん」と頷いた義父は、

「私はこの宮家の10代目の当主だ。栽仁が11代目、そしてお前が12代目……。これで有栖川宮家も安泰だ」

と感慨深げに言った。

「謙仁、いずれはお前もこの宮家の当主となる。そのことを自覚して、今後も励め」

「はっ、謹んで承りました」

「私に残されている時間は、もうそんなに長くはない。次の長期休暇でお前が東京に帰る時には、こうして会えないかもしれない」

 謙仁は、自分の祖父が話すのを黙って聞いていた。威仁親王殿下が胃がんと診断され手術を受けたこと、そして、余命宣告をされたことは、私の子供たちにも伝えられている。普段、広島県の江田島で生活している謙仁には、威仁親王殿下が自ら手紙を書き、事情を知らせていた。

「だからこの夏は、お前が立派な皇族になれるよう、心構えを一からお前に説く。夏休みだからと言って、安閑としていることは許さないぞ」

「望むところでございます。おじい様の教えを少しでも吸収できるよう、一生懸命頑張ります」

 自分の言葉に謙仁が答えると、義父は「ああ……」と声を漏らし、

「なぁ、慰子」

と言いながら、隣に座る義母を見た。

「真面目過ぎるところは少し心配だが、謙仁は本当に立派になったなぁ」

 義父がこう言うと、「ええ……」と首を縦に振った義母は、ハンカチーフでそっと涙を拭った。


 謙仁の成年式が終わった数日後、7月の末から、義父と義母、そして私と栽仁殿下と子供たちは、葉山にある別邸に避暑のために滞在することにした。これは、葉山の御用邸で夏を過ごす兄と節子さまから、

――この夏は、葉山で一緒に避暑をしないか。そうすれば、お互いに往来しやすくなるし……。

と、義父に誘いがあったからだ。葉山御用邸と、我が有栖川宮家の葉山別邸とは、直線距離で500mも離れていない。だから、お互いが東京にいる時よりも、行き来はしやすくなるのだけれど……。

 1932(昭和4)年8月6日土曜日午後2時35分、有栖川宮家葉山別邸。

「あのさぁ、兄上」

 義父が書斎として使っている和室。そこにあるちゃぶ台のそばに背の低い椅子を出し、いるのが当然であるかのように堂々と座っている兄に、私は呆れながら呼びかけた。

「なんだ?」

「確かに、東京にいるより葉山にいる方が、お互い行き来しやすいよ。しやすいけどさぁ……」

 のんきに応じた兄に、私はここまで言ってからため息をつくと、

「だからって、毎日お義父(とう)さまのお見舞いに来ることはないでしょうが!」

叫ぶように続けた。

「よいではないか」

「よくないっ!お義父(とう)さまが兄上に応対するのに疲れて倒れたら、どう責任取ってくれるのよ!」

 兄に私が詰め寄ろうとしたその時、

「まぁまぁ、嫁御寮どの」

文机に向かっていた義父が私に苦笑いを向けた。

「私は大丈夫です。上皇陛下と皇太后陛下にお会いするのはよい気分転換になりますから、大変ありがたいことですよ」

「そうですか?なら、いいですけれど……」

 私が渋々頷くと、私の隣で正座している栽仁殿下がクスっと笑う。その横で、節子さまが私の義母に、「いつも申し訳ありません……」と小さな声で謝罪していた。

 と、

「失礼いたします」

部屋の外から声が掛かる。「うん、入っていいよ」と義父が応じると、私の長女・万智子が現れた。彼女が持っているお盆には、あんみつが盛り付けられたガラスの器が数個載っている。

「お、あんみつか。いつ出てくるかと楽しみにしていたのだ」

 兄は自分の前にガラスの器が置かれると、嬉しそうな声を上げる。

(兄上……まさか、あんみつが目当てでお義父(とう)さまのお見舞いに来たの?)

 私が冷たい目で兄を見た瞬間、

「万智子、お前と謙仁と禎仁も、これからあんみつを食べるのか?」

兄は私の視線に気づかぬまま、万智子に尋ねた。

「はい、別のお部屋で……」

「では、こちらに来て、一緒に食おう。大勢で食べる方が楽しいだろう?」

 兄の誘いに、万智子は少し戸惑ったようだ。けれど、上皇からのお誘いを断ってはいけないと思い直したのか、

「かしこまりました。では、弟たちを連れてまいります」

と言って一礼した。配膳を終えた万智子が部屋を出て数分すると、あんみつが盛り付けられた3人分の器を載せたお盆を捧げ持つ万智子に続いて、謙仁と禎仁が部屋に入ってきた。その3人を加え、義父を除いた残りの人々がちゃぶ台の周りに座り直すと、再び歓談が始まった。

「謙仁さんが成年式を挙げてあいさつに来てくれた時も思いましたけれど……栽仁さまと章子お姉さまのお子さんたち、大きくなりましたね」

 節子さまがしみじみとした口調で言い、

「そうね。万智子を産んだのが21年前だけれど……本当にあっと言う間だったわ。まさか、私がこんなに大勢の家族に囲まれることになるなんて、私が成人した時には思ってもいなかった」

と私が節子さまに応じる。すると、

「9月になれば、万智子は南部家に嫁ぎます。謙仁も江田島に戻り、禎仁は東京におりますが、平日は士官学校の寄宿舎に泊まる……。ですからこの夏が、家族で揃って過ごす最後の夏になりますね」

1人、文机に向かっていた義父がこちらを振り向いて言った。私と栽仁殿下、そして義母は、そっと顔を見合わせた。確かにこの夏が、家族揃って過ごす最後の夏になるだろう。……恐らく来年の夏、義父はもうこの世にはいないのだから。

 と、

「しかし、章子が有栖川宮家に嫁ぐとは、予想外だった」

一瞬部屋を覆った暗い雰囲気を振り払うかのように、兄が私に向かって明るい声を出した。

「栽仁が章子を好いているのは知っていたが、章子は恒久(つねひさ)と年齢が近いし、恒久が嫌がっても、お父様(おもうさま)が恒久のところに章子を無理やり嫁がせるのではないかと俺は思っていたのだ。婚約が成った後で聞いてみたら、お父様(おもうさま)は初めから章子を栽仁に(めあわ)せるおつもりだったらしいのだが」

「あ、あのねぇ……」

 私が兄に反論しようとした瞬間、

「実は、私もでございます」

義父が澄ました表情で言い放った。

「は……?」

 私がとっさに反応できないでいると、

「縁あって、増宮(ますのみや)さまと申し上げたご幼少のころから、嫁御寮どのとはお付き合いさせていただいておりましたが、まさかあんなにお転婆な方が我が家に嫁いでいらっしゃるとは、思ってもおりませんでした」

義父はどこかおどけた調子でこう述べる。これは怒る方がいいのか、それとも受け流す方がいいのかと私が迷っていると、

「あの……おじい様は、どのくらい前から母上をご存知だったのですか?」

万智子が左手を軽く挙げて尋ねた。

「そうだね、初めてちゃんとお会いしたのは、確か、伊香保温泉に出かけた時、伊香保御用邸にご滞在中の上皇陛下がご病気に罹られたと聞いてお見舞いに参上した時ですから……」

「それ、私が7歳の時のことだから、40年……いや、41年か42年前のことでしょうか?」

 私が義父に確認すると、

「そうそう、確かにそのくらい前でしたね。いやぁ、嫁御寮どのに初めてお目にかかった時は、こんなに美しくて愛らしくてお転婆なお嬢様がこの世にいらっしゃるとは……と驚きました。しかも、その方が栽仁の妻になるとはねぇ」

義父はそう言って、私を見ながらニヤニヤ笑う。

(私をからかって遊ぶのは、本当に昔から変わらないなぁ)

 私が呆れながら義父を見ていると、

「ねぇ、おじい様。母上って、昔から面白かったの?」

早くもあんみつを食べ終えた禎仁が、自分の祖父にこんな質問をした。

「な、何よ、それ……」

 私が思わず反応してしまうと、

「そうだねぇ、私より、遥か先を見ている方だと思ったね」

義父は私の方を見ることなく、禎仁に答えた。

「そして、自分の望んだ未来に近づくために、努力を怠らない方だとも思った。……私の思った通り、禎仁の母上は努力を怠らずに成長を続け、ついには内大臣に就任して、天皇の御位につかれていたころの上皇陛下を立派に支えた。嫁御寮どのに出会ってから40年以上……本当に、嫁御寮どのはあっと言う間に成長された。それは万智子も謙仁も禎仁も、栽仁も、恐れ多きことながら、天皇陛下も上皇陛下も同じなのだけれど……」

 そう言いながら、視線を遠くに投げた義父に、

「そういうものなのですか?」

と謙仁が少し戸惑いながら尋ねる。

「ああ、謙仁も結婚して、子供を持てばきっと分かるようになるよ」

 謙仁に優しい眼差しを注いだ義父は、今度は文机のそばの窓に顔を向けた。窓の外には、夏の輝く太陽の下、相模湾の紺青の海が広がっている。

「私の後の世代の成長と活躍……もっと見ていたいですが……」

 義父の言葉を聞いた私と栽仁殿下は、無言で視線を交わした。実は、先月の末、私は義父を診察した時に、義父の左鎖骨の上のくぼみにあるリンパ節……“ウィルヒョウリンパ節”が腫れているのを見つけてしまった。このリンパ節には、消化管などにできたがん細胞がリンパの流れに乗った時に、がん細胞が転移することがある。そのリンパ節が腫れているということは、義父のがん細胞は、5月の手術では取り切れなかったということになる。もちろん、そのことは、私から義父にも告げた。

 と、

「まだ見られますよ、義兄上(あにうえ)

兄が義父の背中に呼びかけた。

「色々なものを見ていたら、1年や2年、あっと言う間に過ぎます。子供たちの成長と同じように……。義兄上(あにうえ)、俺は義兄上(あにうえ)と一緒に年月を重ねていけると信じていますよ」

「……そうですね」

 兄の言葉に、義父はこちらを振り向くと微笑して答えた。その寂しげな微笑に、私は何を言えばいいのか分からなかった。

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― 新着の感想 ―
会えるときに会っておいたほうが良いです。 所用で見舞いをパスした翌日の未明に父は亡くなりました。 やむを得ないとは言え悔やまれました。
更新お疲れ様です。 タイムリーな甲斐ですね^^>成年式 直系と皇族では少し衣装が違うかもしれませんがイメージはばっちり浮かびました!! 次回も楽しみにしています。
あれ? 確か初顔合わせは明治の20年代だったから、実際は40年超えてるんじゃなかったかな? 梨花さま、もうすぐ五十路ですよね?
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