有栖川宮邸行幸
1932(昭和4)年7月2日土曜日午後2時55分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「なるほど、そういうことだったのか」
御学問所にはお上の他に、内大臣の牧野さんと侍従長の鈴木貫太郎さん、そして私と大山さんがいる。そして今、大山さんの口から、華頂宮博恭王殿下と山階宮菊麿王殿下の対立が語られたところだった。
「この対立は、いつから始まったのかな?」
「ここ2、3か月……ヴェニゼロスにそそのかされた黒鷲機関の者が梨花さまを狙った少し前ごろから、と認識しております」
お上の質問に大山さんは答えると一礼する。
「そうでしたか。ここ2、3か月……道理で私が知らぬわけです」
大山さんの言葉を聞いた鈴木さんは、深く頷くとため息をついた。
「大山の爺の言う通りなら、話は簡単だ。僕が華頂宮と山階宮を呼んで、対立しないように言えばよい」
お上が普段と変わらない調子でこう言うと、
「さて、それはいかがなものでございましょうか」
牧野さんが難しい顔をした。
「話が大きくなり過ぎるのではないでしょうか。私はそれが心配です」
「それは大丈夫だと思いますよ。お上の即位礼の時、お上が閑院宮さまを説得した時も、特に大きな騒ぎにはならなかったじゃないですか」
私が反論すると、牧野さんは「確かにそうですね」と眉根に皺を寄せて頷く。「これで決まりですね」と言った私は、
「だけど、国軍関係の人たちは、何で華頂宮さまと山階宮さまの対立を隠そうとしたのかしら。お義父さまの態度もおかしかったし……」
ふと浮かんだ疑問を口にした。
「ですが叔母さま、国軍関係と言っても、児玉校長はこの件のことを知らなかったように僕は思いましたよ」
「そう言えばそうね。中央情報院の人でもあるのに……」
お上のツッコミに私が応えていると、
「児玉さんは、主に地方や海外に関する業務を担当していますから、政府中央のことに気を配る余裕がないのかもしれません」
中央情報院初代総裁でもある我が臣下が言う。
と、
「国軍関係者が、華頂宮殿下と山階宮殿下の対立を隠そうとした気持ち……少し分かるような気がします」
鈴木侍従長が呟くように言った。
「皇族は、最終的には、恐れ多くも天皇陛下が統括するものでございます。もし臣下が皇族の非を天皇陛下に訴えましたら、その行為は天皇陛下ご自身の非を指摘していると捉える者がいてもおかしくありません。そんな思いが働き、何とか陛下に華頂宮殿下と山階宮殿下の対立を知られないまま、梨花会の場で参謀本部長を決めようとしたために、あのような議論になってしまったのでしょう。もし私が現役軍人のままでありましたら、華頂宮殿下と山階宮殿下の対立を隠しておくのは国家のためになりませんから、現状を包み隠さず天皇陛下に申し上げたのですが……」
「そうだろうね。僕は、侍従長のそのようなところが好きだ」
珍しく長々と自説を述べた鈴木さんにお上が言う。鈴木さんはお上に向かって深く頭を下げた。
「私には、受け入れがたい考えね。皇族の非を訴えることは、お上の非を指摘していることになる、というのは」
私が眉をひそめると、
「それは、顧問殿下が内親王であらせられるからでございましょう」
牧野さんが私に指摘した。
「明治天皇陛下のご息女、上皇陛下の御妹君、そして天皇陛下の叔母君……顧問殿下は歴代の陛下と近しい間柄でいらっしゃいますから、いい意味で遠慮がありません。だから、国軍関係の者たちの考えが理解し難いと感じるのではないでしょうか」
「牧野さん……私よりも、伊藤さんや大山さんの方が、お上に遠慮がないですよ」
「それは、維新の当初から、明治天皇陛下と共に政府の屋台骨を作り上げた方々ですから」
私の反論に、牧野さんは更に言い返す。その通りだと私が思った時、
「では、有栖川宮があのような態度を取ったのは一体なぜだ?」
とお上が問うた。
「確かにそれが分からないわ。しかも、お義父さま、ドイツの皇帝の孫が来た直後には、華頂宮さまと山階宮さまが対立していることを普通に話していたのに、さっきは大山さんがそのことを話そうとしたら、ものすごい眼で睨んで……」
私がお上に同調すると、
「これは俺の推測になりますが……有栖川宮殿下は男性皇族の最年長者として、華頂宮殿下と山階宮殿下の対立を収めなければならないと強く責任を感じているのかもしれません」
私の斜め後ろに立っている大山さんが言った。そう言えば、博恭王殿下と菊麿王殿下の対立のことが話題に出た時、義父は“国軍を二分する争いになったら天皇陛下に申し訳ないから、軍籍を持つ皇族の最年長者の責務として、博恭どのにも菊麿どのにも意見をした”というようなことを言っていた。
「更に、有栖川宮家は伏見宮家に次いで歴史の古い宮家です。そのためでしょうか、天皇陛下の御為に働くという意識を、有栖川宮殿下は他の宮家のご当主方よりお持ちであるように感じます。だから天皇陛下のお手を煩わせずに事態を解決しようとして、俺にあのように口止めなさったのかもしれません」
私は先ほどの梨花会で義父が放った凄まじい殺気を思い出した。義父が皇族中の重鎮として、そして有栖川宮家の当主として持っている強い責任感……それが大山さんも受け流せないほどの強い殺気となって表れたのかもしれない。
「……有栖川宮の気持ちはありがたいが、それではいけないと僕は思う」
大山さんの言葉を聞いたお上は静かに言った。
「“史実”のことを一通り聞いた時、僕は思ったのだ。上のために……つまり僕のためによかれと思って、臣下たちが報告や相談なしに行ったことが軍の暴走をもたらした。その暴走を、“史実”の僕が適切に止められなかった……それが“史実”の第2次世界大戦で日本が敗戦した1つの要因ではないか、とね」
頭を下げた一同に向かって、
「だから、僕への報告や相談は、積極的にして欲しいと思っている。その方が、僕の思いを臣下たちにより伝えやすくなるからね」
とお上は言う。
「組織が大きくなればなるほど、トップの意志を組織の構成員に伝えるのは難しくなるわよねぇ……」
私がため息をつきながら呟くと、
「梨花会に後から加わって来た者たちは、俺たちや陛下に過度に遠慮する傾向があるように思います。元々、例え相手が天皇や皇族であっても、遠慮なく討論するのが梨花会の流儀。参加者たちにはそのことを今一度思い起こしてもらいたいものです」
我が臣下はそう言ってニヤリと笑う。その笑いが獰猛な獣のそれを連想させるものだったので、
「だからって梨花会の面々を脅す……いや、叱るのはダメよ。ますます畏縮して、出したい意見も出せなくなるわ。特に、今回の騒動に関わった人たちはね」
私は彼を制止した。
「ほう、では梨花さまは、彼らにどうやって自らの非を認めさせるのですか?」
「いや、非を認めさせるとか、そんな物騒な話にしたら絶対によくないってば」
とかく強硬な態度を取る大山さんをなだめながら、私は自分の考えを皆に説明した。
1932(昭和4)年7月6日水曜日午後2時10分、東京市麹町区霞ヶ関1丁目にある有栖川宮家霞ケ関本邸。
「やれやれ、忙しいねぇ」
本館の食堂前。海兵大将の夏用の白い通常礼装に身を包んだ私の義父・有栖川宮威仁親王殿下は、白いテーブルクロスが掛かったテーブルを中心に綺麗に整えられた食堂の中を覗き込み、愚痴をこぼした。
「つい先日天皇陛下にお目に掛かったばかりなのに、それから何日もしないうちに天皇陛下がこちらにおいでになるとは。上皇陛下ならまだ分かるのだが……嫁御寮どの、何か天皇陛下から聞いていませんか?」
首を傾げる義父に、私は「いいえ、全く」と答えたけれど、これは真っ赤な嘘である。今日これから行われる霞ケ関本邸への行幸は、私が4日前の梨花会の直後にお上に提案して実現したものなのだ。
「上皇陛下が嫁御寮どののところにいらっしゃった時のように、何も準備をしなくていい……宮内省からはそう通達されたけれど、総理や国軍省の諸君がいるから、もてなしの準備はある程度しなければならない。天皇陛下のご意思が、役人たちにうまく伝わっていないのではないかな?」
更に続く義父の言葉を聞き、後ろにいた内閣総理大臣の桂さんが恐縮したように頭を下げる。彼の横にいた山本国軍大臣や斎藤参謀本部長、そして山本五十六航空大佐、堀海兵大佐、山下歩兵大佐、元航空本部長の児玉さんも、義父に向かって深々と一礼した。もちろんこの招待客たちは、私とお上が謀ってメンバーを決めた。
「まぁまぁ、父上、仕方がないですよ。天皇陛下が宮家に行幸されるのは、御即位なさってから2回目ですし」
気まずくなった場を取りなすように発言したのは、横須賀から今日のために戻って来てくれた栽仁殿下だった。もちろん彼も、今日の行幸の裏にある目的を知っている。
「ですから、宮内省側でも大慌てだったのでしょう。後でそれとなく宮内省に改善すべき点を伝えれば、この次以降は上手くやりますよ」
栽仁殿下の言葉に、「だといいのだが」と義父は呟く。その時、我が家の別当・金子堅太郎さんが、お上の到着予定時刻の3分前になったと告げたので、私たちは玄関へ向かった。
「上手く行くかな」
玄関へと歩きながら囁きかけた栽仁殿下に、
「そうじゃないと困るわよ。こっちは梨花会のあった日から毎日、薄氷を踏むような思いでお義父さまを診察してたんだからね」
と私は小声で返す。臨時梨花会の後、義父は意外にも普段と変わらない態度で私に接してくれたけれど、私は今日の行幸の目的を根掘り葉掘り義父に聞かれてしまうのではないかと警戒しなければならなかったのだ。
「そうか。……そう言えば、今日は大山閣下はいないんだね」
「またお義父さまと殺気の応酬をしたら大変だから」
夫と小さな声で話しながら歩いていると、玄関に到着する。小雨の降る中、整列して待っていると、お上の行列の先頭が霞ケ関本邸の正門を潜るのが見えた。
「急に申し訳なかったね」
車寄せで御料車から降りたお上は、出迎えた義父に微笑して言った。
「ここの庭が見たくなってね。今日はそんなに雨が降っていないから、綺麗な風景が見られそうだね。……だが、今日は枢密院会議があったし、政務の量が多かったから、少し疲れたかな」
「ならば陛下、庭をご覧になるより先に、食堂でご休憩なさってはいかがでしょうか」
お上の言葉に義父がすかさず反応すると、「では、そうしようかな」とお上は頷く。事前にお上と私が作ったシナリオ通りだ。義父が先に立ってお上を本邸の中へ案内し始めると、私と栽仁殿下は目を合わせて頷いた。
食堂の指定の席についたお上と私たちの前に、緑茶とお茶菓子が運ばれてくる。いくら“何も準備しなくていい”と通達されていても、本邸は綺麗に掃除されているし、お上がお茶を所望した時のために、高級な茶葉とおいしい和菓子は準備してある。それが早速役に立った。お上の問いに義父が答え、それに周囲が合いの手を入れるような形で歓談が始まる。その最中、食堂に控えていたお上のお付きの人々や有栖川宮家の職員たちが、目立たないように食堂から立ち去っていく。気が付けば、食堂にはお上と義父、私と栽仁殿下、そして今日招待された梨花会の面々と鈴木貫太郎侍従長だけが残されていた。
「……ところでね、昨日の夕方、華頂宮と山階宮を呼んで話をしたよ」
頃合を見計らい、お上は義父に穏やかな口調で言う。義父は目を瞠り、身体の動きを止めた。
「この2人が、国防に関する意見の対立からいがみ合っていると聞いてね。年齢が近くて、国軍での立場もほぼ同じだから、このまま対立が続けば国軍を二分する争いが起こると思ったのだ。そのことを話したら、華頂宮も山階宮も分かってくれて、今後、意見は対立させても、今までのように仲違いするようなことはしないと誓ってくれたよ」
お上の言葉を聞いている義父の表情は、見る見るうちに強張っていく。桂さんや山本国軍大臣、そして児玉さんなど、“招待”されている梨花会の面々の顔も真っ青になった。
「陛下……それは……」
喘ぐように応じた義父の目をしっかり見つめたお上は、
「宮が僕の手を煩わせないようにと、華頂宮と山階宮のことに関して色々と心を砕いていてくれたのは知っているよ」
と優しく言う。義父がゴクリと唾を飲み込んだ音が聞こえたような気がした。
「けれど、皇族に関しては、皇族の頂点に立つ僕が出て行かなければ解決しない問題が起こることもある。今回の件がまさにそうだ。僕を気遣ってくれたのは大変ありがたいが、これからは、皇族に関する問題で困ったことが起きたら、僕に遠慮なく相談して欲しい」
「陛下……」
「梨花会の一員として、そして皇族の重鎮として、僕を教え導いてくれている宮のことを、僕は尊敬している。だからこそ、宮の力になりたいのだ」
義父はお上に言葉を返さなかった。義父はうつむいたまま、すすり泣いている。そんな義父の手を右手で掴んだお上は、左手で義父の肩をあやすように優しく撫でた。
やがて、
「皆もだぞ」
顔を上げたお上は、食堂にいる一同に向かって言った。桂さんや山本国軍大臣など、今日“招待”されていた梨花会の面々が一斉に頭を下げる。
「僕のためによかれと思って、華頂宮と山階宮の対立の件を僕の耳に入れないようにしてくれていたのだろう。僕のことを思ってくれたことには感謝したいが、先ほど宮にも言ったように、皇族に関する問題は、僕でなければ解決できないものがある。だから皇族に関する問題は……いや、皇族に関する問題でなくても、自分の手に余ると少しでも感じたことは、僕に相談するなり、報告するなりしてほしい。そうしてくれる方が、僕の思うことが政府全体に伝わりやすくなり、日本を発展させるために、心を一にしやすくなる。どうかこのことを、心に留めておいて欲しい」
「はっ、謹んで……」
桂さんが深々と一礼すると、他の面々もそれに倣う。山本国軍大臣と斎藤さんの目には涙が光っていた。
(これで、ある程度の再発予防はできるかな)
頭を下げ、横目で食堂の様子をちらちら見ながら、私は胸をなで下ろした。もちろん、これだけで梨花会の面々が、お上の御前で妙な遠慮なしに様々なことを喋れるようになるとは私も考えていない。ただ、伊藤さんや陸奥さんが一方的に“遠慮は無用”と言うよりは、今回のやり方はマシだと思うのだ。皆が遠慮なしに梨花会で喋れるようになるまで、まだ時間はかかるだろうけれど……。
「では、庭を見に行こうかな」
お上はそう言うと椅子から立ち上がる。窓から外を見ると、お上が本邸に入る時に降っていた雨は止んでいた。