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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第87章 1932(昭和4)年小満~1932(昭和4)年霜降
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1932(昭和4)年7月の臨時梨花会

※冒頭、若干の残酷描写があります。苦手な方は飛ばしてください。

 1932(昭和4)年7月2日土曜日午後2時5分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「……」

 牡丹の間には、不気味な静けさが流れている。原因は恐らく、先ほどから回覧されているドイツから送られてきた写真だろう。そこに写っているのは、やや彫りが深く鼻が高い、ヨーロッパ人と思しき男性の切り落とされた頭部だ。伊藤さんや桂さんなど、上座の方にいる面々は写真を見ても平然としていたけれど、下座にいる人たち、特に農商務大臣の町田忠治さんと、立憲自由党幹事長の横田千之助さんの顔は青ざめていた。

「おや、町田も横田も、生首を見たことがないのか」

 震えている町田さんと横田さんを見て、伊藤さんが意外そうに言った。「わしは若いころ、何度か見たがなぁ」

「仕方ありませんよ、伊藤どの。斬首刑は、確か西南の役の後に廃止されましたから」

 伊藤さんの向かいに座る陸奥さんはなだめるように言うと、私に視線を向け、

「しかし、(さきの)内府殿下はほとんど動じていらっしゃらないですね」

と感心したように言った。

「あ、まぁ、外科医としての修業をしていましたから、多少耐性があると言うか……」

 私は答えながら、手元にある物騒な写真をもう一度見る。瞑目している顔は、確かにギリシャの元首相、エレフテリオス・ヴェニゼロスに似てはいるけれど、本当にこの首がヴェニゼロスのものなのか、私には分からない。

「この首がヴェニゼロス本人かどうか、DNA鑑定でもしないと分かんないわねぇ……。いや、手元に生首も、ヴェニゼロスのDNAサンプルも無いから、技術があってもどうにもならないんだけどさぁ……」

 口を尖らせ、私がブツブツ呟いていると、

「前内府殿下、その……“ディーエヌエー鑑定”というものは、何でしょうか?」

堀海兵大佐が訝しげに私に尋ねた。

「私の時代にあった、本人確認のための技術……と言えばいいでしょうか。詳しく話したいけど、大山さんに怒られるから省略しますね」

 若干の不満を抱えながら堀さんに回答すると、私の右隣に座っている大山さんが“その通り”と言いたげに深く頷く。自分の判断が間違っていなかったことを確認した私は胸をなで下ろした。

「しかし……このヴェニゼロスの首、本物ですかな?」

 熱心に写真を覗き込んでいた内閣総理大臣の桂さんが顔を上げて一同に問うと、

「分かりませんな。確かに、ヴェニゼロスに似てはいますが、本人かどうかまでは……。それこそ、前内府殿下がおっしゃった未来の技術がなければ、本物かどうかは判別できないでしょう」

元国軍航空局長の児玉源太郎さんが、ヴェニゼロスの写真とドイツから送られてきた写真を見比べながら答えた。

「まぁ、この首がヴェニゼロスのものではなくても、ドイツ側はこれで皇帝(カイザー)が親電で述べた“前内府殿下が望むものを何でも差し上げる”という文言を実行した気でいるのでしょうが……」

 外務大臣の幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)さんが苦々しげに述べたので、

「これで実行したと言えるのでしょうか?」

私はドイツの連中に言ってやるつもりで応じた。

「冗談と真実の区別がついていないだけじゃないですか。嘘は嘘であると見抜ける人でないと……って、これは違いますね。とにかく、黒鷲機関の連中を、日本に永久に出禁にするぐらいしてくれないと、私は満足しませんよ」

「前内府殿下も、だいぶ腹黒くなられましたねぇ」

 私の言葉を聞いた陸奥さんが嬉しそうに微笑む。「僕なら更に、ドイツの最新式の戦車と飛行器と野砲を前内府殿下に献上しろとドイツに言いますがね」

「まぁ、ドイツに要求はいくらでもしていいとは思いますけれど、その要求にドイツが誠実に応じてくれる可能性はゼロですよね」

 私がそう言ってからお茶を一口飲むと、

「おっしゃる通り、皇帝(カイザー)は前内府殿下のお言葉に従いたくても、皇帝(カイザー)の周りにいる人間がそうはさせてくれないでしょう」

貴族院議員の西園寺公望さんが皮肉めいた口調で言う。

「あらゆる言い訳を使ってくるでしょうな。親電は公式のものではない、とか」

 立憲自由党総裁の原敬さんが西園寺さんに同調すると、

「だからこそ、ドイツ帝国はまだ命脈を保っているのだと思いますよ。皇帝(カイザー)の命令に全て従っていたら、とっくに滅んでいるでしょう」

現在の国軍航空局長である山本五十六航空大佐が大きなため息をついた。

「……これ以上、親電の件を追うのは得策ではないね」

 一同の話を聞いていたお(かみ)が穏やかに言うと、皆が一斉に頭を下げる。

「ドイツに対するちょっとした脅しには使えるかもしれないが、これ以上、ドイツが我が国に益のあることをしてくれるとは思えない」

「私もそのように考えます。この件はこのまま、闇に葬られるのでしょう。……何、取引材料など、また作ればいいのです」

 お上の言葉に応じた桂さんに、「確かにその通りです」と幣原さんが頷く。これで、ドイツから送られてきた物騒な写真に関する議論は終了となった。

「さて、問題は次だね」

 お上はそう言うと、陸奥さんと高橋さんの間にある、誰も座っていない椅子に視線を注ぐ。その椅子には、先月まで西郷さんが座っていた。しかし、先月の28日、西郷さんは脳溢血で急逝した。昨日葬儀が行われ、私もそれに参列している。

 西郷さんが亡くなったことで、枢密顧問官には空席が生じた。国軍のOBが枢密院に1人もいないのは、枢密院内の勢力のバランスを考えるとよろしくない。だから、梨花会に入っている国軍関係者を枢密院に送り込むべきという話になり、国軍大臣の山本権兵衛さんが大臣を退き、枢密顧問官になることが内定していた。そして、空いた国軍大臣のポストに、参謀本部長の斎藤(まこと)さんが入る。ここまでは決まっているのだけれど……。

「参謀本部長をどうするか、ですな」

 枢密院議長の伊藤さんの言葉に、「ああ」「うむ」と応じる声がする。そう、参謀本部長をどうするか……これが問題なのだ。斎藤さんは長年参謀本部長を務めていたので、彼の後任の名前が、なかなか思い浮かばない。だから、今日の午前中、私とお上と牧野さんで話し合った時には、“参謀本部長の後任候補を、斎藤さん本人に聞いてみよう”という結論になったのだけれど……。

「斎藤本部長。もし、卿が国軍大臣に就任するとしたら、後任の参謀本部長に誰を推す?」

 お上は午前中に出た結論に従い、早速斎藤さんに質問した。

「は……。渡辺錠太郎(じょうたろう)、谷口尚真(なおみ)、岡田啓介……このあたりではないかと考えます」

 斎藤さんはお上に答えると、難しい表情になる。

 すると、

「いや、それはどうなのだ?」

山本国軍大臣が待ったをかけた。

「谷口は謹厳だが、それだけでは参謀本部長は務まらない。岡田は清濁併せ呑めるが押しに弱い。渡辺は理詰めに走り過ぎて、参謀本部内の反発を招きかねない」

「権兵衛の言う通りだな。いっそ、五十六を参謀本部長にするという手もあるが……」

「お言葉ですが児玉閣下、流石に今の時代、参謀本部長になるなら、せめて中将でないといけないでしょう。五十六は航空本部長ではありますが、まだ大佐。周囲を黙らせる権威は持ち合わせていません」

 横から提案した児玉さんに、斎藤さんが反論する。牡丹の間には重苦しい空気が漂い出した。

(うわー……やっぱり難題なのか、参謀本部長の後任を決めるの……)

 議論を聞きながら、私は両腕で頭を抱えたくなった。参謀本部長に就任して30年以上、国軍内で重きをなしていた斎藤さんの後任を決めるのが、こんなに大変なことだとは……。

(どうすればいいのかしら。斎藤さんに、国軍大臣と参謀本部長を兼任してもらう?それとも、児玉さんを枢密顧問官にして、山本国軍大臣と斎藤さんは留任してもらうという手もあるのかしら。児玉さんだって、参謀本部長をやったことがあるんだし……ん?)

 ここまで考えて、私はあることに気が付いた。斎藤さんの前任の参謀本部長は児玉さんだったけれど、児玉さんが参謀本部長を退いた時の階級は、確か歩兵少将だった。そして、斎藤さんが参謀本部長になったのは海兵大佐の時だから、今、山本航空大佐が参謀本部長になっても、前例を考えればおかしなことではない。それなのに斎藤さんは、山本航空大佐には権威がないから参謀本部長になれないと言う。それはなぜか。

(まさか……華頂宮(かちょうのみや)さまと山階宮(やましなのみや)さまの対立の件が響いてる?)

 先月、私の義父の有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下が、この2人が意見の相違で対立していると言っていた。華頂宮博恭(ひろやす)王殿下も、山階宮菊麿(きくまろ)王殿下も、参謀本部付きの大将だ。参謀本部付きの大将は名誉職のようなもので、国軍省に出勤する義務はないのだけれど、たまに参謀本部に姿を現すことがある。もし、博恭王殿下と菊麿王殿下が、参謀本部に出勤した時にたまたま一緒になり、自説を主張し合って対立し、それに参謀本部の人たちが巻き込まれているとすれば……。

(その争いは、長年参謀本部長をやっている斎藤さんにしか止められない。山本国軍大臣や、亡くなった西郷さんでも止められるだろうけれど……。お義父(とう)さまが元気なら、参謀本部長をやってもらうんだけど、身体の状態から考えて無理だ。内大臣だった私でもやれるかもしれないけど、今は中佐だから、流石に階級が低すぎる。……ってことは、無理に参謀本部長の適任者を探すんじゃなくて、斎藤さんに参謀本部長のままでいてもらうか……あるいは、参謀本部内の禍根を断つか……)

 私がここまで考えを進めた時、

「どうも腑に落ちんのう」

議論を黙って聞いていた伊藤さんが口を開いた。

「権兵衛、確かお主が国軍次官だったころ、海兵大佐だった斎藤を参謀本部長にしたな。お主はその時、こう言っておった。“実力がある者は、階級にとらわれず取り立てる”、と。わしが見るところ、既に五十六には参謀本部長を務められるだけの器量があると思うが、参謀本部長にしないのはなぜかね?」

「はっ……」

 議論していた山本国軍大臣は、伊藤さんの方を向くと、

「斎藤も今や海兵大将です。海兵大佐で参謀本部長を務めていたころの斎藤を知る者はほとんどいなくなりました。ですから国軍内では、“参謀本部長は大将、それが無理ならせめて中将がなるべき”という論が圧倒的です。私も五十六の実力は十分認めておりますが、現在の状況を考えると、五十六を参謀本部長にするわけにはいかないのです」

流れるように反論をした。

 すると、

「斎藤君が参謀本部長に就任した時の状況と、現在の国軍の状況……何ら変わっているところはないと思いますがねぇ」

陸奥さんが冷たい目を山本国軍大臣に向けた。

「“参謀本部長はせめて中将がなるべき”という論……そんなものにとらわれず、実力がある者を参謀本部長にすればいいではないですか」

「恐れながら陸奥閣下、なかなかそういう訳にもいかない事情がありまして……」

 山本国軍大臣の右隣に座る斎藤さんが丁重に言うと、

「ほう、“事情”、ですか。それは先ほど、権兵衛殿が述べたではないですか」

陸奥さんはつまらなそうに斎藤さんに返し、

「それとも……僕たちには言えない、それか、この場では言えない“事情”でもあるのですかねぇ?」

と続ける。陸奥さんの両眼には鬼火がちらついている。陸奥さんにまともに見つめられた斎藤さんの額に脂汗が光った。

「権兵衛殿や斎藤君に答えられないのなら、大臣官房にいる堀君に聞いてみましょうか。流石に堀君が、参謀本部の事情に通じていないということはないでしょう」

 陸奥さんに視線を向けられた堀さんの表情が微かに強張る。堀さんと国軍大学校で同期の山本五十六航空大佐と山下奉文(ともゆき)歩兵大佐も目を泳がせた。

 と、

「まぁ、そんなことをしなくても、大山殿に尋ねれば分かることです。ひょっとしたら、前内府殿下もご存知かもしれませんが」

陸奥さんはそう言いながら、今度は私と大山さんをジッと見つめる。

「ええと、これが正解かどうかは分からないですけれど……」

 私が一同に、博恭王殿下と菊麿王殿下の対立のことを話そうとしたその時、

「……陛下、参謀本部長に、私から推薦したい者がおります」

今まで議論に全く加わっていなかった義父が、突然お上に向かって発言した。

「それは誰でしょうか?」

 先ほどと同じように穏やかに応じたお上に、

「そこにいる鈴木君です」

私の左斜め後ろに立っている鈴木貫太郎侍従長を見ながら義父は言った。

「鈴木君は海兵大将、しかも大正の御世には侍従武官長として上皇陛下のおそばに仕えました。そして今は侍従長として天皇陛下のおそばに仕え、天皇陛下の意をよく知っています。鈴木君ならば、参謀本部の面々を従えられる威厳を備えている。まさに適任と考えます」

 義父がこう続けると、

「それは名案でございます」

「その手がありました……」

山本国軍大臣と斎藤さんがほぼ同時に発言する。2人の顔には安堵の色が漂っていた。

「有栖川宮殿下」

 西園寺さんの厳しい声が義父に飛んだ。「確かに鈴木君は参謀本部長に適していると思いますが、今、それをおっしゃるということは、殿下も参謀本部の“事情”とやらをご存知ということですな?」

「……(おい)と梨花さまが考えていることと、その“事情”とやらが同じものであれば、間違いなくご存知ですよ、西園寺どの」

 私の隣に座る我が臣下も、こう言うと義父を見据えた。「この際、病巣をこの場で明らかにして、膿を出し切るべきと(おい)は考えますが……」

 次の瞬間、私は息が詰まるような感覚に襲われ、思わず身体を引いた。義父がものすごい目つきで、大山さんを睨んでいる。義父の全身からは凄まじい殺気が立ち上っており、下座にいる面々は怯えた目で義父を見た。大山さんですら、僅かに顔を強張らせている。

「分かった」

 緊張の糸が張り詰めた牡丹の間に、お上の声が響く。殺気を放っていた義父も、それに反応していた梨花会の面々も、一斉に上座に向かって頭を下げた。

「国軍の人事に関しては、今日この場では決めない。今日の梨花会は、これで終了とする」

 お上は一同に向かって宣言すると、玉座から立ち上がる。牡丹の間から歩き去るお上の背中を、鈴木侍従長と内大臣の牧野さんが慌てて追った。

「あ……」

 私は右手を中途半端に伸ばしたまま、動きを止めてしまった。義父に声を掛けようとしたのだけれど、その寸前、義父は席を立ち、牡丹の間から出て行ってしまった。

(お義父(とう)さま……)

 私はうつむいてため息をついた。義父が……“年を越せればいい方”と余命宣告されている義父が、あんなに凄まじい殺気を放つとは、全く思ってもみなかった。恐らく義父は、博恭王殿下と菊麿王殿下の対立のことを言おうとした大山さんを止めようとしたのだと思うけれど……。

(何で、梨花会で、華頂宮さまと山階宮さまのことを言っちゃいけないのかしら……)

 私がそんな疑問を抱いた時、

「……梨花さま、お帰りにならないのですか?」

横から大山さんに声を掛けられ、私は顔を上げた。牡丹の間には、既に私と大山さん以外の人影は見当たらない。もう全員、帰宅したのだろう。

「あ……ちょっと、考え事をしちゃってね」

 私は大山さんに苦笑いを向ける。大山さんが私に何か話しかけようとした瞬間、

「ああ、お2人とも、こちらにいらっしゃいましたか」

という男性の声がする。振り向くと、牡丹の間の入り口に、兄のご学友の1人で、現在お上の侍従を務めている西園寺八郎さんが立っていた。

「ごめんなさい、後片付けの邪魔ですよね。すぐに出ます」

 そう言った私に、「いえ、そうではなく……」と応じた八郎さんは、すぐに姿勢を正し、

「前内府殿下と大山閣下を、陛下がお呼びです」

と私たちに告げた。

「!」

 恐らく、先ほどの梨花会で交わされた議論について、話を聞きたいのだろう。私と大山さんは顔を見合わせると同時に頷いた。

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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 新参謀本部長人事、義父の有栖川宮殿下の凄まじい殺気・・・・<`ヘ´> 権威に権威を当てるのではなく、未来を見据えた人事の為に、対立する両殿下を命を賭して和解させるのでしょうか? …
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