桃山へ
1932(昭和4)年6月20日月曜日午後3時45分、京都府京都市伏見区桃山町古城山。
お父様とお母様の陵がある自治体は、陵が造営された当初は堀内村だったけれど、昨年、京都市伏見区に編入された。けれど、陵の遠景や、その周辺の景色は、お父様の陵が造られた16年前からちっとも変わっていない。
(雨、降らなくて良かったなぁ……)
お父様の陵のそば。薄いグレーの通常礼装を着た私は、御休所から、宮内省の職員の先導で陵に近づいていく義父・有栖川宮威仁親王殿下の後ろ姿をじっと見つめていた。海兵大将の正装を身にまとい、玉砂利の上を歩く義父の足取りは、普段と全く変わりがない。途中の名古屋で下車して1泊したとは言え、東京から桃山までの長距離の列車移動で義父が疲れていないか心配だったけれど、どうやら杞憂に終わったようだ。私は胸をなで下ろした。
義父は拝礼を終えると、お父様の陵のすぐ隣にあるお母様の陵へと歩いていく。そして、御休所に戻って来ると、奥にある椅子に腰かけた。義父と入れ替わるようにして、義母の慰子妃殿下が、拝礼のために御休所を出る。彼女の顔は強張っていた。
「お義父さま、ご体調に変わりはありませんか?」
椅子に座って目を閉じた義父に問いかけると、
「特に問題ありませんよ、嫁御寮どの」
義父はにっこり笑って答えた。
「本当ですね?長い距離をお歩きになりましたけれど、動悸や息切れは出ていませんか?」
「大丈夫ですよ。ほら、息も上がっていないでしょう?」
「そうですけど……こちらとしては不安なんですよ。お義父さまが無理をしていないか、って」
「ははは……嫁御寮どのは心配性ですねぇ」
「笑い事じゃないです!」
朗らかに笑う義父を私は睨みつけた。
「もう、許しませんよ。今から血圧を測って、聴診もして……」
私が義父に一歩詰め寄った時、
「母上、おばあ様が戻っていらっしゃいますよ。そろそろ拝礼ではないですか?」
私の長女・万智子が呆れ顔で指摘した。彼女は、自分の祖父の余命のことを聞くと、“嫁ぐ日まで、できる限りおじい様のそばにいたい”と言い、今回の旅行についてきたのだ。
「陵域から出た後なら構わないが、緊急時でもないのに拝礼直前に診察を始めるのはいかがなものかな」
更に、義父も真面目な表情に戻り、私に正論をぶつける。ちょうど義母が拝礼から戻ってきたこともあり、私はおとなしく御休所を出て拝礼に向かった。
私に続いて万智子が拝礼を終えると、私たちは揃って御休所を出た。待機している自動車に向かって歩く途中、前を歩いていた義父が立ち止まり、後方、お父様とお母様の陵がある方角を振り返った。
「どうなさいました、殿下?」
義母の問いに、義父は「いや……」と呟きながら視線をさ迷わせた後、
「ここは、いつ来ても変わらないな、と思ってね」
と穏やかに言った。
「きっと、私が……」
更に何かを続けようとした義父に、
「イヤです!」
義母が声を叩きつけた。
「慰子……」
「私は、また殿下とご一緒に、ここに参りたいのです!」
戸惑う義父に、義母は叫ぶように言うとうつむく。“私が死んでも、ここは変わらないのだろう”……義父はそう言おうとしたに違いない。義母の両目には涙が光っていた。
「……慰子、そう泣いてばかりいては、身体がもたないよ」
義父は義母に直接は返答せず、こう言って手を差し伸べる。
「お前まで倒れてしまったら、私はどうすればいいのだ」
義母は手にしていた小さなバッグからハンカチーフを取り出すと、涙を拭って「はい……」と小さな声で返事をする。私と万智子は2人に掛ける言葉が見つからず、その場に立ち尽くしてしまった。
「では、行こうか」
義父が声を掛けると、私たちは再び動き出す。前を歩く義父の背中から、圧し掛かっていた重みが消えたように私は感じた。
桃山を出た私たちは、兵庫県の垂水町、瀬戸内海沿いにある有栖川宮家の別邸に入った。この別邸は、有栖川宮家の先代、熾仁親王殿下が建てたものだけれど、ここ10年ほどは、兵庫県に兄やお上が出掛けた際に宿泊場所として使われた程度で、有栖川宮家の人間はほとんど宿泊していない。だから垂水町に敷地ごと寄付して、町民の憩いの場として活用してもらおうか、という話も出ていたのだけれど、
――舞子の別邸からの景色を見納めておきたい。
と、義父が入院中に言ったので、桃山のお父様とお母様の陵に参拝した後、この別邸に家族で数日間滞在することにした。
1932(昭和4)年6月28日火曜日、午前10時10分。
「いいね、ここからの景色は」
舞子別邸の2階にある、窓に面した廊下。小さな丸テーブルと椅子を廊下に出させ、窓の外の景色を楽しむ義父は、感嘆したように呟いた。
「淡路島、そして明石海峡を行き交う船舶……。曇りや雨の日でもよい景色だと感じたけれど、今日のように晴れ渡った空の下で見ると、雄大さが一段と感じられるね」
そう言いながら、手元のノートに何かを万年筆で書きつけている義父に、
「ええ、本当に……。見ていて飽きませんわね」
向かいに座った義母が静かに応じる。彼女も手元にある紙に鉛筆で何かを書いているけれど、多分、義父と同じく和歌を詠んでいるのだろう。
と、
「ところで嫁御寮どの、歌は詠めましたか?」
義父の後ろに控え、ぼんやりと海を眺めていた私に、義父から声が飛んできた。
「え、ええと、一応……」
ここ数日の経験で、こういう時に和歌を作っていないと義父に散々に言われてしまうのは、身に染みて理解している。私が先ほど何とかひねり出した和歌を義父に見せると、
「ふむ……。やはり嫁御寮どのは、言葉の使い方が独特ですねぇ」
義父は私が和歌を書いた紙を覗き込み、ニヤリと笑う。
「ですけど、最近の和歌を見ていると、章子さまと似た言葉の使い方をなさる方もいらっしゃいますよ」
「うん。確かに最近、そういう歌を見かけるようになってきた。……すると嫁御寮どのは、時代の最先端を行っているのかな」
「そうかもしれませんわ。国のために働く女性……章子さまはその先駆者であり、頂点に上り詰めた方ですから」
「は、はぁ……」
義理の両親が、私の和歌を褒めているのかけなしているのか、よく分からない。とりあえず、顔に愛想笑いを浮かべていると、
「おじい様、おばあ様、母上、パウンドケーキを切って参りました」
大きなお盆を持った万智子が廊下に現れた。パウンドケーキは、昨日彼女が作ったものだ。
「ありがとう、万智子。早速いただくわ」
和歌をひねり出すのに頭を使ったので、糖分の補給は大歓迎だ。私が長女に向かって微笑むと、
「母上はおじい様がお出しになった課題を済ませたら、です」
万智子はこう言いながら私の横を素通りし、義父と義母の座る丸テーブルのそばへ行ってしまった。
「あのね、万智子。私、和歌はさっき詠んだし、書道の課題も、朝ごはんの後に提出したのよ」
私が万智子の後ろ姿に報告すると、
「力を入れ過ぎて書いている部分がありますねぇ」
濃い灰色の和服を着流している義父が、懐から私がお手本を書き写した半紙を取り出した。
「ですから、この3行目を、もう一度書き直してください。そうしたら、パウンドケーキを食べることを許可しますよ、嫁御寮どの」
「そ、そんな……」
義父は私の方を振り向いて、ニヤニヤと笑っている。ただ、この人は、和歌や書道など、有栖川宮家に伝えられている文化に関して、一切の妥協がない人だ。ちゃんとやらなければ、次に厳しいお叱りの声が降って来るのは間違いない。
「かしこまりました。では、自分の部屋で書き直してきます」
私がおとなしく椅子から立ち上がると、
「嫁御寮どの、お手本を持って来て、こちらの和室でお書きなさい。筆や紙は準備してあげますから」
義父はニヤニヤ笑いを崩さずに私に言う。どうやら、私が筆を使っているところを見たいらしい。仕方ないと私が思った瞬間、
「有栖川宮殿下、よろしいですか」
有栖川宮家の別当で、中央情報院麻布分室長を兼務している金子堅太郎さんが、廊下の向こうからやって来て声を掛けた。
「金子、どうした?」
鷹揚に応える義父に、金子さんは一礼し、
「東京より連絡がありまして……今朝早く、枢密顧問官の西郷閣下が亡くなられたとのことです」
と告げた。
「?!」
私は目を瞠った。西郷さんに私が最後に会ったのは6月11日、今月の定例梨花会でのことだ。西郷さんは普段と変わらず、元気そうだった。
(何があったの?!私たちが東京を出る時まで、西郷さんが体調を崩したという話はなかったけれど……)
金子さんに、西郷さんが亡くなった前後の事情を確かめなければ、と私が身構えた時、
「前日の夜までお元気で、就寝時まで特段の異常は見られなかったということですが、今朝、起床時刻になっても起きて来られないので、家人が寝室を見に行ったところ、既に事切れていたそうです。死因は脳溢血と考えられるとのことで……」
金子さんがこう述べて、再び義父に頭を下げた。……それなら納得がいく。西郷さんは、89歳になったばかりだったはずだ。いくら元気であっても、脳血管系のトラブルが起こるのは不思議ではない年齢である。ただ、西郷さんの突然の死に、西郷家も、そして東京にいる梨花会の面々も混乱しているに違いない。
(問題は、国軍関係の人事ね。枢密院に国軍OBが1人いる方がいいから、山本国軍大臣に枢密顧問官になってもらって……。空いた国軍大臣には、斎藤さんを据えるしかないわね。となると、参謀本部長は……)
私が頭の中で国軍関係の人事を考えていると、
「金子、これから東京に戻りたい」
義父が突然こう言い出した。
「殿下?!」
驚く金子さんに、
「西郷閣下の後任人事について、天皇陛下からご下問があるやもしれぬ。国政を停滞させないためにも、一刻も早く、東京に戻らなければ……」
義父はこう言いながら椅子から立ち上がり、着替えをするためか、廊下に面した和室に入ろうとする。
「待ってください!」
義父が障子に手を掛ける寸前、私は金子さんの横をすり抜けて前に出た。
「出発は明日、準備が整ってからにするべきです。今出発したのでは、道中の宿泊場所も確保できません」
「嫁御寮どの」
足を止めた義父は、私に鋭い視線を向けた。
「宿泊場所などいりませんよ。夜行列車で東京に戻りますから」
「だから待ってください!」
私は義父に向かって一歩足を踏み出した。
「そんな無茶を許すわけにはいきません。明日舞子を出発して、名古屋に1泊して、あさってに東京に戻るべきです」
声を励まして進言した私を、
「そんな悠長なことではいけない!」
義父は大声で怒鳴りつけた。
「ここに自家用の飛行器でもあれば、私は今すぐ東京に飛んでいる!そのくらいの速さで東京に戻らなければならないことは、嫁御寮どのも政治の中枢にいた身なら分かるはずだ!それなのになぜ……」
「ええ、分かりますよ。おっしゃる通り、私は内大臣でしたから」
燃えるような瞳で私を睨みつける義父を、私は見つめ返した。
「でも……だからこそ、無理をしないでいただきたいと考えます。もしお義父さまが無理なご移動で体調を崩されたら……それが原因で命を落とすようなことになってしまったら、お上が悲しまれます!」
「……っ!」
「もしお上からお義父さまにご下問があれば、電話や電報でも答えられます。それでも不安だとおっしゃるのなら、職員さんにお上への手紙を託して東京に先発させてもいいですし、必要なら私が東京に先に戻って、お義父さまのご意見をお上に直接申し上げます。だから……」
「……それには及びませんよ、嫁御寮どの」
私の舌の回転を止めた義父の声は、意外にも穏やかだった。
「頭に血が上ってしまったようです。確かに、嫁御寮どのの言うことは筋が通っている。……金子、明日ここを発って、名古屋に1泊して東京に戻る。手配してくれ」
義父の命令に、金子さんは明らかに安堵したような顔になり、「かしこまりました」と応じる。金子さんが去っていくと、
「母上はすごいのね……」
突然、万智子が言った。
「怒ったおじい様に、あんな風におっしゃるなんて。私ならとてもできません」
「ああ、まあね……」
小さいころから、妙に修羅場に巻き込まれてしまっているので、度胸だけはついている。私が曖昧な笑いを顔に浮かべると、
「万智子が小さいころから、万智子の母上は国事に奔走していたのだからね。おじい様が言い負かされるのも当然だよ」
義父は万智子に優しく言う。先ほどの怒りが嘘のようだった。
「そして今も、軍医学校の校長として、国のために働いている。私は本当によい嫁を持った」
「そ、それはどうも……」
どうやら、褒められているらしい。私は軽くお辞儀をすると、
「では、これから出発準備がありますし、書道の課題のやり直しはまた後日ということで……」
話を無理やりまとめ、その場から逃走を試みた。
しかし、
「それとこれとは話は別です」
「母上……せっかく見直したのに」
義父の厳しい声と娘の呆れたような声が、同時に私に浴びせられた。
「で、ですよね……あはは……」
誤魔化し笑いをすると、
「ほら、さっさとお手本を持って来てください。書くところを見ていてあげますから」
「母上、頑張って。無事に書けたら、ケーキを食べていいですからね」
義父と娘は私に更に言う。「わかりました」と返事をして、自室に向かって歩き出すと、
「章子さまは見た目がお若いから、こうしていると、万智子と章子さまとどちらが母親なのか、分からなくなりますわね」
義母がこう言って、久しぶりに笑った。




