余命宣告
1932(昭和4)年5月29日日曜日午前10時30分、東京市本郷区本富士町にある東京帝国大学医科大学付属病院。
「……」
病院の中にある面談室の椅子に私は座っていた。隣には、私の義母である慰子妃殿下と夫の栽仁殿下もいる。私の前にある壁に設置されたシャウカステン……エックス線写真を観察するための装置には、胃のエックス線写真がセットされている。写真の中の胃の壁には、がんの存在を示す大きな凹み像が認められた。
「こちらが、先週の月曜日、23日に撮影いたしました、有栖川宮殿下の胃のエックス線写真でございます」
私たちとシャウカステンの間に立った東京帝国大学医科大学第二外科の教授・塩田広重先生が説明を始めた。彼は10年前、近藤先生がノーベル生理学・医学賞を受賞した時に、“自分の不在時に発生した天皇陛下の外科手術を執刀できる人間“として推薦してくれた外科医である。
「21日の午後、突然有栖川宮殿下が倒れられたとのことで、宮中からそのまま当院に緊急入院していただきました。診察したところ、貧血の所見を認めたため、体内、特に消化管に出血を来す病変が存在している可能性が高いと判断しました。このため、胃のエックス線検査を行ったところ、がんの存在を示す所見が得られました。この検査結果を踏まえ、有栖川宮殿下のご同意を得て、25日の水曜日に胃の一部と腹腔内のリンパ節を切除する手術を施行したのであります」
私も義母も夫も、塩田先生の説明を黙って聞いている。ここまでは、先週の火曜日、24日にも、ここにいない義父と一緒に4人で聞いた内容だから、義母も夫も覚えているだろう。
「手術は無事成功し、有栖川宮殿下の術後のご経過も順調です。摘出した標本は、前内府殿下にはご覧いただきましたが……ご希望がございましたら、こちらにお持ちいたしますが、いかがいたしましょうか?」
「ええと……私はもう見なくても大丈夫なので、あとは、お義母さまと栽仁殿下がどうか、ということになりますけれど……」
私が塩田先生に答えながら横をそっと見ると、義母も夫も首を横に振った。……手術で摘出された人間の臓器を見たいと思う人間は、そんなにいないだろう。私だって、外科医として働いていた時期があるからある程度耐性があるだけで、もし医者以外の職業を選んでいたら、摘出された義父の胃を見た瞬間、卒倒していたかもしれない。
「標本は直ちに病理検査に回しました。その結果、摘出したリンパ節全てに、がん細胞の転移が認められました」
続いての塩田先生の言葉に、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。全てのリンパ節に、がん細胞の転移が認められたということは……。
「リンパ節にがん細胞の転移が認められるのは、一般的に、悪い徴候とされます。なぜなら、がん細胞が、体内に残っている他のリンパ節、他の臓器にばらまかれている可能性が高いからです。体内にばらまかれたがん細胞は、無秩序に増殖し、臓器を、身体を侵します。……リンパ節の転移が無ければ、胃がんの手術後は3、4年の余命が見込めますが、有栖川宮殿下の場合は転移が広がっているので、余命は相当短くなると思われます。正確に予測することは非常に難しいのですが……年を越せればいい方だと思っていただくのがよろしいかと……」
「年を、越せれば……」
塩田先生の無情な宣告に、慰子妃殿下が目を見開く。次の瞬間、彼女の身体が不自然に傾いたのを、隣に座っていた栽仁殿下が支えた。
「現在の有栖川宮殿下のご状態としては、先ほども申し上げた通り良好ですので、食事がある程度召し上がれるようになればご退院でよいのですが、今後のこと……特に、予測される余命に関しまして、有栖川宮殿下には、どのようにご説明申し上げましょうか?」
「殿下には申し上げないでくださいませ!」
義母は栽仁殿下に抱えられたまま、塩田先生に声を叩きつけた。そんな義母の様子を見ながら、
(お義母さまは、そう言うよなぁ……)
私は心の中で冷静に呟いていた。義母の心情は、理解できるつもりだ。義母の身体を抱えている栽仁殿下が、塩田先生の質問に対してどんな答えを出すかは、私には分からない。“ありのままに余命を伝えてくれ”と言うかもしれないし、“余命のことは伝えないでくれ”と言うかもしれない。ただ、私は……。
「そんな……年が越せればいい方だと……そんな残酷なことを、殿下には……!」
義母が塩田先生に向かって、必死に叫んだその時、
「ならば、私はできるだけ早く退院したいな」
面談室に、私のものでも栽仁殿下のものでも義母のものでもない、もちろん塩田先生のものでもない声が響いた。……胃がんの手術を4日前に終えたばかりの義父の声だった。
「殿下……?!」
「父上?!」
「お義父さま?!」
驚く私たち家族に向かって、面談室のドアを開けた義父は、
「見舞いに来るという時間になっても、なかなかお前たちが来ないからね。リハビリがてら歩いていたら、この部屋から塩田先生と嫁御寮どのの声が聞こえたので、話を立ち聞きしていたのだ」
と言って、微笑んだ。
「有栖川宮殿下……」
塩田先生が、慌てて最敬礼する。「ご病状については、ご家族と相談の上で、これから殿下にご説明する予定だったのですが……」
「私には真実を話していただいてよろしいのですよ」
点滴の瓶を吊り下げた移動式の点滴台の支柱を右手に持つ義父は、塩田先生に微笑を向ける。
「慰子は、私に真実を告げるなと言うでしょうが、嫁御寮どのは、私に真実を話して欲しいと言うに違いない。嫁御寮どのは私の家族でもありますが、先進的な知識を持った医者でもありますからね。……もっとも、嫁御寮どのが答える前に、私がこの部屋のドアを開けてしまったが」
「章子さま!」
義母が私に縋るように叫ぶ。私は義母の目をしっかり見つめ、
「あの、お義母さま……私はお義父さまに、真実を知っていただくべきだと思っていました」
と、静かに答えた。
「そんな!」
義母は引きつった顔で絶叫する。栽仁殿下は、私と義母とを、困惑するような目で交互に見ている。そんな中、
「慰子が私を心配してくれるのは、とてもありがたい」
義父は義母に向かって言った。
「私の残された命が、あと数か月しかないと聞いて、それを私に隠しておきたいという気持ちもよく分かる。……しかし、私は、自分の残り時間の中で、できるだけのことをやりたいのだ」
「殿下……」
義父の言葉を聞いた義母は、涙を流し始める。義母の身体を、栽仁殿下が横から支え続けている。私は義父、そして義母と夫の姿を黙って見つめていた。
「……身体の動くうちに、桃山に行きたい」
やがて、義父は私たちにこう言った。私は義父に向かって軽く頭を下げた。桃山には、お父様とお母様の陵墓がある。お父様とお母様の霊に、この世からの暇乞いをしたい……そういう意味だと私は捉えた。
「ただ、この身体だ。色々と、普段と違った準備をしなければならないだろう。少し気が早いかもしれないが、桃山に行く準備を始めてくれないか」
義父の願いに、義母は涙を拭いながら、「かしこまりました……」と答えた。
1932(昭和4)年6月1日水曜日午後3時、赤坂御用地内にある仙洞御所。
「そうか……」
節子さまと一緒に、自分の書斎で私から義父の病状についての話を聞いた兄は、両肩を落として呟いた。
「義兄上の病状は、そんなに悪いのか……」
「手術で受けたダメージからは、順調に回復しているけどね」
私は兄に答えるとため息をついた。
「私の時代なら、手術に別の治療法……化学療法を重ねて余命を伸ばすこともできるけど、そんなもん、この時代にはないから、どうしようもないわ」
私がこう言って視線を泳がせると、
「なぁ、梨花。義兄上の見舞いには行ってもいいのか?」
兄は身体を私にずいっと近づけて尋ねた。
「塩田先生の許可が出たらいいけど……せめて、前日には“行く”って連絡してよね。病院の職員さんたちが腰を抜かしちゃうから。……って言っても、来週の前半には退院しそうだけど」
「何?!では早速、今から……」
「だーかーらー、前日までに連絡を入れろって言ったでしょ。まったく、兄上は気が早いんだから」
私が呆れながら兄にツッコミを入れると、
「嘉仁さま、流石に早すぎますよ。有栖川宮さまが嘉仁さまに驚いて転びでもしたらどうするのですか」
節子さまも横から兄をたしなめる。
「うーん、お前たちがそこまで言うなら仕方がない。今日見舞いに行くのはやめる。だが、明日には必ず行くから、梨花、連絡しておけ」
「分かったわよ」
睨むように私を見つめる兄に私は仕方なく頷いた。本当は、義父には静かに療養してもらいたいけれど、兄のこの様子では、どんな妨害があっても義父のお見舞いに行ってしまうだろう。なら、事前に話を通しておいて、兄に義父を見舞ってもらう方が、まだ義父の負担が少なくなる。
「あーあ、これでまた、やることが増えたわ……」
私は再びため息をついてぼやいた。
「なんだ。そんなに言うほどやることがあるのか?」
「あるに決まってるでしょう……」
私は兄を恨めしげに見つめた。
「霞ケ関の本邸を模様替えして、お義父さまの病室を作らないといけないし、お義父さまが桃山まで行く準備もしないといけないし……。もちろん、お義父さまの術後の体調管理は私の仕事になるわ。それを軍医学校の業務をしながらこなさないといけないのに、何で皇帝の孫に会わないといけないのかなぁ……」
私が指を折りながら、これからやらなければならないことを列挙すると、
「それは会わなければならないだろう。いや、個人的には、お前がヴィルヘルム王子に会うことを断って、日本がドイツに宣戦布告して、ヴェニゼロスの管理がなってなかったことを武力で問い質すという展開も悪くないと思うが、裕仁がああ言ったからにはなぁ……」
兄はなぜかしかめっ面で私に応じる。ドイツのヴィルヘルム皇太子の長男……つまり現皇帝・ヴィルヘルム2世の孫であるヴィルヘルム王子は、現在、世界一周の旅をしているけれど、ハワイ王国に数日滞在する予定を急遽切り上げ、日本へと向かっていた。恐らく、ドイツが裏から協力していたルーマニアの王室顧問、ジュリアン・ベルナールことエレフテリオス・ヴェニゼロスが、黒鷲機関を無理やり使って私の命を狙ったことを知らされた皇帝が、私への詫び役として孫を使うことにした結果だろうとは思うけれど……。
「まぁ、ヴィルヘルム王子からの謝罪はちゃんと受け入れるわよ。そうじゃないと、兄上みたいな人が、“ドイツと戦うぞ”なんて騒ぎ出すから。……はぁ、お上が梨花会の皆にビシッと言ってくれて本当によかったわ。私のせいで世界戦争だなんて、まっぴらごめんだもんね」
「……確かにそうだ。俺も思うところは色々とあるが、裕仁が穏便な解決を命じたのなら、俺はそれに従わねばならん」
(頼むから従ってちょうだい……)
やや不満そうな兄に、私は心の中で強く願った。実は兄も、5月15日の騒動が解決した直後は、“梨花を殺そうと企んだ国はどこだ。俺が自ら陣頭指揮をして武力で叩きのめしてやる”などと物騒なことを口にしていたのだけれど、臨時梨花会があった翌日、お上と話したことで、過激な考えを捨てたようだ。……お上からはそう聞いたのだけれど、先ほどからの兄の言動を見ていると、兄が本当に過激な考えを捨てたのか心配になる。
(また臨時梨花会の時みたいな騒ぎになったら、私、やだよ……)
私が頭を抱えたくなったその時、
「そう言えばお姉さま、昨日、チャップリンさんにお会いになったのでしょう?どうでしたか?」
兄の隣にいる節子さまが、目を輝かせながら私に尋ねた。
「どう、って言われても、ねぇ……」
私は昨日、盛岡町邸でチャーリー・チャップリンさんに会った時のことを思い返す。これは、私の暗殺計画に巻き込まれてしまったチャップリンさんの日本でのイメージを上げるため、梨花会によってセッティングされた会談だった。
「私もチャップリンさんも、両方緊張してたのよね。チャップリンさんは、皇族に会うから緊張していたし、私も私で、記者がたくさん取材しに来たから緊張していたし……」
私が昨日のことを思い出しながら話すと、
「ああ、そうか。チャップリンは無実であると大きく宣伝しなければ、チャップリンの身が危うくなる。だから取材がたくさん来たのか」
兄が節子さまの横から言う。
「そうよ。なんせ、チャップリンさん宛てに、“前内府殿下を殺そうとした貴様を殺す”なんて脅迫状が届いたり、チャップリンさんの一行が泊っているホテルの周りに、日本刀を持った不審な女が出没したりしたからね。おかげでチャップリンさんのいるホテル、まだ警官隊が警備を続けているのよ」
「まぁ……チャップリンさん、本当に大変でしたね。日本にいらっしゃる間に、仙洞御所にお招きしようかしら。ねぇ、嘉仁さま」
「うん。奴が無実であることも、更に大きく広められるしな」
節子さまの提案に頷いた兄は、
「……しかし、それよりは、義兄上の見舞いを優先させたいな」
と、遠くを見るような目をして言った。
「そうですね……。有栖川宮さまには、嘉仁さまに嫁いでから、大変お世話になりました。お上が世界一周をするときも付き添っていただきましたし……」
兄に応じて呟くように言った節子さまは、
「何か奇跡が起こって、有栖川宮さまがずっとお元気でいてくださればよいのですが……」
と寂しそうに微笑んだ。
「……私もそう思うよ」
節子さまに相槌を打った私に、
「意外だな。梨花ならもっと、こう……医者として、冷静な対応をするかと思っていたが」
と兄は言う。
「そりゃ、家族だし、小さいころから親しんでいた人だからね。情が入るのは仕方ないよ。私が医者として一人前じゃない、ってことではあるんだけど……」
「小さいころから親しんでいたのは俺も同じだ。義兄上のことは、本当の兄だと……頼れる兄だと、俺は思っているからな」
私としみじみと言葉を交わした兄は、不意に私を見つめると、
「とにかく、明日は節子と一緒に、義兄上の見舞いに行くからな」
と宣言した。
「分かったわ。ちゃんと連絡しとく」
私は頷くと、寂しげな兄の目を見つめ返した。




