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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第86章 1931(昭和3)年処暑~1932(昭和4)年立夏
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戦に(1932)しないで!五・一五(5)

※章タイトルを変更しました。(2025年8月15日)

 1932(昭和4)年5月21日土曜日午前10時30分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。

「それでは、日曜日に発生しました(さきの)内府殿下暗殺未遂事件につきまして、現在までに判明したことを申し上げます」

 内大臣府顧問としての毎週土曜日の私の参内に合わせ、御学問所には鞍馬宮(くらまのみや)家の別当で中央情報院総裁の広瀬武夫さんが来ていた。お(かみ)と院との間には、常に緊密なやり取りがされているはずだから、総裁が皇居に出張って来る必要はないと思うけれど、今日広瀬さんが参内してくれたのは、今回の騒動の一番の被害者である私に、事の経緯を知らせておきたいというお上の配慮があるようだ。

「まず、暗殺計画に関わった者は、全員捕らえたことが確認されました。日曜日の午後3時ごろに赤坂区表町(おもてちょう)3丁目で起こった爆発に関しては、花松(はなまつ)権典侍(ごんてんじ)を狙ったものという可能性もありましたが、花松権典侍とは一切無関係に爆発事件が起こったことが分かりました」

「ですよねぇ」

 広瀬さんの言葉に、私はこう答えるとため息をついた。

「もし、母上のことを知っていたら、母上を人質に取って私をおびき寄せる手段が取れるもの。それをしなかったということは、暗殺犯たちは、母上のことを知らなかったんだろうなぁ、とは思っていたけれど」

 私の実母がお母様(おたたさま)ではないということは、宮内省から積極的に公表されているわけではない。そのことに関して多少思うところはあるのだけれど、今回は、公にされていなかったことが母の身の安全を守ったと言える。

(公人として、個人情報をどこまで公開するかを判断するのは難しいわねぇ……)

 私が少しだけ顔をしかめた時、

「なお、剛毅(ごうき)塾に入り込んだ外国人、そして、チャップリン一行に紛れ込んだフランス人ですが、黒鷲機関の者であることが確認されました」

と広瀬さんが言った。

「……それ、おかしくないかしら。皇帝(バカイザー)が私を暗殺する命令を出すはずがないわ」

 私が広瀬さんに指摘すると、

「は……?ば、ばかいざー?」

広瀬さんがキョトンとした顔で私に問い返した。

「いや、あの……馬鹿な皇帝(カイザー)の略で、“バカイザー”なんですけど……ええと、とにかく、ヴィルヘルム2世は、私を病的に気に入っているので、私を暗殺しようなんてことは、まず考えないと思うんですよね」

 明らかに困惑している広瀬さんに、私は補足の説明をする。すると横から、

「私もそう思っていますが……」

内大臣の牧野さんが気になることを言った。「どういうことですか?」と尋ねた私に、「まぁ、報告を最後までお聞きになってください」と牧野さんはいつもと変わらない口調で言う。私が黙って頷くと、広瀬さんは報告を再開した。

「今回捕らえた黒鷲機関の者たちは、全員、日本に来る前はルーマニアで活動しておりました。ルーマニアの王室顧問……エレフテリオス・ヴェニゼロスの命で、前内府殿下の暗殺を遂行しようとしたと彼らは供述しております」

「?!」

 私は目を見開いた。ルーマニアの国王・カロル2世を操っている、仮面を被った王室顧問、ジュリアン・ベルナールことエレフテリオス・ヴェニゼロス。ギリシャ王国の元首相である彼は、ギリシャが仕掛けた侵略戦争を私の介入によって止められたことで、私を恨んでいる。彼ならば、私を殺そうとしてもおかしくはないけれど……。

「あのー、ごめんなさい。そう言われても、やっぱり腑に落ちません」

 私は右手を挙げながら広瀬さんに言った。

「黒鷲機関はドイツ本国の命令に従ってヴェニゼロスに協力しているだけで、ヴェニゼロスの命令に従うことはないと思うんですよね。黒鷲機関の命令系統は、一体どうなっているんですか?」

「……実は、黒鷲機関のルーマニア活動部隊の頭目の男は、ルーマニアの公金を自分の懐に入れていたのです」

 私の疑問に、広瀬さんは思わぬ答えを返した。

「それをヴェニゼロスが知り、頭目に取引を持ち掛けたそうです。“この大金の横領がドイツ本国に知られれば、貴殿は本国に強制送還の上、投獄されるだろう。このことをドイツには黙っておいてやる。その代わり、仲間とともに日本に行き、あの憎たらしい女を殺せ”、と」

「なるほど……」

 私は再び顔をしかめた。なるほど、それなら辻褄は合う。頭目の男が公金を横領した証拠をつかみ、これで私を殺すことができると嬉々としているヴェニゼロスの顔が、なぜか私の脳裏を過ぎった。

「今年1月、頭目を含め5人が、オーストリア経由でルーマニアを出国しました。頭目ともう1人がスイスに向かってチャップリンと接触し、残り3人はシベリア鉄道を使って日本に入り、前内府殿下暗殺のための下調べを行いました。チャップリンの一行に紛れ込むと決めた時点で、日本で上流階級向けの活動写真上映会を行い、その席上で前内府殿下を暗殺すると計画したようですが、わざわざそんな上映会を行うことにしたのは、前内府殿下を暗殺する際に他の要人に死傷者が出ても、それは日本の国力を落とすことになるので構わない、とヴェニゼロスが言ったからだそうです。むしろ、前内府殿下と一緒に日本の要人を多数殺傷できれば、日本を壊すことができるから……ヴェニゼロスはそう言って、事を大きくするように頭目に勧めていたようです」

「……ひどい話だ」

 広瀬さんの報告に、お上が僅かに眉をひそめて応じる。広瀬さんはサッと頭を下げた。

「……もしかして、今回私を狙った連中がルーマニアからオーストリアに出国した時期って、石原(いしわら)さんの陽動作戦に引っ掛かったルーマニアの黒鷲機関の連中がルーマニアから出国した時期と重なっていますか?」

 沈黙した広瀬さんに私が再び質問してみたところ、

「仰せの通りです。もう少し早くこのことに気づけていれば、今回の事件、戒厳令を出すことなく防げたかもしれませんが……」

広瀬さんは恐縮した様子で私に一礼する。

「それは、今後再発しないようにしてくれればそれでよい。今大事なのは、広瀬が報告を続けることだ。……で?」

「……日本に先着した黒鷲機関の者たちは、新聞や雑誌で剛毅塾の主張を知り、暗殺の仲間に引き入れることにしたようです」

 お上に促され、広瀬さんは報告を再開した。

「その際、第2弾の策として、盛岡町邸の襲撃を決めたと供述しています。もちろん、盛岡町邸に我々の分室があることを連中は知っていましたが、大山閣下が常に前内府殿下のおそばに侍っている軍医学校よりは襲撃しやすいし、剛毅塾の者たちを仲間に引き入れれば数で圧倒できると判断した……黒鷲機関の連中はこう言っていました」

「確かにそうかもしれないけど……」

 私はやや困惑しながら広瀬さんに言った。そう言えば、昔、ロシアの皇帝(ツァーリ)・ミハイル2世と会談した時、彼に従っていたウィッテ総理大臣とローゼン外務大臣が、“あれがロシア兵50万人に匹敵する強さを持つ日本最強の男か”と言って大山さんに怯えていたけれど、その恐怖が黒鷲機関に伝染してしまったのだろうか。

「つまり、結論を言えば、前内府殿下を暗殺しようとした黒幕は、ヴェニゼロスということになりますが……」

 御学問所の隅に控えていた鈴木貫太郎侍従長は、こう言うと険しい表情になり、

「しかし、今回判明した事実、全てを公にするわけにはいかないでしょう」

と指摘した。

「鈴木閣下のおっしゃる通りです」

 お上の横にいる牧野さんも頷く。「もし全てを公開すれば、ドイツのみならず、日本の諜報の実態を世間に公表してしまうことになります。それは避けたいところです」

「ヴェニゼロスが仮面の人だって分かった時にも言った気がするけれど、確たる証拠はたくさんあるけれど、それは公表できる性質のものではありません。だから、ドイツと水面下で交渉して、ドイツにヴェニゼロスを始末させる。これが妥当な落としどころかなと私は思っています」

 私は牧野さんに続いて発言すると、

「新聞では、私の暗殺を計画した国に対して宣戦布告を考えるべきでは、なんて論説が出ているけれど、犯人はルーマニアだと示す証拠は表に出せない。だから、事態を何とかして鎮静化させないといけません。まぁ、日本とルーマニアって、間にいくつも国が挟まっているから、仮に宣戦布告したとしても、どうやって戦争をするんだということになりますけれど」

と言い、両肩を落とした。

「確かに、叔母さまのおっしゃる通りです」

 お上が微笑して頷くと、

「しかし、顧問殿下に無礼を働いた国に、日本とともに戦争を仕掛けると表明している国もございまして……」

牧野さんが渋い表情で言う。

「まず、新イスラエル共和国ですが、ブロンシュタイン大統領から、“日本が章子内親王を害そうとした国と戦うなら、我が国は日本とともにその国と戦う”という内容の親電が届きました」

「永世中立の国是はどうしたのよ……」

 牧野さんの言葉に、私は呆れながらもツッコミを入れた。もし、“史実”のことを知らない広瀬さんがこの場にいなかったら、“やはりトロツキーは粛清すべきだ”と口走っていたかもしれない。

「また、ドイツのヴィルヘルム2世からも、同様の親電が届いています」

 続いての牧野さんの報告に、

「いや、その……あなたのところの部下の不始末が原因で、こんな騒動になってるのよ、皇帝(バカイザー)……」

私はこう応じるとため息をつく。

「更に、イギリスと清からも、我が国が開戦すれば、同盟に従って参戦するという通達があり、その他、アメリカ、ハワイ、シャム、オスマン帝国、オーストリアからも同様の連絡が……」

「何それ……」

 私は牧野さんの言葉にツッコむ気力を失った。

「万が一、開戦となってしまえば、世界戦争になる可能性も……」

 低い声で言った広瀬さんに、

「それはさせない。もしそうなれば、戦争後の世界で人類が生き残っていられるかも危うくなってしまう」

お上は力強く応じる。

「しかし、開戦を回避するためには、あの方々を説得しなければなりませんな」

 鈴木侍従長が顔をしかめて言った。“あの方々”というのは、もちろん梨花会の面々のことだろう。

「そうですね。あの人たちをどう説得するか……」

 私が上を向いて考え込んだ時、

「僕が道理を説いて聞かせますよ、叔母さま」

とお上が言った。

「そうすれば、爺たちも分かってくれます」

 その言葉に、牧野さんと鈴木さんが「はっ」と応じて最敬礼する。

(うーん……)

 私はお上を見つめた。確かに、お上には威厳がある。それは私も以前思い知らされた。けれど、私の暗殺を計画した国に天誅を下すべきと怒りに燃えている梨花会の面々、特に伊藤さんや陸奥さんなどの古参の面々を止めることはできるのだろうか。

(いざとなったら、私もお上に協力してあの人たちを説得しよう。戦争だけは絶対に避けないと)

 今日午後2時からの臨時梨花会に向け、私は決意を新たにした。


 1932(昭和4)年5月21日土曜日午後2時20分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「そうはおっしゃいますが、前内府殿下。わしは絶対に反対ですぞ」

 臨時梨花会の冒頭で牧野さんから実行犯たちや彼らの背後にいた黒幕についての説明があり、それを受けた私が、“エレフテリオス・ヴェニゼロスをドイツの手で始末させることでケリをつけ、事態の鎮静化を図りたい”と発言するや否や、枢密院議長の伊藤博文さんが目を怒らせて言った。

「恐れ多くも、ヴェニゼロスは前内府殿下を害そうとしたのです。そればかりでなく、我が国の要人を多数殺傷し、我が国の国力を下げることまで狙っていたのです。これに対して兵を挙げなければ、我が国は世界から侮られてしまいますぞ」

「伊藤さん、落ち着いてください。もし日本がルーマニアに宣戦布告をしたら、世界大戦になる可能性があります」

 私は冷静さを失わないように注意しながら、伊藤さんに反論した。

「ドイツの扱いをどうするかによっては、世界大戦になる確率が更に高まります。もし、ヴェニゼロスに協力していたドイツを日本の敵としてしまえば、ドイツと同盟を組んでいるイタリアとオーストリアがドイツ側で参戦します。そうなると、イギリスと清だけではなく、フランスが日本側で参戦してしまいますし……。15年前に私たちが止めたはずの世界大戦が、日本のせいで発生してしまうんです。折角戦争を起こさずに頑張ってきた15年が、無駄になっちゃうんですよ!」

「前内府殿下はおかしなことをおっしゃる」

 今度は枢密顧問官の陸奥宗光さんが、椅子からゆらりと立ち上がった。

「国際連盟がルーマニアに軍を派遣すれば済むことですよ。日本・清・アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・ドイツ……連盟の7つの常任理事国が合同で、派兵すればよいのです。……ああ、ドイツには、懲罰という意味で、国際連盟軍に兵も金もたっぷり提供してもらいましょう。そして、ルーマニアが降伏した暁には、ルーマニアの全土を我が国の領土に編入すればよいのです」

「無茶なことを……!」

 私が呟いたのと同時に、

「お言葉ですが陸奥閣下、日本とルーマニアは直線距離で8000km以上離れております。そんな国に宣戦布告をしても戦いようがありません。例えルーマニアの全土を得られたとしても、その後の領土経営を考えれば、我が国にとって利益のある戦ではありませんぞ」

参謀本部長の斎藤(まこと)さんが毅然とした態度で指摘した。

「斎藤閣下のおっしゃる通りです。国境で接しているわけでもない、遠く離れたルーマニアを得ても、我が国には何の利益ももたらしません。資金と有用な人材を半減させることになり、日本本土の発展も、ルーマニア地域の発展も望めなくなります」

「そもそも、バルカン半島に領土を持つこと自体が非常に危険な行為です。日本が無用の戦に巻き込まれる可能性が高い。我が国の将来を考えれば、ルーマニアとの戦争など絶対に起こしてはならないことです」

 外務大臣の幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)さん、そして堀悌吉(ていきち)海兵大佐が次々に発言する。主に下座の方から「そうだ!」と同調する声がいくつか上がった。

「ルーマニアにいるヴェニゼロスが顧問殿下の暗殺を仕掛けたことについては、確たる証拠が多数ございますが、日本の諜報の将来のことを考えれば、表に出せぬものばかりでございます。そんな状況では、表だってルーマニアを非難することはできません。従って、宣戦布告など、もっての他でございます!」

 牧野さんが、珍しく激しい口調で言う。強張った顔をした牧野さんの迫力に、その場にいる一同は全員気圧されているようだ。これで、不毛な議論は終わるかと思われたけれど、

「……開戦理由など、適当に作ればよろしいのです」

内閣総理大臣の桂太郎さんが、とんでもないことを言い出した。

「は?!」

 私が思わず目を剥くと、

「それは妙案。ルーマニアには我が国の怒りを、武力をもって分からせなければなりません」

国軍大臣の山本権兵衛さんが、血走った眼を光らせながら物騒な発言をする。それを聞いた大山さんが、私の隣でニヤリと笑う。

(ま、まさか……!)

 大山さんも、ルーマニアへの武力による制裁を望んでいるのだろうか。そんな暴論に乗るはずはないと思っていたけれど……。

(どうしよう、これ……。私が命じても、大山さんは止まるの?!)

「さよう。我が国の顔に泥を塗ったのですから、ここは世界も巻き込み、ルーマニアに武力による制裁を……」

 愕然とする私の耳に、児玉自動車学校の校長として日本の諜報に携わっている児玉源太郎さんの声が届いたその時、

「卿らに質問してもよいか?」

今まで黙っていたお上が口を開いた。一斉に頭を下げた梨花会の面々に対して、

「卿らは、世界の民が平和に暮らせることと、我が国が国家として面目を保つことと、どちらが大事か?」

お上はこう問いかけた。

「「「……っ?!」」」

 牡丹の間の空気が、突然重くなったのが分かった。下げた首筋に、日本刀の刃がピタリと当てられているような重圧に襲われた私は、息をしているのがやっとだった。

「卿らは梨花叔母さまを暗殺しようとしたからと憤り、ルーマニアに戦争を仕掛けようとしているが、それは日本とルーマニアの軍隊のみならず、ルーマニアの無実の国民たちをも理不尽に殺傷する行為である」

 沈黙の中、お上は淡々と、私たちに向かって話す。その声に含まれる厳かさに打たれたのか、先ほどまで怒りの声を上げていた梨花会の古参の面々も、お上の声を遮ることができない。

「そして、場合によっては、日本とルーマニアの軍隊やルーマニアの国民たちのみならず、全世界の軍隊、全世界の国民を、己の人生を理不尽に刈り取られてしまうという恐怖にさらすことになる。その事態に陥ることを恐れ、叔母さまはヴェニゼロスをドイツに始末させることで手打ちにしたいとおっしゃっているのに、卿らはいたずらに事を大きくしようし、数多の民を殺傷しようとしている」

(た……確かにそうなんだけど……)

 私も先ほど、似たようなことをこの牡丹の間で言った。けれど、私の言葉に、こんな重みはなかった。どうして、私が言うのとお上が言うのとで、言葉に伴う重みがこのように違うのだろうか。

(これが、天皇……)

「戦争という暴力的な手段に訴えることなく、梨花叔母さまがおっしゃるように、ヴェニゼロスをドイツに始末させることで手打ちとし、事態の鎮静化を図って欲しい」

 お上の言葉に、

「……謹んで、仰せに従います」

と、私の義父の有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下が答えて深く頭を下げると、一同はそれに倣って一斉に最敬礼する。……こうなると、戦争をするという論は、完全に霧散してしまう。引き続いて行われた話し合いでも、話題はルーマニアにどう報復するかではなく、黒鷲機関に巻き込まれてしまったチャップリンさんをどうするかや、国民をどう鎮静化させるかなど、事態をいかに荒立てずに収めるかに終始した。

「すごかったわねぇ、お上……」

 臨時梨花会が終わり、お上が牧野さんと鈴木侍従長を従えて牡丹の間を後にすると、私は言った。

「ええ」

 大山さんも、私の言葉に応じて頷く。

「歴代の天皇が、天皇陛下とともにその場にいらっしゃるような……そんな威厳を感じました」

「大山さんの言う通りだわ。普段のお上からは想像できない……」

 私が2、3度首を横に振って大山さんに言うと、

「うむ、わしらの教育は、間違っていなかった」

かつて、東宮御学問所総裁としてお上の教育にあたった伊藤さんが、しみじみとした口調で述べた。

「元から、天皇陛下は帝王としての良き資質をお持ちでしたが、それがわしらの教育によって磨かれ、開花したのです」

「さっきまで滅茶苦茶過激なことを言ってたのに、何ですか、急に……」

 私が呆れながらツッコミを入れると、

「よいではないですか。わしは今回の騒動を通じて、改めて天皇陛下の素晴らしさを実感したのです」

伊藤さんはしれっと私に言ってのける。

 すると、

「それだけではありませんよ」

私の義父が横から会話に加わった。

「御学問所卒業の際の巡航でも、世界一周をなさった折も、天皇陛下は寸暇を惜しんで学問に励まれておられました。天皇陛下ご自身が、常に己を鍛えることを意識なさっておられる……そのことも、天皇陛下を良き帝王たらしめているのでしょう」

「うむ、それは確かに、有栖川宮殿下のおっしゃる通り」

 伊藤さんは深く頷くと、

「いずれにしろ、我が国は維新以来、常に良き天皇に恵まれております。それは我が国の国民にとって幸せなことです」

と嬉しそうに言った。そして、

「更に、その良き天皇を、前内府殿下が常に支えておられる。これもまた、我が国の国民にとって幸せなことです」

伊藤さんは胸を張ってこう続ける。

「それは過大評価ですよ。確かに大正の間は、私、ずっと内大臣でしたけど、お父様(おもうさま)のことは全然助けてないし、お上は私が助けなくても立派に政務をしているし……」

「なにをおっしゃいますか。前内府殿下が時折政務に立ち会われるからこそ、天皇陛下はご安心なさって、より一層政務に励めているのです。それに、前内府殿下がお持ちの“史実”の記憶は、明治天皇陛下を大いに助けたのですぞ」

 戸惑う私に伊藤さんは力説すると、

「それに、前内府殿下のご聡明さ、美しさ、愛らしさは、明治天皇陛下の御心を癒したのです。“史実”ではお子様方にほとんど愛情をお示しにならなかった明治天皇陛下が、前内府殿下にご愛情をお示しになったのをきっかけに、上皇陛下や他の内親王殿下方にも、父親として愛情をお示しに……」

と、更に語気を強めて言う。

「それ、お父様(おもうさま)が、この時の流れでは子供に接する機会が多かったから、何とか愛情を示せるようになっただけですよ。だって、お父様(おもうさま)、不器用だったし……」

「しかしそれでも、お子様方と接する機会がこの時の流れで多くなったのは、前内府殿下がいらっしゃったからでしょう」

 反論する私に伊藤さんは食い下がると、

「なぁ、大山さん、大山さんもそう思うじゃろう?」

私の隣に立つ大山さんに助勢を求めた。けれど、大山さんは伊藤さんに応じない。

「大山さん?」

 不自然な間に訝しく思った私が振り向いた瞬間、

「有栖川宮殿下……?」

大山さんは少しだけ首を傾げて呟いた。

(え?)

 私は慌てて、義父のいる向かいの席を見た。椅子を引いて立ち上がっている義父の顔色は青白い。立ち上がった次には、椅子を机の下に入れる動作をするはずなのに、義父は動く気配を見せない。立ったまま、何かに耐えているようにも見える。

(どうしたのかしら、何か、手伝う方が……)

 私がそう思った刹那、立っていた義父の身体が、その場にゆっくりと崩れ落ちる。

「お義父(とう)さま?!」

 私は義父のそばへと全速力で駆けた。

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う〜ん、しぶとく生き残ってる元勲爺集団よりも早くに大重鎮皇族の悪戯好きなイケメン殿下の方が先に限界を迎えそうな展開って・・・・ ってか、殿下って古希ですよね? 平然と米寿をシレッと踏み越えてる爺集…
栗鷲機関 本当に本国は何も知らなかったんですかねえ? バカイザーはともかく、政府トップは黙認してたんじゃ? 梨花様がいなくなれば、バカイザーの目が覚め、軍拡が再開できるとか、あわよくば戦争が出来るとか…
また一人旅立つのか?
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