戦に(1932)しないで!五・一五(1)
1932(昭和4)年5月14日土曜日午後2時、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「それでは、本日の梨花会を始めます」
今日は5月の第2土曜日、定例の梨花会の開催日である。ただし、出席者一同の雰囲気はとてもピリピリしていた。司会を務める内閣総理大臣の桂太郎さんの声も緊張している。無理もない。だって明日、1932年5月15日は、“史実”で五・一五事件が発生し、時の内閣総理大臣が暗殺された日なのだから。
この時の流れでは、“史実”の事件と対応するような事件が度々発生している。例えば、“史実”で伊藤さんの暗殺事件が発生した時には、朝鮮統監だった袁世凱が、“史実”で伊藤さんを暗殺した安重根によって殺された。“史実”とこの時の流れで発生していることが違っていくにつれ、“史実”と対応する事件が発生することは少なくなっているけれど、念には念を入れ、五・一五事件に相当する事件は発生させない方がよい。というわけで、今日の梨花会は、五・一五事件に相当する事件を発生させないための最終打ち合わせとなった。
「まず、斎藤と五十六の記憶によると、“史実”の五・一五事件で標的にされたのは内閣総理大臣官邸、内大臣官邸、立憲政友会本部、三菱銀行本店、警視庁、そして東京市内に電力を供給する6つの変電所であります」
桂さんは資料を片手に説明を始めた。
“史実”の五・一五事件は、海軍青年将校が陸軍士官学校の生徒や私塾の塾生などとともに起こしたクーデター事件である。桂さんが先ほど述べた場所が襲撃されたけれど、このうち最も大きな被害が出たのは、当時の内閣総理大臣・犬養毅さんと巡査1人が死亡し、更に別の巡査が負傷した総理大臣官邸だろう。けれど、総理大臣官邸はもちろんのこと、他の襲撃場所でも事件が発生したら大変なことになるので、五・一五事件の標的となった場所は警察、そして中央情報院の手で厳重に警備されることになっていた。ちなみに、この時の流れでは立憲政友会は存在しないので、“史実”の立憲政友会と比較的近い歴史を持つ野党・立憲自由党の本部、そして、与党・立憲改進党の本部も両方警備される。
また、建物が傷つくのはもちろんだけれど、要人が死傷することも絶対に避けなければならない。桂さん、そして内大臣の牧野伸顕さんは、明日から明後日は宮中にずっと待機することになった。これは、「桂総理と牧野内府をここで喪うわけにはいかないからね」というお上の意向による。そして、梨花会の他の面々はと言うと……。
「“史実”の立憲政友会に相当すると思われる立憲自由党、わたしはその総裁でございます。ですから、わたしも命を狙われる危険があります」
桂さんからの説明がある程度終わると、原さんが立ち上がって一同に訴えた。
「ええと、確かに、犬養さんはその当時、総理大臣で、なおかつ立憲政友会の総裁であったわけですが……」
原さんの勢いに押されながら応じた斎藤さんに、
「つまりは、”史実”の犬養さんは、その政党の領袖であったからこそ襲撃されたということではないですか?」
原さんは鋭い視線を投げながら問う。斎藤さんが一瞬言葉に詰まると、
「ですからわたしは今回の事件に対し、安全な場所に避難して身の安全を図りたいと考えています。……恐れながら、前内府殿下のお住まいである盛岡町邸は、“史実”では存在しない建物でありますから、襲撃される恐れは少ないと考えられます。そして、中央情報院の赤坂分室も設置されていますから、守りは万全でございます。……前内府殿下、お願いでございます。どうか明日、わたしを盛岡町邸でお守りください!」
原さんは一気にこう言って、私に向かって最敬礼した。
「いや……そう言われても、盛岡町邸の主人は私じゃなくて栽仁殿下だから、私の一存では決められないんですけど……」
私が戸惑いながらも原さんに答えた瞬間、
「聞き捨てならないね」
横合いから声が飛んできた。元内閣総理大臣で枢密顧問官でもある陸奥宗光さんだ。顔を僅かにしかめた原さんに、
「現総裁である原君に暗殺される危険があるならば、立憲自由党の元総裁である僕にも、暗殺される危険があるでしょう」
と陸奥さんは言い放つ。
「何をおっしゃいますか、陸奥閣下。狙われる可能性があるのは、あくまで現役の総裁だけで……」
反論する原さんを完全に無視し、陸奥さんはクルリと私の方を向くと、
「ですから前内府殿下、明日は是非、僕を盛岡町邸にかくまってください。僕ならば、前内府殿下のお話し相手も務められますし」
なぜか笑顔で私に言う。けれど、陸奥さんの両眼の底に鬼火がちらついているのに、私は気が付いてしまった。
と、
「ちょっと待っていただきましょうか」
陸奥さんの斜め前に座っている貴族院議員の西園寺公望さんが陸奥さんを睨みつけた。
「元総裁の陸奥さんに暗殺の可能性があるのならば、同じく立憲自由党の元総裁である僕にも暗殺の可能性があるはずです。それに僕は“史実”でも、立憲政友会の総裁を務めたことがあるそうではないですか。……いかに盛岡町邸が広いと言っても、何人も客人を泊める余裕はないはず。ここは陸奥さんより、僕が盛岡町邸で守られるべきでしょう」
「は?」
この人たちは、一体何を言っているのだろう。思考が停止した私の耳に、
「ええい、黙って聞いておれば……!」
という怒りの声が届く。見ると、阿修羅のような形相をした伊藤さんが、椅子から立ち上がって一同をねめつけていた。
「“史実”の立憲政友会の初代総裁は、何を隠そうこのわしじゃ!狙われる大元の団体を作ったのであるから、このわしが暗殺犯に真っ先に狙われることは間違いない!ですから前内府殿下、明日はどうかわしを盛岡町邸にお招きください!」
(えーと……)
「伊藤閣下、何をおっしゃっておられるのですか!失礼ながら、閣下は“史実”では、この時期既に亡くなっておられるでしょう!それに、閣下は枢密院議長なのですから、常に護衛の警官がついているではありませんか!わざわざ盛岡町邸にお入りになる意味は薄いとわたしは考えます!」
「だったら原君も、立憲自由党の本部に立て籠もっておればよいではないか!明日は本部に、いつもより多数の警官がいるのだから!」
全く反応を示せなくなった私の前では、原さんと伊藤さんが唾を飛ばして言い争っている。
「ということは、僕が盛岡町邸に入ることで決まりですな。万智子女王殿下の手料理、楽しみにしておりますよ」
更には、言い争う原さんと伊藤さんの間に座る西園寺さんが、こんなことをしれっと言い放っており、
「西園寺さん、あなたは万智子女王殿下のお料理を汚すつもりですか?万智子女王殿下のお料理は家庭料理の最高峰、あなたの持つおぞましく肥えた豚のような舌では到底評価し得ない繊細な作品なのです」
陸奥さんはそんな西園寺さんを挑発する。牡丹の間は混沌としていた。
「原総裁も、伊藤閣下も陸奥閣下も西園寺閣下も、一体何をやっているのか……」
末席では、立憲自由党幹事長である横田千之助さんが、深い深いため息をついている。
「斎藤閣下、“史実”での立憲政友会の総裁ということになると、高橋閣下も該当するのですが……」
「確かにその通りだが……五十六、お前は大嵐の中に、飛行器で突っ込んでいく勇気はあるか?」
“史実”の記憶を持つ山本五十六航空大佐と斎藤実参謀本部長は、暗い顔で囁き交わしている。
「くそっ、立憲自由党がうらやましい……!」
「我輩も、国会議員であれば……!」
そして、司会役の桂さんと内務大臣の後藤新平さんは、なぜかこの光景を見ながら悔しがっていた。
(これ、どうしたらいいのよ……)
この惨状をどうやって収めればいいのか、私がようやく検討しようとした瞬間、ものすごく嫌な感覚が私の全身を襲った。これは、大山さんのフルパワーの殺気だ。牡丹の間は途端に静まり返った。かわいそうに、梨花会に入ってまだ日が浅い横田さんと町田さんが、大山さんを見つめながらガタガタ震えていた。
「大山さんの殺気を浴びたのは久しぶりね」
私は我が臣下の方を振り向くと、
「でもさ、ビックリしてる人もいるし、静かになったから、殺気はしまってちょうだい」
と彼に命じた。
「仕方ありませんな」
大山さんの返答とともに、彼の身体から放たれていた殺気が消えていく。牡丹の間に張り詰めていた緊張の糸が解けたところで、
「とにかく、栽仁殿下の許しが無いと、盛岡町邸に人をお招きすることはできませんから、盛岡町邸に来ていただいてもいいかどうかは、明日の朝、原さんたちに連絡しますね」
と私は事務的に告げた。帰ったら、一応栽仁殿下に事情は話すけれど、お客様は招かない方向で話をまとめて、“やっぱりお招きはできません”と、明朝、言い争っていた4人に伝えればいい。私はこう考えていたのだけれど、
「全員お招きすればいいではないですか、嫁御寮どの」
思わぬ方向から声が掛かって、私は身体を強張らせた。見ると、私の向かいに座る義父・有栖川宮威仁親王殿下が、私に笑顔を向けている。
「お、お義父さま、全員をお招きするのは難しいですよ。五・一五事件が“史実”で発生したのは、夕方から夜にかけてです。場合によっては、お客様たちにお泊りいただかないといけませんけれど、盛岡町の家の客室は2つしかありません。皆さまに1部屋ずつあてがうのは難しいですよ」
面倒なことになってしまった。私は必死に義父の意に抗おうと試みて、もっともらしい理由を作ってみたけれど、
「相部屋にすれば済むことではないですか。……皆さんも異論はないでしょう?」
義父は私の理論を粉砕しつつ、“盛岡町邸に招かれたい”と主張する4人に呼び掛けてしまう。
「もちろんでございます!」
「ええ、全く問題はございません」
「是非、お邪魔させていただきたいと存じます」
「無論、わしは大歓迎ですぞ!」
原さん、陸奥さん、西園寺さん、伊藤さんが同時に義父に答える。
(何で意見が一致するんだよ……)
私は両腕で頭を抱えたいのを必死に我慢した。
「決まりですね」
満足げに頷いた義父は私を見ると、
「嫁御寮どの、明日は盛岡町の家にこの方々をお泊めするのですよ。栽仁には私からも言っておきますから」
真面目な表情になって最終通告をする。
「はい……」
いくら盛岡町邸の主が栽仁殿下であると言っても、有栖川宮家の当主である義父の意向に逆らうことはできない。私は渋々了承の返事をするしかなかった。
1932(昭和4)年5月14日土曜日午後9時10分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸の居間。
「……というわけよ」
横須賀の“金剛”から盛岡町の家に戻ってきた夫の栽仁殿下に、私は今日の梨花会であったことを話し終わると両肩を落とした。
「だから、明日の午後4時ぐらいに、伊藤さんと陸奥さんと西園寺さんと原さんが盛岡町邸に来て、1泊してく。お義父さまの言うことだから逆らえなかった。ごめんね」
「ううん、大丈夫だよ。気にしないで」
私の謝罪に、栽仁殿下は快く応じてくれた。それを見ると、張り詰めていた気持ちが一気に緩み、私は「ふぁ……」とあくびをしながら、座っていたソファーの上で大きく伸びをした。
「今日は疲れた。本当に疲れたわ。ルーマニアの仮面の人の正体がわかった時も、兄上や梨花会の面々の暴走を止めるので疲れたけどさ、今日はその時並みに疲れたわ。何であの人たち、私が絡むと変な方向に走り出すのよ……」
私がため息をつきながら愚痴ると、
「梨花さんが可愛くて仕方がないからだよ」
夫はサラっと答え、私に笑顔を向けた。
「可愛いと思うなら、もっとまともな方法で可愛がって欲しいよ」
私は夫に言い返すと口を尖らせる。それを見た夫はクスっと笑い、私に身体を寄せると私の頭を優しく撫でた。
「ところで、梨花さん。明日銀座であるチャーリー・チャップリンの活動写真上映会には行くのかい?」
私が落ち着いたのを見ると、栽仁殿下は私にこう尋ねた。
「どうしようかしら……」
私は宙を睨んで考え込む。
チャーリー・チャップリン。“史実”でも有名な俳優・コメディアンである。この時の流れでも彼は俳優として有名で、1年以上にわたる世界旅行の途中、今月の2日から日本に滞在していた。そんな彼が、自分が出演している活動写真を、銀座の活動写真館で日本の政財界の大物たちを招いて上映するイベントが、明日正午から行われる。その催しに私も栽仁殿下も招待されていた。
「チャップリンは、私の前世の記憶にあるほど、“史実”でも有名な俳優だからね。1度間近で顔を見てみたいのだけれど、上映される活動写真が、栽さんや兄上と一緒に観たことのあるものばかりなの。だから、退屈かなぁと思って」
「確かにそうだ」
栽仁殿下は私が手に持っている紙を覗き込んで苦笑する。それはチャップリンさんが私たち夫婦に出した招待状で、中には英語で活動写真のタイトルがいくつか書かれていた。
「それにさ、明日は、状況の展開によっては戒厳令が出るかもしれないって今日の梨花会でも言われた。もし戒厳令が出たら、栽さんは横須賀にすぐ戻らないといけないでしょ。まぁ、戒厳令が出なくても、栽さんは夕方には東京を出ないといけないけどさ……」
私が呟くように言うと、
「戒厳令が出なかったら、明日も盛岡町に泊まるよ」
栽仁殿下は私にこう答えた。
「へ?何で?」
「何で……って、決まってるじゃないか。梨花さんを守るためだよ」
間抜けな返し方をした私に、栽仁殿下は真剣な眼差しを向けた。
「ちょっと、栽さん。もし五・一五事件が起こったとしても、私が狙われることはないわよ。そもそも、血盟団事件だって起こらなかったから、五・一五事件が起こる確率だって低くなってるし……」
笑って否定する私の右手を掴むと、「それでも、だよ」と栽仁殿下は言った。
「いくら梨花さんが“史実”と違った存在になっているとしても、梨花さんが日本で……いや、世界で重要な人物の1人であることは事実なんだ。それに、どこかで事象がねじ曲がって、梨花さんが狙われてしまうかもしれない。……それで梨花さんを喪ってしまったら、僕は後悔してもしきれない。だから、明日は梨花さんをそばで守らせて」
「栽さん……」
栽仁殿下は私の手を掴んだまま、じっと私を見つめている。その真っ直ぐな眼の光に打たれた私は、「分かったわ」と頷いた。
「でも、私の身代わりに死ぬなんて馬鹿なことはしないでね。誰かに殺されそうになったとしても、一緒に生き残ろう」
「そうだね。僕も十分に気をつけるよ」
栽仁殿下は私の手をもう一度強く握ると、「そろそろ、お風呂の支度をしてもらおうか」と言い、ソファーから立った。そして、お風呂に入った後、私は栽仁殿下と一緒に、午後11時ごろに就寝したのだけれど……。
「……若宮殿下!妃殿下!」
……激しいノックの音とともに、我が家の別当・金子堅太郎さんの声が聞こえてきたのは、正確には何時のことだったのか、私は記憶していない。自分では、ベッドに入ってから2時間は寝たと思っていたのだけれど、後から聞くと、ちょうど日付が変わったころだったようだ。とにかく、ドアの外から響く大きな音で、私も栽仁殿下も目を覚ました。
「金子さん、入って来てください」
いち早くベッドの上に身体を起こした栽仁殿下が、ドアに向かって呼びかける。私が眠い目をこすりながら起き上がった時、金子さんが寝室に入ってきた。
「どうしました?」
私が軍医として働いていたころは、年に1度ほど、夜間の緊急呼び出しでこのように起こされたことがあった。ただ、内大臣だった時はこういうことはほとんどなかったし、内大臣を辞めてからは、夜中に起こされることはなかった。栽仁殿下の声が若干尖ってしまったのも無理はないだろう。けれど、金子さんはそれを気にする余裕もなく、大きな声で私たちにこう告げた。
「申し上げます。数時間前、品川町の警察に保護を求めてきた女権縮小を主張する政治団体・剛毅塾の構成員を尋問したところ、本日、5月15日に妃殿下を暗殺する計画が進行中であることが判明しました!」
「…………は?」
私はベッドの上で首を傾げた。
これが、私の人生で1、2を争うほど騒がしい日、1932(昭和4)年5月15日の幕開けのファンファーレだった。




