1932(昭和4)年のお正月
1932(昭和4)年1月4日土曜日午後2時40分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
(今年も捕まってしまった……)
盛岡町邸本館1階にある食堂。若草色の白襟紋付を着て椅子に座っている私は、周りにいるお客様たちに気づかれないようにこっそりため息をついた。今、私と栽仁殿下と一緒に食堂にいるのは、私の頼れる弟分でもあり、栽仁殿下が子供時代を一緒に過ごした親友でもある宮家の当主たちだ。彼らは毎年、お正月の3が日のどこかで、示し合わせてこの盛岡町邸にやって来て、栽仁殿下と長い時間話していく。私は朝から多数のお客様を捌いて疲れていたので、長女の万智子と一緒に彼らにコーヒーとカステラを出したら、自分の書斎で休んでいようと思っていたのだけれど、食堂を出ようとしたら彼らに呼び止められてしまい、今年も弟分たちの長話に付き合うことになってしまった。
(みんな、成長したわねぇ……)
それぞれの子供たちの近況を交換し始めた栽仁殿下たちを見ながら、私は紅茶を一口飲んだ。彼らのことは、小学校低学年だったころから見知っているけれど、学習院の制服を着たちびっ子時代の彼らと今の彼らを比べると、雲泥の差がある。
私の夫の栽仁殿下は、現在、装甲巡洋艦“金剛”の航海長。
栽仁殿下と同じく海兵中佐である東小松宮輝久王殿下は、“金剛”と同じ第1艦隊に所属する装甲巡洋艦”榛名“の航海長。
北白川宮成久王殿下は、近衛野砲兵連隊付の砲兵中佐。ちなみに彼は、“史実”では1923年にフランスで交通事故に遭い亡くなっているけれど、この時の流れでは梨花会の面々が介入した効果もあり、事故死することなく生存している。
朝香宮鳩彦王殿下は歩兵中佐で、現在は国軍教育総監部の課員だ。
東久邇宮稔彦王殿下も歩兵中佐で、国軍参謀本部の部員の1人である。上司である参謀本部長の斎藤実さんによると、“史実”以上のやり手になっているらしい。
以上5人に、国軍軍医学校校長事務取扱である私……。傍から見れば、中堅どころの皇族が集まって難しい話をしていると思われるだろう。けれど、話している内容には他愛もないことも混じっているし、よく観察していると、幼いころの口調や癖がそのまま残っているところも見受けられるので、私としては、幼いころのじゃれ合いの延長としか思っていなかった。
と、
「そう言えば姉宮さま、鞍馬宮殿下のところの詠子さまが、“幼年学校に進学したい”と言ったのを姉宮さまが止めたっていうのは、本当ですか?」
国軍参謀本部の一員である稔彦殿下が私に話を振った。
「うん、本当だけど……どこで聞いたのよ、それ。詠子さまのお嫁入りに悪い影響が出るかもしれないから、私、余り広めてなかったのよ」
軽い抗議の意を込めながら確認すると、
「斎藤閣下ですよ。先日、ぼやいていらして」
稔彦殿下はこう答えた。「“前内府殿下が止めて下さったから今回は何とかなったが、華族女学校卒業後に士官学校に進学したいとおっしゃった時のために、今から制度を整えるべきなのか……”って」
「士官学校に入学?軍医学校や看護学校じゃなくて?詠子さま、一体どの兵科を選ぶつもりだったんですか、姉宮さま?」
鳩彦殿下の質問に、私が力無く「騎兵よ……」と答えると、私から事の顛末を以前に聞かされていた栽仁殿下以外の王殿下たちが「何?!」「な、なんだってー!」などと驚愕の声を上げた。
「き……騎兵って、馬術ができないと話にならないけど、詠子さま、馬術はできるんですか?!」
驚きつつも何とか問いを発した成久殿下に、
「それができるのよ。私もこの間、初めて知ったんだけど」
私はため息とともに教える。
「聞いた時は半信半疑だったんだけど、先月だったかな、兄上が赤坂御用地の馬場でひき馬に乗るのに付き合ってたら、詠子さまが馬に乗って馬場に出てきて……。全く危なげなく馬に乗っていてね。兄上が、“身体が自由に動いたころの自分に匹敵する技量を持っている”って言ってたけど、本当にその通りだと思ったわ」
「うへぇ、そうなのか……。でも、女子が前線勤務っていうのは、体力的に厳しいよなぁ……」
輝久殿下がそう言って両腕を組んだ時、
「いや、意外といけると思うぜ」
と稔彦殿下が言い出した。
「は?!何で?!」
「それって、どういうことだい?」
私と栽仁殿下が同時に聞くと、
「いや……戦場で馬を使う頻度って、確実に減ってるんです」
稔彦殿下は私の方を向いて説明しだした。
「機械化がだんだん進んでいるから、騎兵の任務の大半は、自動車や自動二輪に乗った歩兵や、戦車部隊で事足りるようになってきているんです。偵察任務も、飛行器や自動二輪でほぼ何とかなります。あとは、悪路を越えての偵察任務に出番があるくらいじゃないかなぁ」
「確かに……」
私は、去年の秋に陪観した国軍大演習の様子を思い出した。戦場では、自動車や自動二輪が活発に動いていたけれど、騎馬は陪観の将官たちが乗るもの以外はほとんど見かけなかった。
「ただ、即位礼の行列とか、国葬の葬列とか、騎兵が出ないと見映えがよくない場面もあります。それを考えると、騎兵は最終的に、儀仗兵のような役目を果たすだけになると思います。そうなると、騎兵は医師や看護師と同じように、後方勤務と見なされるようになるんじゃないかなぁ」
「なるほど」
私の隣で栽仁殿下が頷く。「海の上ばかりにいると、どうしても陸や空の視点が欠けてしまう。常に別の視点を取り入れられるように努力しないとね」
「別の視点……」
そう呟いた成久殿下が、「そう言えば」と言って一同の顔を順々に見ると、
「ヨーロッパの造船会社が、巡洋艦の売り込みを国軍にかけてきてるって聞いたんだけど、本当なのか?聞いた時、突拍子もない話だと思ったから、ここの面々の意見を聞いてみたいんだけど」
と尋ねた。
「ああ、事実だよ」
鳩彦殿下がサラっと答える。「イギリス、フランス、ドイツ……この3か国の造船会社が営業してきたという話だ。もちろん、昔ならともかく、今の我が国では、巡洋艦は全て自前で建造できるから、丁重にお断りしたそうだが」
「ドイツもか。図々しいなぁ。金剛型代艦の缶とタービンの図面を盗もうとしたのに、それを知らないふりして営業してきたのか」
輝久殿下が憤然として感想を述べるそばで、
「軍縮条約のことを考えると、今、巡洋艦を増やし過ぎるのは危険ねぇ」
と私も顔をしかめた。
「再来年の軍縮会議には、補助艦……つまり排水量1万トン以下の軍艦の保有制限を議題に取り上げたいと私もお上も思っているの。どんな結果になるかは分からないけれどね。ただ、もし、補助艦の保有制限が各国に掛けられることになったら、外国の口車に乗せられて購入した新品の巡洋艦がすぐにスクラップ行きになることも考えられるわ」
「そうなれば、国家財政に無視できない損害が生じる。国民の士気だって下がるし、政府を批判する者も増えるだろう。我が国にとっていいことは1つもない」
私に続いてそう言った稔彦殿下は、
「しかし、巡洋艦だけではないのです、姉宮さま。イギリス・ドイツ・フランスの造船会社の中には、軍縮条約は再来年の会議の結果破棄されるであろうから、と喧伝して、我が国に主力艦を売りつけようとするところもあるんです」
と声を潜めて言う。
「しかも、4万トン、5万トンクラスの戦艦をですよ」
更に稔彦殿下が続けると、
「それ……日本がそんな軍艦を保有して意味があるのか?」
成久殿下が眉をひそめた。
「無いよ」
輝久殿下が尖った声で断言すると、
「金剛型代艦の最大速力が34ノット……船体を大きくしたら、その速度に追いつける軍艦にするのは大変になる。飛行器の爆撃のいい的だよ」
「飛行器と、それに搭載する爆弾は進化しているからね。戦艦を1発で大破させられるような爆弾だって出てきているんだ。主力艦と補助艦の役目は、敵の飛行器と潜水艦から、味方の航空母艦を守ることだ」
鳩彦殿下と栽仁殿下が目を怒らせて次々に言う。
すると、
「そこで“宮様ソナー”の出番ってわけだ」
成久殿下がやや茶化したように言った。「そのうち、“宮様レーダー”もできるのか?」
「もちろんだ。うちの多喜子に不可能なことなどない!」
成久殿下の言葉を受けた輝久殿下が胸を張る。“二八式水中探信儀”……通称“宮様ソナー”を開発した輝久殿下の妻で私の妹・多喜子さまは、現在、酒田にある東北帝国大学工科大学に赴き、電波探信儀……レーダーの研究を行っている。“史実”の記憶を持つ山本五十六航空大佐が、“こんな性能のいいソナーは見たことがない”と感嘆した“宮様ソナー”は、今や日本の国防に欠かせない装置となっていた。
「輝久と栽仁の言葉を聞いて安心したよ」
稔彦殿下はほっとしたような表情になった。「海兵の現場がその認識なら安心だ。これなら、外国の造船会社の口車に乗せられることもないだろう。しかし、現場を離れて参謀本部にいると、妙な戦術の話ばかり聞こえてきてなぁ……。この間は、要塞の壁を破壊するために、巨大な糸巻型の円筒に火薬を詰めた新兵器を自走させて、壁にぶつけて破壊してやろう、なんて戦法が真面目に議論されてて……参ったよ」
「おいおい、そんなの、どうやって自走させるんだ?」
呆れた顔で質問した成久殿下に、
「外側にある車輪に小さな固形燃料ロケットをたくさんつけて、それで進ませる、って考えた奴は言ってたけど……そんなもん、絶対制御できないだろ」
と答えた稔彦殿下はため息をつく。
「それ、何らかの制御装置がないと絶対無理でしょ……。コントロールを失って自陣地に向かってきたらどうするのよ……」
「しっかりしろよ、参謀本部……。何でそんな発想が出てきたんだよ……」
私と輝久殿下が口々にツッコミを入れたその時、
「ああ、栽仁も嫁御寮どのもここにいましたか」
食堂の入り口の方から、この場にいないはずの人物の声が聞こえた。慌てて振り返ると、食堂のドアの前には私の義父・有栖川宮威仁親王殿下が、灰色の背広服を着て立っている。私たちは慌てて椅子から立ち上がり、義父に向かって一斉に頭を下げた。
「出迎えもせず申し訳ございません、父上」
一同を代表するような形で栽仁殿下が言うと、
「構わないよ。自動車の初乗りのついでに寄っただけだから」
と義父は応じ、食堂の中を見回して、
「お客様方がいらしているところ、邪魔をしたね」
と続ける。成久殿下をはじめ、王殿下たちは緊張した表情で義父を見つめている。何せ、我が義父は、男性皇族の最長老で、海兵大将である。お父様、兄、そしてお上と3代の天皇に仕え、それぞれの信頼を得ている義父は、皇族の重鎮なのだ。
と、
「どれ、せっかくだから、私もお客様方と一緒に、嫁御寮どのをからかって遊ぼうかな」
義父がそう言いながら、私と栽仁殿下の方へ歩いてきた。私と夫は素早く移動して、食堂の一番上座にある椅子を空けた。
「あの、お義父さま……私たち、かなり真面目な話をしていたんですよ」
椅子に座り直した私が目を怒らせると、
「では、雰囲気を変えて、楽しいことをしてもいいではないですか」
義父は私を見てニヤリと笑う。
(こ、こいつ……)
相手が義父でなければぶん殴っているところだけれど、そういうわけにはもちろんいかない。義父が満足して霞ヶ関の本邸に帰るまで約1時間、私は義父と、悪乗りした成久殿下たちに散々からかわれることになった。




