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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第86章 1931(昭和3)年処暑~1932(昭和4)年立夏
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後に続く者

 1931(昭和3)年11月25日水曜日午後3時30分、赤坂御用地内にある仙洞御所。

「いやー、やっぱり熊本城は最高だったわ!」

 仙洞御所内にある兄の書斎。いつもの通り兄と節子(さだこ)さまの診察を終えた私は、2人と一緒にお茶をいただいていた。

「地方に行く機会がある役職に就いてよかったわ。だって、地方にある城郭の遺構を見学できるんだもの。熊本城は9年ぶりだったけど、前に見学した時と変わらなくて、本当に素晴らしかったわ!」

 満足げにこう言った私に、

「お前なぁ……。特別大演習を陪観した人間の感想とはとても思えないぞ」

兄が眉をひそめて応じる。

「そこは本来なら、演習に参加していた師団の動きや、導入された新技術に関しての感想が出るべきだろう」

「いいじゃないですか、嘉仁(よしひと)さま。梨花お姉さまらしくて」

 兄の隣に座る節子さまが、クスクス笑いながら兄をなだめた。

「あのね、兄上。私だって、ちゃんとやってたわよ。演習は真面目に見学したし、お(かみ)田原坂(たばるざか)近辺にある西南の役の犠牲者の墓地にお参りするのにも付き従って、一緒に犠牲者たちの冥福を祈ってきた。だけど、私、真面目なことばかりしていたら疲れるし……それにね、これは相手が兄上と節子さまだから言ってるのよ!」

 それに力を得た私が兄に言い返すと、

「だろうな」

兄は私に応じて、顔に苦笑いを浮かべた。

 今月の9日から、私は毎年恒例の国軍特別大演習を陪観するため、熊本県に出張していた。それでしばらく東京を離れており、今日は3週間ぶりに仙洞御所を訪れた。兄と節子さまの診察を終えると、私と兄と節子さまは兄の書斎に集まって、会えなかった間、お互いの身に起こったことについて喋っていたのだ。

 と、

「ところで梨花、熊本方面の農作物、特に米の収穫はどうだ?」

兄が真面目な表情になって私に尋ねた。

「悪くはないって感じみたいね。去年より収穫量は少ないけれど、去年は豊作だったからさ」

 私は大演習の時にお上から聞いた情報を兄に披露する。それに「そうか」と頷いた兄は、

「問題は東北と北海道だな。冷害で米の収穫量が落ちてしまって……」

と心配そうに言う。

「私が転生したって分かったころから、寒さに強い品種の開発に力を入れて、冷害に備えていたけれど、それでも、今年の東北・北海道での米の収穫量、例年の6割くらいだったからね……」

「斎藤参謀本部長によると、“史実”では、北海道では例年の3割以下、青森では例年の半分以下の収穫量しか得られない農家が25%ほどあったというから、“史実”よりはましなのだろうが、それでも凶作は凶作だ。裕仁(ひろひと)も、いろいろ手を打っているようだが……」

 私の言葉に応じて話していた兄は、ふっと顔をしかめる。そして、書斎のドアに視線を投げると、

甘露寺(かんろじ)、どうした?」

とドアの向こうに問いかけた。すると、

「……こっちがドアをノックする前に声を掛けるの、やめてもらえませんかねぇ」

ドアが開いて、上皇侍従長・甘露寺受長(おさなが)さんが姿を現す。苦虫を噛み潰したような表情になっている甘露寺さんに、

「無理ですよ。嘉仁さまの勘が鋭いのは、甘露寺さんもご存知でしょう?」

節子さまが微笑しながら言う。「そりゃ、そうなんですけどね」と節子さまに返した甘露寺さんに、

「で、何の用でこちらに来たのだ?」

と兄が問う。

「そうでした。……鞍馬宮(くらまのみや)殿下と蝶子(ちょうこ)妃殿下がいらっしゃいまして、上皇陛下と皇太后陛下へのお目通りを願っておられます」

 甘露寺さんの答えを、私は少し訝しく思った。この9月に航空少佐となった私の弟・鞍馬宮輝仁(てるひと)さまは、平日は基本的に所沢の航空基地にいるはずだ。そんな彼がなぜ、水曜日に東京にいるのだろうか。

「兄上、節子さま、私、帰るわ。輝仁さま、私に聞かれたくない話をしたいのかもしれないし」

 私がこう言って椅子から腰を浮かしかけると、

「お待ちください、(さきの)内府殿下」

甘露寺さんが私を止めた。

「私、鞍馬宮殿下に、“前内府殿下がいらしていますので、少々お待ちいただくことになります”と申し上げたのです。そうしたら鞍馬宮殿下は、“それは承知している。前内府殿下にも話を聞いていただくつもりで仙洞御所に来た”というようなことをおっしゃったのです。ですから、前内府殿下はこちらにいらしていただくのがよろしいかと……」

「はぁ……」

 兄ばかりではなく、私にも聞いて欲しい話とは、一体何なのだろう。その思いは兄も同じのようで、

「どうもよく分からないな。俺にも章子にも聞いて欲しい話か。……とにかく、輝仁と蝶子をここに呼べ」

と首を傾げながら甘露寺さんに命じる。しばらくすると、甘露寺さんは輝仁さまと蝶子ちゃんを連れて兄の書斎に戻ってきた。

「久しぶりだな、輝仁も蝶子も。先月、顔を見せに来てくれて以来か?」

輝仁さまと蝶子ちゃんが私の隣に座り、お茶が改めて出されると兄は2人に声を掛けた。

「ああ、そうだね」

 頷いた輝仁さまは、「そんなことよりさ、大変なことが起こっちゃって……」と兄に縋るように話しかける。

「その“大変なこと”って何?私にも話したいなんて、よっぽどのことだとは思うけど……」

 私は弟に問いかけながら、蝶子ちゃんの様子をそっと窺う。彼女の表情は強張っている。その緊張は、兄と節子さまのそばにいるからという現況から来るものではなさそうだ。

「ああ、本当、前代未聞のことだぜ。だから俺、兄上にも(ふみ)姉上にも相談したくて、わざわざ今日休みを取って……」

 そう言った弟に、

「もったいぶらずに教えろ。一体何があったのだ?」

兄が少し苛立ちながら尋ねた。すると、

「あのな……詠子(うたこ)が、来年の夏の入学試験を受けて、幼年学校に入りたいって言い出したんだ」

と、輝仁さまは顔を強張らせて答える。

「は?!」

「何?!」

「ええ?!」

 私も、兄も節子さまも、一様に驚きの声を上げ、目を丸くしてしまった。


 幼年学校は、幼少期から幹部将校候補を育成するために設けられた、国軍の教育機関である。中学1年と2年の2回、受験機会がある。入学できれば、中学校を卒業してから士官学校に入学するよりも1、2年早く士官学校に入学できるので、幹部将校を目指す生徒には人気の進学先だ。しかし、もちろん、女子が進学することは想定されていない。

「えーと……輝仁、詠子は今、いくつだったかな?」

 驚きから何とか立ち直った兄が問うと、

「12歳だよ。今は、華族女学校の初等中等科の第3級だ」

輝仁さまは強張った顔のまま答える。つまり、詠子さまは今、私の時代で言うと中学1年生というわけだけれど……。

「幼年学校に入って……将来、どの兵科に進みたいなんてことは言ってるの?軍医とか、看護とか……」

 女性にも開放されている兵科を挙げて私が輝仁さまに聞くと、

「騎兵に行きたいって言ってる……」

輝仁さまは更に顔を強張らせて回答した。節子さまは「は?!」と叫んだきり動けなくなってしまい、私は机の上に突っ伏してしまった。

「確かに、詠子の乗馬の技量は他に抜きん出ているが……」

 そう言って大きなため息をついた兄に、

「え?!詠子さまって馬に乗れるの?!」

私は机に上体を伏せたまま視線を上げて問う。

「ああ。馬場でひき馬に乗っている時に、たまに一緒になるが……見事な腕前だぞ。この間は、赤坂御料地の(うまや)で1番の暴れ馬を平然と乗りこなしていた。あれは章子以上……いや、身体が自由に動いたころの俺に匹敵する技量だ」

(ウソだろ……)

 兄の答えに私が驚愕していると、

「で、でも……流石に、幼年学校に、女子が入学するのは無理でしょう?」

ようやく質問する気力を取り戻した節子さまが、輝仁さまに言う。

 すると、

「章子お義姉(ねえ)さまに頼み込んで、女子も幼年学校に入学できるように制度を変えてもらうと言っているのです……」

蝶子ちゃんが青ざめた顔で言った。

「章子お義姉さまがダメなら、天皇陛下に直訴して、制度を変えてもらうとも言っていて……」

(うわあああ……)

 蝶子ちゃんの言葉を聞いた私は、上体を机に伏せたまま両腕で頭を抱えた。

「それはまずいな……」

 兄は再びため息をついた。

「ですよね。いくらなんでも、お上に直訴なんて……」

 眉をひそめた節子さまに、

「いや、詠子さまならやりかねないわよ……」

私は答えながら、何とか上体を起こした。何せ、詠子さまは、お母様(おたたさま)大喪儀(たいそうぎ)の時、厳重な警備を突破して御召列車に侵入した前科があるのだ。お上への直訴ぐらい、平気でやってしまうだろう。

「ともかく、中学生くらいの年齢で、同性が全くいない環境で過ごすのは、成長する上でよろしくないわよ。何とかして、詠子さまを止めないと……」

 更に私がこう言った時、

「よし、章子、今から輝仁の屋敷に行って、詠子を説得してこい」

兄が突然私に命じた。

「何で私が?!」

 両目を剥いた私に、

「お前は国軍軍医学校の校長事務取扱……国軍の教育機関の長の1人ではないか」

と兄は言う。

「それに、詠子は、章子に頼み込んで幼年学校の入学制度を変えてもらう、と言っているのだろう?なら、章子が説得すれば、幼年学校への進学を諦めるのではないか?」

「諦めなくて、お上に直訴しに行っちゃう可能性も高いと思うけど……」

 私は兄に反論してみたけれど、兄は硬い視線で私を見つめ、無言で圧力を掛けてくる。

「……分かったわ。やるだけやってみるわよ」

 根負けした私はため息をつきながら頷くと、早速、輝仁さまと蝶子ちゃんと一緒に、鞍馬宮邸に向かった。

「章子……伯母さま、お久しぶりです」

 鞍馬宮邸にいた詠子さまは、私がやってきたと知ると自室から出てきて私を出迎えた。数か月会っていなかった間に、彼女の身長は私より高くなっていた。

「ええとね、あなたのお父様とお母様から、あなたが幼年学校への進学を考えていると聞いたのだけれど」

 私より3、4cmほど背が高くなった姪っ子にやや気圧されながらもこう言ってみると、「はい!」と元気よく返事をした詠子さまは、

「もしかして、伯母さま、私が幼年学校に入学できるように取り計らってくれるのですか?!」

と、両目を輝かせて尋ねる。

「その前に」

 私は咳ばらいをすると背筋を伸ばし、

「詠子さまが幼年学校に進学したい理由は何かな?あなたが幼年学校に進学したい理由が生半可なものだったら、私はあなたを応援できない。あなたが希望していることは、この国の制度を根本から変えることだからね」

わざと威厳のある声を作り、詠子さまをジッと見つめた。

「私は伯母さまのように、この国と国民を、自分の身をもって守りたいのです」

 私の視線に怯むことなく、詠子さまはこう言った。

「本当は、伯母さまのように医師になれればよいのかもしれません。ですが、私は医師や看護師になれるほどの頭脳は持ち合わせていません。なので、一般の軍人として国に尽くすべきだと考えました。私は馬に乗るのが得意ですから、騎兵になれば、同僚たちの足を引っ張らずに済むでしょう。いえ、むしろ、同僚たちには絶対負けません。だって、私、体力は男子よりありますし、同い年の男子に体操で負けたことはありませんもの」

(あう……)

「もし、天皇陛下からご命令があれば、私は父上でも母上でも、どんな親しい者でも討ち取ってご覧に入れます。それが武人というものですから。人を殺す覚悟も自分が殺される覚悟も、とうに決まっております。ですから伯母さま、どうか私を幼年学校に進学できるようにしてください!」

(こりゃ、ダメだわ……)

 姪っ子の異様に強い眼の力を受け止めながら、私は自分の負けを悟ってしまった。以前、兄の長女の珠子(たまこ)さまも、軍人になりたいと言っていたことがあった。結局、彼女は乃木さんの身体を張った説得で軍人の道を諦めたけれど、詠子さまはその時の珠子さまよりも覚悟が決まってしまっている。覚悟が決まっていないことを口実にして、“幼年学校への進学は無理だ”と言おうと思っていたのだけれど、その作戦は見事に破綻してしまった。

(どうしよう……この年齢で、周りが男子ばかりの環境に放り込まれたら、皇族女子としての教養やたしなみは絶対身につけられない。それに、今は男子より体力があるって言っても、2、3年も経てば絶対男子の方が……あ)

(ふみ)姉上、どうする……?」

 後ろから輝仁さまが恐る恐る尋ねたのと同時に、

「詠子さま、あなた、子供を産める身体になっているの?」

私は詠子さまにこう質問する。

「?何ですか、それは?」

 キョトンとして首を傾げた詠子さまに、

「あのね……」

私は1つの可能性を見出し、詠子さまに話を始めた。


 1931(昭和3)年11月25日水曜日午後5時10分、赤坂御用地内にある仙洞御所。

「……それで、どうなったのだ?」

 輝仁さまの屋敷から戻ってきた私に、兄は緊張した表情で尋ねた。兄の隣では、強張った顔の節子さまが、私に硬い視線を向けている。

「まぁ、解決したと言うか、先延ばしにしたと言うか……」

「歯切れが悪いな。一体、どういう結論になったのだ?」

「とりあえず、幼年学校への進学は無しになった。それは間違いないわ」

 若干苛立っている兄に私は答えると、どういう経緯で結論に至ったか、兄と節子さまに説明を始めた。

 私は詠子さまに、思春期における男子と女子の成長の違いを医学的に説明したのだ。男子は、精巣から分泌されるホルモンの影響で、そして女子は卵巣から分泌されるホルモンの影響で、いわゆる“第2次性徴”というものが生じる。その過程で、男子は筋肉がより発達し、女子は皮下脂肪がより発達して、大人の身体に近くなる。だから、あと2、3年もすれば、男子の方が女子より筋力を発揮しやすくなり、軍隊勤務に向いた身体になりやすい。なので、医師や看護師などの後方勤務ならともかく、騎兵のように前線に赴く兵科を選んでしまえば、体格差によって、どうしても男性より劣った働きしかできない。私はそのことを詠子さまに指摘した。

 また、もし詠子さまが騎兵士官になった後、誰かと結婚して妊娠の可能性が出てくれば、勤務を休む必要があるだろう。特に、妊娠後期になってお腹が大きくなれば、バランスを取るのが難しくなり、落馬する危険が高くなる。落馬の際にお腹をぶつけてしまい、流産や早産につながれば一大事だ。

「……そういうことがあるから、自分の身体の成長が終わるであろう女学校卒業ぐらいまでは、自分の能力を見極めることに専念して、軍の学校への進学は待ちなさい、と詠子さまに言ったら、それには納得してくれた」

 私は長い話をいったん区切ると、出されたお茶を飲み干した。

「ただ、もし女学校を卒業するころになっても、士官学校に行きたいという思いが変わらなかったら、正直、私じゃ止められないわね。お上にガツンと言ってもらわないと止まらないんじゃないかしら」

「そうか、よく分かった」

 私に応じた兄はため息をついてから、

「しかし、梨花の後に続く女性皇族が、少しずつ現れているのだな。珠子は薬剤師となり、詠子は相当な覚悟を持って軍人になろうとし……」

と微笑して言った。

「いや、私、前線に出て活躍するような軍人になるつもりは一切なかったわよ」

「そうですよ。お姉さまが軍医になったのだって、ニコライの魔の手から逃れるために仕方なくという理由からではないですか」

 私と節子さまが次々にツッコミを入れると、兄は「まぁ、そうだがな」と苦笑して、

「だが、世間を見渡すと、教育勅語にある、社会と、そして世界に通用するような女性たちが次々と出てきている。彼女らは多かれ少なかれ、梨花の影響を受けているはずだ。それは否定できないだろう?」

と、私と節子さまに穏やかな声で言う。

「それはまぁ……そうかもしれないけれど……」

 そこまで答えた私はハッとして、

「だ、だからって、私、詠子さまの説得はもうやらないからね!」

と兄に宣言した。

「なぜだ?お前の後に続く者だから、お前に道を正す責任があるのではないか?」

「自分のことで手一杯なのに、他人のことまで責任持てないってば!」

 兄の妙な理屈に、私は怒りを籠めて全力で言い返す。すると節子さまが笑い出し、兄も大笑いを始め、力が抜けた私も2人につられて笑ってしまった。

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― 新着の感想 ―
数が多ければ軍のいろんな部隊に適性がある皇族がというのもわからなくはないが騎兵とは。 女性の参加ということで比較的分けやすい海軍や施設の整備もやりやすい空軍、陸軍でも医官などの後方部隊なら最低限の女性…
更新お疲れ様です。 詠子さま、一旦断念も、騎兵科は近い将来戦車に取って代わられるので仲間を集めてリアル『ガ〇パン』を作りそう・・・・ 次回も楽しみにしています。
詠子様は、凄く破天荒ですね~。 騎兵よりも、戦車や航空機の方が女性兵士の活躍の場が拡がるけど、本人の気質だと合わないかな?
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