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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第85章 1930(昭和2)年処暑~1931(昭和3)年夏至
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即位礼と北伊豆地震

 1930(昭和2)年10月15日水曜日午後3時15分、赤坂御用地内にある仙洞御所。

「あっははは……それは災難だったなぁ、梨花!」

 書斎で私から岡山での国軍大演習の話を聞いていた兄は、私の話が、急遽野営病院設営の指揮を執ったことに及ぶと、お腹を抱えて大笑いし始めた。もちろん、兄の隣に座っている節子(さだこ)さまも、うずくまるようにして笑い悶えている。

「あのさぁ……2人とも、笑い事じゃないのよ」

 私は2人に抗議するとため息をついた。

「備中高松城址を見るのをすごく楽しみにしてたのに、直前におじゃんになった私の気持ちにもなってよ!」

「すまん、すまん」

 兄は笑いながら私に謝罪すると、急に真面目な顔になり、

「しかし、裕仁(ひろひと)が梨花に野戦病院の設営指揮を命じた手際、余りにも鮮やかだが……梨花会の誰かに入れ知恵されたか?」

と疑問を口にした。

「言われてみれば……」

 私は胸の前で両腕を組むと、特別大演習の時、お(かみ)に入れ知恵をする可能性がある梨花会の面々がいたかどうか、自分の記憶を点検する。

「町田さんと後藤さんは演習を陪観していたけれど、私に難題を吹っ掛けて楽しむタイプじゃない。斎藤さんは参謀本部長だから統監部にいたけれど、やっぱり、無理難題を言う人じゃない。牧野さんも鈴木さんもそうだし……。桂さんと山本国軍大臣は、そういう悪戯をする可能性はゼロじゃないけれど、何か、今回の犯人じゃないって気がするのよね。ほら、こういう悪戯って、伊藤さんや陸奥さんや大山さんや西園寺さんが仕掛けそうじゃない。でも、今回の大演習には4人とも来てないし……。そう考えると、お上が1人で考えてやったとしか……」

「そうか。裕仁が爺たちの薫陶を受けた結果……というわけか」

 兄はそう言ってニヤリと笑うと、

「まぁ、話は変わるが、桂総理が無事でよかったな。まぁ、あれだけ厳重に警備をしていたら、襲われることもないだろうが」

と私に言う。すると、

「あの、嘉仁(よしひと)さま?桂さまが無事でよかったというのは、一体どういうことですか?しかも、“襲う”などという言葉が出てきましたけれど……」

節子さまが不安そうな顔をして兄に尋ねる。兄と私は一瞬顔を見合わせたけれど、

「実は、“史実”では今年、岡山で行われた陸軍の特別大演習を陪観するために、東京駅から列車で出発しようとした時の内閣総理大臣が、東京駅で襲撃され、その時に負った傷が元で命を落とすという事件が発生したのだ」

兄は節子さまにこう説明した。

「大演習の開催時期は“史実”では11月だったし、内閣総理大臣も桂さんじゃなくて浜口さんだったんだけどね。でも、タイミングとしては同じになるから、桂さんの警備は厳重にやったわ。浜口さんには、東京で留守番してもらった。もちろん、“史実”で事件が起こった11月14日も注意しなきゃいけないけどね」

 兄の後を引き取り、私が更に説明を加えると、節子さまは両肩を落とし、

「“史実”での伊藤さまや原さまの暗殺事件のことを聞いた時にも思いましたけれど、“史実”は、この時の流れと違って恐ろしいですね……」

と呟いた。

「節子、言っておくがな。この時の流れでも、用心しておかねば、“史実”と同じような暴力的な事件が起こってしまうぞ」

「そうね、兄上の言う通り。国民が何らかのきっかけで暴発する可能性は常に考えておかないといけないから、それを避けるためにも、国民の不満をためないようにしないとね。それに、関東大震災のような自然災害は、“史実”と同じタイミングで起こるから……」

 そこまで言って、私はあることを思い出してしまった。これから、起こってしまうのだ。“史実”と同じような自然災害が、“史実”よりもよくない状況で……。

「どうした、梨花?」

 顔を曇らせた私に、兄が優しく問いかける。嘘をつく理由は何もないので、

「思い出しちゃったのよ。これから、北伊豆地震が起こるのを」

私は素直に兄に答えた。

 北伊豆地震とは、1930年11月26日午前4時2分に、静岡県の伊豆地方を震源として発生する大地震のことだ。“史実”の記憶を持つ斎藤さんと山本航空中佐によると、“史実”では、この地震で272人の死者・行方不明者が出て、全壊家屋は2000戸余り、また、大規模な土砂災害や、貯水場の築堤崩壊による水害で大きな被害が出たそうだ。

「まぁ、人的被害は、事前に避難命令を出せば抑えられる。伊豆では、今年の春から夏にも群発地震が起こっている。それを根拠の1つにして、“大地震発生の可能性が高まっている”という理由で避難命令を出せるからね」

 節子さまに“史実”での北伊豆地震の概要を説明すると、私は更に付け加えてため息をつく。

「一番の問題は、この北伊豆地震が、お上の京都行幸の帰り道にぶつかるということよ。ほら、お上が東京に戻るの、12月1日の予定でしょ?」

「なるほどな」

 私の言葉に、兄が深く頷く。お上は京都で即位礼を行うため、賢所の神鏡を奉じて11月8日に東京を出発し、2日間の行程で京都に向かう。そして、11月30日に京都を出発して、行きと同じく2日間の行程で東京に戻る予定だ。東京と京都の往復に使うのはもちろん東海道線だけど、東海道線は伊豆半島の付け根を通っている。“史実”の北伊豆地震で東海道線にどのくらいの被害が出たか、斎藤さんも山本航空中佐も残念ながら記憶していなかった。もし、北伊豆地震で東海道線に大きな被害が出てしまったら、お上は東京に戻れなくなる。

 それに、北伊豆地震で、東海道線以外にどのくらいの被害が出るかも問題だ。もし、地震の被害が余りにも大きければ、東京に戻る途中、お上が被災地を見舞うべきだと私は思う。しかし、東京に戻る途中のお上は、賢所の神鏡を奉じている。東海道線のどこかの駅に御召列車を止め、お上が被災地の訪問をするならば、神鏡が駅に置き去りにされることになる。それを問題視する人は、宮中祭祀を司る掌典職(しょうてんしょく)を中心に必ず出てくるだろう。

(お上が被災地を素通りしたら、被災地の住民はお上に対して“見捨てられた”という思いを抱いちゃうよ。ここ数年、大きな災害が起こった土地には、必ず天皇か皇太子がお見舞いに行っていたのに……。でも、神鏡を駅に置き去りにすることを嫌がる人は、古い考えを持つ人を中心に必ず出てくる。それに、実際にお上が被災地を見舞うとしたら、御召列車のダイヤや警備予定を組み直さないといけないから、それを嫌がる人も出るだろうし……。地震が起こってない今、関係者を説得するわけにもいかない。うーん、私が北伊豆地震の時、お上のそばにいて、反対する人たちを説得できたらいいけれど、軍医学校の仕事があるから、11月20日には京都を出発しないといけないし……)

 黙り込んだまま、私が色々と考えていると、

「……梨花、おい、梨花。大丈夫か?」

兄が手を伸ばして私の肩を揺さぶった。

「あ……ごめん、兄上。ちょっと、考えるのに夢中になっちゃって」

「だろうな。最初、俺が呼んでも上の空だったから」

 私に応じた兄は苦笑すると、「そう心配することはないと思うがな」と言った。

「裕仁は、国民の上に立つ者として自分が何をすべきか、最良の選択ができるはずだ。だから梨花は、それを後ろから見守っていればいい」

「そっか……そうね」

 私は首を縦に振ると、

「じゃあ、地震の件に関しては、そうさせてもらうわ」

兄にこう答え、微笑した。


 1930(昭和2)年11月8日土曜日の朝、お上と皇后陛下は、賢所の神鏡を奉じ、即位礼を行う京都へと旅立った。

 ちょうどそのころから、伊豆半島の西側で地震が多発した。地震は無感のものも含めると、1時間に60回以上発生することもあった。このため、東京帝国大学理科大学地震学教室教授の今村明恒(あきつね)先生は静岡県の三島町に急行し、群発地震の調査を始めた。その報告はお上のところだけではなく、盛岡町邸にも毎日届けられた。

 1930(昭和2)年11月24日月曜日午後3時。京都での即位礼と大嘗祭への参列を終え、お上より先に東京に戻っていた私は、国軍軍医学校の校長室に1人でいた。あさっての早朝には、北伊豆地震が起こる。被害はどのくらいになるのか、そして、被害状況を受けてお上はどう行動するのか……机に向かって考えていると、校長室のドアがノックされる。「どうぞ」と応じると、ドアを開けて現れたのは、授業を終えた大山さんだった。

「いけませんよ、梨花さま。そのように、不安げなお顔をなさっては」

 お付き武官の奥梅尾(むめお)看護中尉がいないからか、大山さんは私のことを学校内で珍しく“梨花さま”と呼んだ。

「仕方ないでしょう。あさっての地震がどんなことになるか、結末が見えないんだもの」

 大山さんに強がっていても仕方がない。私は素直に本心を吐露した。

「東海道線が止まって、お上の帰り道に影響が出ないか……それも心配だけれど、地震の被害者たちを京都からの帰り道で見舞いたいとお上が思った時に、それがいろんな人たちに邪魔されないか……とても不安だわ。私が京都にいれば、お上と一緒に、頭の固い人たちを説得するのだけれど……」

 そう言ってため息をついた私は、

「ダメねぇ、私。兄上に、お上を後ろから見守っていればいい、と言われたのに、手を出そうとして……」

と呟く。そして、

「ねぇ、大山さん。大山さんが内大臣をやっていたころの私を見守っていた時、あなたはこんな不安を抱えていたの?」

と私の臣下に尋ねた。

「さぁ、どうだったでしょうか。様々なことがありましたから、とっさに思い出せませんが……」

 大山さんはそう言って苦笑すると、

「時に梨花さま、天皇陛下のご力量につきまして、梨花さまはどのようにお考えですか?」

私にこんな質問をした。

「……お上は、とても優秀よ。あなたたちがふっかける難問だって簡単に答えられるし、政務もきちんとこなしている。あなたたちの議論が暴走した時も止められるし……天皇として申し分のない人物だと思うわ」

 なぜ、大山さんはこんなことを私に聞くのだろうか。疑問に思いながらも回答すると、

「恐れながら、それだけではないはずです」

大山さんは微笑して言った。

「今、梨花さまがおっしゃったのは、天皇陛下のご長所でございます。恐れながら、天皇陛下に足りないと梨花さまがお感じになっていることがあるはずです。それは一体、何でございましょうか?」

「お上に足りないこと……うーん、そうねぇ……」

 私は臣下からの問いに考え込んだ。お上は政務をきちんとこなしているし、頭の回転も速く、とっさの場合の指示も適切に出せる。ただ、強いて言えば……。

「威厳がもう少しあればなぁ……とは思うけど」

 私は何とか答えをひねり出した。

お父様(おもうさま)の威厳はものすごかった。兄上がお父様(おもうさま)のことを、“威厳が服を着たような人”って言ったことがある。もちろん、お父様(おもうさま)はそれだけじゃない人だったけれど、お父様(おもうさま)に叱られる時は本当に怖かった。兄上はお父様(おもうさま)ほどの威厳はないけれど、怒った時は本当に怖いし、要所要所では、言葉に威厳がある。だけど、お上からは、威厳を余り感じないのよねぇ……。だから、他人に……特に、年上の皇族なんかに、自分の言うことを聞かせられるのか、という心配があって……」

 すると、

「そうお感じになるのは、梨花さまが天皇陛下の叔母君であらせられるからです」

大山さんが優しい声で私に言った。

「天皇陛下がお生まれになった時から、梨花さまは叔母君として、天皇陛下を可愛がっておいででした。ですから、天皇陛下のご幼少のころの思い出などが邪魔をして、天皇陛下がお持ちの威厳に気が付けないのかもしれません」

「そうかなぁ……?」

 そうとも思えないけれど、と私が大山さんに答えようとした瞬間、

「梨花さま、天皇陛下をご幼少のころと同じとお考えになるのは、そろそろお止めになる方がよろしゅうございます」

大山さんは私に悪戯っぽく微笑み、校長室から出て行ってしまった。


 1930(昭和2)年11月26日水曜日午前4時2分、北伊豆地震はやはり発生した。

 私のいた東京でも、関東大震災の時ほどではないけれどかなりの揺れを感じ、私はベッドから跳ね起きると、自動車に乗って兄と節子さまのお見舞いに行った。幸い、兄と節子さまは無事で、仙洞御所にも目立った被害はなかった。

「あとは東海道線……それから、現地の被害の大きさか」

 寝間着の上に紺色の羽織を引っ掛け、節子さまと共に現れた兄は、こう言うと眉を曇らせた。

「そうね。その被害状況を受けて、お上がどんな対応をするか……」

 私も兄に応じてため息をつくと、

「もう……嘉仁さまも梨花お姉さまも、しっかりなさってください」

兄の隣に座っていた寝間着姿の節子さまが、呆れたように私たちに言った。

「先日、おっしゃったばかりではないですか。お上は、国民の上に立つ者として、自分が何をすべきか、最良の選択ができるはずだ。だから後ろから見守っていればいい、と……。もうお忘れになってしまったのですか?」

「……そうだった」

 節子さまの言葉に兄は項垂れた。

「これは、節子に一本取られたな。そうだ。俺たちは、裕仁のことを信じて待つしかない」

「そうだね」

 私も兄に答えると苦笑した。「被害が出そうな地域には、昨日、桂さんが避難命令を出してる。少なくとも、死者や怪我人の数は“史実”より減る。他の被害を受けて、お上がどうするか……そこは、お上を信じて待つしかないね」

 いったん自宅に戻り、国軍軍医学校に出勤すると、奥梅尾看護中尉が、収集してきた情報を私に教えてくれた。東海道線は線路に亀裂が入り、応急処置をしているけれど、今日中には復旧するらしい。一方、地震による被害が大きかった伊豆半島の北部では、死者は確認されていないけれど、住宅の倒壊や山崩れが相次いでいる。2日後の11月28日までに入った情報では、静岡県の三島町で町役場が倒壊し、中郷(なかざと)村、函南(かんなみ)村、韮山(にらやま)村、川西(かわにし)村、中狩野(なかかの)村、上大見(かみおおみ)村で30%以上の家屋が倒壊したとのことだった。

(死者は出なかったけれど、家屋への被害は相当ね……。お上、どうするのかしら……)

 そう心配していた11月29日、翌日に予定されていたお上の京都出発が12月3日に延期されることが発表された。また、お上の帰京後に皇居で開かれる予定だった祝宴、そして即位記念の観兵式と観艦式が中止になることも発表された。しかし、宮内省からそれ以上の発表は無かった。

(やっぱり、東京に戻る途中で被災地を視察するのは難しいのかしら……)

 私はそう思って落胆したのだけれど、お上が京都を発った12月3日、お上の翌日の東京着の予定時刻が15時30分から17時に変わることが発表された。そして、変更になったお上の12月4日の行程表には、東海道線の三島駅で途中下車し、被災地を視察することが明記されていたのだ。12月4日、皇后陛下と共に北伊豆地震の被災地を見舞ったお上は、無事に帰京した。

 1930(昭和2)年12月6日土曜日午前10時、皇居・表御座所。

「北伊豆地震のことは、驚きました」

 表御座所内にある天皇の執務室・御学問所。政務が一通り終わると、お茶の支度をさせたお上は、私にこう言った。

「“史実”での被害の程度は分からないということだったので、きっと、斎藤参謀本部長や山本航空中佐の記憶に残らないほど小さな被害だったのだろうと思い込んでいたのです。ところが、実際の被害は、僕の想定よりひどいものでした。これは、被災者たちを励まさなければならないと思いました」

「なるほど。それで京都から戻る時に、三島に寄ったというわけね」

 私はお茶を一口飲んでから、

「反対する人、たくさんいなかった?私はそれが一番心配だったのだけれど」

とお上に聞いた。

「それは大変でしたよ」

 私の隣に座っていた牧野内大臣がクスっと笑った。「警備方面からの反対はかなり多かったです。御召列車の通過予定時刻に合わせて、東海道線沿線の警備の予定が組まれていましたからね。ですが、後藤さんが、“今、伊豆地方の住民は非常時にある。彼らを見舞いたいという大御心を無駄にする気か?!”と部下たちを一喝した結果、警備方面からの反対はなくなりました」

「そうだったんですね……」

 私はほっと胸をなで下ろした。やはり懸念していた警備方面からの反対は起こったけれど、後藤さんが上手く抑えたようだ。

「だけど、掌典職や皇族からの反対はどうだったんですか?」

 私が牧野さんに更に確認すると、

「掌典職からの反対は、意外にもありませんでしたな」

お上のそばに控えていた鈴木侍従長が答えた。

「あ、そうなんですか……」

「しかし、皇族方からの反発が激しく……特に、大礼使総裁の閑院宮(かんいんのみや)殿下は強硬に反対されました」

(うわぁ……)

 私は鈴木さんの言葉に頭を抱えたくなった。閑院宮載仁(ことひと)親王殿下は、私の義父・有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下に次ぐ皇族中の重鎮と見なされている。そんな人の説得は、困難を極めたのではないだろうか。

 すると、

「どうしたものかと考えていたところ、陛下が御自らご説得なさると仰せられて……」

牧野さんがこんなことを言い出した。

「え、閑院宮さまを説得?!お上、大丈夫だった?!閑院宮さまにバカにされなかった?!」

 私が思わず立ち上がってお上に聞くと、

「いえ、そんなことはありませんでしたよ。僕が道理を話したら、すぐに反対を取り下げました」

お上はにこやかに答えた。

「あの時、私もそばに控えておりましたが、陛下のご威厳に、閑院宮殿下は完全に屈服させられておりましたな」

「へ……?」

 鈴木さんの思いがけない台詞に私が目を丸くすると、

「ええ、閑院宮殿下は、陛下の御前から下がった時、冷や汗をかいておいででした」

牧野さんが横から付け加える。

(ウソでしょ……)

「そんなになっていたのか?僕は気が付かなかったけどね」

 私の前で、お上は相変わらずにこやかに牧野さんに話しかける。穏やかな印象のお上が、他人に冷や汗をかかせ、完全に屈服させてしまうほどの威厳を持っているとは……にわかには信じられない。

 と、

「おや、(さきの)内府殿下は、我々の言うことを信じておられないようですな」

鈴木侍従長が私を見て言った。

「そりゃそうですよ。私、お上を小さい頃から見てますけれど、怒ったところは一度も見たことがないです」

 私が鈴木さんに素直に答えると、

「では一度、陛下がお怒りになったところを見ていただく方がよいかもしれません」

牧野さんはこんなことを言う。そして、

「陛下、閑院宮殿下に相対なさったときのように、()()でも構いませんから、一度、顧問殿下に怒ってみてくださいませんか?」

とお上に進言した。

「あの時は、怒っていたわけではないのだが……」

 そう言いながら、お上は私に向き直る。そして、

「では、道理を申し述べましょう、叔母さま」

普段と違う低い声で私に言った。次の瞬間、私は背中を氷塊が滑り落ちるような感覚に襲われた。あの穏やかな風貌のお上から、一瞬にして、その場を完全に圧する威厳が放たれたのだ。

「も、もう、お止めください……」

 私は一撃でノックアウトされ、その場に土下座してしまった。

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生まれながらに現人神としての威厳をお持ちなのかもしれない。誰に教わるでもなく。
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