岡山の特別大演習
1930(昭和2)年10月8日水曜日午後9時30分、岡山県岡山市天瀬にある邸宅。
「殿下、失礼いたします……あら」
寝室に割り当てられた部屋に敷かれた布団の上にうつ伏せに寝転がり、小説を読んでいた私は、寝室の隣にある居間に入ってきたお付き武官の奥梅尾看護中尉の声で慌てて起き上がった。急いで姿勢を正し、威厳ある内親王を演じてみたけれど、お風呂上がりで浴衣を着ているし、髪は解いて乱れているから、効果はあまりなかったかもしれない。現に、
「殿下……失礼を承知で申し上げますが、お行儀がよろしくないのでは……」
奥看護中尉は私に苦言を呈した。
「だって、疲れたんですもの」
取り繕っても仕方がないので、私は奥看護中尉に素直に答えると口を尖らせた。
「昨日も朝から夕方まで大演習を陪観して、今日は昼間に一息ついて出かけられるかと思ったら、お上が私にご下問なさるから出掛けられなくて……」
「やはり、殿下は天皇陛下からのご信頼が厚いのですね」
そう言った奥看護中尉に、
「医学に関係ない軍事のことばかり聞かれて疲れたわ。専門外だもの」
と私は愚痴ると、
「あーあ、岡山城を見学したいなぁ……」
とこぼした。
私が、お上の即位礼のために通常より1か月前倒しで行われている岡山県での国軍特別大演習を陪観することにしたのは、国軍の教育機関である国軍軍医学校を預かる身として、軍隊が実際に戦う様子に少しでも触れておくべきだと思ったからである。けれど、本当は、演習地に行くついでに、前世の私が見ることが叶わなかった、1597(慶長2)年竣工の岡山城の天守閣をゆっくり見学したいという不純な動機が、理由としては最も大きい。太平洋戦争の空襲で燃えてしまった岡山城の天守閣、今日も時間が許せば見学したかったのだけれど……。
すると、
「あの、殿下?」
奥看護中尉が訝しげな目で私を見た。
「恐れながら、岡山にご到着なさった5日にも、天皇陛下を岡山駅で出迎えられた6日にも、殿下は岡山城のご見学をなさいました。しかも、20年ほど前、有栖川宮の若宮殿下とご婚約なさる直前にも岡山城を見学なさったと私にお話しになりましたが……」
「それがどうしたって言うのよ!」
私は強い口調で奥看護中尉に言い返した。
「いいお城は、いくら見学したっていいのよ!去年の水戸での特別大演習の時も、水戸城の御三階櫓が見学できるって楽しみにしていたのに、お祖母さまが亡くなったから大演習自体に参加できなくなって……だったら、今、目の前にある岡山城に、このやりきれない思いをぶつけるしかないでしょう!」
日本の城郭に対する熱い想いを私は語ったけれど、
「はぁ……。私は、よく分からないのですが」
奥看護中尉には、いまいちピンと来ていないようだった。
「それに殿下、岡山城ばかり見学するというのもいかがなものかと感じてしまうのですが……」
ただ、奥看護中尉はこんなことを心配していたので、
「ああ、それは大丈夫よ。明日は上手く行けば、高松城址を見学できるから」
と私は答えた。
「高松城……?殿下、まさか香川県の高松まで行かれるのですか?」
「違うわよ。岡山に来て高松城と言ったら備中高松城。豊臣秀吉が水攻めにした城よ。まぁ、香川の高松にも高松城はあるけれど」
奥看護中尉の勘違いを私は訂正すると、
「備中高松城はね、周りの低湿地を防御に利用した平城で、難攻不落と言われていたの。秀吉はその城を堤防で取り囲んで、水没させることを狙ったの。突貫工事で堤防が完成すると、梅雨時だったのも相まって、低湿地に水が大量に流れ込んで城は浮かぶ孤島になった。敵の強みだった低湿地を、逆に敵の弱点に変えてしまう。その発想も素晴らしいけれど、大工事を短期間でやってのけた秀吉の財力も半端ないわね。更に言うと、この水攻めの最中、明智光秀が毛利方に送った密使が秀吉軍に捕らえられて、秀吉が、自分の主君・織田信長が本能寺の変で明智光秀に討ち取られたことを知るの。秀吉は毛利方と急いで講和を結ぶと、京へ向かって全速力で引き返す。これが名高い中国大返しよ。そして秀吉は山崎の戦いで明智光秀を破り、天下統一へと突き進む……備中高松城は、歴史的な事件が立て続けに起こった現場でもあるの」
彼女に備中高松城の史跡としての価値を詳しく説明した。
「今日の大演習の経過から考えると、明日の朝、備中高松城の近くで、第5師団と第10師団の歩兵部隊がぶつかる可能性が高いわ。そうなると、野外統監部が置かれる場所は備中高松城の近く……大体5km圏内の位置になると見込まれる。大演習の講評をやる高松農学校は備中高松城のすぐ近く。それに、高松農学校にはお昼過ぎまでに到着すればいいから……ふふふ、演習が終わってから馬を飛ばせば、お昼頃まで備中高松城址をたっぷり見学できる!」
私が素晴らしい未来予想図に胸躍らせたその時、
「殿下」
奥看護中尉が私に呼びかけた。
「その……備中高松城のことについてはよく分かりませんが、明日の朝は早うございます。7時半には野外統監部にご到着を……という話でしたから。ですから殿下も、早くお休みになるべきかと存じます」
「あ……」
言われてみればその通りだ。明日の朝は早い。私の予測が外れて、歩兵部隊がぶつかる位置が備中高松城址より岡山から遠いところになったとしたら、明日の起床時刻は更に早くなる。
「私は寝ます。殿下、お休みなさいませ」
少し眠そうな声であいさつした奥看護中尉は、背筋を伸ばして私に一礼する。「……おやすみなさい」と返した私も、彼女の言に従っておとなしく寝ることにした。
1930(昭和2)年10月9日木曜日午前8時50分、岡山県服部村に設置された長良野外統監部。
(ふっふっふ……いいじゃない、いいじゃない!私の読み通り!)
朝香宮鳩彦王殿下や賀陽宮恒憲王殿下など、他の皇族たちと一緒に双眼鏡を使いながら、私は1人ほくそ笑んでいた。
この長良野外統監部は、第5師団と第10師団の歩兵部隊により激戦が繰り広げられている備中高松城近辺とは4km余り離れている。お上はこれから戦線を巡視して、10時過ぎに特別大演習の講評が行われる高松農学校に入る予定だ。私はお昼過ぎには高松農学校にいなければならないけれど、お上の戦線巡視が終わった後、約3時間は自由に行動できる。これなら、昨日考えた通り、備中高松城址を思う存分見学できる。
「姉宮さま、何だか嬉しそうですね」
双眼鏡を覗く私を見て、隣に立っている鳩彦殿下が小声で私に話しかけた。
「あ、分かる?この後、自由時間があるから、備中高松城址を見学しようと思ってね」
私が上機嫌で答えると、
「なるほど、姉宮さまらしい。絶好の機会ですからね」
鳩彦殿下は動じることなく答える。栽仁殿下と少年時代を一緒に過ごした彼は、私のことを怖がらない男性皇族の1人だ。
「そうよ。岡山県に来るなんて、めったにないことだからね」
鳩彦殿下に言った私は、「この野外統監部も、もしかしたら城か砦の跡の可能性はあるけどね」と付け加えた。
「ああ、なるほど。言われてみればそうですね。ここは、平地の中にポツンとある小高い山だ。防衛拠点になっていてもおかしくはない」
「でしょう?本当は、この山に城の遺構があるか探してみたいけれど、こんなに人がたくさんいると、探すのは難しいわねぇ……」
頼れる義理の弟に頷いて周囲を見渡すと、お上のいる天幕の周りで、人の動きが激しくなったのが分かった。戦線巡視が始まるのかと思ったけれど、どうも違うようだ。やがて、天幕から侍従長の鈴木貫太郎さんが出てきた。彼は私のそばまで近づくと、
「前内府殿下、陛下がお呼びです」
私に囁くように言う。またか、と思いながらも、「分かりました」と返答した私は、鈴木さんの後ろについて天幕の下に入った。
「ああ、叔母さま」
私の姿を見ると、大元帥のカーキ色の軍装をまとったお上は笑顔になった。
「実は、少し困ったことが起きまして」
「はぁ」
昨日のように色々と質問されてしまうのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。私が気の抜けた返事をすると、
「実は、この後、高松農学校で僕に講演をしてくれる予定だった者が、風邪を引いてしまい、講演が中止になったのです」
お上は私にこう言った。特別大演習では、演習地の近辺に在住する退役軍人や学者などが呼ばれ、その土地で過去に行われた合戦のことや、地元の名産・産業などについて、天皇に30分前後の講演をすることが通例になっている。その講演が中止になるのは異例だけれど、講演者が風邪を引いてしまったのなら仕方ない。
(お上に風邪をうつしたら大変だもんねぇ……)
私がこんな感想を抱いた瞬間、
「そこでですね、講演の代わりに、叔母さまに野戦病院設営指揮のお手本を見せていただきたくて」
お上の口から、とんでもない言葉が飛び出した。
「は?」
「今回の大演習、第5師団も第10師団も、野戦病院は寺院や学校など、既存の建物を使って開設することが多かったように思います」
状況が全く飲み込めない私に、お上はこう言った。
「い、言われてみれば、確かに……」
野戦病院は、戦況に応じて移動することが求められるので、この時の流れの日本の国軍では、大型天幕や自動車で構成されることが多い。ただ、天幕よりも、しっかりした屋根のある建物の方が、快適さは向上する。だから、適当な建物がある場合は、それを拝借して野戦病院を設置する。そして、今回の大演習では、お上の指摘通り、既存の建物を利用して野戦病院を設置するケースが多かった。
「これでは、野戦病院に従事する職員たちが十分な演習ができたとは言い難い。ですから、この空いた時間を利用して、叔母さまに指揮を執っていただき、彼らに天幕を使った野戦病院を設置させ、演習の総仕上げをしたいと……」
「ちょ、ちょっと待って、お上!」
にこやかに話し続けるお上に私は叫んだ。「野戦病院設置の指揮なんて、私、執ったことないわよ!私、内大臣になる前はほとんど国軍病院勤務だったし、指揮を執れるほど偉くもなかったから……!」
「では、叔母さまの訓練にもなりますね」
言い募る私に向かって、お上は笑顔で言い放った。「講演は10時半からの予定でした。ですから叔母さまには、10時半から指揮を執っていただいて、野戦病院を高松農学校の校庭に設置してもらいます。今回の大演習に参加している第5師団と第10師団の野戦病院の職員たちには、病院設置に必要な物品とともに、高松農学校に集合してもらいます。では、叔母さま、よろしくお願いします」
「は、はい……」
10時半……それは私が、備中高松城址の見学を予定していた時刻である。これでは、備中高松城址の見学は諦めるしかない。私は深い深い絶望とともに、お上の前から引き下がった。
1930(昭和2)年10月9日木曜日午前9時10分、岡山県服部村にある長良野外統監部。
「ど、どうなさったんですか、姉宮さま?!」
お上のいる天幕から出てきた私を見て、鳩彦殿下が素っ頓狂な声を上げた。
「お顔色が悪いですよ!大丈夫ですか?!」
「あ、ああ……備中高松城の見学に行くのが、ダメになっちゃって……」
駆け寄る鳩彦殿下に、私は力無く答える。
「ダメになった?!どうしてですか?!」
「あのね、お上の前での講演が中止になったから、その代わりに、高松農学校の校庭に、私が指揮して野戦病院を設営しろ、とお上に言われて……って、こうしちゃいられないわ」
ここまで言った私は、後ろを振り向くと、「梅尾さん!」とお付き武官を呼んだ。
「今すぐ統監部の職員に、第5師団と第10師団がこの演習に持ち込んでいる設備の数と、野戦病院の職員の人数を確認して!それが終わったら、全速力で高松農学校に向かうわ!」
高松農学校に野戦病院を設営し始める時刻まで、あと1時間ちょっとしかない。けれど、準備される設備や動員できる人の数など、可能な限り現状把握をしておかなければ、指揮を執ることもままならない。急いで情報をまとめてくれた奥看護中尉が戻って来ると、私は自動車で高松農学校へ向かった。
「それでは、説明します!」
1930(昭和2)年10月9日木曜日午前10時30分、岡山県高松町にある高松農学校の校庭。整列した第5師団と第10師団の野戦病院の職員、約400人の前で私は説明を始めた。
「今から、この校庭に野外病院を設置します。まず、私の前に立っている赤い旗の位置を南東角として、東西方向を長軸とし、患者受け入れ口となる大型天幕を一面張ります。設営担当は第5師団です」
私の左隣には、大きな紙を両手で広げて持った奥看護中尉がいる。彼女の持った紙に描かれているのは、私が農学校に着いてから慌てて作成した野戦病院の天幕配置図だ。更に、私と奥看護中尉の後ろには、台の上に立つお上がいる。お上の左右には、鈴木貫太郎侍従長や橘周太侍従武官長、牧野伸顕内大臣など、お上の側近が並んでいた。きっと、野戦病院の職員さんたちは、とてつもなく緊張しているだろう。
「受け入れ口の北側に、治療部となる大型天幕を一面張ります。更に治療部の北側に、病室用の大型天幕を三面張ります。治療部・病室とも、設営は第5師団にお願いします。治療部の東に検査室天幕を一面、治療部西側に薬室天幕を一面設置します。設営は第10師団にお願いします。また、病室東側の本部用天幕、病室西側の補給部用天幕も第10師団に設営をお願いします。なお、第5師団の消毒自動車は補給部北側に、第5師団の薬品自動車は薬室西側に、第10師団のエックス線検査車と細菌検査車は検査室東側に横付けしてください。開始の合図をしたら、軍医は前にある配置図を見て、各部の配置を頭に入れてから部下に指示を出し、作業を始めてください。……それでは、始めっ!」
私はここまで一気に言うと、右手を真っ直ぐ挙げる。それに反応して、軍医たちが列から飛び出し、奥看護中尉が掲げる配置図の前へ移動した。
(いや、どうしよう……これ、本当に大丈夫かな?)
配置図を食い入るように見つめる軍医たちの様子を窺いながら、私は内心ひやひやしていた。内大臣だった時は、国軍特別大演習にはほとんど毎年行っていたけれど、その時にしていたことは、兄のそばで全体の戦況を把握したり、兄と一緒に戦線の巡視をしたり……およそ軍医の実務とはかけ離れていたことだった。最期に軍医として特別大演習に参加したのは、まだ独身だったころ……今から20年以上前のことだ。その時に上司が野戦病院の設営を指揮していた姿を思い出しながら、前に整列する兵たちに指示を出してみたけれど、果たしてこれでうまくできているのだろうか。
(でも、もう始まっちゃったし、精一杯やるしかないわ)
配置図を見ていた軍医たちは、駆け足で自分の元いた位置に戻っていく。“十分な演習ができていない”とお上に評されてしまった野戦病院の職員さんたちが、普段の訓練の成果を発揮して野戦病院設置を見事に成し遂げてくれることを、私は心から祈った。
第5師団と第10師団の職員たちは、手分けして天幕を張っていく。通常は1つの師団の職員でする作業量を2つの師団の職員でしているので、作業はかなりのスピードで進んで行くけれど、それぞれの師団の持ち場の境界線上で、位置取りが上手く行かずに作業が止まっているところも散見された。そのようなところには、相互にコミュニケーションを取って位置を決めるように声を掛ける。また、作業が早く終わりそうな部署には、他部署の手伝いに行く人数を出すようにお願いする。こうして調整をしたのが良かったのか、天幕と自動車を使った野戦病院の設置は、約30分で終わらせることができた。
「流石、叔母さまですね」
出来上がった野戦病院を見て回りながら、お上は私に言った。
「普通、天幕を使った野戦病院を設置するには、1時間ほど時間がかかると聞きました。それが半分の時間で終わるとは……」
「まぁ、人数が多かったし、第5師団の職員も第10師団の職員も、よく訓練されていたからね」
どうやら、お上のお眼鏡にかなう野戦病院ができたらしい。私はほっとしながらお上に答えた。
「恐れながら、それだけではないと思います」
すると、お上の後ろを歩いていた鈴木貫太郎侍従長が言った。
「前内府殿下が指揮なさっているということで、作業に従事する者たちの士気が高まったから、という要因もあるように思います。そうでなければ、このような短時間で、野戦病院の設置が終わるはずがありません」
(それ、お上が私の後ろにいたからじゃないかなぁ?)
鈴木さんの言葉に私は心の中で反論したけれど、それを音声に変換するのはやめておいた。鈴木さんが、“これ以上のことを言ってはいけませんよ”と私を目で脅迫……いや、私に視線で訴えていたからだ。
けれど、
「もしこれから、特別大演習で手を抜いていると思われる部署があったら、叔母さまに指揮を執ってもらって、演習の最後に追加演習をすればいいかな」
こう微笑みながら言ったお上には、
「それはやめて。指揮系統が滅茶苦茶になるし……第一、今の演習だって、備中高松城を見学できなかった私には罰ゲームでしかないのよ!」
私は我慢できず、恨めしげにお上を見つめながら抗議した。
※野戦病院の設置方法や時間などについては、ほぼ想像で書いております。ご了承ください。




