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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第84章 1929(昭和元)年寒露~1930(昭和2)年処暑
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新任教職員

 1930(昭和2)年3月28日金曜日午後3時20分、東京市京橋区築地4丁目にある国軍軍医学校の校長室。

「あなたたち、なんで軍医学校に来たんですか……」

 アポイントメントなしに校長室に現れた2名の客を見やった私は、大きなため息をついた。私の前に緊張した表情で立っている男性の1人は、内閣総理大臣を務めている桂太郎さんだ。そして、もう1人の男性は、国軍大臣の山本権兵衛さんである。私と大山さんにとっては、顔なじみの人物なのだけれど、私のお付き武官の奥梅尾(むめお)看護中尉にとっては、全く会ったことのない雲の上の人だ。桂さんと山本国軍大臣を見た奥看護中尉は、頭をガバっと下げて最敬礼したまま、全く動けていなかった。

「奥どの、お客様方にお茶を淹れてあげてください」

 たまたま校長室にいた大山さんが、奥看護中尉に優しく声を掛ける。「は、はいっ」と強張った返事をした奥看護中尉は、慌ててお茶の支度を始めた。

「まったく……国家予算をほったらかして、軍医学校に来ていいんですか?」

 そろそろ、会計上は年度末だから、通常議会で来年度、4日後の4月1日からの国家予算が成立していないと、国家の運営に支障をきたしてしまう。国家予算を放置して、軍医学校(こんなところ)で内閣総理大臣と国軍大臣が油を売っていてもいいのだろうか。そう思いながら桂さんと山本国軍大臣に問いかけると、

「殿下のご心配はもっともでございますが、来年度の国家予算は、昨日無事、貴族院で賛成多数をもって可決されました」

桂さんが畏まった調子で私に返答し、頭を下げた。

「ああ、そうですか……じゃあ、なんで軍医学校に来たんですか?」

「4月からの人事について、殿下からお問い合わせをいただきましたので、回答をしに参りました」

 事務的に問うた私に、山本国軍大臣が答えて一礼する。

「はぁ……」

 私は一応頷くと、“問い合わせ”の内容に思いを馳せた。

 3日前の3月25日、3月末で軍医学校の教職員を退く3名の軍医の代わりに、4月から教職員として赴任する軍医の名前が、国軍の医務局から軍医学校に通達された。その3名の中に、私と浅からぬ因縁があり、私が結婚相手を世話した半井(なからい)久之(ひさゆき)君の名前があったのだ。驚いた私は、“どういうことだ”と医務局に問い合わせを出したのだけれど……。

「それなら、文書で回答すればいいじゃないですか。何も、内閣総理大臣と国軍大臣が揃って軍医学校に来なくてもいいと思いますよ」

 私が桂さんと山本国軍大臣に冷たく言い放つと、

「そうも参りませんよ、殿下」

顔に苦笑いを浮かべた大山さんが、私を横からたしなめた。

「恐れ多くも殿下は内親王であらせられ、上皇陛下のご治世を内大臣としてお支えになった天下の功臣でもあらせられるのです。そんな方からのお問い合わせに文書でのみ回答してしまえば、国軍は、殿下を軽んじていると世間になじられてしまいます」

「変な前例を作る方がよほどマズいと思うけれど……」

 私は大山さんにため息をつきながらツッコミを入れると、桂さんと山本国軍大臣に向き直り、

「それでは、仕方がありませんから、答えを聞かせてもらいましょうか。なぜ、半井軍医中尉は、教職員として軍医学校に赴任することになったのでしょうか?国軍の上層部……特にあなたたちが、私と半井君の関係を忖度して決めた人事ではないでしょうね?」

と、鋭い声で確認した。

「滅相もございません!」

 桂さんが叫び、私に向かって最敬礼する。桂さんの隣で、山本国軍大臣も深く頭を下げている。

「医務局長に確認しましたところ、半井軍医中尉から、“軍医学校で勤務したい”という旨、希望があったそうでございます。彼の他に、軍医学校への赴任を志願した者がおりませんでしたので、半井軍医中尉の希望を通した……このような事情であります!」

 最敬礼したまま、叫ぶように述べた桂さんに、

「じゃあ、忖度は本当に無かったということですね?」

私が念を押すと、「はっ!」と桂さんは返答し、更に頭を深く下げた。

「なら、いいか……」

 私がほっと息をつくと、

「半井君は、9月に結婚する予定でしたな。もしかすると、結婚の準備をしたいという気持ちもあって、軍医学校勤務を志願したのかもしれませんな」

大山さんが穏やかな声で言う。

「あー、そうかもね。婚約してる(ひと)、東京に住んでるし」

 私が何も考えずに大山さんに返すと、大山さんの目つきが急に鋭くなった。

「時に殿下……半井君は殿下と浅からぬ親交がありますが、まさかそれを理由に、半井君の軍医学校での待遇を良くしよう、などとは考えておられますまいな?」

「いや、それはないと思うけれど……」

 不思議に思いながらも私が返答すると、

「怪しいですな」

大山さんは私を厳しい目で見据えた。

「今まで、殿下が(おい)以外で、親しい人間をご自身の配下に置くことはありませんでした。ですから、殿下が親しい人間を間違って取り扱ってしまうこと……(おい)はそれを恐れております。よろしいですか、殿下。半井君に校内で親しく声を掛けてしまえば、半井君は殿下に贔屓されていると周囲の教職員たちに思われてしまい、(ねた)みや(ひが)みを受けることになります。校内や、国軍関係の公式行事の場では、半井君を他の教職員と同じように扱わなければなりません。それが彼のためでございます」

「分かったわ、心がける」

 大山さんの進言に私は素直に頷いたけれど、ふと気になって、

「……ってことは、私、大山さんを贔屓してはいけないということにもなるわよね?」

と大山さんに確認した。ところが、大山さんから答えは返ってこなかった。

「大山さん、あなたは私の臣下ではあるけれど、さっきのあなたの理論に従うと、私はあなたのことを、他の教職員と同じように扱わないといけないのよね?だったら、毎日校長室にお茶しに来るのは、よくないことじゃないかしら?」

 私が再度大山さんに確認すると、

「それとこれとは……別でございます」

大山さんは小さな声で答えてそっぽを向く。

「ははぁ……」

 すると、桂さんが深く頷き、山本国軍大臣が、

「これは、半井中尉に嫉妬を……」

と呟く。更に言葉を続けようとした山本国軍大臣に、鋭い殺気が浴びせられる。大山さんの殺気をまともに食らってしまった山本国軍大臣は慌てて口を閉ざした。

「まぁ、大山さんの言いたいことは分かったわよ」

 めんどくさいなぁ、という心の声を押し殺して、私は言った。

「だから、半井君とは、公式の場では適度な距離を保って付き合うわ。それでいいでしょ?」

 私の言葉に、「それでしたら、まぁ……」と歯切れの悪い返事をしながら、大山さんは首を縦に振った。私は、半井君が軍医学校に赴任したら、一度盛岡町に招いて彼の話を聞くことに決めた。


 1930(昭和2)年4月1日火曜日午後5時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)家盛岡町邸。

「初日の勤務、お疲れ様」

 私は早速、今日軍医学校に赴任した半井久之軍医中尉を、盛岡町邸の応接間に招いた。ちなみに、私の隣には、“心配ですので”と言い張って私に付き添っている大山さんが座っている。

「軍医学校の印象はどうかしら?」

 こう質問して微笑んでみると、半井君は緊張した表情で、

「はい、教職員も学生も、殿下の薫陶を受け、よく規律を守っているように思いました。特に驚いたのは軍事の座学と教練でして……。あれほどまでに学生が熱心に軍事に打ち込んでいるとは思いませんでした」

と言う。

「それは……大山さんのせい、いや、おかげね」

 私は口が滑ったのを慌てて誤魔化すと、紅茶を一口飲んだ。

「そうでしたか……いや、納得致しました」

 一方、半井君は私に意外な答えを返した。

「ここ数年の軍医学校の卒業生は、退役後の生活に気をとらわれ過ぎる余り、軍事のことを軽視する傾向があったのです。そのために、初任地での業務に支障をきたすことが度々発生していました。しかし、昨年8月に軍医学校を卒業した軍医たちは、そのようなことが一切なかったのです。それはなぜなのかと不思議に思っていたのですが、大山閣下のご指導によるものだったのですね」

「あ、ああ、うん……」

 私は曖昧な答えを返すしかなかった。私の赴任から1年弱が経過した今も、大山さんの学生たちに対する容赦ない授業と教練は続いている。脱落者が出るかもしれないから改めるようにと何度も命じているけれど、大山さんが手加減する様子は一向にない。ただ、不思議なことに、軍事の授業と教練が原因の欠席者や退学者は1人も出ていないので、私も大山さんに強く言うことができない。そして今、半井君からもたらされた情報により、私は大山さんのやり方を黙認するしかなくなってしまった。

「と、ところで、半井君は、軍医学校への赴任を志願してくれたと聞いたけれど、それはなぜなのかしら。(さだ)さんとの結婚準備をするために、東京に勤務するのが便利だからかな?」

 話題を変えなければならない。私が慌てて姿勢を正し、半井君の婚約者の名前を出して質問すると、

「いえ、そうではありません!」

半井君は勢いよく左右に首を振った。

「僕が軍医学校への赴任を志願したのは、校長殿下の下で働きたかったからです!今まで殿下は内大臣でいらっしゃいましたから、直接殿下に恩を返すことは叶いませんでした!ですが、今でしたら、殿下に直接恩を返すことができます!だから軍医学校で働きたいと志願しました!」

「……私、校長事務取扱なんだけどね」

 ものすごい勢いで喋る半井君に苦笑いを向けると、

「でも、そう思ってくれるのね。ありがたいな」

私は素直に感想を述べた。すると、

「当然のことでございます」

半井君は強い口調で私に言った。

「僕は殿下に医者にしていただきました。それに、貞さんという、立派な結婚相手も世話していただきました。ですから、たとえ一生掛かっても、殿下にその恩を返したいと思っております」

「そっか……」

 軍医の白い軍服を着た半井君を私はじっと見つめた。初めて彼に出会ったのは1908(明治41)年……今から20年以上前のことだ。その時、彼は8歳だった。それから彼は勉学に励み、私と同じ軍医の道に進んだ。

「君とこうして、一緒の職場で働くことになるなんて、出会った時には思ってもいなかったよ。これからよろしくね、半井君」

 私が微笑むと、半井君は「はい、殿下!」と元気よく答えた。

 と、

「ところで、半井君。この先、歓迎会などは予定されているのですかな?」

私の隣に座る大山さんが口を開いた。

「はい、明日、他の教職員の方々に、歓迎の宴会に誘われています。もちろん、業務終了後ですが」

 大山さんの質問に、半井君はこう答える。

「そうなのね。……半井君、お酒はほどほどにね」

 昔見た半井君の飲みっぷりを思い出した私は彼に注意を与え、それに対して「はい、かしこまりました」と彼も答えてくれたのだけれど、

「いやあ、半井君の飲みっぷりは素晴らしいですなぁ」

「歓迎会の席で、我々、1人残らず半井君に潰されましたからなぁ」

……後日、私は他の教職員たちからこんな話を聞くことになり、両腕で頭を抱えた。

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更新お疲れ様です。 米内さん「ほほう?」
良いことかどうか知りませんけど、新人が飲み比べで相手を酔い潰したら一目置かれるようになる。 私みたいな下戸には無縁の世界。
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