枢密院議長へのお見舞い
1929(昭和元)年12月13日金曜日午後4時20分、東京市芝区三田1丁目にある枢密院議長・黒田清隆さんの私邸。
「このようなむさ苦しい邸宅に、しかも、寝たまま殿下をお迎えするとは、誠に面目ない次第でございます……」
寝室でベッドに横たわる黒田さんの布団の上には、和装の時に使う袴が礼装代わりとして置かれている。本当はそんなことをしなくていいと言いたいのだけれど、相手の気持ちを無下にするわけにもいかないので、
「気にしないでください。私は軍医ですから」
とだけ私は言って、黒田さんに微笑を向けた。
黒田さんは、11月の中旬に階段を踏み外して転倒し、腰を強打して動けなくなってしまった。そのため、現在も自宅で療養している。当初は“12月に入れば復帰できる”という話だったのに、黒田さんが12月の中旬になってもまだ復帰しないので、私は仕事帰りに大山さんと一緒に黒田さんを見舞うことにしたのだ。
「太皇太后陛下の大喪儀にも参列できず、誠に申し訳ないことを……」
更に私に謝罪しようとする黒田さんに、
「それも気にしないでください。黒田さんが冥福を祈ってくれていたのは、お母様だって分かっていると思うし、……それに、もし参列していたら、騒動に巻き込まれていましたよ」
と私が言うと、
「ほう、騒動とは?」
黒田さんが目を光らせながら私の言葉に食いついた。
「詠子内親王殿下が、大宮御所で太皇太后陛下の霊柩をお見送りになった後、太皇太后陛下に仕えていた女官たちに混じって葬場殿の儀に参列なさったのです。もちろん、ご両親の許可を得ずに」
すかさず、私の横から大山さんが、お母様の大喪儀で発生した事件を語り始める。
「更には、葬場殿から仮設駅に忍び込み、御召列車の中に侵入したのです。それが発覚したのは御召列車の発車と同時……天皇陛下はご寛大にも、太皇太后陛下の陵所での儀式に詠子内親王殿下が参列することをお許しになったのですが、様々な課題が残る騒動となりましたな」
「それはそれは」
事情を把握した黒田さんは微笑んだ。
「新聞で、陵所での儀式に詠子内親王殿下が参列なさったと拝見して、なぜ、未成年で儀式に参列できないはずの詠子内親王殿下が参列を認められたのか……と不思議に思っていたのですが、そういう楽しい事情があったのですか。珠子妃殿下の幼いころや、増宮さまと申し上げたころの殿下を彷彿とさせますな」
「黒田さん、珠子さまは無茶なことをしましたけれど、私はそんなことは……」
していない、と私が黒田さんに反論しようとした瞬間、大山さんが私をギロリと睨みつける。
「あ、嘘です、してたみたいです、はい……」
慌てて発言を訂正した私に、
「ご結婚までになさった……いえ、ご結婚の後もなさっていた無茶の数々、今ここで、了介どんに披露してもよいのですよ?」
大山さんは容赦なく追撃をする。
「やめて。それ、本当にやめて。ストレスで胃壁が破れるから……」
私が両腕で頭を抱えると、大山さんがクスクス笑う。それにつられたのか、寝ている黒田さんもクスっと笑った。けれど、
「……冗談はさておき、この一件、警備の面から見れば大きな問題です。詠子内親王殿下がこのような大それた行動に出られることは誰も予想していなかったでしょうが、内親王殿下を止める機会は作ることができたはず。今回の件、落とし前はどうつけたのですか?」
すぐに真面目な顔に戻り、私と大山さんに問う。
「……天皇陛下は、“今回の一件は、関わった全員に落ち度がある”というご判断を下されました」
大山さんも笑いを収め、真面目な表情で黒田さんに説明をする。
「詠子内親王殿下が太皇太后陛下を思うあまり、思い切った行動を取ることを予測できなかった鞍馬宮家や大宮御所の職員たちには落ち度がある。また、情にほだされてしまった女官たちにも落ち度があるし、和装の女性を“太皇太后陛下に仕えていた女官”と一くくりにしてしまい、個人の面体を改めず、御召列車内への侵入を許してしまった警備陣にも落ち度がある。しかし、今回の件を公表するわけにはいきませんし、処分をするとなると対象者が多数になります。それもありまして、天皇陛下は、処罰を行わない代わりに、各部署に改善案を立案して提出することをお命じになりました」
「ちなみに、詠子さまには、お母様の大喪が明ける来年の3月までは、刀剣の鑑賞を禁じるという命令がお上から出されました。それから、明石さんから、算術の問題もたくさん出されたみたいです」
大山さんに続き、私が黒田さんに情報を伝えると、
「なるほど。……しかし、これだけでは、詠子内親王殿下が葬場殿からどうやって御召列車に忍び込んだか、論理的な説明ができませんが……」
黒田さんは訝しげに言う。
「どうやら、詠子内親王殿下は、鞍馬宮邸の敷地で行われていた院の職員の訓練を密かにご覧になっていて、見様見真似で隠密行動のやり方を覚えてしまったらしいのです」
こう話してため息をついた大山さんに、
「頼もしいことではないか、弥助どん。そう言えば、詠子内親王殿下は、弥助どんの曾孫に当たる。血は争えない、というわけだな」
黒田さんはニッコリ笑いかける。
「俺は、詠子内親王殿下には、俺のご主君のような淑女になっていただきたいのですが……」
私は大山さんの言葉を様々な方面から訂正したくなったのだけれど、口を開く前に、
「諜報活動を行う美しい淑女というのもよいではないか」
と黒田さんが大山さんに言う。更に黒田さんは何かを言おうとしたけれど、続けて出てきた咳に言葉は遮られた。
「黒田さん、大丈夫ですか?」
私が身体を寄せて黒田さんに尋ねると、「ええ、最近、咳が……」と彼は答える。「もしよければ、診察しましょうか?」と問うと、「お願いします」という答えが返ってきたので、私は持ってきていた診察カバンを開け、黒田さんの身体の診察を始めた。
寝ていた期間が長いせいか、黒田さんの下肢の筋肉は以前より細くなっている。本来、毛細血管が走っていて充血しているはずの目蓋の裏側は蒼白だった。そして、左の鎖骨の上のくぼみにあるリンパ節は腫れていた。
(これは……)
この腫れているリンパ節は、“ウィルヒョウリンパ節”とも呼ぶ。消化管などにできたガン細胞がリンパの流れに乗ると、このリンパ節に転移することがある。貧血の所見も、消化管にガンがあることを示唆している。直腸診まではしなかったけれど、もしやっていれば、消化管出血の存在を示す黒色便が……。
「どうですか、殿下?」
診察を済ませた後、推論を巡らせながら診察道具を片付けていた私に、黒田さんが尋ねる。
「……ちょっと、貧血気味ですね」
私は黒田さんに答えた。「鉄分が多く含まれている食べものを取ることを心掛けるといいですよ」
……恐らく、黒田さんは消化管のガンを患っている。もしかしたら、腰を打った後で動けないのも、ガンが背骨に転移して病的骨折を起こしたからなのかもしれない。けれど、黒田さんは現在89歳……年齢と、現在の医学レベルを考えると、元々の病気が分かったとしても、それに対する積極的な治療を行うことは不可能に近い。更に言えば、黒田さんの主治医ではない私が、黒田さんにそんな重大なことを告げるわけにはいかないのだ。
「そうですか、心がけましょう」
そう言った黒田さんは、
「殿下……本当にありがとうございます」
突然、お礼の言葉を口にした。
「はい?」
片付けの手を止めた私に、
「殿下が俺たちに、酒とタバコをやめるようにお命じにならなかったら、殿下が俺たちの健康を管理してくださらなかったら、俺はこんなに長く生きられなかったでしょう。まさに、俺は殿下に命を与えられたわけです」
黒田さんはしみじみとした口調で言う。
「その与えられた命で、俺は9年以上内閣総理大臣を務め、この国の基礎を少し固めることができました。極東戦争の後、極東平和委員会の委員長を務め、新イスラエルの建国を助けることができました。世界大戦の危機の回避、関東大震災への対応……難しい、やり甲斐のある仕事がたくさん致しました。多少は、この国の役に立てたと思っております」
「……まだまだ、役に立ってもらわないといけませんよ」
私は黒田さんの右手に手を伸ばした。
「黒田さんの復帰が余りにも遅いから、お上が“見舞いに行きたい”と言っていました。それから、兄上も。用心しないといけませんよ。兄上、いつ来るか分かりませんから」
私が話しかけると、「その通りですな」と黒田さんは頷き、私の手を握る。
「それじゃあ、また来ますからね、黒田さん」
「かしこまりました」
黒田さんは私の手を握ったまま、穏やかに微笑する。その澄み切った微笑みを見て、私は、黒田さんは自分が死病を患っていると理解していることを悟った。
1929(昭和元)年12月14日土曜日午後2時45分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「……以上が、“金剛”の代艦の主要性能諸元です」
月に1度の定例の梨花会では、国内・海外の重要な話題が討議された後、1933(昭和5)年に艦齢20年を迎える装甲巡洋艦“金剛”の代艦となる新しい装甲巡洋艦のスペックが、山本権兵衛国軍大臣により一同に披露されていた。
●金剛型代艦主要性能諸元
排水量:34950トン
全長:240.0m
全幅:27.5m
主缶:技術本部式2号重油専焼缶 12基
主機:技術本部式オールギヤード・タービン4基4軸
最大出力:180000hp
最大速力:34.0ノット
航続距離:14ノットで6800海里
主砲:50口径35.6cm連装砲3基6門
副砲:45口径12cm連装高角砲12基
61口径25mm三連装機銃12基
装甲:舷側 152.4mm-304.8mm
甲板 76.2mm-152.4mm
主砲塔 254mm-304.8mm
司令塔 254mm-304.8mm
(金剛型や葛城型より、ちょっと大きくてちょっと速いことぐらいしか分かんないなぁ……)
配布された諸元表を見た私が顔をしかめると、
「なるほど、防御力を保ちつつ、速度も増したのですか。これは素晴らしい」
“史実”の記憶を持つ山本五十六航空中佐が、目を輝かせながら頷いた。
「35.6cm砲とは思い切ったね」
続いて感嘆の声を漏らしたのはお上だ。
「金剛型も葛城型も、主砲は34.3cm砲だ。もっとも、イギリスのネルソン型など、38.1cm砲を載せているから、あくまでも“我が国にとっては”という但し書きはつくが……しかも、この34ノットという最大速力は、世界の主力艦の中で最速になるのではないかな?」
「おっしゃる通りです。技術本部式の新しい缶とタービンのおかげでございます」
お上が確認すると、参謀本部長の斎藤実さんが恭しく言上する。けれど彼は、「しかし、缶もタービンも、これほどの大きさの軍艦に積んだことはありません。本当に34ノットを出せるかどうかは今後も検討するべきでしょう」と付け加えることを忘れなかった。
「イギリスはともかく、これはドイツを刺激してしまうのではないでしょうか?」
すると、立憲自由党の幹事長・横田千之助さんが不安そうに言った。
「”金剛“が建造された時も、ドイツのティルピッツ海軍大臣は神経を尖らせていたと聞いております。この新型主力艦は、世界最速の主力艦……またドイツを刺激してしまわないか、それが不安です」
更にこう述べた横田さんに、
「そりゃあ問題ない。前内府殿下がいらっしゃるからのう」
西郷さんがのんびりと言う。「は?」と訝しげに反応した横田さんに、
「前内府殿下は、皇帝の心を完全に掌握していらっしゃる。前内府殿下が一言おっしゃれば、皇帝は我が国に対する警戒心を捨て、その部下たちも我が国に従順にならざるを得ないのです」
陸奥さんがなぜか誇らしげな態度で告げる。明らかに困惑している横田さんに、
「横田さん……色々と、思うところはあるでしょうが……陸奥閣下のおっしゃっていることは、真実です……」
外務大臣の幣原さんが、額に何本も皺を作りながら教えた。
「横田君、君も梨花会の一員ならば、そのくらいのことは把握しておいてくれないと困るよ」
更に、立憲自由党総裁の原さんが顔をしかめながらこう言うと、横田さんは口をあんぐりと開けたまま、黙って首を縦に振ったのだった。
「……叔母さま、よろしいですか」
数分後に梨花会が終了すると、お上が私を呼んで手招きした。何事かと私が慌ててお上のそばに寄ると、
「午前中に聞きそびれてしまったのですが、黒田の爺の様子はいかがでしたか?」
お上は小さな声で私に尋ねる。
「……余り長くないと思う」
私はお上に答えるとため息をついた。「昨日、お見舞いした後で、黒田さんの主治医の先生にも確認したけれど……どこが原発かは分からないけれど、ガンがあるわ。年齢を考えると、この時代の医学では、これ以上の精密検査も治療も難しいと思う」
「そうですか……」
うつむいたお上は、やがて顔を上げると、
「なるべく早く、黒田の爺の見舞いに行くようにします。黒田の爺には、教わりたいことがまだありますので」
しっかりした声でこう言った。けれど、次の瞬間、両肩を落とし、
「おばば様が逝かれ、そして今度は黒田の爺が逝こうとしている……人の世は、無常ですね……」
と暗い声で呟いた。
「……そういうものよ。人は生まれて、やがて死んでいく。医学がどんなに進んでも、それは変わらない」
「叔母さま……」
「でも……だからこそ、できることをやらなきゃね」
私がそう言ってお上に微笑むと、お上は黙って頷いた。




