引き継ぐもの
1929(昭和元)年10月15日火曜日、午前8時35分。
赤坂御用地内にある東京大宮御所で、お母様は80年の生涯を閉じた。
歴史の教科書なら、ここでお母様についての記述は終わるのだろう。けれど、残された私たちには、やらなければならないことがたくさんある。いつまでも悲しみに浸っていたいのは、私や兄、お上といったお母様の近親者のみならず、政府高官たちや宮内省の職員たちも同じだったけれど、お母様の大喪儀……一般の葬儀・告別式にあたる儀式の準備は、突然の崩御の直後から始まっていた。
“御舟入”……一般で言う納棺の儀式が行われた10月16日には、お母様の大喪儀に関する事務一切を取り仕切る事務組織である“大喪使”の立ち上げと、それに属する役人たちの名前が発表された。崩御から1週間経過した10月22日には、大喪儀は11月27日から29日にわたって行われること、そして、お母様の陵墓は、京都府の堀内村・木幡山にあるお父様の陵墓の隣に造営されることが決まった。同じ10月22日には、大喪儀の予算を決定するための帝国議会を招集する詔書も出されている。お上は、そしてお上を支える内大臣の牧野さんや宮内大臣の湯浅さん、そして、他の国務大臣たちは、やるべき仕事を淡々と進めていた。
そして、1929(昭和元)年10月29日火曜日午後2時30分、東京市京橋区築地4丁目にある国軍軍医学校の校長室。
「……太皇太后陛下の崩御から今日まで、あっと言う間でしたな」
学生たちへの授業を終えた大山さんは、私のお付き武官の奥梅尾さんが淹れたお茶を一口飲むとこう言った。私が国軍軍医学校に赴任してから、大山さんは、平日のこの時間には校長室に必ずやって来て、私と話をしていく。
「そうね」
私もお茶を一口飲むと、
「牧野さんも湯浅さんも、それから桂さんたちも、うまく事務を進めているわ。土曜日に参内して様子を見守っていたけれど、それはもう見事な連携ぶりだった」
と大山さんに教えた。9月上旬に行われた衆議院議員総選挙で、桂さん率いる立憲改進党は、300の議席のうち154議席を獲得し、原さんが総裁を務める立憲自由党に勝利した。このため、内閣総理大臣は原さんから桂さんに交代している。
「……お父様の崩御の時以来、13年ぶりの大喪儀になる。あの時は改元もあったから本当に大変だったけれど、天皇の大喪儀ではないから、あの時よりやることは少し減っている。それに、お父様の大喪儀の資料は残っているんだから、牧野さんや湯浅さんや桂さんみたいなベテラン勢が、今回の仕事に苦戦することはないわよ」
更に私が大山さんに言うと、
「なるほど、経験者のおっしゃることは違いますな」
大山さんは私にニヤリと笑いかける。
「経験者になりたくてなったわけじゃないのよ。あの時は、内大臣をやれ、っていきなりお父様に命じられて、私、無我夢中で……。外賓もたくさん来たし、事件もたくさん起こったし……大喪儀関係の事務の統括なんて、二度とやりたくないわ」
賀陽宮恒憲王殿下に嫁ぎ、今年3月に男の子を出産した珠子さまのことを私は思い出してため息をついた。お父様の棺が皇居を出発する直前、乃木さんの自決を止めるために私の力を借りようと考えた彼女は、自転車で皇居の警備網を突破して、表御座所に侵入したのだ。もちろんそのことも、その後で、私と珠子さまが乃木さんの家に向かったことも、公にはされていないけれど……。
「ところで、今日はこれから、殿下は大宮御所に向かわれるのですか?」
思い出に浸っていた私の意識を、大山さんの声が現実に引き戻した。
「うん、盛岡町に戻って着替えてからだけど」
今日は午後5時から、大宮御所で、お母様の棺を寝室から謁見の間に移す“殯宮移御の儀”が行われる。私も栽仁殿下の妃として参列する予定だ。
「明日はどうなさいますか?」
大山さんの重ねての問いに、
「明日ねぇ……。朝の“殯宮移御翌日祭の儀”の後で、兄上のところに行くつもりだから、出勤するとしたら午後だし、兄上の様子によっては、明日は一日休むかもしれない」
私はこう答えて両肩を落とした。
「……上皇陛下のご様子はいかがですか?」
「おととい行った時は、ちょっとだけ元気になってたかな」
大山さんに、私は少し顔をしかめて返答する。「無理もないよ。奥閣下が6月に亡くなったばかりのところに、お母様まで亡くなったんだから……。もっとも、ダメージが大きいのは、私も同じなんだけど」
「……」
「でも、これで兄上が元気になってくれなかったら、私、一生立ち上がれなくなっちゃう。だから私、兄上のところに顔を出して、診察して、兄上を元気にするの。兄上まで死んじゃうなんて、私、絶対に嫌だもの」
私がうつむいて言い切った時、
「殿下」
大山さんが私を呼んだ。
「殿下も余り、ご無理なさいませぬように。お辛い時は、どうぞおっしゃってください。いつでも、話を聞きますから」
「……ありがとう。そのうち、頼らせてもらうかもしれない」
やはり、我が臣下にはどう頑張っても敵わない。私は大山さんにお礼を言うと、カバンを持って椅子から立ち上がり、軍医学校の玄関へと向かった。
1929(昭和元)年10月30日水曜日午前10時30分、赤坂御用地内にある仙洞御所。
「じゃあ、息を大きく吸って……吐いて……」
仙洞御所内にある兄の書斎で、私は兄の胸に聴診器を当てていた。兄が7月上旬に仙洞御所に住まいを移してから、私は週に1度仙洞御所に赴き、兄と節子さまの診察をしている。今日は同じ赤坂御用地内にある東京大宮御所で行われたお母様の“殯宮移御翌日祭の儀”に参列してから、私は仙洞御所にやってきた。
「……うん、身体所見に異常はないね」
心音と呼吸音の聴診を終えると、私は聴診器の耳管を両耳から外した。
「日曜日から、体重は少し増えているわね。少しは食事もとれているのかしら?」
「ああ、節子にうるさく言われるからな」
私の質問に兄は苦笑して応じると、診察のためにはだけたシャツを直し始めた。
「“嘉仁さままでこのままご体調を崩されたら、太皇太后陛下が悲しまれます”と言われてしまってな……それで箸を取っている」
「それを聞いて、少し安心した」
私は兄に答えると大きく息を吐いた。「本当は、ずっと兄上のそばにいて、健康状態をチェックしたいけれど、そういうわけにはいかないからね。節子さまがいてくれてよかったわ」
「……ずっと悲しみに沈んでいるわけにもいかないのは、俺も分かっているよ」
服を整え終えた兄は、私に寂しげな微笑を向けると、
「……お母様には、少ししか孝行できなかったなぁ」
遠くを見るような目になって、ため息をつく。
「俺は脳梗塞になってしまって、身体が思うように動かない。一般の家庭なら、老いた母親のために薪を割ったり水を汲んだり、家の簡単な修繕をしたりするのだろうが、俺はそんなことはしたくてもできない。だから、お母様のところに行っても、話し相手ぐらいしかできなかった。俺が謝ると、お母様は、“そこにいてくださるだけでよいのですよ。それだけで、私は本当に嬉しいのです”と仰せられて……いつも恐縮していたのだ」
微かに涙が混じる兄の言葉を、私は黙って聞いていた。
「そのお姿に、そのお声に、もう触れられないと思うと、胸が締め付けられる。この身体では、お母様の山陵に行くことも叶わないし……」
やがて、両肩を落とした兄は、私をじっと見つめると、
「なぁ、梨花。俺の山陵は、“史実”ではどこにあったか知っているか?」
私にこんなことを尋ねた。
「は?」
「俺はお父様とお母様のように、京都で生まれ育ったわけではない。だから、俺の山陵は、関東に造ってほしいのだ。その方が、お前も墓参りがしやすいだろう?」
思わぬ言葉に目を丸くした私に向かって、兄は更にとんでもないことを言う。
「……八王子城の近くだったけどさ。いや、正確に言うと、八王子城より、八王子城の支城の初沢城の方が近いかもしれないけどさ」
一応、兄の問いには答えたけれど、私は湧き上がる怒りを抑えることができず、
「あのさ、兄上。自分のお墓の心配もいいけど、私たちがやらないといけないことは他にあるでしょう!」
持っていた聴診器を前にある机に叩きつけながら兄に叫んだ。
「気持ちは分かるよ。私だって、もうお母様がいないと思うと本当に辛いもん。……だけどさ、これからは、お母様がやっていたことを、私たちがやらないといけないのよ」
「お母様が……やっていらしたことだと?」
訝しげに私を見つめる兄に、
「親しい人たちの、悩みの相談に乗ること……かな」
と私は言った。
「私は小さい頃から、ずっとお母様に助けられてきた。お母様は私の悩み事を聞いてくれて、優しく背中を押してくれたり、考え違いをそっとたしなめてくれたり……私がより良い選択をするための後押しをしてくれた。お母様はもうこの世にいなくなってしまったから、今度は、お母様が私たちにしてくれていたことを、私たちが他の人にするの。もちろん、全部をお母様と同じようにすることはできないと思うけど、私たちなりのやり方で、できることだって、きっと、あるはずだから……」
言葉を兄に叩きつけているうちに、優しかったお母様の思い出が脳裏に蘇り、私の目からは涙がポロポロとこぼれ落ちてしまった。私が涙を拭おうとハンカチーフを探し始めたその時、
「まさか、梨花からそんな言葉を聞くとはな……」
兄がそう言いながら左手を伸ばし、私の涙をそのまま手で拭った。
「だが、確かに、お前の言う通りだ。お母様は、俺にも梨花にも、俺たちの弟妹にも、時にはお父様にも、進むべき道をそっと示してくださっていた。……お母様がやってくださっていたこと、今後は、俺たちがやらねば……」
涙を流し続ける私に、兄が微笑を向けた瞬間、
「嘉仁さま、お姉さま、入りますよ」
そんな声とともに、書斎のドアをノックする音が響いた。
「おう、節子か。いいぞ」
兄が応じると、黒いデイドレスを着た節子さまが、兄の書斎に入って来る。彼女は一冊の本を胸の前で抱えていた。
「どうした、節子。その本は何だ?」
「家庭園芸の本ですよ」
兄の問いに、少し嬉しそうに答えた節子さまは、私のそばまでやってくると、本を広げて私と兄に見せた。
「畑にどんな作物を植えるか、嘉仁さまに相談しようと思いまして」
「なるほどね」
私は微笑んで首を縦に振った。兄の書斎の前の地面は、節子さまや兄の侍従さんたち、そして節子さまに仕える女官さんたちによって、雑草が取り除かれ、作物が育てられるように数か月かけて耕された。
「それは俺に相談しなくてもいいだろう。節子の畑なのだから、節子が好きなものを植えればいい」
兄がやや面倒くさそうに応じると、
「ダメですよ、あの畑は、私と嘉仁さまのものですから」
節子さまは微笑を含んだ声で言い、本のページをめくりながら、
「嘉仁さまにも、作物のお世話をやっていただきますよ」
と兄に告げた。
「俺が、か?」
顔をしかめた兄は、
「俺は足手まといになるだけだぞ。第一、畑を耕すのも手伝えなかったし……」
と小さな声で言う。
「まぁまぁ、そんなことをおっしゃらずに……嘉仁さまのリハビリにもなると思うのですよ」
顔に苦笑いを浮かべた節子さまは、
「ねぇ、お姉さま。嘉仁さまが農作業をなさってもいいですよね?」
私に縋るような口調で確認する。
「いいと思うわよ。水やりしてもいいだろうし、収穫してもいいだろうし……。屈むのが不安なら、背の高い作物の世話をすればいいのよ。そうすれば、歩行器や杖を使って歩くのと違って、身体の色々な機能が鍛えられると思うわ」
私が節子さまにとっさに答えると、
「ふむ、身体の色々な機能が鍛えられるリハビリか……。それなら、畑の世話をしてみてもいいかもしれないな」
私の言葉を聞いた兄はこう言った。
「本当ですか?!」
パッと顔を輝かせた節子さまは、
「では、どの野菜を育てましょうか?小松菜、そら豆、ほうれん草、えんどう豆、わけぎ……」
本を指さして、はしゃぐように兄に話しかける。
「おいおい、そんなに育てるのか?初めてなのだし、最初は種類を抑える方が……」
「そうね、初心者でも育てやすい作物かどうかは確認する方がいいわ。今の時期から育てるとなると、越冬のことも考えないといけないし……」
本をのぞき込みながら、私と兄、そして節子さまは、新しい畑で育てる野菜について話し合う。時には大袈裟な身振り手振り、そして笑い声を交えながら、私たちは夢中になって議論をした。お母様が亡くなって以来久々に、仙洞御所に明るい空気が戻ってきたのを私は感じた。




