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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第83章 1929(昭和元)年雨水~1929(昭和元)年寒露
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お母様(おたたさま)のそばで

 1929(昭和元)年10月15日火曜日午前8時30分、東京市京橋区築地4丁目にある国軍軍医学校。

「「殿下、おはようございます!!」」

 校舎の玄関前で自動車から降りた私の目に映ったのは、私に向かって最敬礼する軍医学校の教職員たちだった。着任当日こそ、教職員たちからこのような挨拶は受けたけれど、それ以降は、“出勤・退勤の際の出迎えや見送りはしなくてよい”と通達してやめてもらっているはずだ。それが今日に限ってどうして……と訝しんでいると、教職員たちが頭を上げる。彼らの顔は一様に輝いていた。

「殿下、この度は、謹んでお悔やみ申し上げます」

 1人の教職員が一歩前に出て私に頭を下げると、

「我々、殿下のご出勤を、心よりお待ち申し上げておりました!」

彼の隣にいた教職員が、縋るような目で私を見つめながら言う。

「殿下が服喪中で学校にいらっしゃらない間、我々は精神を極限まですり減らすみじめな日々を送り……ひっ?!」

 私に何かを訴えようとした教職員の背後から、猛烈な殺気が浴びせられる。悲鳴を上げた教職員は、脇に慌てて飛び退いた。怯えた顔の教職員たちが玄関の左右に逃げるようにして下がり、中央から姿を現したのは、カーキ色の歩兵大将の軍服に身を包んだ大山さんだった。

「おはようございます、殿下」

 私に向かって恭しく一礼した我が臣下に「おはよう」と挨拶を返すと、

「あなた、私がいない間に何をしていたの?」

私は冷たい声を作って彼に尋ねた。

「真面目に勤務を続けておりましたよ」

 大山さんは私に答えると微笑んだ。

「他の教職員を脅してはいないわよね?」

「もちろん、そんなことはしておりません。ただ、殿下が服喪中でご出勤なさっておられないからと言って、日々の務めを怠るようなことをしてはなりませんぞと、同僚の諸君に注意はしましたが」

 私に嘯く大山さんに、他の教職員たちが恨めしげな視線を送っている。その様子で、私が軍医学校に出勤していない間に何があったか、私は大体察してしまった。

「大山さん、他の教職員に対しては威圧的な態度……例えば、殺気を放ったり、武器をもてあそんだり、そのあたりにあるものを壊して自分の力を誇示したりしながら接することのないようにしてください。確かにあなたは歩兵大将で、ここにいる誰よりも階級が高いですけれど、この学校を統括するのは校長事務取扱の私であり、教職員はあなたと同じ立場です。軍医学校という組織に属している以上、その組織の規則に従ってください」

 私は大山さんに隙を見せないように気をつけながら注意をする。ちゃんと従ってくれるか心配だったけれど、大山さんは意外にも素直に頭を下げ、

「かしこまりました。以後、注意いたします」

と私に返答した。「是非、そうしてちょうだい」と応じると、私は校長室へと向かった。

 私は12日前……10月3日から軍医学校に出勤していなかった。それは私の義理の祖母・有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王の妃であった董子(ただこ)妃殿下が、10月2日に亡くなったからである。

 9月の下旬から、義理の祖母は風邪を引いていた。私は2日に1度、霞ヶ関の本邸を訪問してお見舞いをしていたけれど、義理の祖母の風邪は肺炎になることもなく、順調に治りつつあった。ところが、10月2日の夜、義理の祖母は“胸が苦しい”と訴えて倒れてしまった。ちょうど往診していた三浦先生が手当てをしてくれたけれど、その甲斐もなく、董子妃殿下は10月2日午後8時25分、74年の生涯を閉じた。

 天皇の葬儀である大喪儀(たいそうぎ)ほどではないけれど、皇族が亡くなった時には様々な行事がある。そのため、斂葬(れんそう)の儀……一般の葬儀・告別式にあたる儀式が行われた10月13日まで、私は様々な儀式に参列しなければならず、軍医学校に出勤することができなかった。董子妃殿下の薨去(こうきょ)に伴う一連の行事が落ち着いた今日、私はようやく軍医学校に出勤したのである。

「有栖川宮家の皆様方は、いかがお過ごしですか?」

 校長室に入ると、大山さんは穏やかな声で私に尋ねた。

「……お義父(とう)さまとお義母(かあ)さまは、最初は突然のことで呆然としていたけれど、今は気丈に振る舞っているわ」

 机の上にカバンを置くと、私は大山さんに答えた。

「今回、お祖母(ばあ)さまが亡くなったから、お義父(とう)さまは大礼使を降りることになった。だから、少し暇になるみたいね」

 義父にとっては、母が亡くなったことになるので、義父は1年の喪に服すことになる。11月に行われるお(かみ)の即位礼は、もちろんご神事が伴うので、喪に服している義父は参列できない。だから大礼使の総裁は、義父から閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)親王殿下に変更された。

「ただ、お義父(とう)さまもお義母(かあ)さまも、精神状態はちょっと心配なのよね。2人とも、お祖母(ばあ)さまと仲が良かったから」

 私はこう言うと、大山さんの方を振り向き、

「大山さん、たまに……で構わないけれど、霞ヶ関の本邸に顔を出してくれないかな?もちろん、私もお義父(とう)さまとお義母(かあ)さまに会いに行くけれど、大山さんは有栖川宮で働いていたこともあるから、大山さんと話したら、お義父(とう)さまとお義母(かあ)さまの気も少しは紛れるかな、って思うの」

「かしこまりました」

 恭しく一礼した大山さんは、「若宮殿下やお子様方は?」と更に私に問う。

栽仁(たねひと)殿下は、小さいころから可愛がってくれていたお祖母(ばあ)さまが亡くなったから、ショックは受けていたけれど……多分大丈夫だと思うわ。子供たちは、それなりに悲しんでいたけれど、万智子(まちこ)は栄養学校に通い出したし、謙仁(かねひと)禎仁(さだひと)も、きちんと学習院に通ってる。気持ちは多少浮き沈みするだろうけれど、そのうち、前を向いて歩き出せると思う」

「そうですか。……折を見て、盛岡町にも顔を出します」

「それはありがたいけれど……、私に対する自分の優位性を見せつけるようなことはしないでよ。今でさえ、校長事務取扱としての私の威厳は地に落ちているのに、家の中でも威厳がなくなっちゃったら……」

「その必要はありません。女王殿下も、謙仁王殿下も禎仁王殿下も、本当に尊敬されるべき人間は誰なのかということはよくご存じです」

 私の言葉に、大山さんは微笑んでこう返す。

「大山さん、それってどういう意味?」

 私は大山さんを睨みつけたけれど、大山さんは微笑を崩さず黙っている。

「あのねぇ、その、どっちとも取れる言い方、やめてくれない?尊敬されるべき人間は、私なの?大山さんなの?どっちなのよ?!」

 苛立った私が大山さんに詰め寄ろうとしたその時、袖机の上に置かれた電話のベルがけたたましく鳴る。私のお付き武官・奥梅尾(むめお)さんがすかさず受話器を取り上げた。

「……殿下、ご自宅からお電話です。殿下に直接お伝えしたいと」

 奥看護中尉は送話口を手で押さえながら私に報告する。私は黙って頷くと、彼女の手から受話器を受け取った。

「もしもし、お電話代わりました、章子です」

 私が送話口に向かって話しかけると、

「妃殿下、金子でございます」

我が有栖川宮家の別当で、中央情報院の麻布分室長も兼任している金子堅太郎(けんたろう)さんの声が聞こえた。

「ご出勤なさったばかりのところ、大変申し訳ございませんが、すぐに大宮(おおみや)御所にお向かいください。大宮御所から、太皇太后陛下が、ご危篤に陥られたという知らせが……」

「何ですって?!」

 まさに、青天の霹靂としか言いようのない事態に、私はただ、芸の無い反応をすることしかできなかった。


 1929(昭和元)年10月15日火曜日、午前9時5分。

「梨花さま、どうぞお気を強くお持ちください」

 赤坂御用地にある東京大宮御所へと向かう自動車の中、私の隣に座った大山さんは、私の手をしっかり握りながら囁く。

「分かってるわよ!」

 我が臣下を睨み返した私は、彼の手をしっかり握りしめた。

「……太皇太后陛下に、最後にお会いになったのはいつでございますか?」

「先月の初め」

 大山さんの質問に、私は短く答えてから、

「万智子が栄養学校に入学したから、その報告をするということで、栽仁殿下と子供たちと一緒に、大宮御所に行ったの」

と更に続けて言った。

「その時、お母様(おたたさま)と一緒にお茶をいただいたけれど、お母様(おたたさま)は元気そうだった。それに、その後も、お母様(おたたさま)が体調を崩したという話は聞いてない……なのに危篤って、一体どういうことなの?誤報なんじゃ……」

「お気持ちは分かりますが、金子さんが梨花さまに誤った情報を流すとは思えません」

 私の手を握ったまま、大山さんは首を左右に振った。「これが誤報で、太皇太后陛下がお元気なら、(おい)も嬉しいのでございますが……梨花さま、どうか取り乱しませぬよう」

 大山さんがそう言った瞬間、自動車は大宮御所の車寄せに滑り込む。私は急いで自動車から降りると、大宮御所の中に入った。

 私が案内されたのは、大宮御所の謁見の間でも、お母様(おたたさま)の居間でもなく、お母様(おたたさま)の寝室だった。部屋には、背もたれの無い座面の低い椅子に座った兄、そして皇太后の節子(さだこ)さまがいる。更には私の妹の昌子(まさこ)さま、房子(ふさこ)さま、允子(のぶこ)さま、聡子(としこ)さま、多喜子(たきこ)さまも顔を揃えている。そして、部屋の中央には、白羽二重の夜具に寝かせられたお母様(おたたさま)がいる。その顔には白い布が掛けられ、枕元には、私の弟・鞍馬宮(くらまのみや)輝仁(てるひと)さまの妃である蝶子(ちょうこ)ちゃんと、娘の詠子(うたこ)さまが正座していた。

「そんな……」

 その場にへたり込んだ私に、

「今朝、お目覚めの時刻に、宿直の内侍が声を掛けてもお目覚めにならないので、ご様子をのぞいてみたところ、呼吸が、止まっていたそうで……」

 泣きはらした目を私に向けた節子さまが、涙で声を途切れさせながらも教えてくれた。

「当直の侍医が、人工呼吸を差し上げたそうですが、お脈が戻らずに……」

 節子さまの声は、それ以上言葉にならない。

お母様(おたたさま)……)

 いくつもの泣き声が重なり合って響く中、私は顔に白い布を掛けられて夜具に横たえられたお母様(おたたさま)の亡骸をじっと見つめた。

 ……この時代に転生したと分かった私が、お母様(おたたさま)と初めてきちんと話したのは、1888(明治21)年、磐梯山が噴火した直後だった。

 その時、お母様(おたたさま)お父様(おもうさま)と一緒に、磐梯山の噴火に対する策について私が話すのに耳を傾けてくれ、私の前世の話……未来の話も熱心に聞いてくれた。お父様(おもうさま)から、私に前世の記憶があることをあらかじめ聞かされていたからだとは思うけれど、お母様(おたたさま)は前世のことを語る私を気味悪がったり拒絶したりすることはなく、私の話をきちんと聞いてくれた。それでほっとしたのを覚えている。

 そして、女性らしさを全て排除して生きたという前世の記憶を持ったまま、今生で成長していくアンバランスな状態の私を、誰よりも心配してくれたのはお母様(おたたさま)だった。恥ずかしくて、前世では誰にも言えないままだった幼い日の辛い失恋の思い出を、お母様(おたたさま)は馬鹿にすることなく聞いてくれた。そして、私にそっと寄り添ってくれたのだ。あの日から、自分が精神的に成長できたかどうか、よく分からないけれど……。ただ、あの時、私の話を聞いてくれたお母様(おたたさま)が私を抱き締めてくれなかったら、私はフリードリヒ殿下に恋することはできなかったし、栽仁殿下を好きになって、栽仁殿下の愛を受け入れることはできなかっただろう。

「そんな……早過ぎるよ……」

 うつむいたまま、私は声を絞り出した。

「子供たちの成長を、もっと見て欲しかった……お母様(おたたさま)に相談したいことだって、これからまた、出てきたかもしれないのに……」

 最後にお母様(おたたさま)に相談をしたのは、内大臣を辞めた直後、何をすればいいのか、私が迷っていた時だ。お母様(おたたさま)はその時も、私の悩みを聞いてくれ、迷う私の背中をそっと後押ししてくれた。その優しさに、私はこれまで、幾度となく救われてきた。お母様(おたたさま)と私とは、血こそつながっていないけれど、心は、私の今生の産みの母・花松(はなまつ)権典侍(ごんてんじ)や、前世の母と同じように、心はつながっている……そう、思って……。

「ねぇ、章子お姉さま」

 黙って涙を流していると、私の一番上の妹である昌子さまが私を呼んだ。

お母様(おたたさま)の……お顔をご覧になってあげて。とても……いいお顔だから……」

 涙声の妹に向かって頷くと、私はお母様(おたたさま)が寝かされている夜具のそばににじり寄った。蝶子ちゃんに付き添われてお母様(おたたさま)の枕元に正座している詠子さまが、お母様(おたたさま)の顔を覆う白布を無言で取り去る。現れたお母様(おたたさま)の顔は、いつもと変わらず、優しい微笑みを湛えていて、声を掛けたら目を覚ましそうにも思えた。

お母様(おたたさま)……変わらないね……」

 お母様(おたたさま)の死顔を見つめながら私は言った。

(きっと……全然、苦しくなかったんだろうな……)

 そう思った時、

「なぁ、章子……」

今まで黙っていた兄が口を開いた。

お母様(おたたさま)は、俺の治世を、本当に、見届けてから、逝かれたな……」

 兄は時折すすり上げながら、私に向かってこう言った。

「できることなら、俺の治世だけと言わずに、裕仁(ひろひと)の治世も、もっと見届けていただきたかった……」

 首を縦に振ってから顔を上げたけれど、涙で視界がぼやけて、前にあるはずの兄の顔は分からなくなってしまった。

 私は大好きなお母様(おたたさま)のそばで、兄とともに、涙を流し続けた。

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