奥侍従長と奥中尉
赤坂区の北端に位置する赤坂御用地には、お上の住まいである赤坂離宮、お母様の住まいである東京大宮御所、そして秩父宮邸・鞍馬宮邸が点在している。そんな赤坂御用地の北西部に、兄と節子さまの新しい住まいとなる仙洞御所が新築され、本日、検分が行われる。その検分に私は同行することになり、午前中に仕事を片付けると、お付き武官の奥梅尾看護中尉と一緒に赤坂御用地に向かった。
1929(昭和元)年6月25日火曜日午後1時30分、赤坂御用地。
「本日はご足労いただき、誠にありがとうございます」
仙洞御所の玄関近くで自動車から降りると、上皇侍従長・奥保鞏さんが私に最敬礼した。彼は今日の検分のため、午前中に葉山から上京してきたのだ。
「本来、前内府殿下は、お仕事の日ですのに……」
恐縮しきりの奥侍従長に、
「大丈夫ですよ。今の職は、割と自由がきくのです。そうでなければ兄上のところに毎週うかがえませんわ」
と私は笑顔で答える。校長事務取扱とはいえ、軍医学校で一番偉い人間であることは確かなので、書類仕事さえきちんとやっていれば、時間は自由に使えるのだ。
「なるほど、それは確かに」
侍従長は頷くと、私の斜め後ろに立っている奥梅尾看護中尉を見て、「そちらは、殿下のお付きの武官の方ですか?」と尋ねる。
「はい、看護中尉の、奥梅尾と申します」
奥看護中尉が自己紹介して敬礼をすると、
「上皇侍従長の奥と申します。……おや、名字が一緒ですな」
奥侍従長はこう応じ、珍しく微笑みを見せた。
本来、仙洞御所の検分に、私が出張る必要はない。兄の最も身近に仕える奥侍従長が検分して、“これでよし”と判断すればそれで済むことだ。それでも、私が今日、仙洞御所にいるのは、
――今度の住まいに取り入れられた“ばりあふりぃ”という概念は、梨花が言い出したものだ。ならば、言い出しっぺの梨花も、俺の住まいの検分をするべきだ。
と、兄が強く主張したからである。確かに兄の言う通りではあるので、私は奥侍従長の検分に同行することにした。検分を終えた後はそのまま葉山に行って兄に報告をして、葉山の有栖川宮家の別邸に泊まり、翌日、兄の診察をしてから東京に戻る予定だ。
新築された仙洞御所はほぼ洋館だけれど、節子さまが使う一部のエリアは和風建築になっている。けれど、どこの廊下の壁にも、腰の高さあたりに歩行補助用の手すりが取り付けられていた。
「廊下や、それに扉もですが、普通の建物より幅広く作られていて……流石、仙洞御所でございますね」
仙洞御所の中を歩きながら感嘆する奥看護中尉に、
「車いすを使いやすいように、幅広で設計してもらったのよ」
と私は微笑んで答えた。
「それから、兄上が使う区画は洋館にしたのも重要な点かしら」
「はぁ……それは一体どういうことなのですか?」
ピンと来ていない様子の奥看護中尉に、
「ええと……日本家屋って、玄関で靴を脱いで中に入る必要があるでしょう?だから、身体が動かない人にとっては、入るのが大変な家なんです」
と私は説明を始めた。
「だけど、洋館は靴を脱ぐ必要はありません。もちろん、中の床面は外の地面より高いけれど、それは入り口にスロープを付ければ済む話です。それに、日本家屋の部屋は、廊下から少し高くなっていますけれど、足が上がりづらい人……例えば、脳卒中になった人や高齢者は、そのわずかな段差でつまずいてしまうのです。洋館だと、そういった部屋ごとにある段差はかなり無くせるから、転倒予防にもいいんですよ」
私がここまで一気に言うと、
「なるほど、理に適っておりますな」
侍従長が頷きながら、廊下の壁に取り付けられた手すりに手を掛けた。
「葉山御用邸の廊下の壁にも、このような手すりを取り付けましたが、仙洞御所には隅々に手すりが取り付けられておりますな。ここまで必要ですかな?」
「絶対必要です」
疑問を口にした侍従長に私は断言した。
「兄上、雨で外に出られなかったら、侍従さんのいる部屋まで、“リハビリだ”と言いながら、絶対遊びに行きますよ。天皇だったころもそうだったじゃないですか」
「……おっしゃる通りです」
私の反論を聞いた侍従長は、そう言ってため息をついた。
「お気軽に侍従部屋や私の部屋にお出ましになり、雑談をなさったり、時には遊びに興じられたり……こちらでも、そうなりますか」
「だけど、それは兄上の息抜きでもありますし……兄上が健康という証でもありますよ」
渋い表情になった侍従長を、私は必死になだめにかかった。
「部屋にこもってばかりだと、せっかく少しずつ戻ってきた兄上の身体の機能が、また衰えてしまいます。それに、色々な人と交流することは、兄上の元気の源なんです。だから、兄上が侍従部屋に姿を見せても、追い払わないであげてください」
すると、
「心得ております」
侍従長は顔をしかめたまま頷いた。
「上皇陛下は、私より30歳以上もお若くていらっしゃるのに、病に倒れられ、ご退位のやむなきに至りました。ですからせめてご余生を、お健やかにお過ごしになっていただきたい。これが私の切なる願いです」
「はぁ……」
私はとりあえず、神妙な様子を装って相槌を打った。今までの侍従長なら、例え兄に対しても、悪いと思ったことには“悪い”とハッキリ言い、お説教をぶちかます。ところが今日は、兄のやんちゃを咎めるどころか、容認するような発言をしている。少し気味悪くなった私は、「ちょっとは、兄上を叱っていいと思いますよ」と小声で侍従長に言ったけれど、彼には聞こえていないようだった。
「殿下は本当に何でもご存知ですね」
私の後ろを歩く奥看護中尉は無邪気に笑うと、
「こんな知識、どこで学ばれたのですか?」
と私に聞いた。
「え、ええと……外国の本だったかしら」
まさか、前世で聞きかじった知識が元ネタであると白状することはできない。私はとっさに誤魔化すと、奥看護中尉に曖昧な微笑を返した。
建物の検分を一通り終えた私たちは、建物の外に出て周囲を歩く。仙洞御所の周囲には芝が植えられ、庭木も整えられていたけれど、兄の書斎の前、南に開けた地面には雑草が生い茂り、何の手入れもされていなかった。
「ここには、芝は植えないのですか?」
奥看護中尉が質問すると、
「ここは耕して、畑にする予定です」
私が答えるより前に侍従長が答えた。
「畑……ですか?」
「節子さま……皇太后陛下は、小さい頃、農家に里子に出されていたのよ」
キョトンとした奥看護中尉に、私は優しく説明する。
「だから、畑仕事には親しんでいてね。いつか、自分の畑で作物を育ててみたいと思っていたんですって。皇后だったころは忙しくてできなかったけれど、皇太后になって時間もできたし、いい機会だから……ということで、仙洞御所に畑を作ることにしたと聞いたわ」
「はぁ……」
「あと、養蚕所も作るんですよね?」
私がクルリと振り向いて侍従長に確認すると、
「はい。皇居にお住いのころも、ご養蚕はなさっておいででしたが、仙洞御所でも続けられたいということで……」
彼は恭しく答える。それを聞いた奥看護中尉は、
「高貴な方々が、畑を耕したり、養蚕をなさったり……なんだか、不思議な感じがします」
と感想を述べた。
「別に不思議なことじゃないよ。農業は国の大元だからね。むしろ、皇族なのに医者になった私の方がおかしいんじゃないかな」
私がこういうと、「そんな!」と奥看護中尉は抗議の声を上げる。
「殿下がおかしいなどと……そんなことはございません!殿下が医学を志されたのは、誠にご立派なお心からであり……!」
すると、
「……だからこそ、前内府殿下は、軍医となられた当初、皇族の中でも異質な存在と見なされたのです」
侍従長が、私と奥看護中尉の間に静かに割って入った。
「しかし、前内府殿下は怯むことなくご努力を続けられた。その結果、女子が医療を通じて国に奉仕することは、今では当たり前とも考えられるようになったのです」
私は1歩下がると、侍従長に頭を下げた。普段、梨花会の面々に埋もれがちではあるけれど、この人も、維新以来の戦いを潜り抜けてきた人である。その言葉には重みがあった。
「奥中尉どの、前内府殿下のお跡を慕うのももちろん良いことではありますが、もっと上を目指し、国の発展に尽くそうと考えるのならば、前内府殿下が切り開いておられない道を進むべきでしょう」
侍従長にこう言われた奥看護中尉は、「はい!」と大きな声で答え、侍従長に敬礼した。
一通り仙洞御所の検分が済んだのは、午後4時ごろだった。今から葉山に行けば、夕食の後ぐらいに兄に検分の結果を報告できるだろう。私と奥侍従長、そして奥看護中尉は、自動車で新橋駅に向かい、横須賀行きの列車に乗り込んだ。
「すると、あなたは福井の……福井藩のご出身ですか」
新橋駅から葉山御用邸の最寄り駅・逗子までは、1時間半ほどかかる。移動の間、ずっと沈黙に耐えなければならないかと私は覚悟していたのだけれど、意外にも侍従長は饒舌で、奥看護中尉に積極的に話しかけていた。
「失礼ですが、奥中尉どの。なぜ、女性の身ながら、国軍に入るという困難な道を進むことになさったのですかな?」
「はい、私が小学校に入ったばかりのころに、殿下が軍医におなり遊ばしたと聞きました。それから、殿下が極東戦争にご参戦なさった話も耳にして……私も殿下と同じように、国を守りたい、そして、国を守る人々が病気やけがになった時に助けたい、そう思って、今日まで精進してまいりました」
侍従長に対して、奥看護中尉は物おじせずにハキハキと答える。彼女の答えを聞いて侍従長は深く頷き、
「やはり、国軍を志す女性の心意気は素晴らしい。これも、先駆者たる前内府殿下が、高邁な理想をお持ちであるからですな」
と言う。
(いや、私、医者になったのはともかく、軍に入ったのは、いろんな事情が重なったからだけど……)
侍従長の言葉に、内心冷や汗をかいていると、
「あの……侍従長閣下は、ご出身はどちらなのですか?」
奥看護中尉が侍従長に尋ねた。
「私は豊前の小倉……今でいう、福岡県ですな。小倉藩の家臣の家に生まれました」
侍従長はそう答えると、遠くを見るような目つきになった。
「20歳になったかならぬかのころ、第2次の長州征討がありましてな。我が小倉藩は幕府の命で長州を攻撃しましたが、かえって、長州側に攻め入られ……そして、御一新で我々は、“賊軍”の烙印を押されました」
「そうだったのですか……」
目を瞠り、辛うじて相槌を打った奥看護中尉に、
「しかし、上皇陛下はそんな私を、東宮であらせられたころから重用してくださっています」
侍従長はしみじみとした口調で話し続ける。
「時には、諫言を申し上げることもございますが、上皇陛下のお優しさには、本当に感服致すばかりです。関東大震災の時もそうでございましたが、上皇陛下は、傷ついた者や困っている者には可能な限り救いの手を差し伸べて、彼らが再び立ち上がれるよう励まされます。そして、戊辰の役以来の戦の犠牲者たちを、かつての官軍・賊軍の区別なくお悼みになり、冥福を祈られ……」
そこまで語った侍従長の右目から、ツーっと一筋涙が流れる。私は首を垂れ、黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「ご病気のためにご退位なさることにはなりましたが、私は、上皇陛下は、この世で最も素晴らしいご主君であると思っています」
侍従長が、兄への思いをここまで語るのを聞いたのは初めてかもしれない。私が内大臣だった時、もちろん、侍従長も兄のそばに仕えていたけれど、兄がいない時に、彼と言葉を交わすことは余りなかった。だからなのか、侍従長が口を開けば、飛び出てくるのは兄への諫言……そんな印象が強い。兄への思いを率直に語る侍従長の姿が、私の目には新鮮に映った。
「……おっと、喋り過ぎました。老人の戯れ言でございます。どうか忘れてください」
改めて姿勢を正し、私たちに一礼した侍従長に、「そんなことはないですよ」と私は左右に首を振って答えた。
「大変興味深く聞きました。……でも、奥閣下、最後の“老人の戯れ言”で減点ですよ。閣下は大山さんより4、5歳年下ではないですか。ご自分を“老人”とおっしゃるのはまだ早いですよ。これからも、色々教えてくださらなくては困ります」
「ははは……前内府殿下は口がお上手ですな。そんなことをおっしゃって、後で後悔なさっても知りませんぞ」
私の言葉に、侍従長は豪快に笑って返す。……もしかしたら、墓穴を掘ってしまったかもしれない。私は早くも自分の行いを反省した。
逗子駅から自動車に乗り、葉山御用邸に到着したのは午後7時前だった。兄と節子さまは夕食を取らずに私たちのことを待っていてくれて、侍従長と私の報告に熱心に聞き入った。
「そうか。結論としては、検分に問題はなかったということだな」
メモを取りながら報告を聞いた兄が嬉しそうに言うと、
「はい。これならば、予定通り、7月の初旬には、仙洞御所にお入りになれます」
侍従長はこう応じて兄に最敬礼した。
すると、
「ありがとう、侍従長も章子も……。せめてもの礼だ。これから、夕食をいっしょにどうだ?」
兄は私と侍従長にこう言った。「喜んで!」と私が叫ぶように答えた横で、
「お招きは大変ありがたいのですが、明日は早番でございますので、私は遠慮させていただきます」
侍従長は兄に恭しく回答した。
「そんなもの、よいではないか。こちらで夕食を取っても、宿で夕食を取っても、掛かる時間はそう変わらないだろう?」
兄は諦めずに侍従長を誘ったけれど、
「いえ、そうはおっしゃっても、やはり疲れ方が違います。業務時間外のこの時間にこちらで夕食をいただけば、何か無礼なことをしまわないかと心配で疲れてしまい、翌日の勤務に支障が出てしまいます。ですから今日のところは、これで退勤させていただきたいと存じます」
侍従長はやはり誘いを断る。その口調にゆるぎなさを感じたのか、
「嘉仁さま、もう無理ですよ。こうなってしまったら、奥閣下は嘉仁さまの言うことでも、絶対に聞いてくださらないんですから」
横から節子さまが兄をたしなめた。
「……仕方ない」
ため息をついた兄は、侍従長を睨むように見つめると、
「だが、明日の昼食は一緒に食べよう。昼食なら、業務時間内だろう?」
と彼に食い下がる。
「仕方ありません。その件は承知いたしました。上皇陛下も、一度こうなってしまわれると、なかなかお聞きになりませんからな」
侍従長は、真面目な顔をして兄に返答した。私が思わず吹き出してしまうと、笑い声は兄と節子さまにも伝染する。当の奥侍従長は、してやったり、と言いたげに、無言で微笑んだ。
翌日、1929(昭和元)年6月26日水曜日、午前5時。
葉山にある有栖川宮家の別邸でぐっすり眠っていた私の夢は、けたたましい電話のベルで破られた。眠りに再度引きずり込まれそうになりながらも、うっすらと目を開けた私の耳に、職員さんの驚愕の叫びが届く。数10秒後、青ざめた顔の職員さんにたたき起こされ、私が電話の受話器を耳につけると、
「梨花!」
受話器の向こうから、兄の叫び声が聞こえた。
「すぐ、侍従長のところに行ってくれ!甘露寺を迎えによこした!侍従長が、侍従長が……!」
詳しく兄に話を聞こうとした瞬間、職員さんが、兄の侍従の甘露寺さんの来訪を告げる。私は慌てて軍装に着替えると、髪を結う暇もないまま、奥侍従長が泊まっている宿に、甘露寺さんと一緒に向かった。
葉山は明治時代から保養地として知られていて、御用邸もあるため、観光客や、御用邸に参候する人たちのための宿が何軒もある。そのうちの1軒を奥侍従長は定宿にして、そこから御用邸に出勤していた。
午前5時15分、奥侍従長が定宿にしていた旅館の一室で、私と甘露寺さんは奥侍従長に対面した。布団に寝かされた彼のそばには医者と看護師、そして、侍従長と同じくこの旅館を定宿にして御用邸に出勤している侍従さんや、宮内省の職員さんたちがいる。彼らの目元には、一様に疲労の色が浮かんでいた。
「……つい3分ほど前、事切れられました」
医師が私に身体を向けると、こう告げて頭を下げた。
「嘘……」
呆然と呟いた私に、
「旅館の廊下で、大量の血を吐かれて倒れられているのを発見されました。手は尽くしたのですが……」
医師は更に状況を説明する。
「昨日の夜、この宿に戻られてから、“胃の調子がよくない”とおっしゃっておられたんです……」
侍従長の枕頭に侍る職員さんの1人が、震える声で言った。「“寝たらよくなるだろう。それでもよくならなかったら、明日、前内府殿下に診察していただこうか”とおっしゃっておられたんですが、夜明け前、俺が便所に行こうと廊下に出たら、侍従長が血を吐いて、廊下に倒れていて……」
「すぐ医者を呼んでもらって……胃潰瘍で血を吐いたに違いないから、侍従長と血液型が合えば供血するぞ、って、この宿にいる宮内省の関係者を、全員たたき起こしたんですが……」
後を引き取った職員さんは、ここまで言うとうつむいて、しゃくり上げ始めた。
「そんな……」
嗚咽の声が響く中、私はその場にへたり込むようにして正座した。兄に仕え25年……死の前日まで兄に尽くし続けた維新以来の古強者の死顔は、青白いながらも、どこか満足げだった。




