真の首謀者
1929(昭和元)年4月19日金曜日午後2時、東京市京橋区築地4丁目にある国軍軍医学校。
「校長殿下、よろしいでしょうか?」
軍医学校の校長室。私が今年度の軍医学校の予算についての資料を読んでいると、ドアをノックして、教職員が3人入ってきた。
「校長事務取扱です」
彼らの間違いを訂正すると、私は資料の冊子にしおりを挟む。そして、冊子を閉じると、「ご用件は?」と教職員たちに尋ねた。
「実は、殿下と同日に赴任された大山閣下に関する苦情が、生徒たちから多数上がっておりまして……」
私の机の真正面に立った教職員が、困り顔で私に告げる。なんだか穏やかではなさそうだけれど、まず、内容を把握しなければならない。
「ええと、どんな内容の苦情があるんですか?」
私は彼らに問うと、机の上にある紙とペンを手元に引き寄せた。
「……専任の軍事担当教官が当校に赴任したのは、今回が初めてです。しかし、今までも軍事担当教官は授業のたびに本省から派遣されていたので、彼らの教育方針を大山閣下も引き継がれるのだろうと考えておりましたが、大山閣下の教育方針は非常に厳しく、“ついていけない”と訴える生徒が大多数に上っております」
「座学は今までより高度な内容となり、軍事教練も過酷になっています。軍事教練の後、疲労困憊の余り、次の授業がまともに受けられない生徒が続出しておりまして……」
「はぁ」
私はメモを取りながら相槌を打つ。大山さんならあり得る話だ。大体あの人は、主君である私にすら、容赦のないスパルタ教育を施したのだから。
軍医学校の学生たちは、軍医委託生として国軍から学費を受け取りながら高等学校に通い、医師免許を取った人が大半だから、高等学校の長期休暇中に軍事教練を受けている。だから、学生たちも軍事教練に慣れていないということはないはずなのだけれど……。
(でも、高等学校の医学部って、たくさん勉強しないといけないから、体力をつける暇なんてないかしら。そう考えると、他の兵科の人たちより基礎体力は低いかなぁ……)
私がここまで考えを進めた時、
「大山閣下にも、厳しい軍事教練のせいで我々の授業にまで悪影響が出ている旨を申し上げたのですが、聞き入れて下さる様子が全くありません。ですが、かつて内大臣として大山閣下の直接の上司であらせられた殿下のおっしゃることならば、大山閣下も聞いてくださるのではないかと愚考致しまして……」
小さくなって話す教職員さんに、
「大山さんは私の父親代わりのような人です。だから、私の言うことは聞かないと思いますよ」
私がペンを紙上に走らせながら穏やかな口調で応じると、教職員たちは私に向かって一斉に頭を深く下げた。
「……とにかく、今のお話だけでは状況がつかめませんから、実際に大山さんが授業をしているところを見に行きます。大山さんは、今、どこにいるのかしら?」
私は教職員たちに尋ねたつもりだったけれど、
「この時間は、射撃訓練場で射撃指導をなさっているはずです」
教職員たちより先に、私の後ろにいたお付き武官の奥梅尾看護中尉が答えた。
「では、行きましょうか。案内をお願いします」
私が椅子から立ち上がると、教職員たちは慌てて私の前に立ち、私を射撃訓練場まで案内してくれた。
国軍軍医学校がある一角には、国軍経理士官学校や国軍技術士官学校など、国軍の教育機関が集まっている。その一角の隅田川沿いに、国軍の教育機関が共同で使っている射撃訓練場があった。上下白の軍装に、赤い十字が染め抜かれた腕章を左腕に巻いた軍医学生たちは、疲れ切った表情で射撃訓練を行っていた。
「10発中、命中は5発……まぁ、よいでしょう」
射撃訓練をしている軍医学生たちのそばには、カーキ色の軍装を着た大山さんがいる。メモ帳に学生たちの成績を書き込んでいる大山さんに、
「か、閣下っ!なぜ、医師である我々が、軍事教練をこんなにしなければならないのですか!」
軍医学生の1人が、血を吐くような声で訴えた。
「そうです!我々は、傷病者たちを敵味方の区別なく救うのが使命!それなのに、なぜ人を傷つける練習をしなければならないのですか!」
「確かに、それが軍医の理想の姿ですな」
更に、必死の形相で訴えた別の軍医学生に、大山さんは穏やかな口調で応じた。
「しかし、野戦病院が敵に攻撃されたら、君たちはどうするのですかな?」
「そんなことはあり得ません!戦場では、傷病者保護に従事する人間はもちろんですが、野戦病院は赤十字条約という国際条約で守られていて……」
「赤十字の目印は目立ちますが、砲の飛距離が伸びている昨今、砲の発射位置からは見え辛くなっています。野戦病院が要塞と間違われて攻撃される可能性は十分ありますな」
自分に食って掛かった軍医学生に、大山さんは穏やかに反論する。そして、
「それに、こちらが赤十字条約を守っていても、戦争相手の国が赤十字条約を守るとは限りません。赤十字条約を知っていながら、我が方の野戦病院の位置が戦略上邪魔になるため、わざと我が方の野戦病院を攻撃して殲滅することもあり得ます。また、現地住民などがゲリラ戦を我が方に仕掛ける場合は、相手は国際法や赤十字条約など知りません。傷病者相手でも、自分たちの邪魔になると見れば、容赦なく攻撃してくるでしょう」
と畳みかける。大山さんの声は穏やかなままだけれど、身体からは僅かに殺気が放たれている。それに気が付いたのか、軍医学生たちの顔が青ざめた。
「それに、敵味方入り乱れての激しい戦いになれば、司令部から衛生部隊や野戦病院への連絡は届きにくくなります」
軍医学生たちに向かって、大山さんは穏やかな声で話し続ける。
「我が方の負け戦となれば、連絡は余計に届きにくくなるでしょう。そんな時、衛生部隊や野戦病院は、自らの進退を、自らの判断で決めなければなりません。その場合、衛生部隊や野戦病院を指揮するのは軍医である可能性が高い。衛生部隊は傷病者たちを抱えていますから、行軍速度は遅く、攻撃力も守備力も低い。そんな状況での戦いは、進むにしろ退くにしろ、過酷なものとなります。しかし衛生部隊も野戦病院も、例え劣悪な環境に置かれても、傷病者たちを守り抜かなければならないのです。その劣悪な環境下でも、軍医は己の医術、そして軍事知識と武装とを、最大限に活用して、使命を果たさなければなりません」
「大山さん、その辺で」
大山さんに近づいた私が声を掛けると、軍医学生たちに向かって話し続けていた大山さんはこちらを振り返り、「これは殿下」と言って最敬礼した。
「あなたが話していたことは正論だけれど、学生の皆が怯えているじゃない。正論はほどほどにしないと」
私は我が臣下に注意してみたけれど、彼はニコニコしながら、
「殿下、あの的に銃弾を当てることができますか?」
と言って、前方にある丸い的を指さす。「え?」と首を傾げた私に、大山さんは軍医学生から取り上げた訓練用の歩兵銃を差し出した。思わず歩兵銃を受け取ってしまった私に、
「殿下でしたら、当然、あの的に銃弾を命中させることができますな?」
大山さんは軍医学生や教職員たちに聞こえるような大声で確認する。
「この軍医学校に校長事務取扱として赴任なさったということは、殿下はこの軍医学校の生徒たちのお手本であるということになります。それならば、射撃も完璧にお出来になるはずです」
(あ、あからさまにプレッシャーをかけるんじゃないわよ……!)
大山さんは明らかに、私に射撃をするよう強要している。断ってもいいのだけれど、こんな言葉を使われてしまった上で断れば、私の権威が下がってしまう。歩兵銃の射撃なんて、この軍医学校に学生として在籍していた時以来だから、25年ぶりになるけれど、やるしかない。
何とか歩兵銃を構えた私は、丸い的を狙って引き金を引いた。弾は的には当たったけれど、中心から大きく外れた位置を貫いた。
「ふむ、調子がよろしくないようですな。あと10発、お願いします」
銃弾の行方を見届けた大山さんは、私に笑顔で言った。睨みつけてみたけれど、大山さんの笑顔はいささかも揺るがない。負けを悟った私は、仕方なく、射撃を黙々と続けた。
1929(昭和元)年4月20日土曜日午前10時、赤坂離宮。
毎週土曜日は、私が内大臣府の顧問として、お上が赤坂離宮の書斎で内大臣の牧野伸顕さんを相手に政務を進めるのに陪席する日だ。天皇となってまだ1か月半余りだけど、お上はそつなく政務をこなすので、私が口を差しはさむことはなかった。
「休憩にしようか」
やがて、政務を終えたお上は、牧野さんにこう声を掛ける。「はい」と返事をした牧野さんは侍従さんを呼び、お茶の支度を依頼する。ほどなくして、お上の書斎に3人分の紅茶とクッキーが運び込まれた。
「梨花叔母さま、新しいお仕事はいかがですか?」
人払いがされると、紅茶を一口飲んだお上は私に微笑んで尋ねた。
「大山さんに手こずらされているわね」
私はお上に答えると、クッキーを1枚かじる。
「……生徒たちから、大山さんの教育方針が厳し過ぎるという意見が多数出たのだけれど、私が大山さんに注意しようとしたら、かえって、私が大山さんに逆らえないということを生徒や教職員に示す結果になってしまってね。何とかして、校長事務取扱としての威厳を取り戻さないといけなくなったわ。まったく、山本さんも原さんも、何で大山さんを国軍軍医学校の軍事担当教官に任命したのかしら。いや、大山さんが、参謀本部付の歩兵大将として現役に復帰したのは知っていたけれど……」
すると、
「顧問殿下が国軍軍医学校に赴任されるのを大山閣下がお聞きになり、国軍大臣の山本閣下に直談判なさったと聞きました」
牧野さんが私に教えてくれた。
「“余りの気迫に、人事を認めざるを得なかった”……山本閣下がそうおっしゃっておられましたね」
「そうですか……」
繰り広げられたであろう光景を想像して私がため息をつくと、
「やはり、大山の爺は梨花叔母さま一筋ですね」
お上は私にこんなことを言う。
「いけませんよ、梨花叔母さま。大山の爺を置いて軍医学校に赴任なさろうなんて考えては」
「いや、私、そんなことは考えてなかったわよ?!」
私がお上に慌てて弁明すると、「分かっておりますよ」と微笑んで応じたお上はクッキーに手を伸ばし、
「……梨花叔母さまは、生き生きとしていらっしゃるように見えます」
クッキーをかみ砕いて飲み込むとこう言った。
「へ?」
首を少し傾げた私に、
「今まで、赤坂にいらしても、ぼんやりしていらっしゃるように見えたのです。能力の使いどころが分からない、といった風情で僕を見ていらっしゃって……」
とお上は微笑んだまま言う。
「それは失礼しました」
私はお上に急いで謝罪した。「お上が危なげなく、政務を進めているので……」
「ですが、今は生き生きとしていらっしゃいます」
私の言葉には答えず、お上は私に言うと、
「梨花叔母さまは、何かしらのお仕事をなさっている方がいいです。帝国大学の学生になってしまわれるのはもったいないです」
私の目を見つめて更にこう続けた。
「……あれ?私、お上には、帝国大学への進学を考えていたこと、言っていないけれど……お上、どこから聞いたのかしら?」
ふと、疑問に感じたことを私が口にすると、
「こ……国軍軍医学校に、先月、お問い合わせなさったでしょう。“予備役に入った上、帝国大学を受験することを考えているが、自分は高等学校卒業とみなされるのかどうか”と……」
横から牧野さんが私に答えた。
「顧問殿下には申し上げませんでしたが、そのお問い合わせによって、国軍省の中央はちょっとした騒動になったのです。もし、顧問殿下が帝国大学にご入学なさって予備役に入れば、国軍の士気は大きく下がってしまう、と……」
「はぁ……」
牧野さんの言葉を聞いた私は呆れてしまった。私は今年で46歳になった。10代20代の若い頃ならともかく、40代の女性1人がいるいないで士気が大きく変動してしまうのならば、国軍は兵士の士気を保つことができない無能な軍隊と世界で嘲笑されるだろう。これでは、日本が戦争に巻き込まれてしまった時、日本の国軍は他国の軍隊に簡単に負けてしまう。
「それを聞いて、僕も驚いたのです」
お上は私に苦笑して言った。「原総理と山本大臣に、叔母さまの才能を生かせる職を探すように頼んで……そこにたまたま、軍医学校の校長職が空きましたので、斎藤参謀本部長に、僕のことを隠して梨花叔母さまに就任を打診するよう命じたのです。叔母さまがお話をすんなり受けてくださいましたので、胸をなで下ろしました」
「え……じゃあ、校長事務取扱の話が私のところに来たのは、お上のご命令……」
私はため息をつくと、甥っ子を軽く睨んだ。
「それならそうと、早く言ってほしかったわ。今回はすぐ引き受けたからよかったけれど、もし斎藤さんからの打診を断っていて、お上がこの件に関わっていることを知ってしまったら、私、パニックになっていたわよ」
すると、
「やっと、梨花叔母さまが僕に注文をつけてくださいました」
お上はニッコリ笑った。
「梨花叔母さまが政務の時、僕に何もおっしゃらないので心配だったのです。叔母さまは、僕に注文があるけれど、僕に気を遣ってそれをおっしゃらないのではないかと」
「それは心配し過ぎよ」
私は再びため息をついた。
「今まで何も言わなかったのは、お上が完璧だったからよ。だから、言いたいことがなかったの。もし納得いかないことがあったら、私、遠慮しないでちゃんと言うわ」
「ありがとうございます、梨花叔母さま」
お上は軽く頭を下げると、
「やはり叔母さまは、何かしらお仕事をなさっている方が素敵です。引退なんてまだ早いです。軍医の教育のこと、よろしくお願いします」
私に穏やかな口調でこう言った。
「かしこまりました」
私は、現職に就くよう画策した真の首謀者に、深々と一礼した。




