太皇太后
1929(昭和元)年3月20日水曜日午後3時、葉山御用邸本邸。
「梨花、お前、退屈そうだなぁ」
1923(大正8)年の関東大震災で本邸・別邸ともに大破した葉山御用邸は、1927(大正12)年に新しく建て直された。兄の譲位が決まり、仙洞御所建設の話が持ち上がると、葉山御用邸は兄が退位後、仙洞御所に移るまでの仮住まいとすることとなり、兄が生活しやすいよう、バリアフリー化改修が施された。その葉山御用邸の廊下、節子さまを従え、杖を右手に持ってゆっくり歩く兄を私が見守っていると、顔を私に向けた兄はこう言って微笑した。
「うん……東京に戻ったら、間違いなく退屈ね」
私は素直に兄に答えた。
「だって、やることが本当にないんだもの」
こう付け加え、私が口を尖らせると、
「でも、お姉さまは内大臣府顧問ですから、お上の御用があるでしょう?そちらで忙しいのではないですか?」
兄の後ろをついて歩く節子さまが、不思議そうに私に尋ねる。
「全然」
私は首を横に振った。
「お上のところに行くのも土曜日だけよ。お上が危なっかしく思えたら、毎日でもお上のところに顔を出すけれど、万事を危なげなく進めているからその必要もないわ。だから私、東京で暇を持て余しているの」
すると、
「そうなる気がしていたのだ」
兄がそう言って苦笑した。「梨花は並みの男より能力が高い。それに、家の中で家事をするより、外に出て行って何かをする方が好きだろう。だから、内大臣府顧問という、外国を納得させるための肩書を与えられただけでは、暇を持て余すことになると思っていた」
「だったら、私が東京で何をすればいいか、一緒に考えてよ」
私が兄に言い返すと、「そうだなぁ」と兄はゆっくり歩きながら呟き、
「医者の仕事をやるのは、どうなのだ?」
と私に問うた。
「技量が落ちているから難しいね。兄上と節子さまの診察ならできるけれど、内大臣になる前にやっていたような大きな手術をしろと言われたら無理よ」
「ふむ。では、何かを研究するのはどうだ?」
「それも考えた。やるなら、城郭の研究か、スイートクローバーから兄上の脳梗塞の予防薬を作り出す研究ね。今、私には帝国大学を受験できる資格があるのか、軍医学校に問い合わせているところではあるんだけど、私がやるべきことなのか、疑問ではあるのよね……」
「うむ。お前が他の人間に研究を命じれば済むことではあるな」
私の答えを聞いた兄は、冷静な口調で言った。「皇族であることや元内大臣であることが絶対に必要なことではない」
「私は、梨花お姉さまは赤十字社にお勤めするのが一番いいと思いますけれど、赤十字社病院の院長が青山先生だからダメでしょう?」
兄の横からこう言った節子さまに、
「それもあるし、その件がなくても、赤十字社で働くのは難しいなぁ。それは、済生会や慈恵医院でも言えることだけれど」
と私が返すと、節子さまは「あら、どうしてですか?」と首を傾げる。
「つまりね、赤十字社と済生会と慈恵医院は、医療もやりつつ、色々な事務もやっている訳だけれど、私は医師としての技量が落ちているから、医療部門で働くのは難しいのよ」
私は節子さまにも分かるようにと気を付けながら理由を説明した。
「じゃあ、事務部門で働くのはどうだ、という話になるけれど、そうなると、周囲が私に忖度して、組織が不健全になってしまうの。だから、赤十字社や慈恵医院で働く話もなくなるのよ」
「難しいなぁ。そのうち、何とかなるような気もするが」
兄は苦笑すると、
「ところで……梨花、このことは栽仁や大山大将やお母様には相談したのか?」
私にこう尋ねた。
「栽仁殿下には相談したよ。やっぱり結論は出なかったけど。大山さんは湯河原で湯治中だから相談できてない」
「そうか。お母様の方は?」
「してないわ」
私が首を左右に振って答えると、兄の表情が突然険しくなる。そして、兄は足音荒く私のそばまでやって来て、
「何をしている!なぜお母様に相談をしていないのだ、梨花!」
と、大きな声で私を叱りつけた。
「お前はお母様の娘なのに、また妙なところで遠慮をして……」
「いや、遠慮してるとか、そういうんじゃないってば!私の仕事や勉強の話を、専門じゃないお母様にしてもしょうがないし、お母様を混乱させるだけでしょう!大体、栽仁殿下に相談した時だって、専門の話を分かりやすく伝えるのに苦労して……」
「それがどうした!いいか、こういう時、子は親に相談するものなのだぞ!」
「そんなの、一律に決まってるわけがないでしょう!親に相談したいケースも、親に相談したくないケースも、どっちだってあるわよ!」
叫ぶ兄に、私が大声で言い返すと、兄は突然後ろを向いて「節子!」と妻の名を呼んだ。
「紙と筆を持ってこい!梨花に持たせる手紙を書く。お母様あての手紙をな」
「ちょっとぉ!」
私は兄に抗議の声を叩きつけた。「何でそんなことされなきゃいけないのよ!兄上がそんなことしなくても、今、私は暇人なんだから、お母様のところに行きたいと思ったら自分で行くよ!」
「ダメだ!梨花のことだ。俺が尻を叩かなければ、お母様のところにはいかないだろう。大体なぁ、梨花はお母様に関することになるとすぐ遠慮して……」
私の反論にも関わらず、兄は燃えるような瞳で私を睨みつけて言い募る。
「節子さま、助けて!」
私は兄のそばに立っている兄嫁に助けを求めた。けれど、
「無理ですよ」
彼女は頭を横に振った。「お姉さまもご存知でしょ?こういう時の嘉仁さまは、誰が諫めても聞き入れないのを」
「そ、そうだけど……」
力無く答えたところに、「梨花」と厳かな声が上から降って来る。私は恐る恐る兄の顔を見上げた。
「明日、お前が葉山から発つまでに、お母様にあてた手紙を準備する。だからあさって、その手紙を持って、必ずお母様のところに行けよ」
私を見つめる兄の視線は、まるで鋭い刃のようだ。私は黙って首を縦に振り、兄に承諾の意を示した。
1929(昭和元)年3月22日金曜日午前11時45分、赤坂御用地内にある東京大宮御所。畳が敷かれたお母様の居間で、私はお母様に兄からの手紙を渡し、これからのことに関する悩みを打ち明けていた。
「なるほど……」
兄からの手紙に目を通し、私の話を聞いたお母様は、私に優しい微笑を向ける。お母様は、お上の践祚に伴って、皇太后から太皇太后となった。“太皇太后”というのは、先々代の天皇の皇后という意味だ。この称号は、近衛天皇の后、後に二条天皇の后となった藤原多子が1202年に亡くなって以来、該当者がおらず使われていなかったのだけれど、今回、727年ぶりに復活した。
「内大臣をお辞めになってから、増宮さんは色々と思い悩まれておいでなのですね」
お母様の穏やかな声に、私は「はい」と頷き返した。
「小さい頃から兄上が退位するまで、兄上のためにと思いながら、できることをやって来ました。そして、兄上が退位して、兄上のために使う時間が少なくなって、私にできることは何か、私はどうすればいいのか、考えるようになりました」
私はこう吐き出すと、うつむいて自分の両手をぼんやり見た。
「もちろん、できることはたくさんあると思います。でも、その中には、私ではない人ができることがたくさん含まれています。前内大臣として、皇族の1人として、何ができるのか、何をするべきなのか……私には分かりません。思いつくことも、何か、しっくりと来なくて……」
すると、
「増宮さんがなさりたいことを、そのままなさればいいのですよ」
お母様は微笑んで私に言った。
「へ……?それで、よろしいのですか?」
私はお母様の言葉に目を丸くしてしまった。
「私は前内大臣で、皇族ですけれど……やりたいことを、そのままやってしまってもよろしいのですか?」
「確かに、皇族や元大臣でなければできないことも、世の中にはあるでしょう。ですが、それは増宮さんが自ら追い求めなくても、自然に現れてくると思います」
戸惑う私に、お母様は微笑みを崩さぬまま穏やかな声で言う。
「ですが、増宮さんは今、ご自身が皇族であることや、元大臣であることに、少し、とらわれ過ぎているような気がします」
「皇族であることや、元大臣であることにとらわれ過ぎている……?」
オウム返しのように呟いた私に、
「増宮さんがなさりたいことを、そのままなさればよろしいのです。上皇陛下を守りたいから今生でも医師になると決意なさった、お小さい頃のように」
お母様は穏やかな声で、歌うように言った。
「あの当時の常識から考えれば、増宮さんが医師になるのは、皇族には、しかも女性にはふさわしくないとされてしまうことでした。けれど、増宮さんはご自身の力で、見事に医師免許をお取りになりました。そして、増宮さんに続くように、貞宮さんは東京帝国大学理科大学をご卒業なさって産技研で研究なさっておいでですし、希宮さんは第一高等学校をご卒業なさって薬剤師の免許をお取りになり、女医学校の附属病院で働いていらっしゃいました。……これは全て、増宮さんという前例があったから起こったことだと私は思います。増宮さんの前に道はないように見えるかもしれませんが、増宮さんが切り開いた道を、大勢の後輩たちが進んで、人の、世の役に立っているのですよ」
「お母様……」
「ですから、なさりたいことを、そのままなさればよろしいと思います。もし、何も考えつかないということでしたら、しがらみがない状態を仮定して、お考えになればいいのではないでしょうか」
お母様の穏やかな声で、私は自然に前を向く。
「ええと……医師の仕事はしたいですけれど、医師としての技量は落ちていますから……」
気がつくと、私の口から言葉がこぼれ落ちていた。
すると、
「増宮さん」
お母様が優しく私を呼んだ。
「まず、“医師の仕事がしたい”にしておきませんか?技量のことは、後でお考えになってもよいのではないでしょうか」
「……そうですね」
微笑んで頷いた私に、
「他に、増宮さんのなさりたいことはありますか?」
お母様は穏やかな声で促す。
「あとは……帝国大学に入って日本の城郭の研究もしたいし、兄上の脳梗塞の予防薬も研究したいし、日本の科学技術や医療を発展させるために、適切なところにお金を提供することもしたいし、それから、万智子に教わりながら、難しい料理も作ってみたいし……どうしましょう、お母様。やりたいことがたくさんあります」
私の言葉に、お母様は「あらあら」と応じると、鈴を転がすような声で笑う。そして、
「では、1つずつ吟味すると、どうですか?」
と、笑顔で私に尋ねた。
「そうですね……。城郭の研究を実際にするまでには、何年か時間がかかってしまいます。大学を卒業しないと、自分の研究ができるような立場になれませんから。同じ理由で、兄上の脳梗塞の予防薬を私が研究し始めるのも、数年後になってしまいます。兄上の薬は一刻も早く作ってもらいたいから、私が大学に入って自分で研究をするより、他の研究者に依頼する方が、研究の完成は早くなります」
私は指を1本ずつ折りながら、先ほど口から飛び出た案を検討していく。
「適切なところにお金を提供して、医療や科学技術を発展させることは、今までもやっていたし、そうなると、医者の仕事になりますけれど……」
顔をしかめた私の視線が、お母様の視線とぶつかる。優しい瞳に励まされた気がして、私は必死に脳細胞を働かせる。そして、
「あ、その手もあるか……」
辛うじて残っていた記憶を探し当て、その内容を必死に吟味した私の口から、思わずこんな言葉が飛び出た。
「どうなさったのですか?」
優しく尋ねたお母様に、
「思い出したんです。私の時代に、産休や育休で休業期間があった医師向けに、再研修や講習会をすることがあったのを。その話を聞いた時は、自分が医者になっていいのか迷っていた時期だったし、もちろん、結婚して、産休や育休を取るなんてことも考えていなかったから、全くピンとこなかったけれど……」
と、私は早口で話す。
「もう、外科医として復帰することは難しいかもしれません。でも、外科医だけが医師ではありません。高度な手技が要求されない仕事なら、少しずつ勘を取り戻せば、何とかできるかも……。だって、貴族院議長を3期やった後に軍医に復帰した時も、修練し直して、軍医の仕事ができるようになりましたもの!」
「では、医師の仕事に必要な技術を磨き直して、医師の仕事を再びなさる……ということですね?」
お母様の言葉に、「はい!」と私は勢いよく返事した。
「国軍の医務局に相談してみます。それから、弥生先生にも。すぐには無理かもしれませんけれど、きっと、医師として修練し直す環境は作れるはずです」
お母様に答えた私は、
「お母様、ご迷惑をおかけしました。自分のことなのに、こんなに、自分のことが分からないなんて……」
と言って、深々と頭を下げた。
「……己というものは、時に、自分自身にはよく見えないものですよ」
すると、お母様はこう言った。
「私もそうです。もうすぐ80歳になりますけれど、未だに、己が分からなくなる時があります。けれど、そういう時には、抱えた思いを文にしたり歌にしたり、こういう風に誰かに話してみたり……すると突然、分かることがあるのですよ」
「はい。……お母様、ありがとうございます。私、頑張って、できることをやってみます」
私がお母様に答えて微笑むと、軽く頷いたお母様も私に笑顔を向ける。うららかな春の日差しが、窓を通して、お母様の居間に降り注いでいた。




