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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第83章 1929(昭和元)年雨水~1929(昭和元)年寒露
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前(さきの)内府殿下、世田谷城跡に行く

 1929(昭和元)年3月11日月曜日午前9時30分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)家盛岡町邸。

「ふぁ……」

 自分の書斎で、新着の医学雑誌の最後のページを読み終えた私は、雑誌を閉じると椅子に座ったまま大きく伸びをした。書斎の窓の向こうには、気持ちの良い青空が広がっている。

(暇だなぁ……)

 内大臣を辞めて、10日ほどが経過した。初めの数日こそ、暇ができたと喜んで、書斎の片づけをしたり、東京近郊の城跡を訪ねたりしたけれど、やりたいことが一通り終わってしまった今、私は完全に暇を持て余していた。

(大山さんが捨松さんと一緒に湯河原に湯治に行ったのに、ついて行けばよかったかしら。でも、夫婦2人きりのところを邪魔したら悪いしねぇ……)

 そう考えた時、窓の外から、シャッ、シャッ、と規則的な音が聞こえてきた。立ち上がって窓から外を見下ろすと、我が家の職員さんの1人が、石畳の上で竹ぼうきを使っている。そう言えば、午前中のこの時間、我が盛岡町邸では掃除をするのが通例だった。

(よし。じゃあ私も、掃除を手伝おう。できることはやらないとね)

 書斎を出た私は、階段を下りて1階に行くと、本館の端の方にある掃除道具の置き場に向かう。そして、掃除道具置き場にあったはたきを手にした時、

「宮さま?」

私の後ろから声が掛けられた。振り返ると、私の背後には、私の乳母子(めのとご)で、今はこの盛岡町邸に女官として勤務している東條(とうじょう)千夏(ちなつ)さんが立っていた。

「どうなさいましたか?」

 千夏さんの問いに、

「ああ……掃除をしようと思って」

私が軽い調子で答えると、千夏さんは私に頭を下げ、

「申し訳ございません。宮さまのお手を煩わせるなど……どこか、汚れが残っていたでしょうか?」

と、私に不安そうに尋ねた。

「あー、そうじゃなくて……今、お掃除の時間でしょう?だから、私も家の掃除の手伝いがしたいな、と思ってね」

 私が千夏さんに笑顔を向けると、

「宮さま、お掃除は千夏たちでやりますから、宮さまはお掃除のことはご放念ください」

千夏さんは真面目な表情で私に告げる。

「えー……でも、私、やることがないのよ。だから、お掃除を手伝いたいんだけど……」

「宮さま、それなら、ご書斎の整理をなさればよろしいのではないですか?お代替わりのことで忙殺されて、なかなか手が付けられないとおっしゃっていましたよね」

 私の言葉に、千夏さんはこう提案した。

「それは、おととい終わったわ。集中すれば、意外と早く終わるものね」

 私が千夏さんに回答すると、

「では、医学雑誌をお読みになればよろしいのでは?読まなければならない雑誌がたくさんあるともおっしゃっていたように思いますが……」

千夏さんは更に別の提案を私にする。

「それも終わったのよ。私が本を読む速度が速いのは、千夏さんも知ってるでしょ?」

「では、お庭を散策なさるのはいかがですか?今日は天気もいいですし」

 私の答えに、千夏さんは再び提案で返す。

「それも、朝ごはんの後にやっちゃったのよ。だから、今、やることがないの。ねぇ、千夏さん、私にもお掃除をさせてちょうだい」

 乳母子の言葉をはねのけ、拝むようなしぐさで私が頼むと、

「宮さま……」

千夏さんは顔をしかめ、大きなため息をついた。

「宮さまは、宮さまにしかできないことをなさるべきだと千夏は思います。このお屋敷のお掃除は、確かに宮さまにもできることですが、千夏たちにもできることでございます。ですから、宮さまは他のことをなさるべきです。宮さまにしかできないことを」

「……それがないから困ってるのよ」

 千夏さんに答える私もため息をついた。「普通の妃殿下なら、和歌を詠んだり、書道の練習をしたりするのでしょうけれど、それは私、余り好きじゃないし、今日の課題は終わらせたし……」

 すると、

「では、お城に行かれるのはいかがですか?」

千夏さんは私にこう言った。

「今日はお天気が良いです。流石に、遠い城跡に行かれるのは無理でしょうから、世田谷城や石神井城の跡でしたら、今からすぐに行っても、今日中にはお屋敷に戻れるのではないかと……」

「それだわ」

 私は有意義な提案をしてくれた乳母子の両手を取った。「私、川野さんに車を出してもらって、微行(おしのび)で世田谷城に行ってくるわ。お昼ご飯は、外で適当に済ませてくる」

 今は掃除中だけれど、2、3人の職員さんを私の外出に付き合わせる余裕はある。私の言葉に千夏さんは微笑んで、

「それがよろしゅうございます。では、千夏は、川野さんにお出かけのことを伝えてまいりますね」

そう言い残すと、軽い足取りでその場を去った。

(あ……これ、千夏さんに上手く乗せられたのかなぁ……)

 そう気が付いたのは、寝室で、萌黄色の和服から、ベージュのジャケットと茶色のスカートに着替えていた時だ。先週の火曜日と金曜日も、千夏さんと同じようなやり取りをして、火曜日は玉川村にある奥沢城跡に、金曜日は志村(しむら)にある志村城跡に出かけた。最初は、趣味の城跡めぐりができると喜んでいたけれど、同じようなやり取りが3回も続けば何となく分かる。盛岡町邸の人々は、私が平日の日中にずっと盛岡町邸にいるという事実に戸惑っているのだ。それで、何とか理由を作り、内大臣をやっていた時と同じように私を外に出し、その間に自分たちの仕事を済ませようとしているのだろう。

(まぁ、今はいいけどさ、城跡の探索に不適切な時期になったらどうするのかしら……)

 草木の生い茂る時期の心配をしながらも、着替えを終えた私は、護衛の職員さんを1人連れ、川野さんが運転する自動車に乗って世田ヶ谷町(せたがやまち)にある世田谷城跡に向かうことにした。出発する私を、千夏さんは笑顔で見送ってくれた。


 1929(昭和元)年3月11日月曜日午前10時20分、東京府世田ヶ谷町大谿山(だいけいざん)

 この世田ヶ谷町には、豪徳寺という有名なお寺がある。彦根藩を治めた井伊家の菩提寺であるこの寺は、招き猫の伝説でも知られている。

 その豪徳寺の南側に、世田谷城の遺構がある。空堀や土塁などがよく残っているし、東京市内からも近いので、私は休日に時々ここを訪れて気分転換を図っていた。周辺は鉄道が敷設されるなどして開発が進んできたので、私は数年前、遺構がある土地を買い取って公園として整備するよう、世田ヶ谷町にお金を寄付して働きかけた。

「うーん、やっぱり、前に来た時より家が増えたなぁ」

 公園として整備された世田谷城跡を歩きながら、私は呟いた。ここには、今生の子供のころから来ているけれど、来るたびに、周辺の田畑が住宅や工業用地に置き換えられている。東京のベッドタウンとして発展が著しいのは良いことではあるけれど、自然破壊、そして城郭の遺構の破壊が進んでしまわないかは心配だ。

「適度に自然を残すことを考えると、城跡を公園として整備するのはいい案よね。まあ、東京の下町や横浜みたいに、江戸時代以降に埋め立てて造った土地が多いところには使えない手法だけれど……。ああ、この空堀、やっぱりいいわね。形がよく残ってて……」

 城郭遺構を観察しつつ、ぶつぶつ呟きながら歩いていると、

「危ない!」

私の後ろ、5、6mほど離れたところを歩いていた職員さんが突然叫ぶ。どうしたのかと思い、後ろを振り返った時、

「わ……!」

私は横手から現れた背の高い男性とぶつかり、地面に倒れてしまった。

「も、申し訳ございません!」

 長袖の白いシャツにスラックスを身に着けた男性は、持っていた双眼鏡を地面に置くと、私を助け起こそうとする。

「あ……だ、大丈夫です。自分で起き上がれ……」

 返答しながら身体を起こした私は、男性の顔を見て目を丸くした。

「よ、芳麿(よしまろ)さま?!」

 私が男性……山階宮(やましなのみや)菊麿(きくまろ)王殿下の次男・山階(やましな)芳麿伯爵に向かって叫ぶと、

(さきの)内府殿下?!」

彼も大声で叫び、目を見開いたまま固まってしまっている。

「よ……芳麿さま、どうしてこんなところにいるの?!」

「恐れながら、それは僕の台詞です。前内府殿下こそ、どうしてこちらにいらっしゃるのですか?」

「ああ、私はね……趣味の城跡巡り。まぁ、今日は、家の中に居場所がなくなって出てきた感じだけれど」

 私は訝しげな芳麿さまに答え、

「順番、ちょっと狂ったけれど……久しぶりね、芳麿さま。元気そうで何よりだわ」

関東大震災の時以来、久々に出会った芳麿さまに笑顔を向けた。

「東京帝大の大学院を卒業して、博士号を取ったとお(かみ)に聞いたけれど……今も東京帝大で鳥の研究を続けているの?」

「はい」

 私の問いに、芳麿さまは笑顔で頷く。「今は、鳥の分類について研究しておりまして……」

「へぇ、分類かぁ。骨格か何かで分類するのかしら?」

「いえ、染色体です。……あ、あの、“染色体”と言って、前内府殿下はお分かりになりますか?」

「もちろん。医師免許を取った時に、生物学は少しかじったからね」

 少し心配そうに確認した芳麿さまに、私は微笑んで答えた。染色体……今の技術レベルでは、光学顕微鏡、もしくは東京帝大の長岡先生が開発してくれた電子顕微鏡で、染色体の形や本数を確認するぐらいしかできないだろう。私の時代のようにゲノムの全塩基配列まで解読できれば、もっと正確な分類ができそうだけれど、それは流石に黙っておくことにした。

「ああ、良かったです」

 私の答えにホッとしたように頷いた芳麿さまは、

「その染色体に基づいて、鳥の分類を試みているのですが、論文を書くのに煮詰まってしまいまして……それで、気分転換をしようと思って、この公園に鳥を観察しに来たのです」

と私に教えてくれた。

(鳥の論文の気分転換が、鳥の観察?)

 芳麿さまが言っていることの意味がよく分からなかったけれど、研究者というものはそういうものなのかもしれない。私はツッコミを音声変換しないことにした。

 と、

「そう言えば、前内府殿下は内大臣府顧問になられたと聞きましたが、今日は参内なさらなくてよろしいのですか?」

芳麿さまがこんな問いを私に投げた。

「んー……参内するのは、土曜日だけなのよ」

 私は苦笑して芳麿さまに答える。「だから、平日は、することが何もなくてね。……あ、水曜日には、泊りがけで兄上のところに……葉山に行くけれど、それ以外は本当に暇よ」

「そうなのですか」

 芳麿さまは私の答えに驚いたようだった。

「前内府殿下ほどご優秀な方なら、国軍でも各省庁でも、引く手あまただと思うのですが……」

「優秀だと言ってくれるのはありがたいけれど、軍人や役人として働くには、偉くなり過ぎてしまったのよ、私」

 ここには、数m離れたところにいる職員さん以外に、他の人影はない。職員さんと芳麿さまに口止めさえすれば秘密は守られるだろうという安心感から、私は芳麿さまに今の状況を素直に話した。

「だから、軍人も役人も、みんな私を持て余しているわ。私が下手に現場に出れば、周りの人たちがみんな忖度して、やるべき仕事が全然回って来なかったり、私の意見が必要以上に通り過ぎたりして、組織にとって不健全な状態が起こってしまうから、私も、“働かせてほしい”なんて言えない。だから、こうやって、暇な日常を送るしかないのよ。医者の仕事をしようにも、臨床を離れてから何年も経っているから、医者として働けないし……」

 すると、

「では、何かを勉強したり、研究したりするのはいかがですか?」

自らが研究者である芳麿さまは、私にこんな提案をした。

「それも考えたのよねぇ」

 私は芳麿さまに応じると、大きなため息をついた。

「私の場合、城郭の研究か、血を固まりにくくする薬の研究ね。薬の方は、上手くいけば、兄上の脳梗塞を予防できるものになる」

 血を固まりにくくする薬というのは、ワルファリンのことだ。私の時代では、心房細動が原因になる脳塞栓症の予防などに使われる。腐ったスイートクローバー、和名では“品川萩”という植物を食べた牛が内出血を起こし、その植物を調べた結果、ワルファリンの元になる物質が見つかった……前世の大学の授業で聞いた話を私は覚えていた。だから、ワルファリンを見つけることができれば、兄への投与を検討したいのだけれど……。

「でも、私、女学校を中退しているのよね。高等学校を卒業していれば、帝国大学の受験も考えたけれど……」

 と、

「国軍の士官学校を卒業していれば、高等学校卒業相当と認められますよ」

突然、芳麿さまがこう言った。

「へ?」

 間抜けな表情で問い返してしまった私に、

「前内府殿下は、国軍軍医学校を卒業なさっていましたよね。一度、軍医学校に問い合わせてみてはいかがでしょうか?」

芳麿さまは目を輝かせながら提案する。

「それに、帝国大学に、聴講生として入ることもできるかもしれません。確か、中学校や女学校を卒業していれば、聴講生になれたはずです。例え、軍医学校の卒業で高等学校卒業相当と認められなくても、女学校卒業相当とは認められるのではないでしょうか」

「そ、そうかもしれないけれど……芳麿さま、あなた、何でそんなに卒業資格のことに詳しいの?!」

 矢継ぎ早に投げられる情報に、私が戸惑いながら尋ねると、

「帝国大学の入学試験を受ける時に、色々調べたんです」

芳麿さまはそう答えて微笑んだ。そう言えば、彼は機動士官学校を卒業して機動少尉になったけれど、臣籍降下とともに国軍を退役して、東京帝国大学理科大学に入学したという経歴の持ち主だった。

 その後、帝国大学の入試に関することを芳麿さまに質問し、今日話したことを彼にしっかり口止めしてから、私は帰路についた。帰りの自動車の中で、私はずっと帝国大学のことを考えていた。確かに、医学だけではなく、別の学問を改めて学び直し、研究をするのもいいかもしれない。私の時代だって、大学を卒業した後、別の学問をするために大学に入り直すということは時々見聞きした。この時の流れでは禁止されていないことなのだから、私が堂々とやってもいいだろう。

 けれどそれは、私がするべきことなのだろうか。私にできることではあるけれど、他の人に任せてもいいことなのではないだろうか。私が皇族として、前内大臣としてできることは、他にあるのではないだろうか。

 色々と考えていたら、自動車は東京市内に戻って来ていた。今は、青山墓地の近くを通過しているようだ。青山墓地には、生まれたばかりの私を育ててくれたお父様(おもうさま)の侍従・堀河(ほりかわ)康隆(やすたか)さんのお墓がある。私は墓地を窓越しにぼんやり眺めながら、彼の……爺のことを思った。

(ねぇ、爺。今の私にできることって、何だろうね……)

――増宮(ますのみや)さまができることを、おやりになればいいのです。

 もう30年以上前に死に別れた爺は、私にこんな言葉を掛けたことがある。かつて、私が教えた“史実”を参考にして、梨花会の面々が協力して日本と世界を変え始めたのを見て、自分にはもう何もできることがないと私が絶望していた時、爺は私にこう言った。

(できることをやってきたけれど、今度のできること探しは、ちょっと難しいかなぁ……)

 近いうちに、堀河家に声を掛けて、爺のお墓参りをしよう。墓地に向かって苦笑した私はそう決めると、車のシートに身体を預けた。

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