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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第83章 1929(昭和元)年雨水~1929(昭和元)年寒露
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昭和最初の梨花会

※即位礼の日を訂正しました。(2025年6月1日)

 1929(昭和元)年3月9日土曜日午後2時、赤坂御用地内にある旧・東宮御所。

「一つ、確認したいのだがね」

 兄の退位とお(かみ)践祚(せんそ)に伴い、今までお上が住んでいた東宮御所は“赤坂離宮”と改称されている。その大食堂で開催された3月の定例梨花会の冒頭、枢密顧問官の陸奥宗光さんはそう言いながら視線を動かした。

「なぜ、鈴木君はそんなところにいるのかな?」

 陸奥さんの視線の先は、私の左斜め後ろ、大食堂の隅にある。そこには、お上の侍従長・鈴木貫太郎さんが立ち、梨花会の面々が着席しているテーブルの方に身体を向けて立っていた。立っている位置は上座側ではあるけれど、鈴木さんがいるのは食堂の隅、テーブルからは明らかに離れている。

「私は侍従長ですので……」

 鈴木さんが表情を動かすことなく陸奥さんに一礼すると、

「席は用意してあるんだよ?君は間違いなく、この会に入る資格があるのだから」

陸奥さんは苦笑して、テーブルの下座側を指さす。

「いえ、ここで結構でございます。陛下から離れていては、陛下のご用ができませんので」

 再び頭を下げた鈴木さんに、陸奥さんが言葉を投げつけようとした刹那、

「まぁまぁ」

上座から声が掛かる。お上だ。

「侍従長は、僕のわがままで付き合わされているようなものだから、好きなところにいてもらえばいいと思うよ」

 穏やかな声に、陸奥さんが「はっ……」と頭を下げる。天皇として初めて臨む梨花会だから心配していたけれど、流石お上、梨花会の面々の手綱の取り方は分かっているようだ。

 すると、

「では、他の初参加者に感想を聞いてみましょうか」

枢密院議長の黒田清隆(きよたか)さんが、末席に向かって鋭い視線を投げた。

「まずは町田君から」

 指名されて立ち上がったのは、野党・立憲改進党に所属する衆議院議員で、立憲改進党の幹事長を務める町田忠治(ちゅうじ)さんだ。いくつもの無遠慮な目を向けられた町田さんの広い額には、脂汗が光っていた。

「御前に召され、名立たる方々に一時に引き合わされ、倒れないのが不思議なくらいです。末席を汚しますが、どうぞよろしくお願いします」

 感想と一緒に、一同にあいさつした町田さんは、経済・産業・農業政策に通じていて、人当たりもよい。党内をよく掌握していて、党首の桂さんの後継者はこの人だろうと目されている。

「ふむ……では、横田君はどうかね?」

 黒田さんの声に、下座の方で再び人影が動く。椅子から立ったのは、立憲自由党の衆議院議員で、司法次官を務めている横田千之助さんだ。彼の表情は明らかに強張っていた。

「原総理のお声がけにより参加することとなりましたが、町田さんと同じく、陛下はもちろん、重鎮の方々に圧倒されております。よろしくお引き回しのほど、お願い申し上げます」

 横田さんは、司法次官になる前には立憲自由党の幹事長を務めていて、私はその時に彼に一度会ったことがある。頭が切れて仕事ができると評判で、この人も、原さんの後継者とみなされていた。

「ということは、鈴木君と合わせて、この3人が新入りということですか」

 私の義父・有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下がそう言って微笑むと、

「ええ、久々に、生きのいいのが入りましたのう」

枢密顧問官の西郷従道(じゅうどう)さんがのんびりと応じる。

「君たち、厳しい試練をよく潜り抜けた」

 同じく枢密顧問官の伊藤博文さんは、ニコニコ顔で新人たちに声を掛けたけれど、

「このような会合が持たれていることに驚いただろうが……これから、もっと驚いてもらうことになる。覚悟はよいかのう?」

その笑顔はすぐに変質し、邪悪なオーラに彩られる。鈴木さん、町田さん、横田さんが同時に唾を飲み込んだ瞬間、

「“史実”のことは、3人にもう伝えているよ」

お上が伊藤さんに微笑を向けた。

「それから、梨花叔母さまや伊藤の爺たちが、“史実”の世界で生きたという記憶を持っていることも」

「なっ……?!」

 お上の言葉に目を丸くした伊藤さんに、

「驚きました。まさか私が、“史実”では内閣総理大臣となり、陛下にポツダム宣言受諾に関するご聖断を乞うていたとは……」

鈴木さんの感想の言葉が浴びせられる。更には、

「伊藤閣下と斎藤閣下、更には“空の英雄”として知られる山本五十六(いそろく)どのまでが、不可思議な出来事に巻き込まれていたとは……。しかし、そのおかげで、我が国も、世界も、凄惨な事件に巻き込まれずに済んでいるわけです。この平和を途切れさせないよう、全力を尽くします」

「はい。“史実”の知識が得られたことは、まさに天祐。伊藤閣下と斎藤閣下と山本中佐のことには度肝を抜かれましたが、もたらされた知識のおかげで、原総理が暗殺されずに済んだのです。この天祐は、最大限に生かさなければなりません」

町田さんと横田さんも、顔を強張らせながらもこう述べる。お上が言ったことは本当だったようだ。

「陛下……」

「なぜ伝えてしまわれたのですか……」

 伊藤さん、そして元内閣総理大臣で貴族院侯爵議員の西園寺公望(きんもち)さんが、お上を恨めしげに見つめる。

「我々としては、たっぷり驚かせて楽しみたかったのですぞ」

 児玉自動車学校理事長である児玉源太郎さんがつまらなさそうに言うと、

「気持ちは分かるが、今日は軍縮会議のことも話し合わなければいけないから時間がない。だからこうさせてもらった」

お上は児玉さんたちに堂々とした態度で返答した。

(完璧ね)

 伊藤さん、西園寺さん、そして児玉さんが恐縮したように一礼するのを見て私は頷いた。けれど、少しだけ気にかかるのは……。

「いかがなさいましたか、梨花さま」

 私の表情を盗み見たのだろう。大山さんが私に微笑を向けて尋ねた。

「鈴木閣下も町田さんも横田さんも、私のことに驚かないのが気になってね」

 やはり、我が臣下に、私の心の内は隠せない。私が正直に言うと、

「あり得ることだと思いまして」

鈴木さんが即座に答え、町田さんと横田さんが同時に首を縦に振る。私は思わず机に突っ伏しかけた。

「そ、それって……私がこの時代の常識からはみ出した存在だから、未来を生きた記憶があるって言ったら納得した、ってことだよね……」

 大きなため息をついた私に、

「梨花叔母さま、失礼ですがその解釈は間違っていると思います」

お上が穏やかな声で反論した。

「そういう理由でもないと、叔母さまがずば抜けた才能をお持ちである理由が、皆、納得できないのですよ。内親王でありながら、20歳にもならないうちに独力で医師の資格を得られて、議会の議長や大臣を歴任した女性は、歴史上、梨花叔母さましかいらっしゃいませんから」

「はぁ……それでは、そういうことにしておきます。フォローありがとうございます」

 余りにも完璧なお上の言葉に、私は頭を下げるしかなかった。こんな素晴らしい対応の仕方を、一体いつ身につけたのだろう。私も兄も、こんなことまでお上に指導したことはないから、皇太子として梨花会の進行を見ているうちに、自然と覚えたと考えるしかない。

「では原総理、早速、今日の梨花会を始めて欲しい」

 私の返答を聞いたお上は微笑むと、原さんにこう命じる。その悠然とした態度に、

(流石お上ね……)

私はとても満足していた。


 さて、お上の言う通り、今日の梨花会で話し合わなければならないことはたくさんある。今年の11月12日に京都で行われる予定のお上の即位礼の準備のことや、5月に来日するイギリス国王・ジョージ5世の3男であるグロスター公の接待のこと……そして、忘れてはならない大事なことは、いよいよ大詰めを迎えた第3回軍縮会議の予備交渉の動向だ。

「まず、5年前の第2回軍縮会議で決まった事項を確認いたしますと、常備兵力に関しては、1928年末までに、1924年1月1日時点のものより、各国とも1%削減することが定められました。また、1924年1月1日の時点で、主力艦を30万トン以上保有していたイギリス・ドイツ・フランスの3か国については、保有可能な主力艦が改めて定められました」

 予備交渉について説明するのは、国軍大臣の山本権兵衛さんだ。彼はまず前回の軍縮会議の結果をおさらいすると、「それでは、配布した資料をご覧ください」と私たちに言った。


挿絵(By みてみん)


(各国とも、()()()()目標を達成したわね)

 常備兵力の一覧表に目を通した私がこう思った時、

「常備兵力の削減はできそうなのか?ジュネーブにいる堀中佐と山下中佐からは、“交渉がかなり難航している”と連絡があったように記憶しているが」

 お上から山本国軍大臣に質問が飛ぶ。「はっ」と一礼した山本国軍大臣は、

「なんとか、兵力削減の方向でまとまりそうだという連絡を、昨日受けました。1933年末までに、各国とも、現在の0.5%の兵力削減を行うと……」

お上にこう答えた。削減幅は、前回の1%と比べると半減している。それでも、交渉開始当初は削減を認めない国もあったことを考えると、ある程度の成果が出たと言っていいだろう。

「ロシアが積極的な兵力削減を主張しましたが、朝鮮統治に多数の兵をつぎ込んでいる清は、兵力削減そのものに反対していました。更に、イギリスとドイツも、兵力削減に消極的だったようです。ロシアと我が国の働きかけにより、何とか常備兵力削減に漕ぎ着けました」

 外務大臣の幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)さんが、交渉の裏事情を一同に明かすと、

「清は分かるとして、イギリス・ドイツの姿勢は、ルーマニアとブルガリアの一件が尾を引いているということですか」

元内閣総理大臣の渋沢栄一さんが、左手で顎を撫でながら確認する。

「おっしゃる通りです。ジュリアン・ベルナール。先年の(さきの)内府殿下への不遜な物言いも含め、油断ならない人物でございます」

 幣原さんはルーマニアの物騒な王室顧問の名を挙げて応えると、顔をしかめた。昨年のルーマニアの不穏な動きは、私の働きかけで終息したけれど、今後のルーマニアの動向には注意を払わなければならない。

 そして、軍縮会議で話し合われるのは、常備兵力のことだけではない。過去2回俎上(そじょう)に載せられた主力艦保有トン数についても話し合いが持たれている。


挿絵(By みてみん)


「前回の会議の結果、イギリスは計算上8隻の戦艦新造が可能でしたが、昨年末までに竣工した戦艦は、排水量3万5000トンのネルソン級が5隻です。その代わり、艦齢20年を超えたロード・ネルソン級2隻とマイノーター級2隻、ドレッドノートが廃艦になっています」

 山本国軍大臣が資料を見ながら説明すると、

「イギリス側は、可能なら軍艦を8隻新造したかったようですが、予算不足もあり、5隻となったようです」

幣原さんがイギリスの内情を報告する。

「アイルランドのことが騒がしかったからだね」

 すると、お上はこう指摘した。

「2年前にアイルランドは自治領とはなったけれど、完全にイギリスから独立したわけではない。今後ももめ事は続くだろう。黒鷲機関も介入しているだろうしね」

「はい。今後も、動向に注意する必要があります」

 大山さんがお上に答える。アイルランドだけではなく、インドやアフリカのイギリス植民地でも、独立を求める動きがある。黒鷲機関が裏で糸を引いているのは明白だった。

 一方、黒鷲機関を有するドイツは、前回から今回の軍縮会議までの間に艦齢20年を超えた主力艦は無く、保有している主力艦のトン数は前回から増減していない。

「ただし、ナッサウ級などが、次回の軍縮会議までに艦齢20年を超えます。今回、ナッサウ級の保有が認められるかどうかは、英・独・仏の争いの種になっています」

 参謀本部長の斎藤(まこと)さんは状況を説明すると、

「なお、フランスは、艦齢が20年を超えたリベルテ級3隻の代艦として、排水量3万トン強のダンケルク級3隻を昨年末までに新造しています。このため、主力艦の保有トン数は前回の軍縮会議より増えています。同じようなことはアメリカ、イタリア、オーストリア、そして我が国でも起こっておりますが、フランスを仮想敵国としているドイツは、ダンケルク級の存在に神経を尖らせています」

更に情報を付け加えた。

「やはり、イギリス・フランス・ドイツは、どの主力艦を廃艦にするかで駆け引きをしているのかな?」

 お上が質問すると、

「一応、この3国が、1割程度のトン数を削減するという話になりそうですが、アメリカも主力艦保有トン数が30万トンを上回ったため、アメリカにも何らかの制限を掛けるべきという話が出てきております。最終的にどのような形で決着するかはまだ分かりません」

山本国軍大臣が恭しく返答する。

(アメリカの主力艦に少しだけ制限がかかるといいけど、そうなると、日本の主力艦も削減されそうだからなぁ……)

 私が僅かに顔をしかめた時、

「権兵衛、空母はどうじゃ?削減されずに済みそうかのう?」

西郷さんがのんびりした調子で山本国軍大臣に尋ねた。

「はい。各国とも、空母の保有が3隻まで認められました。主力艦と同じく、艦齢20年を超えれば、排水量2万5000トンを超えない範囲での代艦建造が可能です」

 山本国軍大臣の言葉に、一同から安堵の吐息が漏れる。現在、日本が保有している航空母艦は3隻だ。また、3隻のうち、一番大きい“祥鳳(しょうほう)”の排水量は2万500トンである。これなら、日本の航空母艦が、妙な難癖を付けられて廃艦に追い込まれることはなさそうだ。

「……空母のことが何とかなりそうなのはよかったですけれど、補助艦については、今回は踏み込めずに終わりそうですか?」

 資料に一通り目を通した私は、山本国軍大臣に尋ねた。ここで言う“補助艦”とは、排水量1万トンに満たず、かつ、主砲が20.3cmに満たない軍艦のことである。

「はい。常備兵力と主力艦、そして空母の件で、今回の交渉は手一杯だったようです」

 私の質問に、山本国軍大臣が左右に首を振って答えると、

「例え、補助艦のことが議論されていたとしても、妥協点を見出すのは難しいでしょう」

前回の軍縮会議の日本全権だった斎藤さんが暗い声で言った。「我が国で軍艦を作れるような造船会社は、政府が勧奨していることもあり、軍艦の発注が無い時は、大型の貨物船や客船などを建造して利益を得ておりますが、外国の造船会社、特に軍艦を専門に造る会社は、軍艦ではない船の建造に消極的です。そのような会社は、制限を受けていない補助艦を建造することで利益を得ておりますが、それゆえ、補助艦保有が制限されると死活問題となります。そのため、彼らはヨーロッパの各国で反対運動をしているようです」

(なるほどね……)

「ふむ、なかなかうまくいかないね」

 私が頷いたと同時にお上が呟く。「つまり、そのような企業の論理に引きずられ、イギリスやドイツやフランスが、補助艦制限に消極的になる可能性も十分にあるということか」

「おっしゃる通りでございます」

 お上の言葉に、斎藤さんが深々と頭を下げる。

(難しいものねぇ……。軍縮会議は今のままでも、主力艦と常備兵力の増加の歯止めにはなっているけれど、これ以上の成果を求めたら破談になるかもしれない。それでも、大きな成果が得られる可能性を求めるか、ある程度の成果が出ている現状で良しとするか……)

 世界大戦の危機を回避され、国際連盟が成立して始まった軍縮会議……。第3回を迎えたそれは、各国や企業の思惑に揺さぶられ、当初の目的とは違う方向に動こうとしているように私には感じられた。

※ネルソン級については架空のスペックです。

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― 新着の感想 ―
お上 強くなられましたね。梨花会の爺共の薫陶の賜物かと(爺共には遺憾だったみたいだが)。 海軍ダイエット(笑) 相変わらず、ブクブクに肥えてるな英独仏。財政を考えたら、もう少し、ダイエットに励んだ方が…
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