”史実”を超えて
1929(大正14)年1月12日土曜日午前10時。
皇居・賢所で“賢所に退位及びその期日奉告の儀”が行われた。これは、皇祖神を祀る賢所で、2月28日に兄が退位する旨を告げるご神事だ。続いて、同様のご神事が歴代の天皇と皇族の霊を祀る皇霊殿と、神々を祀る神殿でも行われ、午後には、伊勢神宮、神武天皇陵、そして兄の4代前までの天皇の陵に勅使を発遣する儀式が行われた。なお、譲位をする天皇が健康ならば、伊勢神宮や神武天皇陵などにお参りして、譲位をする旨を報告する儀式も行われるということが、1913(明治46)年に制定された皇室譲位令で定められているのだけれど、兄の侍医団から長距離の旅行に対してドクターストップが出たのでそれは省略されることとなり、あとは2月28日の“退位礼”……退位当日に賢所などで行うご神事と、表御殿で行う儀式で、兄の退位に伴う儀式は終了となる。
ところが、国家としてはもう1つ、譲位にあたってやっておかなければならない大切なことが存在する。それは元号の変更……改元である。元号は、お父様が元号を“慶応”から“明治”に改めた時に出した一世一元の詔によって、“天皇一代につき元号は一つ”と定められ、皇室典範にもそのことが書かれている。兄から迪宮さまに譲位が行われるなら、当然、元号も変えなければならない。“大正”に替わる新しい元号は、現在、宮内省から委託された漢学者が候補を選定している最中だ。候補が出た後、宮内省と内閣の協議で3つほどに候補が絞られ、兄と迪宮さまの内意を得た上で、2月1日に開かれる枢密院会議で議決、同日、兄が裁可して、官報の号外で公表されることになっていた。
「……大変ですよ、最近」
1929(大正14)年1月19日土曜日午後2時45分。皇居・表御殿にある牡丹の間で開催されている梨花会の席上、私はため息をついてぼやいた。
「おや、内府殿下。“大変”とは、いったい何が大変なのですか?」
私のぼやきを素早く拾い上げた内閣総理大臣の原敬さんに、
「記者の取材攻勢ですよ。たぶん、改元絡みのことだと思いますけれど」
私がこう応じて肩を落とすと、
「私のところもです」
「我輩もです」
枢密顧問官の高橋是清さんと、内務大臣の後藤新平さんが次々に同調した。
「我が家など、ジュネーブの婿殿のところにまで記者が改元の取材に来ましたよ。その記者は、婿殿に散々にやられたようですが」
宮内大臣の牧野伸顕さんが苦笑いとともに答えると、
「私も似たようなものですが……しかし内府殿下、まさか、内府殿下に記者たちが殺到しているのですか?」
外務大臣の幣原喜重郎さんが、同調しながらも私に質問を投げた。
「流石に、私のところには来ないですよ。去年の10月の騒ぎ以降、盛岡町邸の警備は強化されていますから」
私は幣原さんに答えると、
「ただ、子供たちのところに記者が来ているみたいです」
と付け加えた。
すると、
「何ですと?!」
「その記者たち、厳罰に処さねばなりませんな」
枢密顧問官の伊藤博文さん、そして、枢密院議長の黒田清隆さんが、殺気を放ちながら椅子から立ち上がった。
「あの……いちいち殺気立つの、やめてもらえませんか?」
私が顔をしかめると、
「ご安心ください」
大山さんが、伊藤さんと黒田さんに向かって微笑んだ。「万智子女王殿下には、千夏どのが登下校の際に付き添い、質問しようとした記者たちを得意の柔道で撃退しております。謙仁王殿下は記者たちに、“その質問に答える義務はない”“貴殿は母が家族に機密を漏らすような人間だと思っているのか?”など、毅然とした態度で対応されています。そして禎仁王殿下は……」
「禎仁が一番問題よ……」
私は大山さんの言葉の続きを奪うと両肩を落とした。「あの子、記者たちを手玉に取って遊んでいるのよ。“僕のことを捕まえられたら、昨日、母上が家で話していたことを教えてあげる”なんて言って、追いかける記者たちから全力で逃げる遊びを始めて……。しかも、うちの職員さんたちが、禎仁の修業も兼ねて禎仁を手伝うから、とんでもないところに逃げていたり、女装して人混みに紛れたり……毎回大変なんです!」
「それは頼もしいですのう」
最近の次男の所業を振り返った私が思わず大声を出すと、枢密顧問官の西郷従道さんがのんびりと応じる。
「い、いや、母親としては、期待より心配の方が勝るんですよ!禎仁、今月に入ってから、女装している時に男に2回も言い寄られてて……!」
必死に西郷さんに訴えていると、明るい笑い声が牡丹の間に響く。上座に座っている兄が、お腹を抱えて大笑いしていた。
「もう!笑い事じゃないのよ、兄上!」
私が兄を睨みつけると、
「すまん。つい、な」
兄は私に向かって拝むように両手を合わせる。そして、
「しかし、改元が悲しみを伴う作業にならなくてよかった」
兄はしみじみとした口調でこう言った。
「お父様がお倒れになった時も、元号選定の作業はしていた。しかし、お父様の崩御を見据えながらの作業だったから、辛さと悲しみがどうしても付きまとった。それに、我が国での改元は、天変地異、疫病の流行、戦乱など、凶事の影響を断ち切るために行われたことが多い。……久しぶりの、辛さを伴わない改元だ。皆が浮かれるのも無理はない」
確かに、兄の言う通りだ。私の頭は自然と下がった。
「だが、だからと言って、周囲の迷惑になるような取材をしてはいけない。このままでは、千夏に柔道の技を決められた記者が大けがをするかもしれないし、女装した禎仁に惚れた馬鹿な男が、禎仁に痛い目にあわされるかもしれない。……院と警察に、記者の過度な取材を取り締まるよう命じておこう」
「是非お願いするわ、兄上」
私は激しく頷いて兄に賛同した。これ以上、万智子と謙仁に迷惑を掛けるわけにはいかない。それに、私から見ても妙に美しい禎仁の女装姿に、惑わされてしまう男性が増えるのもよくない。改元絡みの取材合戦が一刻も早く終息することを、私は心から祈った。
1929(大正14)年1月25日金曜日午後2時10分、皇居・奥御殿にある兄の書斎。
「どうして……どうして、こうなった……」
兄のそばにある椅子に座った私は、兄が開いた冊子の中身を見て、両腕で頭を抱えた。兄の後ろから、迪宮さまも黙って冊子を見つめている。
「内府殿下がおっしゃりたいことは、大変よく分かります……」
宮内大臣の牧野さんはこう言うとため息をつき、
「ですが、どうすることもできなかったのです……」
冊子を兄に奉じた内閣総理大臣の原さんも顔をしかめた。冊子の内容は、3月1日の迪宮さまの即位に伴って改元される新しい元号の案3つだ。冒頭に記された新元号候補の1つ目は“昭和”。2番目は“光文”。そして3つ目は“元化”である。
「えっと……この3つに候補が絞られた経緯を聞いていいですか?」
頭を抱えたまま、私が牧野さんと原さんに尋ねると、
「はい。まず、宮内省から、ある漢学者に元号の選定を依頼して、10個の候補が出ました」
牧野さんはうつむいて説明を始めた。
「その中に、“昭和”が入っておりました。私はもちろん、“史実”のことを知っておりますので、あのような困難な時代になってしまっては大変だと思い、”昭和”を候補から外そうと考えたのですが、漢学者は、“正直なところ、昭和が一番良い”と執拗に訴えるのです。それでやむなく、”昭和”も含まれた10個の元号案を内閣に渡し、内閣嘱託の漢学者に元号案を精査してもらい、候補を3つに絞ることとしました」
「ところが、内閣嘱託の漢学者も、“昭和”を残したのです」
牧野さんの後を承けた原さんは、苦々しげにこう言った。「もちろん、わたしも、“昭和”は外すべきだと言いました。しかし、その漢学者も、“昭和が一番いい”と主張したのです。万が一、宮内省や内閣で頼んだ漢学者たちが“史実”のことを知っていたらと考え、漢学者たちの行動や接触した人物などを院で調査してもらいましたが、怪しい点は全く見つかりませんでした」
「それで仕方なく、元号案はこの3つで提出することといたしました」
牧野さんはすまなそうに言うと一礼した。
「まぁ、元々、その予定だったから仕方ないですけれど……」
私はため息をついてこう呟いてから、
「でも、昭和はともかく、この“光文”というのも、何か見覚えがあるのよね」
首を傾げ、疑問に感じた点を口にする。
すると、
「斎藤さんに確かめたところ、“光文”という元号案は、“史実”で陛下が崩御なさった直後、ある新聞社が新元号だとして誤報したものとのことです」
大山さんが私にこう答えて一礼した。
「あー、そう言えば、そんなことがあったって、前世の本でチラッと見たような気がする……」
私が前世の遠い記憶を必死にたどりながら言うと、
「おい、梨花」
兄が私をギロリと睨んだ。
「どうしてそのことを言わなかった」
「言えるわけ、ないでしょうが!」
私は兄を睨み返した。「兄上の崩御が絡んでる話なんて、絶対したくないもん!天皇であろうが上皇であろうが、兄上が死ぬなんてこと、絶対イヤなんだからね!」
「分かった、分かったから落ち着け」
兄は私をなだめると、手元の冊子に視線を落とし、
「“昭和”の出典が、“書経”の“百姓昭明にして、万邦を協和す”。“光文”の出典が、“易経”の“或は王事に従うとは、知光大なるなり”と、“黄裳元吉とは、文、中に在るなり”。そして、“元化”は同じく“易経”の、“大いなる哉乾元。万物資りて始む。雲行き雨施して、品物形を流く。大いに終始を明かにし、六位時に成る。時に六龍に乗じて以て天を御す。乾道変化して、各性命を正しくす”が出典か。確か、中華にかつてあった“元”の国号は、この“大いなる哉乾元”から取られていたと思うが……」
ぶつぶつ呟きながら考え込む。
「兄上、呪文詠唱はしなくていいからさ。結局、どうするの?」
漢文の世界に没頭しかけた兄は、私の声で弾かれたように頭を上げ、
「ああ、そうだな。……これは、裕仁が決めるべきことだろう。裕仁の時代をどうするか、ということに直結するのだから」
と言うと、後ろを振り返って迪宮さまに微笑みを向けた。
「分かりました。では……」
今まで黙っていた迪宮さまは軽く頷くと、
「“昭和”がいいです」
兄と私たちにキッパリと言い切った。
「は?!」
私は思わず椅子から立ち上がった。
「お待ちください!」
「嘘でございましょう?!」
牧野さんと原さんも大きな声を出して、迪宮さまを止めようとする。
「迪宮さま、あなた、本気なの?!」
私は可愛い甥っ子に一歩詰め寄った。
「確かに、“史実”の昭和時代は長かったよ。60年以上も続いた。でも、大変な出来事がたくさんあった時代だった。恐慌の連続、満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日中戦争、太平洋戦争、日本への大空襲、沖縄戦、原爆投下、ポツダム宣言受諾……悲惨な事件がたくさん起こったのよ。もちろん、敗戦の後、日本はすさまじい復興を遂げたけれど……」
私は下を向いた後、もう一度顔を上げ、迪宮さまをじっと見つめた。
「前世のじーちゃんが言っていたよ。“激動の昭和”って。もし、迪宮さまが次の元号を“昭和”にしたら、この時の流れでも、昭和の時代は激動の時代になるかもしれない。迪宮さま、それを引き受ける覚悟はあるの?」
「……怖くないと言えば、嘘になります」
迪宮さまは、真っ直ぐな瞳で私を見つめ返した。
「しかし、年号に“史実”と同じ“大正”を選ばれたお父様の治世は、“史実”よりも良い時代となっています。……僕もお父様と同じように、“史実”を超えて、より良い昭和の時代を作ってみせます!」
「迪宮さま……」
呆然とする私の横で、
「決心は固いようだな」
兄が微笑む気配がした。
「なら、新元号は、“昭和”でいいのではないかな」
「はい、俺もそう思います」
兄の言葉に応じて、大山さんが微笑して言う。
「……ご決意、しかと承りました」
原さんは姿勢を正すと、迪宮さまに最敬礼をする。
「それでは、元号候補のうち、陛下と皇太子殿下のご内意は“昭和”である、と……それで根回しを進めます」
言上する原さんに「よろしく頼む」と鷹揚に頷くと、
「裕仁」
兄は自分の長男の名を呼んだ。
「俺は上皇として、お前の治世を見守る。できる限り長く、な。だから、“史実”を超える、良き治世を作ってみせろ!」
「はい。必ず、昭和の時代が、“史実”よりも良き時代になるよう、全力を尽くします!」
兄の力強い言葉に、迪宮さまも張りのある声で答える。
そして、1929(大正14)年2月1日金曜日、午後2時。
“大正十四年三月一日午前〇時以後を改めて昭和元年と為す。主者施行せよ”
枢密院会議の議決を経て、3月1日の迪宮さまの即位とともに改められる新しい元号は“昭和”となることが、官報号外で告知された。
※元号の各案については、『公的記録上の「昭和」』(石渡隆之,北の丸 : 国立公文書館報(7),国立公文書館,1976-09.p3-15)を参照しました。
※「易経」の読み下しに関しては、国民文庫刊行会 編『国訳漢文大成』 経子史部 5冊(国民文庫刊行会編,国民文庫刊行会,大正9.)を参照しました。




