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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第82章 1928(大正13)年処暑~1929(大正14)年雨水
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1問去ってまた1問

 1928(大正13)年11月10日土曜日午前9時55分、皇居・奥御殿にある兄の書斎。

「なぁ、梨花」

 迪宮(みちのみや)さまは、特別大演習を統監するためにおとといから岩手県に行啓し、大山さんもそれに付き添っている。以前のように、兄と2人きりで政務を進めていると、書類に目を通していた兄が私を呼んだ。

「何?」

 私が振り向くと、

裕仁(ひろひと)は、今頃、大演習の統監中かな?」

兄は私に少し不安げな声で確認する。

「おとといが東京から仙台へ移動、昨日が仙台から盛岡へ移動だから……うん、今日が大演習1日目で間違いないね」

 私が穏やかな声を作って兄に答えると、

「大丈夫かな?いや、統監そのものは、立派にやっていると思うのだが、皇族たちになめられてはいないかと心配になって……」

兄はそう言って、眉間にしわを寄せた。

「うちのお義父(とう)さまがついて行っているから大丈夫よ。そういう不心得者はいないと思うけれど、万が一、そんな奴がいたら厳しく叱ってくれるわ」

 1923(大正8)年に伏見宮(ふしみのみや)貞愛(さだなる)親王殿下が亡くなったので、私の義父・有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下は、男性皇族の最年長者、かつ重鎮となっている。そんな人に逆らって、迪宮さまになめた態度を取ろうものなら、その人はタダでは済まされないだろう。

「それに、大山さんと鈴木閣下もいるのよ。迪宮さまになめた態度を取ったけしからん皇族は、ぶっ飛ばされるに決まっているわ。私たちは迪宮さまの土産話と、宮内省の活動写真班が撮る特別大演習の活動写真を、のんびり待ってましょ」

 私が苦笑しながら兄に答えると、

「そうか……そうだな」

兄は頷いて、私に笑顔を見せた。

「梨花の言う通りだな。……それに、裕仁が出かけている間にも、俺たちはやらなければならないことがある。それを1つずつ片付けながら、裕仁の帰りを待とう」

「そうだね。仙洞(せんとう)御所の間取りに、皇族会議の日程に……考えないといけないことがたくさんあるもんね」

 “仙洞御所”というのは、退位した天皇の御所を指す。兄が退位後に節子(さだこ)さまと一緒に住む仙洞御所は赤坂御用地に建設されることになり、現在、設計が急ピッチで進められていた。

「それから、俺が退位した後の人事も考えないと」

「そうだね。内大臣は変わるし……あと、兄上と迪宮さまのそばに仕える人を誰にするかも考えなきゃ」

「ああ。大臣も、一部変えないといけないかもしれないし……」

 私に応じた兄はここまで言うと、左手で顎を撫で、「そうか、側近か……」と呟く。

「側近がどうかしたの?」

「いや、鈴木武官長をどうしようかと思ってな……」

 私の質問に、兄は意外な答えを返す。

「え……まさか兄上、鈴木閣下に不満でも?」

「そんなわけがなかろう。鈴木武官長は俺にとって得難い漢籍仲間だ。それに、俺に遠慮なく接してくれるしな」

 兄はムスッとして私に言い返すと、

「ただ、上皇となった俺のそばに、鈴木武官長が仕え続けるのは、もったいない気がして……」

遠くを見るような目をしてこう言う。

「確か、“史実”だと、二・二六事件の時には迪宮さまの侍従長だったのよね、鈴木閣下」

「ああ。そして、ポツダム宣言を受諾した時の内閣総理大臣だった。……鈴木武官長の能力は、上皇となった俺の手元に置き続ければ朽ち果ててしまう。どうにかして、国のためにその能力を発揮して欲しいが……」

 言葉を交わしている間にも、兄は手元の冊子の確認を終えたページをめくっていく。そして、「うん、問題ないな」と呟くと、1ページ目に戻り、大きく取られた空白の上方に名を書いた。

「よし……これで、午前の政務は終わりだな」

「だね。じゃあ、私、節子さまに声を掛けてくるよ。お昼までリハビリでしょ?」

 私の声に「ああ」と頷いた兄の顔は、急にしかめ面になる。「どうしたの?」と私が問うと、

「いや……誰かが、急いでこちらに来る気配が……」

兄はしかめ面のままで答える。私が身構えた時、

「陛下、内府殿下、よろしいでしょうか」

内大臣秘書官の松方金次郎(きんじろう)くんの声が、障子の向こうから聞こえる。兄が「入ってくれ」と命じると、金次郎くんは障子を開けて書斎に入り、私たちに一礼した。

「申し上げます。赤坂より急報が入りました。ルーマニアが軍を招集し、ブルガリアに向かって動かす気配があるとのことです」

「は……?!ま、またぁ?!」

 6月末に決着がついたはずのルーマニアとブルガリアの武力衝突が、再び始まる気配がある……信じがたい知らせに、私は素っ頓狂な叫び声を上げてしまった。


 1928(大正13)年11月17日土曜日午後2時10分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「……軍を動員したルーマニアは、その軍の大半をブルガリアとの国境・ドナウ川の近くに移動させています。一方、MI6(エムアイシックス)からの情報でこのことを知ったブルガリアも、急遽兵を動員し、国境地帯の軍備を固め始めました」

 牡丹の間で始まった梨花会では、岩手から戻ってきた大山さんが、中央情報院から得た情報を出席者一同に報告していた。それが終わるやいなや、

「ジュリアン・ベルナールは好戦的だのう」

枢密顧問官の西郷従道(じゅうどう)さんが、仮面を被ったルーマニアの王室顧問の名を挙げて苦笑した。

「しかし、機を見るに敏ではありますな」

 同じく枢密顧問官である伊藤博文さんが、顔を少ししかめながら言うと、

「はい。内府殿下がお代替わりの件に忙殺され、世界情勢に目を向ける暇が無くなると察知するやいなや、早速軍事行動を起こすとは……」

国軍参謀本部長の斎藤(まこと)さんが、渋い表情で伊藤さんに応じた。

「は?斎藤さん、この件、私が絡むんですか?」

 斎藤さんの思わぬ発言に目を剥いた私に、

「何を寝ぼけたことをおっしゃっているのですか」

枢密顧問官の陸奥宗光さんの声が容赦なく浴びせられた。

「陛下が皇太子殿下に譲位なさる意思をご公表なさったことで、今、我が国は諸々の仕事に追われております。ルーマニアは、この時期なら、内府殿下は世界のことには構っていられず、停戦を呼び掛ける余裕もないだろうと考え、ブルガリアを征服しようと考えている訳です」

「はぁ……ってことは、私、ルーマニアに見くびられた、ってことになりますか?」

 私がため息をつきながら確認すると、

「端的に言えば、そうなりますな」

私の隣に座っている大山さんが言う。

「さて、梨花さま。どうなさいますか?」

「まぁ、当然、戦いは止めるわけだけれど……」

 大山さんの問いに私は答えると、外務大臣の幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)さんの方を向き、

「幣原さん、ドイツ陣営に属しているルーマニアに対して、ブルガリアはイギリス陣営にいますけれど、ドイツ・イギリス双方ともに、ルーマニアとブルガリアに代理戦争をさせる余裕はまだないですよね?」

と尋ねた。

「はい」

 立ち上がった幣原さんのメガネがキラリと光る。「両国ともに、配下の国に戦争をさせる余力はありません。ですから、内府殿下の停戦の呼びかけに応じるでしょう」

「なら、前回と同じように、ドイツ大使を呼び出して話をして……という手順を踏めばいいということですね」

 私はこう言うと顔をしかめ、

「仮面の人、私をなめんじゃないわよ。……でも、彼、本当に何者なのかしら。フランス人のくせに、フランスの仮想敵国のドイツの影響が強い国にいるし……」

と呟きながら首を傾げた。

「確かに、彼の存在はよく分かりません」

 私の呟きを拾った斎藤さんが応じる。「ルーマニアのカロル2世は、その仮面の王室顧問に全て従っているようなのですが、そのような人間、“史実”にいた記憶がないのですよ」

「俺もです。もっとも、俺は“史実”のバルカン半島の情勢には詳しくなかったので、もしかしたら実際には“史実”に存在したのかもしれませんが……」

 斎藤さんに続き、山本五十六(いそろく)航空中佐が立ち上がって言う。

 すると、

「そのベルナール王室顧問に、カロル2世は女断ちをさせられているようです」

大山さんがこんな情報を一同に伝えた。

「カロル2世が王位継承権を放棄した後パリに連れて行き、パリで同棲していた愛人は、現在、ベルナールによって監禁されています。そして、なぜかエレナ王妃も、ベルナールの手で離宮に監禁されています。現在、ルーマニアの王宮からは、侍女はもちろん、国王の目に触れることのない下働きの女まで、女性という女性が排除されております」

「エレナ王妃って……ギリシャから嫁いだ人だっけ……?」

 私が大山さんに確認するのと同時に、

「妙ですな。カロル2世は好色な男ですから、目に留まりそうな女性を国王の視界に入らないようにするのは分かります。しかし、王妃まで監禁するとは合点がいきませんな。王家の血を絶やさないようにすることを考えれば、王妃だけは王宮に残しておくのが妥当だと思いますが……」

立憲自由党所属の貴族院議員である西園寺公望(きんもち)さんが首をひねる。

「気になるのは分かりますが、西園寺さん。それは今、追究するべき問題ではない」

 陸奥さんはこう言うと、「内府殿下」と呼びかけながら視線を私に向けた。

「内府殿下の目が世界情勢から離れると思われてしまうだけで、世界で争いの火の手は勢いを増します。今は内府殿下が我が国の政治の中心にいると思われておりますから、内府殿下のお言葉を世界各国も無視できませんが、内府殿下が内大臣から退任なされば、そのお言葉の力はなくなります」

「陸奥さんのおっしゃる通り……内府殿下、殿下は天皇陛下をお守りするのと同様に、戦争に巻き込まれるような理不尽な死に方で人命が失われるのを防ごうという宿願をお持ちであると(おい)は理解しております。しかし、もし内府殿下が内大臣を退けば、その宿願を果たすことは難しくなりますぞ」

 陸奥さんが歌うように述べると、枢密院議長の黒田清隆(きよたか)さんも厳しい視線を私に向ける。先月の定例梨花会で話し合って“一時保留”となったこの問題を、彼らはまた蒸し返そうとしているようだ。

「陸奥さんと黒田さんが言っていることも分かりますけれど」

 私はこう言うと、大きなため息をついた。

「内大臣のままでいると、仙洞御所にいる兄上の往診に行けないんです」

「その通りだ。内大臣が俺のところに週1回通えば、俺がまだ政治権力を握っていると国内外に思われてしまうぞ」

 私が答えると、上座にいる兄が言う。この時の流れの皇室典範では、上皇は政治的な権力を一切持たないと明記されているのだ。

「そう、兄上の言う通りなんです。だから、兄上が上皇になったら、私は内大臣を退くしかない。私が他の大臣職に就いても、その問題はついて回ります。大臣でなくて議長でも、根本的な問題は変わらないし……あ」

 言っているうちに思いついたことを音声に変換しようとした瞬間、

「どうした?」

兄が私を見つめて優しく問う。

「顧問よ」

「ん?」

「私が顧問になるの」

 キョトンとした兄に私は答えた。「ほら、ルーマニアの仮面の人は王室顧問でしょ。流石に、迪宮さまの顧問になるのは憲法上の問題が発生しそうだから無しとして、宮内大臣の顧問とか、内大臣の顧問とか……」

「いいですねぇ」

 私の言葉を聞いた陸奥さんがニヤリと笑った。「内大臣の顧問。内大臣より更に上の存在と解釈することもできますし、名誉職で、政治には一切かかわっていないと解釈することもできる」

「それならば、この問題は解決するわけじゃ」

 伊藤さんも満足げに首を縦に振る。「実際に天皇陛下を輔弼するわけではないのだから問題ないと解釈すれば、仙洞御所に自由に出入りしていただける。内大臣より更に上の存在と解釈すれば、政治に影響力を残していると判断され、内府殿下の“平和の女神”としてのお力も落ちずに済む。流石は内府殿下、よいことを思いつかれました」

「それはどうも……」

 これで何とか、先月からの懸案が解決を見たようだ。これなら兄の往診をしつつ、世界情勢への影響力も残しつつ、城郭巡りもできる……と私が胸をなで下ろした瞬間、

「となると、内府殿下の後任の内大臣は(おい)でいいじゃろう」

……西郷さんが、後から思えば爆弾のような一言を放り込んだ。

「何じゃと?」

「ほう?」

 伊藤さんと陸奥さんが、西郷さんを睨みつける。黒田さんは黙ったまま、鋭い視線を西郷さんに突き刺す。私の周辺で見えない火花が散ったその時、

「皆様方、何をおっしゃっておいでですか。内府殿下の後任の内大臣は僕ですよ」

黒田さんの隣に座る西園寺さんが、憤然とした様子で立ち上がった。

「いいや、私ですよ。私の後任の国軍大臣には、斎藤になってもらいましょう」

「いえ、我輩です。内大臣と内務大臣、一文字違いで似たようなものですし」

「いっそ、民間から登用するのも面白いかもしれません。いかがですか内府殿下、後任の内大臣に、児玉自動車学校理事長であるこの私は……」

 更には、国軍大臣の山本権兵衛さん、内務大臣の後藤新平さん、前国軍航空局長の児玉源太郎さんが席を立ち、自らをアピールする。

「くっ……政党を率いる身でなければ、内大臣に立候補できたものを……!」

「分かります、分かりますぞ、原殿!この桂とて同じ気持ち!」

 立憲自由党総裁である原(たかし)さんと、野党・立憲改進党党首である桂太郎さんは、歯ぎしりしながらお互いを慰め合い、

「内府殿下、お労しい……。こうなったら、いっそ、私が内大臣になって、内府殿下をあの方々の魔の手からお救いするしか……」

「いい考えかもしれません。私も、内大臣に選ばれるよう頑張ります!」

立憲改進党に所属する貴族院議員の渋沢栄一さん、前大蔵大臣で枢密顧問官の高橋是清(これきよ)さんまでもが、決死の表情で何事かを話し合っている。牡丹の間は、かつてないほどの混沌に陥ろうとしていた。

(あ、あんたら……)

 いい加減にしろ、と私が怒鳴ろうとした直前、上座の方で誰かがパン、パン、と両手を叩く。手を叩いたのは、私の前に座っている迪宮さまだ。慌てて口を閉じた一同に向かって、

「皆の言うことは分かった」

迪宮さまが厳かな口調で告げた。

「この件については、いずれ、お父様(おもうさま)と僕が熟考の上で決めよう。ただし……これ以降、内大臣に就任したいと運動した者は、内大臣の候補から外すから、皆、そのつもりでいるように」

 迪宮さまが口を閉じると、梨花会の面々は一斉に頭を下げた。

(なんとか、収まったのかな)

 私がほっと息をつくと、迪宮さまは“これでよろしいですか?”と言いたげに、私と兄の方を見る。

(お見事!)

 私も兄も大きく首を縦に振り、迪宮さまのとっさの采配を賞賛した。

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― 新着の感想 ―
漸く国内が落ち着いたと思ったら… 火事場泥棒を図る輩が… しかも何やら様子が… もう、こうなったら『妖刀さん』&『葉巻を咥えたブルドック』を盛大にこき使って、常設国連軍の実現を図るべきかと。 迪宮さま…
話の流れを考えると鈴木武官長が就任という可能性が高いのか。 二代の天皇に身近で使えると、皇室とのつながりもより強くなり総理大臣就任時にもかなりの箔がつく。
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