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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第82章 1928(大正13)年処暑~1929(大正14)年雨水
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荒れ模様の臨時梨花会

 1928(大正13)年10月16日火曜日午後2時15分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

 急遽開催された梨花会は、最初から荒れた。

 まず、来週末、10月27日に予定されていた兄の病状と譲位に関する発表を、あさって、10月18日に早めて行うことになったという説明が宮内大臣の牧野さんからあった。その理由として、先週土曜日から盛岡町で起こっている一連の騒動の経緯を牧野さんが述べたところ、梨花会の面々……主に古参の人たちの怒りに火がついてしまったのだ。

「何をやっるんじゃ、原君も後藤君も牧野君も!」

 枢密顧問官の伊藤さんは、声を荒げ、責任者と思われる人物の名を叫ぶ。原さんは内閣の責任者、後藤さんは警察を担当する大臣として、牧野さんは皇族を担当する大臣として名前が挙がったのだろう。

「ええ、恐れ多くも、内府殿下を宮中に避難させ、更に、万智子(まちこ)女王殿下が襲撃されるような事態を招くとは……由々しき事態です」

 伊藤さんに同調するかのように、枢密院議長の黒田さんがゆらりと立ち上がり、あたりを睥睨しながらこう言った。

「政府中枢には、内府殿下と万智子女王殿下を危険にさらしたことに対する責任を取っていただかなければなりませんね。内府殿下も万智子女王殿下も、僕たちの心の支えなのですから」

「覚悟はいいかのう?」

 黒田さんに続いて、枢密顧問官の陸奥さんと西郷さんが発言する。揃って顔に獣めいた笑みを浮かべる陸奥さんと西郷さんに対して、

「内府殿下のご自宅がデモ集団に囲まれてしまい、万智子女王殿下が襲撃されてしまったのは、確かにわたしたちの落ち度です」

内閣総理大臣の原さんが椅子から立つと低い声で答えた。

「しかも、女王殿下は南部伯爵のご嫡男・利光(としみつ)さまとご婚約なさっておいでですのに……内府殿下、そして南部伯爵にご迷惑をお掛けした責任を取りまして、わたしは内閣総理大臣を辞任いたします」

「我輩も、警察を統括している大臣として、責任を取って辞職致します」

 内務大臣の後藤新平さんも、原さんに引き続いて立ち上がると最敬礼して一同に告げた。

「我輩の後任には、次官の水野君を繰り上げて就任させます。そして、空いた次官には横田君を入れれば問題は起こらないはずです」

 硬い声で更に言った後藤さんに、

「それで足りると思っているのかね?」

児玉さんが厳しい視線を突き刺す。

「宮内省は、内府殿下と女王殿下を保護し奉るため、然るべき処置を取るべきだったのだ。更に言えば、戒厳令を出して、かの女性たちの動きを完全に封じるべきなのだ。その進言をしていない国軍大臣にも責任があると、この児玉は考えるが……」

「その通りじゃ!」

 児玉さんの言葉に、伊藤さんが机を叩いて応じる。

(……ったく、何なのよ、この人たちはぁ!)

 議論は完全にコントロールを失っている。私の苛立ちは頂点に達した。大体、今、議論すべきなのは、単純な責任論ではないのだ。早急に話し合うべき課題は……。

「内閣の、そして、大臣たちの罪を明らかにする必要がある。そうでなければ、満足に行くお代替わりなど……」

 伊藤さんが演説をぶとうとしたその時、

「……黙れっ!」

私は大声を一同に叩きつけた。牡丹の間は、一瞬で静まりかえった。

「梨花叔母さま……」

 呆然と私を見つめる迪宮(みちのみや)さまの前で、

「あなたたちはそう言って原さんたちを責め立てていますけれど、土曜日の午後までの段階で、盛岡町邸(うち)にデモ集団が出現することを、誰か予測できていましたか?……いないでしょう、住人の私ですら予測できなかったんですから!」

私は言葉を更に続ける。どうして、この一流の人物が揃う梨花会の面々ですら、一番大事なことを見失っているのかという怒りとともに。

「確かに、原さんや後藤さんに責任はあるかもしれないけれど、今、一番大事なのは、兄上の病状に関する不安に端を発したこの東京市内の混乱状態を、暴力的な手段を使うことなく速やかに収めることでしょう!それには、兄上の病状発表をしっかりやって、兄上が、全国民に譲位の意思を表明するしかないんです!こんな時に総理や閣僚の辞任・就任なんてやっていたら、貴重な時間が失われて、混乱がひどくなるだけです。それに原さんは、兄上に“総理を辞めるな”と命じられています。その原さんの責任をいたずらに追及して辞めさせれば、私たちは原さんと一緒に勅命に反することになるのですよ!」

 私は一度言葉を切って、一同の様子をざっと確認する。梨花会の皆は、私の顔を呆気に取られたように見つめている。ただ1人、車いすの助けを借りて牡丹の間までやってきた兄だけが、上座から穏やかな視線を私に送っている。兄が微かに頷いたのを見て、私は自分の意見を完全に押し通すため、もう一度口を開いた。

「万智子の母である私としては、これからの働きで挽回すれば、内閣や宮内省の責任は不問としたいと考えています。ですから皆さんも、内閣と宮内省の責任を追及するかどうか判断するのは、これから彼らが、東京市内の混乱を収めるためにどう働くかを見てからにしてもらいたい……私はこのように要望します」

 私は言い終わると、丁寧に一礼してから椅子にかける。すると、

「嫁御寮どのがそう言うのなら、仕方ありませんね」

私の義父・有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下が、唇の端に微笑を閃かせた。

「もちろん私も、万智子の祖父として、有栖川宮家の当主として、思うところは多少ありますが……しかし、嫁御寮どのの言う通り、今やるべきことは、東京市内の混乱を速やかに、暴力的でない手段で収めることです。それに私も、体面にこだわって大局を見誤るようなことはしたくありませんのでね」

 義父が真面目な顔でこう述べると、

義兄上(あにうえ)の言う通りだ」

上座にいる兄が穏やかに言う。その途端、梨花会の面々が一斉に兄に向かって最敬礼した。

「今、内閣や宮内省の責任を追及するのは、俺の本意ではない。まずやるべきことは、この東京市内の混乱をさっさと収めることだ」

「大変……大変、申し訳ございませんでした」

 伊藤さんが謝罪して再び深々と兄に頭を下げると、

「僕も、万智子女王殿下に危害が加えられそうになったということで、頭に血が上ってしまいましたが……当事者のお1人であるにもかかわらず、一歩引いて大局からものをおっしゃるとは、流石内府殿下ですね。……言葉遣いはやや乱暴でしたが」

陸奥さんはニヤニヤ笑いながら私に言う。褒めてくれてはいるのだろうけれど、毎度のことながら一言多い。

「それで、だ。……病状発表は、18日の何時までにできそうだ?」

 今度は鋭い声で尋ねた兄に、

「午前中までには仕上げられるでしょう」

牧野さんが恭しく奉答する。「勅語も、そこまでには何とか仕上げられます。陛下にご負担をかけることになってしまいますが……」

「構わん。東京市中の混乱を収めることの方が大事だ」

 牧野さんに応じた兄は、視線を私に向けると、

「それに、俺のそばには、頼りになる主治医がいるのだ。主治医の意見を聞きながら、仕事は無理のないように進めるよ」

穏やかな調子でこう言った。……これは、責任重大だ。私はいつも以上に兄の体調に注意を払うことにした。

「それから、ラジオのスタジオはどうだ?」

「元田逓信大臣に確認したところ、内装以外は昨日完成し、今日、機器の試験を行うとのことでした」

原さんが、兄の問いに素早く答える。

「しかし、内装、特に装飾については、まだ手つかずということですが……」

「そんなものはいらん」

 兄はお伺いを立てようとした原さんにキッパリと回答した。「使うことができればそれでいい。もし、新しいスタジオの機器が使えなければ、既存のスタジオを使うことにして構わない。とにかく、あさってに放送ができることを優先してくれ」

「はっ、かしこまりました」

 兄に最敬礼した原さんは、身体を起こすと、

「では、皆様方、あさっての正午、牧野さんの病状発表に引き続き、陛下に勅語を読み上げていただく……この順序でラジオ放送を致します」

厳かな声で一同に告げた。

「もちろん、不測の事態に備え、近衛師団及び第1師団には、“神嘗祭(かんなめさい)の警備”という名目で、東京市内や近郊の警備にあたらせます」

 原さんの言葉に、国軍大臣の山本権兵衛さんが一礼する。万が一、ラジオ放送で東京市内の混乱が収まらなかった場合、警備のために出動した国軍の舞台は、そのまま、東京市内の混乱を収める役割を担うことになるだろう。……時には、暴力も使って。

「あさっては、宮内省の活動写真班も、トーキー用のカメラを持ってスタジオに待機致します。フィルムは、可及的速やかに全国の活動写真館に配布します」

「よろしく頼むぞ」

 牧野さんの言葉に、兄が深く頷く。あさって正午の玉音放送に向け、内閣総理大臣と宮内大臣と私、そして梨花会の面々は動き出した。


 1928(大正13)年10月17日水曜日午前9時49分、皇居・賢所参集所。

「……」

 参集所の一室で、私は夫の栽仁(たねひと)殿下の到着を待ちわびていた。今日の神嘗祭には、私は栽仁殿下の妃として参列するので、私が今着ているのは、いつもの宮内高等官の制服ではなく、ほとんど白に近い薄い桃色の通常礼装(ローブ・モンタント)だ。盛岡町邸では、まだ女性たちと警官たちの睨み合いが続いている。従って、栽仁殿下は今日の朝一番の列車で横須賀から上京し、霞ヶ関の本邸で着替えてから、神嘗祭に参列することになった。ところが、もうすぐ、皇族の集合時刻の9時50分になるのに、栽仁殿下が参集所に姿を見せないのだ。

(どうしたのかしら。鉄道が止まった?それとも、原さんが、第1艦隊にも治安維持のために出動命令を下したとか……)

 なぜ夫が現れないのか、考えられる要因を必死に列挙しようとした私に、

「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですわ、章子さま」

前にいる義母の慰子(やすこ)妃殿下が優しく声を掛けた。

「栽仁はきっとここに来ますから」

 そう言った義母の横から、

「ええ。例え神事に間に合わなかったとしても、栽仁は愛しの嫁御寮どののところにきっと現れます」

義父の威仁親王殿下が、私をからかうような調子で言う。

「お、お義父(とう)さま、からかわないでください。確かに、栽仁殿下には会いたいですけれど、その……」

義父に何と言い返せばいいのか、分からなくなってしまったその瞬間、

「父上、母上、章子さん……申し訳ありません、遅くなりました」

部屋の扉が開き、海兵少佐の正装に身を包んだ栽仁殿下が現れた。走ってきたのか、少しだけ髪が乱れている。夫の髪を直そうと私が立ち上がった時、宮内省の職員から幄舎に移動するよう声が掛かる。

(たね)さん……ちょっと髪が乱れてる」

 栽仁殿下の隣に動きながら私が囁くと、栽仁殿下は窓ガラスに映った自分の姿を確認して、手で素早く乱れた髪を整えた。

「……梨花さん、色々聞いていいかな」

 ご神事が終わり、拝礼を終えて賢所の正門を出ると、先に拝礼を終えて正門の前で待っていた栽仁殿下が私に近づいて小声で言う。私は黙って頷くと、車寄せに向かう道の脇に逸れて、人目につきにくい木立の陰に夫を誘った。

「……なるほど、それで金子閣下が、神嘗祭には昨日の晩じゃなくて、今日の朝一番に上京する形で出席して欲しいって僕に知らせてきたのか」

 約10分後、先週末から我が家を翻弄している騒ぎのあらましを私から聞き取った栽仁殿下は、こう言うと納得したように頷いた。

「新聞やラジオで報道されていないのは、報道管制が敷かれたからかな?」

「うん、報道すると、デモの参加者を更に増やす可能性があるから」

 私が栽仁殿下にこう答えると、

「そうか……。しかし、ひどいね。万智子を襲うなんて。さっき、霞ヶ関に寄った時は時間がなくて、万智子と余り話せなかったけれど、ここを出たらちゃんと話をしないと。あと、謙仁(かねひと)禎仁(さだひと)にも会わないとね」

栽仁殿下は一瞬顔をしかめたけれど、すぐに微笑んで私に言った。

(たね)さん、申し訳ないけれど、子供たちのフォローをお願い。私、少なくとも明日までは盛岡町に戻れないから」

 私が夫に頭を下げて頼むと、

「分かったよ。明日……ってことは、明日の正午の“重大放送”の件、梨花さんも関わってるのかな?」

夫は私にこう確認する。私が黙って頷くと、

「そう。いよいよ、譲位のことが発表になるんだね」

夫は静かに、感慨深そうに呟いた。

「新聞に、重大放送は譲位の関係のことだって書いてあったの?」

「いや、明日の正午に重大放送がある、としか。ただ、僕は陛下のお話も聞いたから、多分そうかな、って見当がついて」

「ああ、そっか、そうよね……」

 もし、重大放送は譲位に関することだと新聞に書かれていたら、東京市内は今頃パニックになっている。流石原さん、そのあたりはきちんと配慮しているようだ。ほっと胸をなで下ろした私に、

「子供たちと話したら、すぐに横須賀に戻るよ。東京市内が混乱したら、第1艦隊にも出動命令が下るかもしれないしね」

栽仁殿下はこう言うと、正帽を被り直した。

「梨花さん、お役目も頑張って欲しいけど、自分の身の安全にはくれぐれも気を付けてね。明日の放送で東京市内の混乱は収まると思うけれど、念には念を入れて、ね」

「分かった。(たね)さんも、健康と身の安全には、くれぐれも気を付けてね」

 夫と私は言葉を交わすと、お互いの目をじっと見つめた。

 空には雨の前触れの厚い雲が、低く垂れこめていた。

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― 新着の感想 ―
こんなの爺共ですら予想外だったんだから、辞任案件なら枢密院関係者(議長及び顧問官全て=梨花会以外の顧問官も込で)悉く勇退しなきゃならんのは明白なのに自分らは棚上げなのね、特に女狂いと論戦魔王はwww …
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