内府殿下の進路相談会
1928(大正13)年10月13日土曜日午後2時10分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「厚生大臣がよいとわしは考える」
大山さんの右隣に座る枢密顧問官の伊藤さんが胸を張ると、
「俺は、国軍大臣がよいのではないかと思うがのう」
同じく枢密顧問官の西郷さんが、のんびりした口調で言う。
「お2人とも、何を馬鹿なことをおっしゃっておられるのですか。外務大臣しかないに決まっているでしょう」
更には、西郷さんの隣に座る枢密顧問官の陸奥さんが、伊藤さんと西郷さんに余裕のある笑みを向けて言い放つ。
(どうしてこうなった……)
自分の席で、両肘を机の上に突き、両方の手のひらを額に当てた私は、大きな大きなため息をついた。
今日は、月に一度の、梨花会の定例開催日である。まだ表御殿のバリアフリー化改修は終わっていないから、兄は今日の梨花会には参加しないことになり、牡丹の間の一番上座に座っているのは、皇太子の迪宮さまだ。そして、今日の梨花会では、まず、兄の病状や譲位の発表をどう進めるかという手順を確認し、それから、私の進退をどうするか、梨花会全体で討議するという順番で議題が進行するはずだったのに、冒頭で伊藤さんが、
――陛下のご病状や譲位の発表手順などは、最後に確認すれば十分じゃろう。今日の梨花会はまず、内府殿下の今後について話し合うべきじゃ!
と発言し、それがほぼ全員の賛同を得てしまった。そして、梨花会の面々による熱い……聞かされている私としては非常に面倒な討論が始まってしまったのである。
(誰か……誰か、このくだらない争いを止めて……)
もはや単なる騒音としか思えない梨花会の面々の声に閉口しながら、私はこの地獄を終わらせる方法を考える。一番無難なのは、ここにいる皇族の誰かが、この馬鹿馬鹿しい争いを止めることだ。しかし、言い争う彼らは、私の言うことは聞かないだろう。義父の有栖川宮威仁親王殿下の言うことなら聞くだろうけれど、義父はこの騒々しい討議を、目を輝かせながら聞いているから、これを止めるということなどこれっぽっちも考えてくれないだろう。となると、あと数か月で天皇になる迪宮さまに頼むしかないけれど……。
「なるほど。そのような選択肢もある、と……」
上座に座る迪宮さまは、手元の紙に鉛筆を走らせながら、梨花会の面々が繰り広げる勝手な主張に聞き入っていた。
「……では、他に意見のある者は?」
騒々しい声が途切れた瞬間、すかさず一同に尋ねた迪宮さまに、
「いや、迪宮さま、この騒ぎを止めてよ!」
私は反射的に注意をした。
「どうしてですか、梨花叔母さま?」
不思議そうな顔で問い返した甥っ子に、「どうしたもこうしたも……」と反応してから、
「だって、今日の会議の順番と違うじゃない!予定では、最初に、兄上の病状や譲位の発表の件を確認することになっていて……!」
私は彼に、会議を正しく運営するように促す。しかし、
「もし内府殿下からご要望がございましたら、我輩は内務大臣の職を内府殿下に譲り、我輩自身は内務次官として、内府殿下のご職務を補佐致します!内大臣と内務大臣、略称は内府と内相……恐れながら、似たようなものでございます。ですから是非、内大臣の後は内務大臣に!」
後藤さんがとんでもないことを言いだしたので、迪宮さまは「ほうほう」と頷きながらメモ作成に戻ってしまった。
「いや、ここは西郷閣下もおっしゃった通り、国軍大臣がよろしいかと。内府殿下が国軍大臣となれば、国軍将兵の士気は間違いなく上がります。私が次官として補佐致しますし、斎藤も秘書官につけますから、是非、国軍省でその辣腕を振るっていただきたく存じます」
更に、後藤さんの隣に座っている国軍大臣の山本権兵衛さんが、立ち上がると恭しく言って一礼する。突然名指しされてしまった国軍参謀本部長の斎藤実さんが、「は?!」と自らを指さしながら目を剥いたのが見えた。
「ほう、そう来ましたか」
山本国軍大臣の言葉を聞いた陸奥さんは、不敵な笑みを見せる。そして、
「ならば、内府殿下が外務大臣にご就任なさった暁には、僕自らが外務次官となって、内府殿下を支えて差し上げましょう」
牡丹の間に集った一同に、信じられないことを言い放った。
「それ、どう考えても罰ゲーム……」
私が両肩を落として呟くのと同時に、
「つまり、僕はどうなるのですかね?」
今の外務大臣・幣原喜重郎さんが、左隣に座っている斎藤さんに小声で尋ねる。斎藤さんが「さぁ……」と左右に首を振った瞬間、
「何なら、貴族院に、議長として復帰なさってもよいのです。貴族院の議長席は、内府殿下の昔の指定席。そこにお戻りになって、政界に睨みを利かせるのも、また一興でございましょう」
貴族院議員で元内閣総理大臣の西園寺公望さんが、ニコニコ笑いながら意味不明な発言をした。すると、西園寺さんの左隣にいる枢密院議長の黒田清隆さんが立ち上がり、
「いや、議長は議長でも、多少は新味がある方がよいでしょう。枢密院議長にご就任なさるのはいかがですか?内府殿下でしたら、議論の制御は可能ですし、俺も秘書として、内府殿下をお助け申し上げます」
至極真面目な顔で、荒唐無稽なことを言った。
「いえいえ、世界でもご高名な内府殿下には、やはり、世界でも通用する職に就かれるのが最善でございます!わたしが内閣書記官長として内府殿下をお支えしますから、内府殿下には内閣総理大臣にご就任いただいて……」
そして、私の斜め前、義父の隣の席にいる原さんが、信じ難い言葉を口にするに至って、
「ぎ……議会政治の原則を壊すなぁーーーーーっ!!」
堪忍袋の緒が切れた私は、梨花会の面々に怒りの絶叫を叩きつけた。
「だ、大体ねぇ、内閣制度が始まってからの日本で皇族が大臣をやること自体、異例中の異例なのよ!“史実”では内閣制度が始まって以来、大臣になった皇族は、ポツダム宣言受諾を決めた直後に総理大臣になった稔彦殿下だけで……」
「しかし、この時の流れでは、内府殿下という立派な前例が既にある訳でありますな」
児玉さんの隣に座っている前内閣総理大臣の桂さんが、大きく頷きながら反論した。「ならば内大臣の次は、内閣総理大臣でも枢密院議長でも……」
「だから、総理になるのは、国民の民意を完全に無視する行為だから論外だし、枢密院議長もあり得ないのよ!私、枢密院に議席がないんだから!」
「また、ですか……」
私の全力の反論を聞きながら、元内閣総理大臣で貴族院議員の渋沢栄一さんが、深い深いため息をつく。その隣で、枢密顧問官の1人である高橋是清さんが、「いつものこととは言え、内府殿下がお気の毒です……」と両肩を落としていた。
「むう、ここまでもめてしまいますか。赤十字社に青山さえいなければ、嫁御寮どのに赤十字社の社長をやってもらうということで、全てが丸く収まりますのに……」
もちろん、私のことを心配してくれる人だけではなく、義父の威仁親王殿下のように、事態を面白がっているとしか思えない発言をする人もいる。私は丁重に、しかし怒りをこめて、
「青山がいる時点で却下です!」
と義父に返答した。
「では、我が児玉自動車学校の名誉理事長はいかがですか?自動車の運転も学べますし、世界各国の最新の機密情報にも接することができますぞ!」
そして、児玉さんはニヤニヤ笑いながら、私の怒りを煽るような発言を放ってくる。彼がこの事態を楽しんでいるのは明らかだけれど、
「あのバカ兄弟と顔を合わせないといけない時点であり得ません!」
私は恐らく彼の期待通りに、激しい怒りに満ちた目で彼を睨んだ。
「まったく……皆、好き勝手なことを言わないでください。私は兄上に、“週に1度は往診に来るように”と命じられたのです。大臣や議長の仕事をしながらでは、往診はできません。だから、私は現役軍人に戻って、参謀本部付にしてもらって、兄上の診察をしながら日本各地の城郭を見て回って……」
私が自分の意見を訴えようとした時、梨花会の面々が一斉に私に鋭い視線を突き刺した。伊藤さんや大山さんだけではなく、末席の方にいる山本中佐や堀中佐、そして山下中佐まで、私を厳しい目で見つめている。
「わしらよりお若いのに、何をおっしゃいますか。引退などさせませんぞ」
伊藤さんが冷たい声で言ったのに続いて、
「お気持ちは分かりますが、内府殿下には、国のためにおやりになれることがまだあるはずです。それをなさらずに引退とは、何とももったいないことではないですか」
山本五十六航空中佐も不満げに発言する。
「いや、だから……」
一同に反論しようとした私に、
「対外的には、内府殿下には、譲位後も何らかの高い地位にいていただくのが一番よろしいのですがねぇ」
陸奥さんは呆れたように言葉を投げる。
「そうでなければ、“平和の女神”の神通力は落ちます。それを避けるには、内府殿下が、譲位後も国政への影響力をお持ちになっている必要があります」
「確かにそうかもしれませんけれど、2代の天皇に内親王が続けて仕えるのは異例過ぎますよ」
私は陸奥さんに答えると顔をしかめた。
「それに、迪宮さまは私の甥……もし私が譲位後も国政の中枢に居座り続ければ、迪宮さまに、“叔母に摂政をされなければ政務ができない無能力者”という烙印が押されかねません。それは絶対に避けないと。だから私は一線から退いて、参謀本部付にしてもらって……」
ここまで私が主張した時、牡丹の間の上座の方にある扉が音を立てて開く。身構えて振り向くと、私の視線の先には思わぬ人物が立っていた。
「兄上?!」
私は椅子から慌てて立ち上がると、歩行器を使って少しずつ前へ歩く兄のそばへ走った。
「大丈夫?!1人で来たの?!ここに来るまでに転ばなかった?!息切れや動悸はない?!」
質問しながら、すかさず兄の手首をつかんで脈を確かめようとする私に、
「大丈夫だよ。まったく……子供を心配する母親のようだなぁ」
兄は苦笑いして応じる。そんな兄の後ろから、
「大丈夫ですよ、お姉さま」
節子さまがひょっこり顔を出した。
「奥御殿からここまで、時々脈を測りながら来ましたけれど、脈拍数も落ち着いていましたし、脈の乱れもありませんでした」
「そう?じゃあ……」
節子さまの報告に、私がほっと胸をなで下ろすと、
「だが、流石に疲れたな。ちょっと休むついでに、梨花会に参加させろ」
兄はこんなことを言い出す。迪宮さまが椅子から飛び退くように立ち、山本中佐と堀中佐と山下中佐が、壁のそばに置いてある予備の椅子を取りに走る。瞬く間に、上座に兄と節子さまのための椅子が設置され、集まった一同は、いつも梨花会で座る席に座り直した。
「それで、梨花の身の振り方は決まったのか?」
白い長袖のシャツを着た兄は、一同に笑顔で問いかける。
「いいえ」
私の隣に座る大山さんが、首を左右に振ってこたえる。「予定が変わり、会の冒頭からその議題で討論しておりましたが、結論が出るに至っておりません。やはり、天皇陛下にお出ましいただいて、ご裁定いただくことにしておいてよろしゅうございました」
(ん?)
兄がこの議案を裁定する……そんな予定はなかったはずだ。そもそも、兄は今日の梨花会に出席予定ではなかった。それなのに、兄の出席が前提となっているこのセリフ……まさか、大山さんと兄が謀ったのだろうか。私が我が臣下を問い質そうとした時、
「……と言っても、俺も何が最善なのか分からないからなぁ」
と苦笑した兄は、
「では、卿らからどのような意見が出たか、最初から聞かせろ」
……信じがたい命令を一同に下した。
「ちょ、ちょっと待ってよ、兄上!そんな不毛な命令は……」
今すぐ撤回して欲しい、と私が兄に言おうとした瞬間、
「梨花さま、勅命ですぞ」
大山さんが私を睨みつける。殺気がこもった我が臣下の視線に、私の口の動きは止められた。それを見た伊藤さんが、
「では、申し上げます!わしは、内府殿下は厚生大臣がふさわしいと申したのです!」
大きな声で自分の意見を兄にぶつける。他の梨花会の面々も、次々に自らの主張を展開したので、私は味わいたくなかった地獄を再びたっぷり堪能させられた。
1928(大正13)年10月13日土曜日、午後4時15分。
「いかがなさいましたか、内府殿下?!」
表御殿にある、臣下が使う車寄せ。そこに現れた私の姿を見て、我が有栖川宮家のベテラン運転手である川野さんが、心配そうな声を上げた。
「ああ……大丈夫です。ちょっと疲れただけですから」
私は川野さんに、とりあえず笑顔で答えると口を閉じる。余計なことを言ってしまうと、後日、隣に立っている大山さんにきついお仕置きを受けてしまう。私はそのまま、迎えの自動車の後部座席に乗り込み、大山さんの見送りを受けながら帰路についた。
「内府殿下……やはり、天皇陛下のご病状の件でお忙しいのですか?」
自動車を運転しながら、川野さんは後部座席に座る私に尋ねる。
「そうですね」
私が軽く頷くと、
「天皇陛下のご病状……本当に心配です」
川野さんは沈鬱な声で言った。
「今日も、ラジオで宮内省からのご病状の発表がありました。“回復は遅々として進まず”……という文章がありましたから、私、とても心配になりました。もうすぐ、神嘗祭もございますのに……内府殿下、天皇陛下はご回復なさるのでしょうか?」
「あの……川野さん、あなたは天皇陛下に、どこまでの回復を求めますか?」
これは、説明がとても難しい。とりあえず、川野さんが考えていることを把握するため、私はこんな質問を投げた。
「は?それはどういうことでしょうか?」
運転をしているので、川野さんは前を向いたまま私に反問する。私は少し考えてから、
「そうね。……天皇陛下は今、歩行器を使えばゆっくり歩けるけれど、川野さんは天皇陛下にどんな状態になって欲しいですか?杖を使って歩けるようになって欲しい、とか、杖無しで歩いて欲しい、走って欲しいとか……」
川野さんにこのように尋ねてみた。
「それは、元通りになっていただきたいですよ」
すると、川野さんはこう答えた。
「内府殿下から天皇陛下のお話を伺うと、天皇陛下はいつもお元気で、走られたり、馬に乗ったりなさっておられます。皇太子であらせられた時も、そして、天皇に即位なさってからも、天皇陛下は盛岡町のお屋敷に何度かお出ましになられましたが、天皇陛下はお庭をお歩きになったり、謙仁王殿下と禎仁王殿下がお小さかったころは、お2人のお相手をなさって遊ばれたり、お庭の木に登ったりなさっておいででした。ですから、天皇陛下がまたそのように、お元気になられるとよいと私は考えております」
自動車のハンドルを操りながら、川野さんは思いのたけを一生懸命に述べる。
「そっか……そうね……」
私は川野さんの背中を見ながらため息をついた。
「……あのね、川野さん。脳卒中になって、運動機能が失われた場合、その機能が完全に元に戻ることは、ほとんどあり得ないんです」
私は川野さんが失望しないようにと祈りながら、こう言った。
「もちろん、訓練を続ければ、失われた機能が戻って来ることも多いです。現に天皇陛下も、全く歩けなかった状態から、歩行器を使えば歩ける状態になりました。けれど、元のように、杖無しで歩いたり、走ったりするのは、難しいと思います……」
「そう……なのですか?」
「最終的に、天皇陛下がどこまで回復するかは、侍医の先生方が判断しますけれど……」
それ以上の言葉が口にできなくて、私はうつむいた。川野さんは私に何の反応も返さず、黙って自動車を運転している。私の隣に護衛として乗っている中央情報院の職員さんも、一言も喋らない。重苦しい沈黙に支配されたまま、自動車は麻布区の私の自宅近くまで戻ってきた。
と、
「川野さん、車をここで今すぐ止めてください!」
私の隣に座る院の職員さんが、突然大声を上げた。
「は?」
尋ね返した川野さんに、
「いいから、早く!」
院の職員さんは再び大声で返す。川野さんは慌てて車を道の端に寄せ、停止させた。
「一体、どうしたんですか?」
私が院の職員さんに聞くと、
「門前に、女性がたくさん集まっています。先ほど、盛岡町邸を出発した時には、こんなことはありませんでした。……明らかにおかしいです」
彼はそう言って前を指さす。ここから6、70mほど離れたところに、我が盛岡町邸の正門がある。その前に、女性ばかりが大勢集まっている。確実に、50人以上はいそうだ。
「確かに変ですね」
私が呟いた時、
「内府殿下!」
という、女性の叫び声が聞こえた。私が思わず身体を引くと、
「どうか、天皇陛下をお救い下さい!」
女性の叫び声が、追い打ちをかけるように届いた。どうやら、門前にいる女性の集団からの声のようだ。
「内府殿下、天皇陛下のご治療をお願いします!」
「内府殿下!今こそ、内大臣の職を投げ打って、天皇陛下をお救いする時でございます!」
「内府殿下、どうか天皇陛下をお守りください!」
女性の集団は、門の中にある本館に向かって、大声を上げ続けている。そのどれもが、私に対する要求だ。邸内の職員がどう対応しているか、ここからは確認できないけれど……。
(これって、私に対するデモかぁ?!)
「川野さん、車を霞ヶ関の本邸へ!」
私の叫びに、川野さんは「は、はいっ!」と引きつった声で返事をする。そして、こちらを振り向きながら、車をバックさせ始めた。
「私へのデモなんかに、付き合っちゃいられないわ。三十六計逃げるに如かず!」
これぐらいの故事成語なら、流石に漢文が苦手な私も知っている。私がこう叫んだ時、手近な路地にお尻を突っ込んで方向転換した自動車は、盛岡町邸に背を向けて、飛ぶように走り出した。




