譲位計画
1928(大正13)年9月10日月曜日午前10時、皇居内にある医療棟。
「やっと、会議に出られるようになった」
ベッドの前に置かれた車いすに座る兄は、貴賓室に集まった梨花会の面々の顔を見ると笑顔になる。20人以上が詰めかけているので、貴賓室は混み合っていたけれど、侍医頭の佐藤先生が、兄をもっと広い部屋がある表御殿まで動かす許可を出してくれなかったので仕方がない。
「来週になったら、皇居に戻れると聞いた。そうしたら、こんな狭い部屋で話し合いをしなくても済むのだが……これは急いで決めないといけないからな」
兄が椅子を並べて座る梨花会の面々に言うと、
「その通りです。お代替わりを円滑に進めるためにも、譲位の大まかな予定を決めなければなりません」
枢密顧問官の伊藤さんが力強く応じる。そのまま、「では、ご説明いたします」と宮内大臣の牧野さんが立ち上がり、説明を始めた。
天皇の譲位が最後に行われたのは、1817(文化14)年、光格天皇から仁孝天皇になされたのが最後である。江戸時代のことだから、今回の譲位にあたって参考にすべきものはほぼない。けれど、お父様は、もしガンに侵されることがなかったら、1917年に兄に譲位するつもりでいたので、その時に考えられていた予定は参考にしてよいだろう。
「先帝陛下が譲位をお考えになっておられた時は、1917年の年明けに譲位の意思を表明され、その後、皇族会議と枢密院の了承を経て、1917年4月1日に譲位を行う予定でしたが……」
牧野さんが一同に向かって説明すると、
「そうだった。しかし俺は、なるべく早く譲位したい。許されれば、明日にでも裕仁に譲位したいくらいなのだ」
兄は真剣な表情でこう言う。
「お父様、それはちょっと……」
困惑したように答える迪宮さまの横から、
「それは流石に無理よ、兄上」
私も兄にツッコミを入れた。
「兄上は天皇の職務が一部できないということを、みんなに納得させる時間が必要よ。大体、“左足は動かないが政務は始めた。国民が自分の回復を願うのはありがたいが、各々の生業に励みつつ、心の中で回復を祈ってくれれば十分だ”って意味の勅語を、3日の日に出したじゃない。そこからいきなり“天皇を辞める”だと、混乱する人も出てくるよ」
「……確かに梨花の言う通りだ。国民の混乱は最小限にしたいな」
私の反論を聞いた兄は両肩を落とす。そんな兄に、
「これから、宮中では様々な行事がございます」
内閣総理大臣の原さんが冷静な口調で言った。
「今月の23日には秋季皇霊祭、そして28日には秩父宮殿下のご婚儀がございます。10月1日は天長節祝日で観兵式と宴会がございますし、10月17日は神嘗祭、そして11月7日に先帝祭があり、その直後に、国軍特別大演習のため岩手県への行幸が予定されております。比較的長期の行幸は人目に付きやすく、新聞やラジオの記者もここぞとばかり取材をするでしょう。その行幸で陛下がご不在となれば、しっかりした理由を説明しなければなりません。ですから、10月末を目安に、陛下に遂行不可能な公務があること、そして、皇太子殿下への譲位をなさることを表明するのがよろしかろうとわたしは考えます」
原さんが一気に述べると、
「遂行不可能な公務……つまり、閲兵や、祭祀に関わることだな?」
枢密院議長の黒田さんが原さんに確認する。
「はい。しかしながら、10月末にそう発表するまでにも工夫は必要です。陛下は政務の傍ら、ご療養なさってリハビリにも励まれているが、左足の症状に改善の兆しが無いということは、10月末までに何度か発表し、譲位を表明した時に、“譲位はやむなし”という世論が出来上がるようにしなければなりません。そうでなければ、先ほど内府殿下がおっしゃった通り、混乱する国民も出て参ります」
原さんが黒田さんに恭しい態度で答えると、
「なるほど、流石は原だ。では、譲位の表明まではその計画で進めたいと思うが、皆はどう思う?」
兄は深く頷き、梨花会の面々を見渡しながら問う。反論を口にする人間はおらず、それを確認すると、
「そうなると、譲位できるのはいつごろになるだろう?」
兄は牧野さんに顔を向けて尋ねた。
「今すぐ根回しを始めても、皇族方、この場にいない閣僚と枢密顧問官、そして我らが宮内省の幹部たち……その全てが譲位に賛同するのは時間が必要です。また、11月には、先帝祭や特別大演習の他にも、観菊会や新嘗祭もございます。12月も、半ばを過ぎれば年越しの準備で慌ただしくなりますし……ですから、12月上旬に皇族会議と枢密院会議を行って、譲位のことを正式に決定するのがよいのではないでしょうか。そして、譲位に関する諸儀式は1月と2月の行事の合間を縫って行い、来年3月1日に皇太子殿下が新天皇に即位するという予定がよろしいかと考えます」
牧野さんは、所々で考えながらも、穏やかな口調で兄に奉答する。
「新しい元号の選定や告知もしなければなりません。それも考えますと、皇族会議と枢密院会議の決定から約3か月後の譲位は理に適っておりますな」
元内閣総理大臣の西園寺さんは、牧野さんの言葉にこう付け加える。確かに、天皇が替われば、元号も変更しなければならないし、それに今回は、予定がきちんと分かっている改元なのだから、元号の周知にしっかり時間を取るべきだ。
「では、その方針で行くとして……あとは根回しじゃな」
伊藤さんは西園寺さんの発言の後、両腕を組んで難しい顔をする。
「枢密顧問官たちへの根回しならいつもやっていますが、今回は、宮家のご当主たちも対象に入りますからね。それから、閣僚や宮内省の幹部……今回の根回しはやり甲斐がありますね」
一方、枢密顧問官の陸奥さんは、こう言って不敵な笑みを見せていた。この様子では、陸奥さんに“根回し”された人たちは、陸奥さんに完全に論破されて屈服させられてしまいそうだ。
すると、
「宮家の当主には、俺から譲位の話をする」
車いすに座っている兄が厳かな声で言った。
「もちろん、卿らの力も借りなければならないが、皇族は俺の言葉を聞かないと納得しないだろう。閣僚や宮内省の幹部、枢密顧問官にも、必要であれば俺が話をする」
「陛下、思し召しは大変ありがたいのですが、どうか、ご無理なさらぬようお願いいたします」
「そうです、お父様、無理をして不整脈が起きてしまっては……」
原さんと迪宮さまが兄の体調を案じると、
「分かっている。梨花や侍医たちの意見も聞きながら、無理のないようにするが……しかし、お前たちは俺に直接会っているから、俺自らが譲位を望んでいると知っているが、俺に会っていない者の中には、原や牧野大臣が、俺の思いを無視して譲位を勧めようとしていると考える者も出るかもしれない。そういう者たちに対しては、俺が直接、譲位を望んでいるのは俺だと告げるのが一番だ」
兄はこう反論する。牧野さんも迪宮さまも恐縮したように頭を下げた。
「それは確かにごもっとも」
前内閣総理大臣で野党・立憲改進党党首の桂さんが大きく頷いて言った。
「しかし陛下、臣下たちが陛下の思いを無視して譲位を勧めようとしていると考えてしまう者は、一般の国民にも出てきてしまいましょう。そちらにはどう対処なさるのですか?」
「桂さんの言う通りですね。私の時代みたいに、テレビやスマホが普及していれば、譲位を決めた経緯を、兄上自身が説明する動画を流せば、一発で終わることですけれど……」
私はこう言いながら、前世のことを思い出していた。私が前世で死ぬ2年前の2016年には、生前退位に対する陛下のおことばがテレビで流され、譲位に向けての動きが政界で加速した。けれど、この時の流れでは、テレビの放送はまだ実験レベルでしかされていない。だから、テレビを使うのは無理だけれど……。
「ラジオはどうですか?」
私が首を傾げながら一同に尋ねると、
「それです!」
児玉さんがいち早く反応した。
「ラジオの普及率は25%を超え、どんな村にも1台はラジオがある時代となりました。この状況ならば、ラジオを使えば陛下のお声が直接民衆に届く!」
「つまり、玉音をラジオで流すということですか……」
元総理大臣の渋沢栄一さんが震えながら言う。「確か、“史実”では、ポツダム宣言受諾の際に流されたと……」
「テレビだと、東日本大震災の直後と、生前退位に関するお気持ちの表明の時も、ですけれど……回数は本当に少ないと思います」
私が渋沢さんに答えると、
「だが、やるべきだろう」
車いすに座った兄が厳かな声で言った。
「戦争終結、未曽有の大災害、天皇の代替わり……国の大きな苦難や転換点で、天皇が自らの言葉を国民に直接伝えようとしたということだろう。ならば、俺が裕仁への譲位の意思を国民に直接伝えようとしても何の不思議はない。……皇室も、時代と共に変わらなければならない。もし必要ならば、俺は喜んでラジオのマイクの前で喋るよ」
「……かしこまりました。そのご覚悟ならば、私はもう何も言いません」
渋沢さんが頭を下げると、他の面々も一斉に兄に向かって頭を下げる。どうやら、兄のラジオ出演に異を唱える者はいないようだ。
「……となると、ラジオの放送は、10月下旬か11月の上旬かのう」
枢密顧問官の西郷さんがのんびりと言うと、
「先ほどの牧野さんの説と合わせて考えれば、そうなります」
原さんは強張った表情で応えた。「至急、愛宕山の放送所に、陛下用のスタジオを作らせます」
「そこまでしなくてもいいぞ」
原さんの言葉に顔をしかめた兄を、
「兄上、バリアフリー化なんて、既存のスタジオは考えてないだろうから、スタジオは作ってもらおうよ。段差につまずいたら大変でしょ」
私はこう言ってなだめた。今、奥御殿も、車いすが使いやすいように改修してもらっているけれど、そういった工夫がされている建物の方が、兄は動きやすいだろう。
「“ばりあふりー”というのは、奥御殿の改修の相談の時に梨花が言っていたものか。そこまでしなくてもいい気がするが……梨花が言うなら仕方がない」
兄が呟くように言うと、原さんがほっと胸をなで下ろした。
「……それから、場合によっては、俺がマイクに向かって話すところをトーキーで撮っても構わない。俺の声を国民に届けるために、あらゆる工夫をしてもらいたい」
兄は更に、原さんにこんなことを言う。“トーキー”というのは、映像と音声が同期した映画……要するに、私の時代の映画と同じものだ。ここ2、3年で日本にも普及してきている。こちらも、兄の存在を国民に実感させるのに、効果を発揮するだろう。
「では、必要な準備を進めて欲しい」
兄の声に、貴賓室に集った梨花会の面々は頷く。こうして、110年以上、日本では行われていなかった天皇の譲位に向け、私たちは動き始めた。
1928(大正13)年9月15日金曜日午後3時10分、皇居にある医療棟。
「お元気そうで、何よりでございます」
貴賓室の隣にある小部屋。ここ数日、兄はこの部屋に事務机を入れさせて執務を行っている。1日に会う人数を制限してはいるけれど、この小部屋で見舞客にも面会していた。今、兄の前で最敬礼したのは、参謀本部付の機動大将・山階宮菊麿王殿下である。
「ああ、左足が動かないこと以外はな」
椅子に座る兄は苦笑いすると、左の太ももをスラックスの上から叩いてみせる。
「足が片方動かなくなるというだけで、今まで意識せずにできていたことが、全くできなくなってしまう。ベッドや椅子から、車いすに移るのですら一苦労だ。うんと稽古しなければな」
政務の合間に、兄は一生懸命リハビリに励んでいる。少しずつ、やれることは増えてきているけれど、まだ歩くことはできない。兄は明るく振る舞ってはいるけれど、内心ではもどかしく感じているのだろう。事務机のそばに立つ私は、兄の様子を見ながらそう考えていた。
「……ところでな、菊麿。わたしは、天皇の位を裕仁に譲ろうと考えている」
左足を叩いた兄は、姿勢を正すと、菊麿王殿下に静かに告げた。
「なっ?!」
「今すぐには難しいだろう。来年の春先には、譲位をしたいと思っているが……」
「お、お待ちください、陛下!」
淡々と話す兄に、両目を見開いた菊麿王殿下は喘ぐように叫んだ。
「皇太子殿下は、陛下と同じく、ご優秀であらせられます!しかし、だからと言って、譲位をなさるのは余りにも早過ぎるのではないですか?!政務ができない、というのでしたら、私も納得いたしますが、陛下はお倒れになった2日後から、政務を問題なくなさっているではありませんか!」
「確かに政務はできるが、天皇としてやらなければならないことの全てができる訳ではない」
激しく反論する菊麿王殿下を落ち着かせるように兄は言うと、
「この身体では、馬を操ることができないから、特別大演習の統監はできない。それに、神事での所作もできないぞ。こんな状態で、天皇の位にい続けられると思うのか?」
穏やかな調子でこう続ける。
「大演習の統監は、皇太子殿下に代理をお命じになれば済むことではないですか!」
菊麿王殿下は大きな声で兄に言った。「ご神事も、大体は、代拝をお命じになればよろしいはずです!先帝陛下も、ご神事でご代拝をお命じになることが度々ありました!ですから陛下、先帝陛下のごとく、そのお命が続く限り、天皇の位は退かずに……」
「わたしは、天皇のままで死にたくないのだ」
顔を赤くした菊麿王殿下に、兄は変わらず穏やかな調子で言った。
「天皇の大喪儀は、世間に大きな負の影響を与えてしまう。それはお前も、先帝陛下の大喪儀で感じただろう。それに、わたしの脳卒中の原因には、不整脈が関与している可能性がある。不整脈のせいで心臓に血の塊ができて、それが脳に飛んで血管を詰めたのだ。……不整脈は、またいつ起こるか分からない。今回は左足だけで済んだが、今度血の塊が脳の血管を塞いだら、身体の別の所が動かなくなるかもしれないし、死ぬかもしれないのだ。そんな、他人より死ぬ確率が高い状態で、天皇を続けている訳にはいかない」
「……」
「それにな、菊麿。先帝陛下は、わたしに譲位なさるおつもりでおられたのだ。“天皇のままで死ねば、国民に迷惑がかかる”とおっしゃって……」
「何ですと……?!」
「本当だ。先帝陛下が崩御される約半年前……明治49年の5月に皇族会議が招集されたな。その時、皇室典範に定められた譲位の条件に、“天皇が満60歳以上で強く望む時”という事項が付け加わったが、あれは、その翌年の春にわたしに譲位をなさるつもりで定められたものだ。譲位の件そのものは、年が明けてから改めて皇族会議を招集して、そこで決める予定だったのだが、その前に、先帝陛下はガンに侵されて崩御された」
兄から思いもかけなかった事実を知らされた菊麿王殿下は、うつむいたまま黙っている。恐らく、このまま、兄の譲位を受け入れてくれるだろうと私が思ったその時、
「……内府殿下は、これでよろしいのでございますか?!」
顔を上げた菊麿王殿下は、なぜか私にこう尋ねた。
「陛下はまだお若い!それをたった一度の病気だけで、譲位なさると仰せになる……内府殿下は、陛下の譲位に納得なさっておいでなのですか?!」
「……正直、私も最初は、山階宮さまと同じように考えました」
ここで感情に巻き込まれたら負けだ。私は心を冷静に保つように意識しながら菊麿王殿下に言った。
「しかし、陛下がかかられた病は、山階宮さまがかつて罹患なさった結核とは違い、現在の医学では、元の状態に完璧に治すことはできません。それに陛下の脳卒中の一因となった不整脈も、発生を完全に防ぐことは現在の医学ではできないのです。ですから、他人より死ぬ確率が高い以上、国民を“天皇の崩御”に巻き込み、彼らに迷惑をかける訳にはいかないと陛下に言われて、それはもっともなことだと考え直しました。陛下と思いを同じくして動くべき内大臣の職を奉じている以上、私はこれからも陛下と心を一にして参ります」
……言っているうちに、論理がどこかに行ってしまった気がする。失敗したかもしれないと思いながら私が口を閉じると、
「かしこまりました……」
菊麿王殿下は兄に向かって最敬礼した。
「国民のことを思われてのご決断……従わせていただきます」
「そうか」
兄は菊麿王殿下に向かって鷹揚に頷くと、
「このことはまだ、他に漏らすなよ」
穏やかな声で彼に命じる。菊麿王殿下は再び兄に頭を下げると、小部屋から退出した。彼の目には、涙が光っていたように思われた。
(なんで、私に話を振るかなぁ……)
菊麿王殿下の姿が扉の向こうに消えた瞬間、大きなため息をついた私に、
「梨花の身の振り方を、考えなければならないな。俺が退位した後の……」
兄はやや疲れた顔で言うと、微笑した。
※実際の1928年年度のラジオ普及率は4.7%です。(日本放送協会編.20世紀放送史 下.2001年,p532より)




