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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第82章 1928(大正13)年処暑~1929(大正14)年雨水
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発病

 1928(大正13)年9月1日土曜日午前11時59分、青山練兵場。

「お(かみ)!」

 舞台の上にうつ伏せに倒れた兄のそばに、灰色の通常礼装(ローブ・モンタント)を着た節子(さだこ)さまが屈み、必死の形相で声を掛けている。倒れた瞬間に顔をかばったためか、兄の両腕は頭部の下にあった。

「おみ足が!お怪我は?!」

「ああ……怪我は、ない」

 叫ぶ節子さまに、兄は両腕を上体の横に広げ、腕に力を入れながら答えた。

「だが、左足が……」

 兄がこう言った時、私と原さんがほぼ同時に兄のそばに到着する。

「兄上、立てる?!」

 私の問いに、兄は黙って頷くと、両腕を支えにして起き上がろうとする。けれど、右足はきちんと膝が曲がり、床をしっかり踏みしめているのに、左足は、床の上に不自然に伸びたままだ。

「……ダメだな。左足が動かない。痛みはないのだが」

 やがて、上体だけを床から起こした兄は、顔をしかめて首を左右に振った。

(動かないって……まさか、脳卒中?!)

 片側の足が動かない、けれど、痛みはない……。この状況で真っ先に思い浮かべるべき疾患はこれだろう。けれど、脳卒中の原因が出血なのか、梗塞なのかで展開は違うし、そもそも、別の疾患かもしれない。いや、そんなことより、私が今、すべきことは……。

「原さん、兄上を連れて、皇居に戻ります」

 私は兄のそばに屈んでいる原さんに言った。「医療棟に入ってもらって、検査と治療をします」

 今は、関東大震災の死没者追悼式の真っ最中だ。本来、途中で中断させていい式典ではない。それは分かっているけれど、今は兄の治療が最優先だ。

「侍医の先生方に、非常招集を掛けましょう。東京帝大の先生方にも」

 こちらに走ってきた宮内大臣の牧野さんが、私のそばで立ち止まるとこう提案する。彼の顔は引きつっていた。彼だけではない。迪宮(みちのみや)さまや秩父宮(ちちぶのみや)さま、そして私の義父の有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下などの皇族、原さんや後藤さん、浜口さんなどの閣僚たち、黒田さんや伊藤さん、陸奥さんといった枢密顧問官たち、そして、今日の行幸啓に私とともに供奉していた侍従さんや女官さんたち……兄の周りに集まった全ての人々の顔が、引きつり、青ざめ、絶望の色に染まっていた。

 と、

「おい、幕をどかせ!椅子を下げろ!」

人垣と騒めきの向こうから、力強い声が聞こえた。兄に付き従う(おく)保鞏(やすかた)侍従長の声だ。それに続いて、「君、御料車を呼びに行け!ここに入れるぞ!大至急だ!」という鈴木貫太郎(かんたろう)侍従武官長の鋭い声も聞こえる。この会場は、練兵場の一画に幕を張っただけで他のエリアと仕切られているから、その幕を外して、障害物をどければ、自動車が兄のすぐそばまで入れる。ほどなくして、黒塗りの御料車が会場に入ってきて、舞台のすぐ前で止まった。

 大山さんが右から、鈴木さんが左から兄の身体を支え、兄の身体を起こす。「君たち、手伝ってください!」と鈴木さんが命じると、供奉していた侍従さんと侍従武官さんたちが兄の身体を持ち上げる。そして、兄の身体を御料車の後部座席に横たえると、

「内府殿下!」

強張った顔をした大山さんが叫んだ。兄と一緒に御料車に乗れ、と言いたいのだろう。私が後部座席に入ると、外からドアが閉められ、御料車は滑るように前へと動き出した。

「……兄上、左足が動かないこと以外に、身体に悪いところはない?目が見え辛いとか、頭が痛いとか、手が動かし辛いとか……」

 自動車の床にひざまずいた私は、座席に横たわった兄に尋ねた。

「いや……ないな」

 兄は首を動かして、私に視線を向けた。

「梨花の顔ははっきり見える。頭は痛くないし、両手も動くぞ、ほら」

 そう答えた兄は、両腕を軽く持ち上げると、左右の手をひらひら動かしてみせる。そして、「うん、問題ないな」と呟くと、

「梨花、俺の左足が動かなくなったのはどこの病気だ?脳か?」

兄は私に尋ねた。

「たぶんね」

 私は短く応じると、兄の左手首を取った。この御料車の中には、診察カバンはない。だから、血圧と体温は測れないし、聴診もできないけれど、脈拍数を測ることならできる。せめて、脈拍数の記録だけはして、皇居で待機する侍医さんたちに兄の状況を引き継ごうと思ったのだ。

 自動車の床にひざまずいて兄の脈を取るのは困難を極めた。自動車は国産の最高級車だし、東京市内の主要な道路はアスファルトで舗装されているけれど、車体が揺れるので、脈を探すのに集中できないのだ。それでも、何とか脈を探し当てると、私は腕時計の盤面を睨み、脈拍数を計測する。たまに兄の身体を診察する時と同じように、兄の脈は規則正しく打っている……はずだった。

(え……?!)

 思わぬリズムのぶれに、私は一瞬混乱した。深呼吸をすると、もう一度兄の脈を数え直す。……兄の脈拍のリズムは乱れていて、規則性が感じられなかった。期外収縮か、房室ブロックか、心房細動か……。

(心房細動?!)

 私は目を見開いた。確か、斎藤さんから兄の“史実”での病状経過を聞いた時、私は、“心房細動のせいで、左房内に血栓ができて、それが脳に飛んで脳梗塞になった”と推測した。まさか……まさか、その推論と同じことが、兄の身体で起こってしまったのだろうか。

「どうした、梨花」

 どのくらいの間、動きを止めてしまったのだろう。気が付くと、兄が心配そうに私を見つめていた。

「顔色が悪いぞ、大丈夫か?」

「ちょ……ちょっと、車酔いしちゃった。変な姿勢で車に乗ったからかな」

 兄の問いに、私がとっさに誤魔化した時、御料車は皇居の医療棟の玄関前に到着した。

 牧野さんが連絡してくれていたからか、玄関前には白衣を着た侍医の先生方が数名待機している。その中の1人の顔を見て、

「三浦先生?!」

私は目を丸くした。東京帝国大学医科大学を数年前に定年退職した三浦謹之助(きんのすけ)先生は、現在、宮内省の御用掛を務めている。けれど、よほどのことが無い限り、宮内省にはやってこない。

「三浦先生、どうしてこちらに?!」

 自宅から駆けつけてくれたにしても、余りにも到着が早過ぎる。御料車から降りた私が訊くと、

「いえ、たまたま、佐藤先生に借りていた本を返しに、こちらに参ったのですよ。帰ろうとした時に、急報が入りまして……」

三浦先生は侍医の先生の1人の名を挙げて一礼した。そのそばから、侍医の先生方、更に、御料車に続いて到着した自動車から侍従さんたちが飛び出し、兄の身体を御料車から運び出した。

「三浦先生」

 追悼式の会場で起こった出来事を一通り話すと、私は三浦先生を呼んだ。

「ここに戻る御料車の中で兄上の脈を取った時、脈が不整でした。以前、斎藤さんから聞いた“史実”の兄上の病歴を、先生にお話ししたことがあったかと思いますけれど……それと同じ状況が起こってしまったのでしょうか?」

「まだ、分かりませんね」

 私の問いに、三浦先生は冷静に答えた。「病変が脳にある可能性は高いですが、病変が生じた原因までは断言できません。内府殿下の時代のように、検査機器が発展してはいないのですから。それに、脳に病変があるのならば、今後、症状が増悪する可能性もあります。少なくとも丸1日は経過観察が必要です」

 三浦先生の言う通りだ。一般的に、“脳溢血”や“脳卒中”と呼ばれる病態は、脳の血管が詰まる“脳梗塞”と、脳の血管が破れる“脳出血”、そして“くも膜下出血”に大きく分けられる。そのどれもが、続発する出血や脳の浮腫などで、病状が更に悪化する可能性があるのだ。

「医科大学には、産技研が開発した、真空管を使った最新式の持ち運べる心電計があるはずです。それを借りましょう。経過観察をしている間、検査をしてはいけないということはありませんからね」

 うつむいていると、三浦先生が慰めるように私に言う。真空管は産技研で集中的に研究され、それを応用した機械も徐々に現れている。心電計もその1つで、発明当初、約300kgの重さがあった機械は、真空管を使った増幅技術のおかげで軽量化に成功し、今では持ち運べる大きさになった。それでも、私の時代の心電計と比べるとだいぶ大きいのだけれど。

「お願いします!」

 私が最敬礼すると、三浦先生も丁寧にお辞儀を返す。彼の後ろ姿が医療棟の中に消えた瞬間、私の身体から急に力が抜ける。地面にへたり込みそうになった私の身体を、いつの間にか私のそばにいた大山さんが後ろから抱き締めた。


 皇居には、兄を見舞う人が続々と詰めかけていた。

 関東大震災死没者追悼式……多くの皇族や政府高官が集まっている前で兄は倒れた。恐らく、追悼式に出席していた皇族や政府高官が、そのまま兄の御料車を追って皇居にやってきたのだろう。けれど、皇居に彼ら全てを受け入れるスペースはないので、彼らの多くは、宮内省に急遽設けられた記帳所にお見舞いの記帳をするだけで返され、皇居、しかも医療棟の中まで入れたのは、兄と関係の深い皇族や宮家の当主だけだった。しかも、医療棟に入った兄は面会謝絶となったため、侍従さんたちや医師たちを除き、兄に直接会えた者は誰もいなかった。

「……」

 医療棟に2つある控室の1つに、私は栽仁(たねひと)殿下と一緒にいた。栽仁殿下に横から抱かれて長椅子に座る私の前には、迪宮さま、秩父宮さま、筑波宮(つくばのみや)さま、倫宮(とものみや)さま、そして、賀陽宮(かやのみや)恒憲(つねのり)王殿下に嫁いだ、現在妊娠中の珠子(たまこ)さまが、丸テーブルを囲んで座っている。ずっと口を閉ざしたままの兄の子供たちの表情は、一様に暗かった。

 と、控室のドアが開き、隣の控室に顔を出していた節子さまが入ってきた。彼女の顔も強張っている。そんな節子さまに、

お母様(おたたさま)

兄の次男、秩父宮雍仁(やすひと)さまが椅子から立ち上がって声を掛けた。

「今月末の勢津子(せつこ)との婚儀ですが……延期したいと思います」

 背筋をまっすぐに伸ばしてこう言った秩父宮さまに、

「雍仁!」

(あつ)……」

節子さまの叫び声と、迪宮さまの困惑した声が飛んだ。

「何を言うのですか!あなたのお父様(おもうさま)は、亡くなられたわけではないのです!それなのに、今から婚儀を延期するとは……一体どういうことなのです?!」

「ですがお母様(おたたさま)お父様(おもうさま)は今、病に苦しまれているではないですか!」

 睨みつける節子さまに、秩父宮さまは負けじと大声で言い返した。

「俺はお父様(おもうさま)が苦しんでいらっしゃるすぐ横で、祝い事をすることなどできません!だから婚儀を延期したいと言っているのです!お父様(おもうさま)の崩御に備えている訳では決してありません!」

「あなたのお父様(おもうさま)の病状がどうなるかは、まだ分からないのですよ!」

 反論した秩父宮さまを、節子さまは大きな声で叱責する。「病状は一過性で、回復する可能性もある……佐藤先生も三浦先生もそうおっしゃっているのです!それなのになぜ、雍仁は物事を悪い方に考えるのですか!」

 言い争う節子さまと秩父宮さまの顔を、迪宮さまは困惑した表情で交互に見つめている。仲裁に入ろうと考えているけれど、2人の勢いが激し過ぎて、割って入ることができないのだろう。珠子さまも筑波宮さまも倫宮さまも、自分たちの母と次兄をぼんやり見ていた。

 私はうつむきながら、節子さまと秩父宮さまの争う声を聞いていた。……こういう事態にならないように、頑張ったはずなのだ。兄が、“史実”で崩御した日を超えて元気でいてくれたから、これで大丈夫だと信じていた。もちろん、その後も、兄の健康には気を配り、過度なストレスがかからないよう注意していた。けれど……兄は倒れてしまった。

(頑張ったことが、全部、無駄になった……。しかも、臨床から長く離れていたせいで、兄上の治療に直接携わることもできない……これじゃ、私のいる意味なんて……)

 私が両方の拳をきつく握りしめた時、

「失礼いたします。皇太后陛下がいらっしゃいました」

控室の扉の外から、侍従さんの声が響く。一瞬で静かになった部屋の中に、水色のデイドレスを着たお母様(おたたさま)が足を踏み入れた。お母様(おたたさま)の後ろには、私の弟・鞍馬宮(くらまのみや)輝仁(てるひと)さまの長女である詠子(うたこ)さまが、まるでお母様(おたたさま)の従者のように付き従っている。

「節子さん」

「皇太后陛下!」

 声を掛けたお母様(おたたさま)に、節子さまがサッと頭を下げる。そんな節子さまに、

「お(かみ)のご容態は?」

お母様(おたたさま)は静かに尋ねる。ただ、声は流石に、いつもより強張っていた。

「はい。関東大震災の追悼式の最中に、突然、左足が動かなくなって……」

 節子さまはうつむいて、暗い調子で話し出す。

「侍医の先生方の見立てでは、脳卒中であろう、ということです。ただ、症状が全くなくなるかもしれないし、逆に、どんどん悪くなるかもしれない、と……。明日の午前中いっぱいまでは、厳重に経過観察しなければならないとのことで、今、面会謝絶なのです」

「そうですか……」

 節子さまとお母様(おたたさま)がやり取りしているのが、どこか遠くの世界の出来事のように思われる。そう言えば、この控室の事象全てが、私とは切り離されているような気がする。……それもそうだ。だって私は、結局何もできずに、このまま死んで……。

増宮(ますのみや)さん」

 掛けられた優しい声に、思考が途切れる。気が付くと、お母様(おたたさま)が私の前に屈み、私をじっと見つめていた。

「大丈夫ですか?」

「私のせいです……」

 私は首を左右に振ってお母様(おたたさま)に応じた。

「私がもっと、兄上の健康に気を配れていれば、こんなことにはなりませんでした……」

「増宮さん」

「私がもっと、ちゃんとやれていれば、こんな風に、皆が悲しまなくて済んだんです。私のせいで……私のせいで、兄上を病から守れなくて……」

 その刹那、左頬に痛みが走った。

「何をするのですか!」

 栽仁殿下の声に視線を動かすと、9歳になった詠子さまのふくれっ面が視界に入った。私が何か、彼女の機嫌を損ねることをしただろうかと、ぼんやり考えようとした時、

「章子……伯母さまのせいじゃない!」

詠子さまは私に大きな声を叩きつけた。

「詠子さん」

 お母様(おたたさま)が顔に苦笑いを浮かべて、詠子さまの右手を優しく押さえる。「いけませんよ、人を傷つけるようなことをしては」

「でも、伯母さまのせいじゃないの!」

「……詠子さま」

 私に平手打ちを食らわせたお転婆な女の子の名を私は呼んだ。

「私はね、あなたが生まれるずっと前から、それこそ、今のあなたぐらいの年から、あなたの伯父さまを……天皇陛下を守ろうと頑張っていた。いろんなことを勉強して、いろんなしきたりや決まりを壊しながら医者になって、伯父さまを病気から守ろうとしていたの。伯父さまが、いつまでも健やかに過ごせるように、って……。けれど、その努力も、全て水の泡になってしまった。だから私は……自分の役目を果たせなかった私は……」

 更に動こうとした私の口は、服地にぶつかって動きを止めた。お母様(おたたさま)が、前から私の身体を抱き締めたのだ。栽仁殿下も横から、私を更にきつく抱き締める。2人の体温に、頭がくらくらしそうだった。

「……ね、増宮さん」

 どのくらいの時間が経ったのだろうか。お母様(おたたさま)は私を優しく呼んだ。

「先ほどおっしゃろうとした言葉は……もう、口にしないでください」

「……」

「口になさったら、現実になってしまいそうで、怖いのです」

「……」

「私は、増宮さんを喪いたくありません。もし、私の子である増宮さんを喪ってしまったら、私はどうすればよいのですか」

 お母様(おたたさま)の言葉に何も返せないでいると、お母様(おたたさま)の身体が私から離れる。そして、お母様(おたたさま)は何かを栽仁殿下に囁いた。

「かしこまりました。必ず……」

 栽仁殿下が小声でお母様(おたたさま)に答えると、お母様は黙って頷き、詠子さまの手を引いて控室から立ち去った。


 夜になると、昼間に詰めかけた見舞客たちは帰宅し始めた。

 兄は医師の下で厳重に経過観察され、面会謝絶が続いている。そして、時折伝えられる病状は、改善も悪化もしていない。

「何かあれば必ず知らせるから、皆、帰って休みなさい」

 節子さまが見舞客たちにこう呼びかけたのもあって、皇居の近くに自宅がある人たちや、明日以降も勤務がある人たちを中心に、半数ほどの見舞客が皇居から退出した。

 私は皇居に残ることにした。節子さまが用意してくれた奥御殿の一室で休んだけれど、頭の中で感情と言葉がグルグル回り、布団に入っても全く眠れなかった。そんな私の身体を、栽仁殿下は一晩中抱き締め続けていた。

 翌朝、私と栽仁殿下は医療棟の控室に戻ったけれど、日付が変わったからと言って、やることが新しく発生するわけではない。長椅子に座り、相変わらず栽仁殿下に横から抱かれながら、節子さまや迪宮さまたちと一緒に、私は時が過ぎるのをただ待っていた。

「ご発病から24時間が経過しましたが、陛下のご病状に変化はございません」

 正午を過ぎたころ、侍医頭(じいのかみ)……侍医のトップである佐藤恒丸(つねまる)先生などとともに兄の治療にあたっていた三浦先生が、私たちに説明にやってきた。

「すなわち、左下肢の麻痺と感覚障害……麻痺や感覚障害の範囲が広がっていないこと、そして、内府殿下が青山練兵場から医療棟までのご移動の最中に脈の不整を感知なさったことを考えると、今回の天皇陛下の症状は、前房震顫(しんせん)……心房細動とも申しますが、それが一時的に生じたために心臓の中に血の塊が発生し、それが右脳の血管を詰まらせて生じたものである可能性が高いと考えます。しかし、脳の血管が詰まったのか、それとも、脳の血管が破れて同様の症状が起こったかについては、現在の医学では調べる方法がありませんので、あくまで推測となりますが」

「三浦先生、お上の症状は治るのですか?」

 節子さまの当然の問いに、三浦先生は「残念ながら」と首を横に振りながら答えた。

「訓練を重ねれば、杖を使いながらお歩きになることは可能かもしれませんが、元のようなご姿勢で、元のような速度でお歩きになることはできないでしょう」

「そう、ですか……」

 両肩を落とした節子さまの横から、

「先生、お伺いしたいのですが」

迪宮さまが右手を軽く挙げながら言った。

お父様(おもうさま)の脳の血管に詰まった血の塊を取り除くような治療はできないのでしょうか?それから、その……血の塊を作る不整脈を止める方法もないのですか?」

「まず、最初の質問にお答え致しますが……現時点では、血の塊を取り除く治療法はございません」

 三浦先生の言葉を聞いた私はうつむいた。……私の時代なら、あるのだ。脳の血管に詰まった血の塊を溶かしたり、回収したりする治療が……。けれど、装置も技術も整っていないこの時代では、そんな治療はできない。

「また、不整脈については、昨日、医科大学から借りた心電計を使って改めて調べましたが、その時には、心房細動の波形は認められませんでした。ですから、内府殿下が感知なさったのは、一時的に発生した心房細動と考えられます。今後、再び一時的に心房細動が起こった時には、キニジン、という薬で治る場合がございますので、試してみてよいと思います。しかし、心房細動が起こっていない今は、その内服をしていただく必要はございません」

 ……これも、私の時代なら、内服薬もたくさんの種類があるし、カテーテルアブレーションという、心臓の組織の一部を電気で焼いて、不整脈を起こす心臓の組織を破壊する……という方法での治療もできる。けれど、この時代ではそれもできない。血の塊ができるのを防ぐ薬なら、今から頑張れば開発できるかもしれないけれど……。

「心房細動がなぜ起こるのかは、分かっていないことも多いです。一般には、激しい運動や外傷、過度な飲酒、喫煙、細菌感染によって誘発されると考えられています」

 そう言って一礼した三浦先生に、

お父様(おもうさま)は、今、先生がおっしゃったことをご存知なのでしょうか?」

と、秩父宮さまが硬い表情で尋ねた。

「はい。今、佐藤先生が、私の説明と同じ内容を、天皇陛下にご説明申し上げています」

(もう、私にできることはない。上医として兄上を守れなかった私は、全ての責任を負って、死ん……)

 三浦先生の説明を聞きながら、私がここまで考えた時、控室の扉が外から叩かれる。「入りなさい」という節子さまの声で開いたドアの向こうには、佐藤先生の姿があった。

「失礼致します。皇后陛下、皇太子殿下、有栖川宮(ありすがわのみや)の若宮殿下、それから、内府殿下……。天皇陛下がお召しでございます」

 兄に病状を説明していたという佐藤先生は、一気に言うと最敬礼した。

「分かりました」

 頷いた節子さまに、

「しかし、もう少しお待ちください。他にも、10数名、お召しでございまして……その者たちと一緒に話がしたいと仰せでした」

佐藤先生は更に告げる。10数名、というのは、梨花会の面々だろうか。少し顔を上げた私の左手を、栽仁殿下がしっかりと握った。

※心電計については、「心電計はどこまで小さく,かつ,軽く成り得るか?―重機械からミリ・マシーンへの100年――」(岡島光治.JPN. J. ELECTROCARDIOLOGY Vol. 16 No. 3 1996,p297-300)を参照しました。実際より真空管を使った心電計の出現が早いですが、そこはご都合主義ということでご理解ください。


※この時代の脳梗塞や心房細動の考え方については、国立国会図書館デジタルコレクションの「内科学」(入澤達吉監修)、「不整脈」(橋本寛敏 ,金原商店,昭12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1048333 )を参考にしました。なお、作中では心房細動=前房震顫としていますが、あくまでこれらの文献を読んで作者が推定したものであるので、実際にこれで正しいかどうかは不明です。

また、心房細動による心房内血栓の出現については、この時代、実際には分かっていなかった可能性が高いです。(見落としているだけかもしれませんが)合わせてご了承いただければ幸いです。


※心房細動にキニジンを使うというのは、『治療新報』23(10)(393),治療新報社,1924-05. (国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1485838 )で既に記述されているため、登場させました。他の薬については拙作で登場させていいのかの検討をしていません。

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