義妹の夫
1928(大正13)年4月21日土曜日午後2時2分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「それでは、本日の梨花会を始めます」
司会を務める内閣総理大臣の原さんが兄に向かって一礼すると、兄は難しい顔をして軽く頷いた。牡丹の間にいる一同も、どことなく顔が強張っている。先週の土曜日・14日に定例の梨花会は開催されたけれど、その直後、4月15日に、鷹司煕通公爵が脳溢血で急死した。彼には貴族院の無所属議員の取りまとめをお願いしていたので、今後の対応を協議するために、今日、梨花会が臨時に開催されたのだ。
「今日集まってもらったのは、貴族院での鷹司公爵の後継者を決めるためだ。昔より貴族院の無所属議員は減ったが、侮れない勢力を有しているのは確か。安定した帝国議会の運営のためにも、きちんとした取りまとめ役を選ばなければならない」
兄が集まった一同に向かって厳かな声で言うと、
「あの、お父様」
私の向かいの席に座る迪宮さまが挙手して言った。
「今まで、貴族院の無所属議員の取りまとめ役は鷹司公爵、そしてその前は亡くなられた三条公爵がなさっていたと聞きました。やはり、取りまとめ役は公爵から選ばなければならないのでしょうか?」
迪宮さまの質問に、
「そうだな……前に梨花が言ったことがあるが、貴族院議員、特に、無所属の議員の力関係は、昔からの家柄の良さで決まってしまうところがある。議会政治の原則からは外れているが」
兄は先ほどとは打って変わって穏やかな声で答え、苦笑いする。
「公家なら摂関家、武家なら徳川将軍家。徳川家の当主である家達公は議長の職にあるから、取りまとめ役は五摂家から選ぶのが無難だな」
「陛下の仰せの通り……貴族院の現状を考えると、それが妥当かと」
兄の言葉に続いて、立憲改進党所属の貴族院議員で、元内閣総理大臣でもある渋沢栄一さんが発言する。更に、
「やはり、無所属議員たちは家格に縛られています。精華家の僕に、摂関家のご当主方は腹の底では従いません。亡くなられた三条公は、清華家のご出身ではありながら、摂関家のご当主方を従わせることができましたが、それは三条公ご自身が、維新に大功あるお方だったからです」
貴族院の侯爵議員であり、渋沢さんと同じく元内閣総理大臣の西園寺さんが迪宮さまに向かって言う。旧公家の中には、摂関家を頂点として、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家という家格が厳然として存在する。それに逆らうのは、よほどの理由がなければできない……西園寺さんはそう言っているのだ。
「では陛下、摂関家の者から、次の取りまとめ役を決めるということでよろしいですかな?」
枢密顧問官の伊藤さんが一同を代表する形で言うと、
「それでよいと俺は思っているが……他に案のある者はいるか?もしいたら、遠慮なく申し出て欲しい」
兄は伊藤さんに、次いで一同に告げた。意見を具申する人は現れず、そのまま、五摂家の当主の中から、誰を無所属議員たちの取りまとめ役とするかについて話し合うこととなった。
(と言っても、今の状態、摂関家が全て揃っているわけじゃないからなぁ)
配布された貴族院の無所属議員の名簿を見ながら、私は考えを巡らせていた。
一般に、“摂関家”と言えば、近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家の5つの家を指す。このうち、鷹司家の新しい当主・信輔さんは、流石に取りまとめ役候補からは除外されるだろう。また、二条家は、昨年、当主の厚基さんが亡くなり、新しい当主が決まっていないから、ここも考えなくていい。だから、新しい取りまとめ役は、近衛文麿さん、九条道実さん、一条実孝さんの3人から選ぶことになるけれど……。
「近衛はいけませんな」
「そうじゃのう」
枢密院議長の黒田さん、そして、枢密顧問官の西郷さんは、3人の候補のうちの最年少者をバッサリ切って捨てた。
「そんなにいけませんか」
末席から驚いたように言った外務大臣の幣原喜重郎さんに、
「それは、接する時間が短いから知らないだけだよ」
西園寺さんが冷ややかな口調で教える。
「貴族院で見ていると、優柔不断さが目立つね。本人はそれなりに頭もいいし、見た目もいいから人気があるが、大事を任せてはいけない人間だよ。それに、幼い頃、内府殿下を怖がっていたし、今でも内府殿下を避けている節がある。それだけでもうダメだよ、幣原君」
西園寺さんの辛辣な言葉に、「そうじゃ、そうじゃ!」と伊藤さんが同調する。他の梨花会の古参メンバーも激しく頷いていた。幣原さんは「は、はぁ……」と気圧されたように相槌を打つと、隣に座っている山本五十六航空中佐を縋るように見つめ、
「山本中佐はどうお考えですか?その……“史実”で、近衛公爵と会う機会もあったのでは?」
と尋ねた。
「……余り、いい印象はありません」
山本中佐は幣原さんに答えるとため息をついた。「日米が開戦する前、日米が開戦した時の見込みはどうだと近衛公に問われましたが、その時の様子から、近衛公を根っから信頼してはいけない、という感じを受けました」
「なるほど……山本中佐のおかげで、少し分かりました」
幣原さんが納得したように頷くと、
「とにかく、これで近衛公はなくなった。あとは一条公と九条公のどちらか、ということですね」
宮内大臣の牧野さんが状況をまとめる。
「その通りだね。一条実孝殿は家督を継いだのは3年前、従って議員としての経験は浅い。順当に考えれば、九条殿が適任だ」
陸奥さんが牧野さんに応じる形で意見を述べると、
「その通りじゃな」
伊藤さんが深く頷く。他の梨花会の面々も異論はないようだ。九条道実さんは現在58歳。貴族院議員を20年以上務めており、宮内省の掌典長でもある。しかも、節子さまの兄でもあるから、彼の言うことを聞かない貴族院の無所属議員はいないだろう。
「では、道実をまとめ役とする」
兄の決定に、出席者一同が頭を下げると、
「となると、関係する者に根回しをしなければなりませんな」
原さんが一同を見渡しながら言う。
すると、
「前田と近衛と慶久どのは、我が家で引き受けましょうか」
私の義父・有栖川宮威仁親王殿下が、右手を挙げながら申し出た。
「よろしいのですか?」
黒田さんが驚いたように確認すると、
「前田は慰子の実家ですし、近衛は慰子の甥です。それに、慶久どのは私の娘の婿ですからねぇ」
義父は黒田さんに答える。前田侯爵家、近衛家、そして徳川慶喜さんが立てた徳川宗家別家……実は我が有栖川宮家、高位の華族と縁続きなのだ。
と、
「では、嫁御寮どのは、慶久どのへの根回しをしてください」
義父は私を見て、ニッコリ笑ってこう命じた。
「わ、私が?」
思わず自分を指さした私に、
「当たり前でしょう。もし、嫁御寮どのが近衛の説得に行ったら、恐怖の余り近衛が死んでしまうかもしれません」
義父はニヤニヤしながら言う。
「そこまで言います?」
義父の言動に呆れてしまった私の横で、
「梨花さまに怯えるなど許し難きことでございますが、有栖川宮殿下のご懸念はよく分かります」
と、大山さんが冗談とも本気ともつかない調子で発言する。梨花会の古参の面々も、大山さんに同意するかのように頷いており、私は口にしかけた反論の言葉を飲み込むしかなくなった。
こうして、貴族院の無所属議員の新しいまとめ役の指名に関する根回しの担当を決めてから、臨時の梨花会は解散した。
1928(大正13)年4月25日水曜日午後6時10分、東京市小石川区小日向第六天町にある徳川慶久公爵のお屋敷。
「内府殿下、お久しぶりです」
最後の江戸幕府の将軍・徳川慶喜さんが1916(明治49)年に亡くなるまで住んでいたこのお屋敷。慶喜さんの跡を継いだ慶久さんは、そこに住み続けている。栽仁殿下の妹・實枝子さまと結婚している彼は、仕事帰りの私を玄関で出迎えると頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、ご無沙汰してしまって」
確か、慶久さんに最後に会ったのは、今年のお正月だ。子供たち同士は仲がいいから、互いの家をたまに行き来しているけれど、親同士は、年に一度顔を合わせる程度である。だから、深い付き合いをしている訳ではないのだけれど、慶久さんは私の来訪の目的を察しているらしく、挨拶もそこそこに、私は応接室に招き入れられた。
「さて……内府殿下がこちらにお成りになったのは、亡くなられた鷹司公に替わる無所属議員たちのまとめ役について私に話したいから……でしょうか?」
お茶を持ってきた實枝子さまが応接室から去ると、慶久さんは早速私に尋ねた。
「ええ。話が早くて助かります」
私が慶久さんに営業スマイルで応じると、
「私がまとめ役に指名されないのは存じておりますよ」
慶久さんは先回りするかのように答えた。
「はぁ……」
芸の無い返し方をしてしまった私に、
「何と言っても、私は第一等の朝敵の子だ。特に、公家の方々の中ではね」
慶久さんは自嘲するような言葉を吐く。
「……」
彼の言う通り、旧公家衆の中に、明治維新の際に“朝敵”とされた人々を忌み嫌う風潮が根強く残っているのは事実だ。私が心に痛みを感じた時、
「内府殿下は、これからは九条どのの言うことに従え……とお話にいらしたのでしょう。もちろん、内府殿下の仰せの通りに致します」
慶久さんは上座にいる私に向かって一礼した。
「話が早過ぎますよ。……まぁ、私が言いたかったことは、概ねそちらがおっしゃった通りですし、私が欲しい回答ももらえたのでよかったですけれど」
私は義妹の夫の言葉にタジタジとなっていた。慶久さんは私より1歳下なのだけれど、幼い頃は静岡に住んでいたので、私の子供時代の“武勇伝”に接していない。だから、私に怯えずに接してくれるのだけれど、頭の回転が速いので、話についていくのに苦労することがあった。
「それは良かった」
慶久さんは微笑むと、
「現在、我が国では、立憲自由党と立憲改進党が並び立ち、衆議院議員総選挙の結果に従って内閣総理大臣を輩出しています。その状況を維持することが、天皇陛下、そして先帝陛下のご意志であると私は認識しています」
私を見つめながら話し出した。
「……」
おおっぴらにはしていないけれど、確かに慶久さんの言う通りだ。けれど、貴族院の議員には、ここまで事情を察している人はほとんどいない。私が黙って彼の話を聞いていると、
「現在、貴族院で、与党の立憲自由党は約半数の議席を確保しています。しかしながら、党の方針に同調しない議員が数人出れば、立憲自由党は過半数を失います。我々、政党に属さぬ議員が立憲自由党に賛同することで、立憲自由党は貴族院で法案を通すことができる。一方、立憲改進党が与党の時は、我々は立憲改進党の法案を通すよう尽力していました。どちらの政党も、我々の協力無くしては、政権与党であっても貴族院で法案を通せない……つまり、我々が、英国流に言えばキャスティング・ボートを握っているのです。その我々が天皇陛下に忠実だからこそ、貴族院で与党が提出した法案が、賛成多数で可決されるのです」
慶久さんは、一体何を言いたいのだろうか。私が訝しんでいると、
「内府殿下、1つお伺いしたい。貴族院が円満に運営されているのは、我々のまとめ役が、陛下のご意志に従い、政権与党を有利にするように動いているからです。しかし、それが崩れる時もあるでしょう。例えば、まとめ役が、陛下のご意志に背いた時……その場合はどうなさるのですか?」
慶久さんは掛けている眼鏡を片手で上げ、私に質問をぶつけた。
「その時は……今の仕組みを解体しないといけないかしらね。今まで無所属だった議員たちも、政党に属するように、と……」
「恐れながら、それではその決まりに従わぬ議員が絶対に出てきます。”かつての旧臣に自分の存在が影響してしまうから、政党には頑として入らない”、という者も出て参りましょう。実際に、今我々が政党に属していないのは、かつての旧臣たちが“主家筋のご意見だから”と、自らの政党を捨て、主家筋のいる反対党に入るのを防ぐ目的もありますし……」
考えながら答えた私に、慶久さんは顔を強張らせて食い下がる。
「それは……かつての主従関係が議会での行動に影響してしまう方は、議会政治の何たるかを分かっていないということですから、隠居して爵位を跡継ぎに譲っていただいて、政治の場に二度と出てこないようにするしかないですね」
私は冷静になるよう努力しながら慶久さんに答えた。
「だってそうでしょう?平等な議論の場に、封建的な主従関係を持ち込むこと自体が、議会政治に反しているんです。けれど、帝国議会ができた当初、それを理解しておられない方が、貴族院には大勢いらっしゃいました。だからお父様……先帝陛下は三条公にお命じになって、今のような仕組みを作られたのです。議会政治が次第に貴族院にも根付いていくようにと願いながら……。けれど、帝国議会ができて35年以上になります。そろそろ、そのような移行措置は終わりにするべきなのかもしれません。もちろん、上手く行っていれば話は別ですけれど」
私がいったん口を閉じ、すっかりぬるくなってしまったお茶を一口飲み下しても、慶久さんは喋ろうとしない。
「驚きました……」
彼がようやく口を動かしたのは、私が湯飲み茶碗を机の上に置いた時だった。
「帝国議会ができた頃のことまで、見てきたようにお話しされるとは……」
「ああ、まぁ……」
私は曖昧に微笑して誤魔化すことにした。意味が分からないながらも、梨花会の面々の当時の動きは教えられていたし、後々、その意味もしっかり叩き込まれた。
「確かに、今はまとめ役を置くという仕組みで、上手く行っています。私もその仕組みからはみ出すつもりはありません」
私の思考を読むことを諦めたのか、慶久さんは真面目な顔でこう言った。
「しかし、その仕組みが崩れる時があるかもしれない。その時、陛下の思し召しに沿って動くことができるよう、私も自分自身を改めていかなければなりませんね」
(やっぱり、この人、頭がいいなぁ)
私は義妹の優秀な夫には答えず、もう一口お茶を飲んだ。




