お正月のお説教
1928(大正13)年1月3日火曜日午後2時35分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸の食堂。
「内府殿下……」
私の斜め前には、枢密顧問官の1人で、かつて私の輔導主任を務めていた伊藤博文さんが座っている。私と栽仁殿下から、私と親交がある半井久之軍医中尉のお見合い相手が決まった詳しい経緯を聞かされた伊藤さんは、私に怒りに染まった眼を向けた。
「内府殿下が色恋沙汰を苦手としていらっしゃることは、輔導主任を務めていたわしもよく存じております。存じておりますが……前世の内府殿下の曽祖父かもしれない男性の見合い相手を、禎仁王殿下に選ばせるとは、一体いかなることでございましょうや?!」
「いや……その……万が一兄上が12月25日の1時25分に崩御したらと思っている中で選んだから、気が気でなかったですし、それで疲れちゃいましたし、ひいじーちゃんの見合い相手の名前を思い出すのがすごく大変でしたし……」
久々に伊藤さんを本気で怒らせてしまった私は、伊藤さんに恐る恐る事情を説明する。
「それに、半井君、たぶん、私の前世のひいじーちゃんではないと思いますし……」
そして、伊藤さんの様子を窺いながら、私の推論を挟んでみると、
「半井軍医中尉が前世の内府殿下の曽祖父か否かは、この際、問題ではございません!わしは今、半井軍医中尉の見合い相手を決めるべき責任を内府殿下が放棄なさってしまった、そのお振る舞いを責めているのでございます!」
伊藤さんは見事な正論で私の脳天を殴りつけた。反論も言い訳もできなくなった私は、「申し訳ありません……」と伊藤さんに小さな声で謝罪した。
「はぁ……まさか、貞さんがそんな経緯で選ばれたなんて。高田大佐が聞いたら泣きますよ」
伊藤さんの隣に座っている山本五十六航空中佐が、大きなため息をついた。“高田大佐”というのは、近衛機動連隊の連隊長をしている高田佐吉機動大佐のことで、半井君のお見合い相手・高田貞さんのお父様である。私が直接半井君のお見合いをセッティングするのは、この時代の慣例としてあり得ないことなので、山本中佐、そして堀悌吉海兵中佐と山下奉文歩兵中佐に頼んで、適当と思われる候補を数10人集めてもらい、その中から選ばれたのが高田貞さんだった。……ただ、私が前世の曽祖父の見合い相手、つまり前世の私の曽祖母の名前である“さだ”を思い出して、候補の中にいた“さだ”さんを2人選んだ後は、たまたま書斎にやって来た次男の禎仁に、どちらの女性がいいかを選ばせてしまったので、細かいことを言うと、私が選んだとは言い難い。
すると、
「しかし、梨花さまが“さだ”という名前と、“しっかりした人だった”という情報を思い出されたのですから、半井君のお見合いの件はいったん白紙にして、半井君に合う年頃の“さだ”というしっかりした女性を、日本全国から集めても悪くないでしょう。その中から、梨花さまの曽祖母により似通った女性を選び出し、半井君に嫁がせればよいのです」
伊藤さんの向かいの席に座る我が臣下が、真面目な顔でとんでもない提案をした。
「なんで“さだ”さんコンテストをやらないといけないのよ……」
思わず机に突っ伏して、弱々しい声で呟いた私の隣から、
「大山閣下、お気持ちは分かりますが、それは現実的ではありません」
栽仁殿下が苦笑しながら言った。
「前世の梨花さんの曽祖父かもしれない人物……半井君はそう言われています。しかし、半井君は、生まれた年月は前世の梨花さんの曽祖父と一致していますが、彼の先祖も医者で、御一新の頃まで医師を生業としていたというのは、梨花さんの前世の曽祖父の情報と矛盾します。ですから、半井君は、前世の梨花さんの曽祖父ではないと僕は思いますよ」
「私もそう考えます」
山本少佐の左に座る堀さんも、栽仁殿下に同調した。
「もし、半井軍医中尉が、前世の内府殿下の曽祖父だとすれば、高田貞さんとお見合いした時に、タイムパラドックス……でしたか、そのようなことが発生して、内府殿下のご存在が消えてしまってもおかしくないと考えます。しかし、実際にはそんなことは発生していません。ですから、半井軍医中尉は前世の内府殿下の曽祖父ではなく、内府殿下の存在を脅かす人間ではないと推察します」
「待てぃ、堀!」
伊藤さんが立ち上がり、叫びながら堀さんを睨んだ。
「内府殿下のご存在が消えるとは、不敬ではないか!取り消せ!」
「落ち着いて、伊藤さん。仮定の話だってば。私、ちゃんとここにいるでしょ。あんまり怒ると、血圧が上がっちゃうわよ」
怒りで暴走しかかった伊藤さんを私は慌てて止め、
「この状況から導き出される答えは色々あるけれど、考えやすい答えの1つは、半井君は、私の前世のひいじーちゃんではないということ。または、半井君は私の前世のひいじーちゃんだけど、“史実”でも高田貞さんと結婚していたということ。あるいは、半井君が私の前世のひいじーちゃんであろうとなかろうと、私の存在にはもう影響を及ぼさない状態になっている……ということかしら」
と、私の考えを一同に披露した。
「いずれにしろ、めでたいことでございます。内府殿下にとっても、半井軍医中尉にとっても」
大山さんの隣にいる山下さんが、冷静な口調で言う。高田貞さんのお見合い写真を持ってきたのはこの山下さんで、4日前、12月30日に行われた半井君と高田貞さんのお見合いにも立ち合い、無事、2人の婚約をまとめてきた。
「そうだね。半井君の婚約もまとまったし、お祝いで、半井君に何か贈ろう」
微笑んで頷いた栽仁殿下に、
「酒器など、よろしいのではないでしょうか」
と大山さんが進言する。
「……飲み過ぎないように、注意書きは付けておかないといけないけどね」
半井君の酒豪ぶりを思い出した私が栽仁殿下に応じると、
「内府殿下、半井軍医中尉のお祝いの話もよいですが、秩父宮殿下のご婚約のことも忘れてはなりませんぞ」
機嫌を直した伊藤さんが横から言った。
「分かってるわよ、伊藤さん。可愛い甥っ子のことですからね」
伊藤さんにこう返した私は、秩父宮さまの婚約を巡るあれこれを思い出した。
迪宮さまの妃・良子さまは、幼い頃から迪宮さまと仲が良かったし、家柄も申し分なかったので、すんなりと迪宮さまとの結婚が決まったけれど、秩父宮さまの婚約者を決めるのは、それに比べたら少し大変だった。……まぁ、兄と節子さまが明確な指針を持っていたので、全くの白紙の状態から決めなければならない、ということはなかったのだけれど。
兄と節子さまは、昔から、戊辰の役以来の戦いでの犠牲者たちの冥福を祈り、傷ついた人たちを助け、励ましたいと考えている。その考えは兄が天皇の位についてからも変わらないけれど、兄と節子さまは、戊辰の役から60年ほどが経過しようとしている今でも、新政府軍に刃向かった人々がいた地域を“賊軍を出した地”と蔑む風潮があることに心を痛めていた。
――どうにかして、賊軍と蔑まれてしまう人々につけられた理不尽なレッテルを、剥がす方法はないだろうか。
兄と節子さまが悩んだ末に思いついた方法は、“自分の息子たちの妃を、かつての旧幕府軍の子孫である華族から迎え、賊軍など、もはやこの日本にはいないということを世間に改めて示す”というものだった。
“朝敵”というと真っ先に思い浮かぶのは、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜さんだけれど、慶喜さんの嫡子・徳川慶久さんには、栽仁殿下の妹・實枝子さまが嫁いでいる上、慶久さんの姉である経子さまは、華頂宮博恭王殿下の妃なので、流石に慶喜さんの子孫の女子を皇室に迎えられない。慶喜さんの次に“朝敵”として有名なのは、会津藩の藩主・松平容保さんか、桑名藩の藩主・松平定敬さんだろう。松平定敬さんの子孫には秩父宮さまと年齢の釣り合う女子がいないため、自然、秩父宮さまのお妃候補は、会津松平家の女性から選ばれることになった。
最終的に、お妃候補は2人となった。1人は、現在の会津松平家の御当主・松平保男さんの長女である芳子さま。もう1人は、松平保男さんの兄で駐米大使である松平恒雄さんの長女・節子さまだ。2人とも、松平容保さんの孫にあたる。2人とも、人柄や学校での成績なども親王妃として申し分なしと思われ、どちらを秩父宮さまの妃とするのかで、宮内省の関係者たちは頭を悩ませた。
結局、芳子さまと節子さま、どちらを秩父宮さまの妃にするかは、兄の裁定に委ねられることになったのだけど、兄は松平恒雄さんの長女である節子さまを選んだ。
――節子は恒雄について世界各国で暮らした経験があるから、外国語に堪能だと聞く。雍仁は、外国を訪れた経験は練習航海の時ぐらいしかないが、これから、俺と節子の名代として、夫婦そろって外国に行く機会もあるだろう。そんな時、自分の身近にいる妃が外国語を話すことができれば、雍仁も心強いと思うのだ。
節子さまを選んだ理由について、兄は私や宮内大臣の牧野さんにこう述べた。このような経緯で、松平節子さまは秩父宮妃に内定したのである。“史実”の記憶がある斎藤さんと山本中佐によると、“史実”でも彼女が秩父宮さまの妃だったとのことだ。
「……けど、節子さま、これからやることが色々あって大変よ。お父様は松平の本家から分家して平民だから、保男さんの養女になって華族の籍に入らないといけないし、それに、節子さまと名前の漢字が一緒だから、改名しないといけないし……。あの、山本中佐、“史実”での秩父宮さまのお妃、本当に節子さまだったんですか?」
秩父宮さまの結婚相手が決まったいきさつを頭の中で一通りおさらいした私が、山本中佐に確認すると、
「ええ、間違いありません」
彼はにっこり笑って断言した。
「秩父宮殿下のご婚儀は、かつて朝敵であった会津藩の復権である……“史実”ではご婚儀の当時、そう語られておりました。もっとも、この時の流れでは、かつて“朝敵”とされた藩の者たちへの風当たりが、“史実”よりも弱くなっているようですが……」
笑顔で語る山本中佐と、彼の右に座る伊藤さんとの目が合う。山本中佐は慌てて背筋を伸ばすと、
「申し訳ございません。つい、無駄口を叩いてしまいました」
謝罪の言葉を口にして、一同に向かって頭を下げた。
「いや、いいんじゃよ」
頭を下げた山本中佐に、伊藤さんは穏やかな声で言う。
「内府殿下が自らのお心に従って動かれ、それに天皇陛下と皇后陛下、そして先帝陛下と皇太后陛下が同調なさった結果、この時の流れでは、山本の言うように、かつての官軍・賊軍の融和は進んでいるように思う。しかし、かつて賊軍の側にいた者を蔑む風潮が残っているのもまた事実。……天皇陛下と皇后陛下は、戊辰の役以来の戦で生じてしまった国民の傷を癒そうとしていらっしゃる。わしに残された命があとどのくらいあるのか分からないが、わしも天皇陛下と皇后陛下の御心を体していかなければな」
伊藤さんの言葉に、私の頭が自然と下がった。確かに、伊藤さんの言う通り、かつての“賊軍”を蔑む風潮もいまだに残っている。これからも私は、兄と節子さまとともに、戊辰の役以来の戦で傷ついた人々に寄り添い、励ましていかなければならない。
と、
「伊藤閣下」
栽仁殿下が苦笑いを伊藤さんに向けた。
「伊藤閣下は、まだまだ長生きなさると思いますよ。いつまでもお元気でいらしていただいて、僕たちを鍛えていただかなければ」
「そうね。伊藤さんには、まだまだ元気でいてもらわないと」
私が栽仁殿下の言葉に頷くと、
「では……」
伊藤さんが鋭い視線で私を突き刺す。
「ご期待にお応えしまして、媒酌の労を取るとはいかなることなのか、内府殿下にとくとご教授申し上げましょう」
「はい?」
キョトンとしてしまった私に、
「当たり前でございましょう!」
伊藤さんは大声を叩きつけた。
「まさか、見合い相手を選ぶのを、禎仁王殿下に丸投げされるとは……これは、内府殿下の輔導主任であったわしの教育が悪かったせいでございます。ですが、今からでも遅くない。年の初めが肝心とも申しますから……」
「い、伊藤さん。私、急用を思い出したわ」
明らかに、この場の形勢がおかしい。ここは逃げるしかないと直感し、私が愛想笑いを顔に浮かべて椅子から立ち上がった瞬間、
「梨花さま」
大山さんが私の前に立ちはだかり、不気味な微笑みを私に向けた。
「これは、俺の失策でもございます。梨花さまは賢い方ですから、この時代の慣習も当然ご存知であろう……これは、俺がそう思い込んでしまったゆえ起こったこと。ですから、この時代の慣習がいかなるものか、梨花さまには今一度おさらいしていただかなければなりません」
「い、嫌よ!栽さん、助けて!」
臣下のただならぬ様子に、私は夫に助けを求めたけれど、
「無理だね」
夫は私に無慈悲な答えを返す。「そんな……」と呟いた私の手を、大山さんがきつく握った。
……こうして、私は正月早々、伊藤さんと大山さんから、長い長いお説教を受けることになってしまった。
※なお、高田佐吉大佐については架空の人物です。




