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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第80章 1927(大正12)冬至~1927(大正12)年(2回目の)冬至
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 1927(大正12)年5月4日水曜日午後0時5分、皇居・表御座所にある内大臣室。

「原さん……」

 内大臣室のドアを開けて入ってきた内閣総理大臣・原(たかし)さんの姿を見て、私はため息をついた。

「失礼致します。先ほどの枢密院会議の概要をご報告に参りました」

 そう言って一礼した原さんの手には、お弁当の包みがある。昼食をとりながら行われる会議の報告というものが、この世にあっていいのだろうか。以前、原さんにそう指摘したら、

――総理大臣という職は、なかなか忙しいものでございまして……。恐れ多いことではありますが、このような形でしかご報告ができないのです。

彼は私にこう反論した。……毎週の枢密院会議の内容は、兄にすぐ確認できる。それに、私に会議の内容を報告するのなら、原さんではなく、枢密院議長の黒田さんがするべきではないかと思うのだけれど、そう言ってしまうと、原さんが大量の反論を投げつけてきそうなので、今年に入ってから突然始まった原さんの水曜日の来訪を、私は黙って受け入れていた。とは言え、ここ数か月の枢密院の議事はほとんど荒れていないので、結局、昼休みの後半は、原さんと一緒にお弁当を食べながら雑談をしているだけになっているのだけれど。

「ところで……“兵役法”の施行準備は進んでいますか?」

 枢密院会議の話は数分で終わってしまったけれど、私も原さんも、お弁当を食べ終わっていない。私が従来の”徴兵令”にかわって施行される予定の法律のことを仕方なく質問すると、

「……ええ、一応は」

原さんは玉子焼きを飲み下してから答える。

「ひとまず、兵役期間は今までの3年から2年に短縮致しますが、今後の人口変動、そして軍縮の進展によっても、兵役期間は変わるでしょう。ですから、その時々に応じて、兵役期間を検討しなければなりません」

「今度の軍縮会議が再来年ですね。イギリスとドイツは、陸上兵力の削減には賛成するでしょうけれど、朝鮮の統治に手こずっている清がどう出るかですね。清の兵力が減らないと、国境を接するロシアも、兵力削減に難色を示しそうですし……」

 私がそう言ってからサンドイッチを一口食べると、

「ロシア軍の将官たちが良い顔をしないのは間違いないでしょう。皇帝(ツァーリ)は兵力削減に賛成すると思いますが」

原さんは天井を睨みつけながら私に応じた。

(確かになぁ……)

 私は10年以上前に出会ったロシアの皇帝(ツァーリ)・ミハイル2世の誠実そうな顔を思い出した。彼は、国民経済がよくなるのであれば、ロシアの陸軍兵力を削減するのに諸手を挙げて賛成するだろう。しかし、削減される側のロシアの軍人たちはどう思うだろうか。

「……幸いなことに、世界で戦争らしい戦争は、極東戦争以降起こっていないですけれど、そのせいで、ドイツの軍事力が大きいまま保たれてしまっている一面もあります。少しずつでも各国の兵力を減らして、なおかつ戦争を起こさないようにして、“軍隊は災害の時に出てくるもの”ぐらいの考えに、世界の人々の認識が変わればいいですけれど……それは今の世の中じゃ夢物語ですね」

 そう言ってからサンドイッチをパクつく私に、

「お気持ちは分かりますが、おっしゃる通り、余りにも現実離れした考えです」

原さんは冷静に指摘する。「隙を見せた国は容赦なく他国に食われる……それが世界の理です。まぁ、北丹後地震での国軍の活躍を見ますと、内府殿下がそうおっしゃりたくなるのも分かりますが」

「……その国軍に命令を下しているのは、総理大臣の原さんですよ」

 サンドイッチを一切れ食べ終わった私は、原さんに微笑んだ。

「その通りなのですが、今回の地震、衛生・救護の方面では、全力を尽くせたとは言い難いと考えます」

 箸を置いた原さんの顔が少し曇った。「現地の天候を甘く見ておりました。陛下と内府殿下のご指摘で、外傷を受けた者だけではなく、感染症にかかった者にも対応できるような態勢に、急ぎ医療の救援を整え直しましたが……」

「天気のことを甘く見ていたのは私も同じです。今から振り返れば、関東大震災で、熱中症や感染症での死者がほとんど出なかったのは、奇跡的なことだったんだなと思いますもの」

 顔に営業スマイルを貼り付けて原さんに応じながら、

(ああ……これ、やっぱり慣れない!)

私は心の中で叫んでいた。どうも、原さんに丁寧な口調で喋られてしまうと、落ち着かなくなってしまう。これでも、他の誰かが一緒にいる時に、私に対して丁重に話す原さんには何とか慣れたのだ。けれど、こんな風に原さんと2人きりでいる時に、彼が私に丁寧な言葉遣いをするのが、私にはどうもしっくりこない。正直なところ、昔のようにぞんざいな口のきき方をしてくれる方が楽なのだ。

(でもなぁ……兄上が原さんに“無礼な物言いをするな”って命じているから、原さんの言葉遣いは元に戻らないよなぁ……)

 私が更に考えを進めた時、

「しかし、被災地での、肺炎を中心とした感染症患者は、次第に減少して参りました。この様子ですと、6月中には、被災地への医療的な救援は終えられるでしょう」

原さんはやはり丁寧な口調で言い、私に軽く頭を下げた。

「そうしたら、いよいよ復興に向けて、本格的に動き出すのですね」

 原さんに対する思いを心の中に押し込めると、私はこう言って再び微笑した。

「通常会で予算も成立しましたし、何の憂いもなく被災地の復興を進められますね。大蔵省の仕事が本当に速くて、私、ビックリしました」

「浜口は、地震について事前に知っていましたが、それを抜きにしても、驚くべき速さでの予算作成でした。あとは不正が起きぬようしっかり見張りながら、現地の復興を進めていかなければなりません。陛下と内府殿下のご期待に応えられるよう、全力で励みます」

「秋には、迪宮(みちのみや)さまが被災地の視察に行きます。その頃までに、被災地の人たちの傷が、少しでも癒えているといいですけれど……」

 私が原さんの言葉にこう返すと、

「ところで、内府殿下に1つお伺いしたいのですが」

原さんが私の方に身を乗り出して言った。

「何でしょうか?」

「いえ、北丹後地震での被災地における医療の話が出たので、思い出したのですが……」

 原さんはこう前置きすると、

「“医療行為法”は先の通常会で無事成立しましたが、医療行為の統一価格を決めるべき大日本医師会では、動きが全く無いようです。厚生大臣の若槻は、統一価格は可能な限り早く決めるべきと言っていますし、わたしもそう思います。いっそ、内府殿下に何かお言葉をいただき、統一価格制定の動きを加速させたいとも思うのですが……」

迫るように私に言う。

「それはダメですね」

 私は首を左右に振り、短く回答した。

「なぜでございますか。法律成立の際は、陛下の手前もあったとは存じますが、あんなに熱心だったではないですか」

「それは仕方ないとは思うのですけれど」

 私はお茶を飲んで深呼吸すると、

「日本の医療界にける私の権力は、強大過ぎるのです」

原さんにそう言った。

「私は皇族でありながら、医師免許を持っています。しかも今は、内大臣という要職にあります。そんな状況では、私の言葉は医療者にとって、兄上の勅語と同じような威力があります。もちろん、私の言葉を使って統一価格を決めてもいいかもしれませんけれど、そのように決めたものは、私が死んだ後で必ず瓦解します。医療行為の統一価格は、将来、日本がどのような医療制度を取るにしても必ず残さなければならない大切なものですから、10年、20年で崩壊してしまうようなものであってはならないのです」

「はぁ……」

「それに、医師の報酬に関する慣習も、私は臨床を離れて10年以上経ちますからよく分かりません。地域ごとで違ってもいるでしょうし……。ですから、統一価格は、地域ごとの差を調べた上で、粘り強く医師間の相互理解を進めないと決められないものなのです。だから私は、医師会での議論には参加しません。若槻さんは文句を言うかもしれませんけれど、これは私が参加したらいけないものですから、統一価格制定にしっかり取り組んでもらいたいですね」

 言い終わった私が、湯飲み茶碗に再び口を付けると、

「なるほど、一理あります。若槻もかわいそうに。……まぁ、“史実”の今頃は、総理大臣としてもっと大変な目に遭っていたのでしょうから、それが無いだけ幸運なのでしょう」

原さんもそう応じて、お茶を一口飲む。“史実”では今年の3月に“金融恐慌”が発生しており、若槻さんが率いる内閣はその影響もあって退陣を余儀なくされた。この時の流れでは、“金融恐慌”の遠因になった数年来の慢性的な不況も生じていないし、関東大震災での被害も“史実”の半分未満に抑えられたので、“史実”と同じような恐慌が発生する不安はほとんどない。

「しかし、主治医どのの薨去を前提とする話など、もっての他です。わたしより30歳近くお若くていらっしゃるのですから、これから40年、50年とお健やかに過ごされるとわたしは信じております。……まぁ、おっしゃりたいことは分かります。まだ顔を見ることができぬ将来の国民に対してわたしたちができることは、より良いと思われるものを残すこと。そのためには主治医ど……ああーっ?!」

 突然、演説をぶっていた原さんが叫び声を上げる。それだけではおさまらず、彼は椅子から立ち上がると床に土下座して、私に向かって頭を下げる。

「ど、どうしたんですか、原さん!」

 私も慌てて椅子から立ち上がり、原さんを助け起こそうとすると、

「内府殿下、お許しください!わたしは恐れ多くも、内府殿下のことを“主治医どの”と……!」

原さんは頭を下げたまま、震える声で私に許しを請うた。

「あ……」

――主治医どのの薨去を前提とする話など、もっての他です。

 確かにさっき、原さんは私にこう言った。兄がこの場にいたら激怒しただろうし、大山さんがここにいたら、怒って原さんを殴りそうだけれど……。

「気にしないでいいですってば」

 私は原さんのそばに片膝を付くと、彼の左肩にそっと触れた。

「原さんに丁寧な言葉を使われるの、私、全然慣れないのですよ。なんかしっくりこなくて……。だから昔みたいに、乱暴な言葉遣いをしてくれる方が私は楽です」

 土下座し続ける原さんに、私はこう言ってみたけれど、

「そういう訳には参りません!わたしは陛下に、内府殿下に対して無礼な物言いは二度としないと誓ったのです!」

原さんは立ち上がることなく、頑なな態度で私に反論する。

「お願いでございます、内府殿下。今、わたしが不適切な言葉で内府殿下を呼んでしまったこと、どうかお許しください!」

「いや……私、初めから許していますけど……」

 なおも土下座して頭を下げる原さんに、私が呆れながら言った時、

「そういう訳には参りませんよ」

内大臣室のドアの方から、穏やかな声がした。そんな馬鹿な。ドアはしっかり閉めていたし、ノックの音もしなかったのに……。

「大山さん?!」

 内大臣室のドアの前には、腕組みした大山さんが仁王立ちしていた。その顔には不気味な笑みが貼り付いていて、不法侵入を咎めようとした私は、彼の身体から放たれる殺気にあてられて口を閉じてしまった。そんな私に向かって、

「いいですか、梨花さま。いかに梨花さまが特殊なご事情をお持ちといえども、梨花さまは陛下の御妹君、立派な内親王殿下でございます」

大山さんは放つ殺気に似つかわしくない穏やかな声で語り掛ける。

「ですから、原の無礼な物言いは、梨花さまが咎めて然るべきなのです。それなのに梨花さまは、原の無礼な言動を長年お叱りになることはなく、原も増長して、梨花さまに対する言動を改めることはありませんでした。陛下が原をお叱りになったので、原もようやく言動を改めましたが、そのようなことがあってもなお、原が梨花さまに無礼な言動をし、それを梨花さまが許容なさろうとするとは……」

(いや、そっちだって、内大臣秘書官長が内閣総理大臣を呼び捨てにしていいのかしら?)

 私は我が臣下に心の中でツッコミを入れたけれど、音声にしようとした瞬間に、彼に更なる殺気を浴びせられてしまい、口が動かなくなってしまった。頭を上げた原さんは、大山さんを見つめたまま、酸素不足の金魚のように、口をパクパクと動かしているだけだ。

「梨花さまに“原に怒るな”と命じられて35年以上……我慢して参りましたが、そろそろ、(おい)も原に報復してよいでしょう」

 そう言って、ニヤリと笑った大山さんに、

「は、はい、閣下。内府殿下に対する数々の無礼、命をもって償います!」

原さんは神妙な顔で宣言すると、深々と一礼する。

「それはダメだってば!」

 私は大声で叫んだ。

「総理大臣が簡単に、“命をもって償う”なんて、宣言しないでくれますか?!そんなことをされたら、国政が間違いなく大混乱に陥ります!もしあなたが自殺したら、私、あの世まであなたを追いかけて、ボコボコにしますからね!」

「な、内府殿下……」

「大山さんもいい加減にして!勤務中に殺気をまき散らしたら、侍従さんたちが怯えちゃって仕事にならないのよ!」

「梨花さま、これは……」

 怒りの限界を突破してしまった私が、原さんと大山さんに大声をぶつけているうちに、昼の始業時間がやって来て、話は有耶無耶になったのだけれど、

「議長である(おい)を差し置いて、内府殿下に枢密院会議のご報告をするとは……」

「まったく……最近、枢密院会議の後でいつも姿が見当たらないと思っていたら、こういうことじゃったか」

「なるほど、内府殿下を独占するために、上手く考えましたねぇ。教えてくれた大山殿に感謝しなければ」

「うむ。弥助(やすけ)どんは良いことをしてくれたのう」

その後、毎週水曜日の原さんの“枢密院会議の報告”には、枢密院議長の黒田さんと枢密顧問官の伊藤さんと陸奥さんと西郷さん、そして内務大臣の後藤さんと国軍大臣の山本さんが付き添うようになり、私は毎週水曜日の昼休み、騒がしくも手強い梨花会の面々と昼食を共にすることになってしまった。

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水曜日開催の梨花会…か。
落ち着かない昼食になってしまったと考えるべきか、昼食と一緒に話せるだけ気楽にできると考えるべきか……
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