北丹後地震
1927(大正12)年3月7日月曜日午後6時25分、東京市麹町区霞ヶ関1丁目にある有栖川宮家本邸。
「ふむ……」
有栖川宮家の当主で私の義父でもある威仁親王殿下の書斎。書斎の主である威仁親王殿下は、私が提出した短冊と懐紙を、腕組みしてじっと見つめている。短冊には、私が週末に何とかひねり出した和歌が、そして懐紙には、新古今和歌集から私が選んだ和歌が書きつけられている。義父から課題を出され、私が必死に仕上げたものである。
「……どうも、今一つですね」
やがて、短冊と懐紙を吟味していた義父は、それらを来客用のテーブルの上に置くと静かに言った。「文字に伸びやかさがありません。それに、どうも書に集中できていない感じがします。終筆が甘いのですよ」
「はい……」
いつもよりも手厳しい評価だ。うな垂れて義父の言葉を聞いていると、
「これでも、私は嫁御寮どのの字を買っているのですがね」
彼は少しだけ顔をしかめた。
「嫁御寮どのの字は、繊細でありながら伸びやかなのです。初めはぎこちない字でしたが、我が有栖川宮家の書道に習熟するにつれて、ぎこちなさは取れ、今は、美しい蝶が舞うような字をお書きになっている……私はそう感じているのですよ」
「……」
「しかし、今日の字には、伸びやかさが全くありません。心ここにあらずという言葉が、文字の向こうに見え隠れしています。陛下が例の日を乗り越えられてからは、このようなことは無かったのですが」
私が威仁親王殿下のお説教に黙って耐えていると、
「何か、思い悩むことがありましたか?この短冊と懐紙をお書きになった週末に……。栽仁が解きほぐせないような悩みごととなりますと、私で助けになるかどうかは分かりませんが……」
彼は思いがけない言葉を口にして、私を真正面からじっと見つめる。誠実な光が宿る瞳に見据えられたその時、ふと違和感を覚えた私は周囲を見回した。天井から吊り下げられている優美な照明器具が、ほんの僅か、揺れているような気がする。義父もそれに気が付いたようで、「揺れている気がしますね」と言いながら天井を見た。
(まさか……)
私は左手首の腕時計を確認する。時刻は午後6時29分、もう少しで40秒になるところだ。そう認識した瞬間、照明器具の揺れが大きくなった。
私はすぐにテーブルの下に潜った。揺れがどうなるか、息を殺して周りの様子を窺っていたけれど、揺れはそれ以上強くはならなかった。
「これ……もしかして、北丹後地震の本震ですかね?」
私がテーブルの下から出ながら義父に聞くと、
「恐らく、そうでしょうね」
義父もテーブルの下から頭を出しながら答えた。北丹後地震……“史実”の1927(昭和2)年3月7日午後6時27分39秒に発生した、丹後半島北部を震源とする大地震だ。自然災害は、この時の流れでも“史実”と同じように発生するから、初期微動の継続時間なども考え合わせると、今、感じた地震は、北丹後地震の本震で間違いないだろう。
と、
「嫁御寮どの、今から参内なさい」
立ち上がった義父が私に命じた。
「嫁御寮どののお心を悩ましているのは、先週末に日本にやってきたトリノ伯とアブルッツィ公のことではなく、この地震のことでしょう。嫁御寮どのも思い煩っているのならば、天皇陛下もこの地震に、宸襟を悩ませておられるに違いありません。早く天皇陛下に顔を見せて差し上げて、お心を慰めていらっしゃい」
「あの、お義父さま……」
立ち上がった私は威仁親王殿下に向かって答えた。
「今回の地震の発生時には、参内するに及ばず……先週から、兄上に何度も言われているのです。今日の退勤間際にも、同じことを言われました」
だから参内すれば、勅命に逆らうことになります……そう言おうとした矢先、
「では、私に強く命じられたと申し上げればよろしい」
義父は即座に私に告げた。
「天皇陛下は、嫁御寮どのを心配させたくないとお考えになって、強がっておられるのです。ご本心では、今回の地震で被害を受けるであろう国民の身の上を案じ、御身を引き裂かれるような痛みを感じていらっしゃるに違いありません。……嫁御寮どのも、そうお考えになっているはず」
私は義父に何も言えなかった。彼の言うことが、私の考えを余りにも正確に表していたからだ。
「ならば参内して、天皇陛下のお心を安んじ奉るのが、上医としての務めであるはずです。……違いますか?」
「いえ……」
私は義父に向かって深く頭を下げた。
「では、お義父さま、私はこれから参内して、兄上に地震のお見舞いを申し上げます。大変申し訳ありませんが、今日の和歌と書道の講義は、これで終わりにさせてください」
「……本当は、私がけしかけることなしにそう申し出てほしかったのですがね」
頭を上げると、義父の顔に苦笑が閃いているのが分かった。
「しかし、嫁御寮どのは不器用ですから仕方がない。さぁ、お行きなさい。こうしている間にも、天皇陛下のお心は、不安に蝕まれているでしょうから」
義父は口を閉じると、私に手振りで書斎を出るように伝える。義父に感謝しながらもう一度頭を下げると、私は荷物をまとめ、義父の書斎を後にした。
1927(大正12)年3月7日月曜日午後7時13分、皇居・奥御殿。
「梨花、来なくてもいいと言っただろう」
奥御殿にある兄の書斎。机の前に座った兄は、参内した私の姿を見ると不機嫌そうに言った。
「ごめんね。私も参内するつもりはなかったんだけれど、お義父さまに“行け”と命じられて」
顔を軽くしかめた兄に、用意していた最強の言い訳をぶつけると、「義兄上が……」と呟いた兄の眉間の皺が深くなる。
「まったく……俺のことを心配せずともよいのに……」
兄がしかめ面のままこう言った時、廊下に軽い足音が響いて、「お上、よろしいでしょうか」と、当直女官さんが障子越しにお伺いを立てた。
「皇太子殿下が地震のお見舞いにいらっしゃいましたが、いかがいたしましょうか?」
「裕仁もか……」
女官さんの声に舌打ちした兄は、
「仕方ない、来たのなら会おう。裕仁をここに通せ」
と彼女に命じる。ほどなくして障子が開いて、黒いフロックコートを着た迪宮さまが、書斎に姿を現した。
「なぜ来た、裕仁」
人払いがされたのを確認すると、兄は迪宮さまに刺々しい声で尋ねた。迪宮さまは父親の態度に少し驚いたようだけれど、すぐに穏やかな態度で、
「はい、先ほどの地震のお見舞いもですが、お父様のことが心配で」
と自分の父親に答えた。
「先ほどの地震は、北丹後地震の本震に違いありません。被災者たちの身の上を思うと心が苦しいのですが、お父様は僕よりももっと苦しまれているだろうと考えたら、居ても立っても居られなくなりまして……」
そう言って迪宮さまが一礼すると、
「参ったな……」
兄は深いため息をついた。
「俺の心が、こうも見透かされているとは……」
「当たり前でしょ。私が兄上の妹を何年やっていると思っているのよ」
私が言い返すと、「確かにそうだ」と答えた兄は苦笑して、
「2人とも、そこの椅子に座ってくれ」
と椅子を勧める。椅子に腰かけると、
「お父様、関西方面からの情報は入ってきているのでしょうか?」
迪宮さまが早速兄に尋ねた。
「先ほど、中央気象台から、京都・大阪・神戸の測候所で大きな地震を観測したという知らせは入ったが、それ以上の情報はないな」
兄は難しい顔をして長男に答える。
「そうですか……」
迪宮さまが眉をひそめると、
「大きな被害が予想される丹後半島では、対抗演習という名目で第4軍管区と第5軍管区の兵を配置しているが、その演習部隊から連絡はまだない。それから、舞鶴鎮守府からの連絡も入っていないな」
兄は更にこう言ってため息をついた。舞鶴鎮守府は、京都府の日本海に面する位置にある。丹後半島には比較的近く、今回の被災地救援の拠点になると思われる施設だ。
「地震発生から1時間近く経過していますが、連絡が入らないのは気がかりですね……」
「まぁ、色々あるんでしょ。心配しなくていいと思うわよ」
更に渋い表情になった迪宮さまに、私はわざと明るく言った。
「私の時代なら、もっと早く現地と連絡がつくのだろうけれど、今の時代にそんなスピードを求めたらダメよ。連絡を中継するのにも時間がかかるし、現地が混乱していて連絡どころじゃないかもしれないしね。それに、関東大震災の時、日光の御用邸の無線機が壊れて、東京に連絡が入らなかったこともあった。災害にそういう事故は付き物だから、慌てないで、どっしり構えている方がいいわ。いずれ必ず、連絡は入るから、ね」
「はい。……すみませんでした。変事に、気が立ってしまって……。梨花叔母さまの教え、肝に銘じます」
迪宮さまは私をじっと見つめ、真剣な顔をして頷く。
「やあねぇ。そんなことを言われると、照れちゃうじゃない」
私が笑いながら、両方の手のひらを自分の顔の前でひらひら振ってみせると、
「照れなくていい、梨花。大事なことだから」
兄が横から穏やかな声で私に言った。
「関東大震災の時に学んだはずなのに、時が過ぎると忘れてしまうな。……おっと、こんなことを言ったと大山大将たちに露見してしまうと、毎週の机上演習がまた厳しくなってしまうな」
「それは間違いないわね。今の言葉、私たちだけの秘密にしておかないと」
私が悪戯っぽく笑い、それにつられたのか、迪宮さまが微笑んだ時、
「ご歓談中のところ、申し訳ございません。陛下、よろしいでしょうか」
廊下から、今日の当直侍従・海江田幸吉さんの声がした。「入ってくれ」という兄の命に応じ、部屋の中に入って一礼した海江田さんは、
「申し上げます。国軍省より連絡が入りました。現在、丹後半島で対抗演習を行っている第4軍管区と第5軍管区の兵は、大地震に襲われたため演習を打ち切り、現地住民の救援にあたるとのことです。また、舞鶴鎮守府からも連絡が入りました。大地震に見舞われましたが鎮守府は健在とのこと。現在、地震による被害が大きいと思われる丹後半島に、第4駆逐隊の駆逐艦4隻を急派しているとのことです」
「分かった。ありがとう、海江田」
海江田さんにお礼を言った兄は、彼を書斎から退かせると、
「梨花の言う通りだったな」
私に微笑を向けた。
「ありがとう、裕仁、梨花。お前たちのおかげで、心が楽になった」
「お父様……」
「兄上……」
やはり、北丹後地震のことで、兄は心を痛めていたのだ。呟いた迪宮さまと私に、
「俺たちが準備した兵が動き出し、舞鶴鎮守府の軍艦も出動したのであれば、今の俺たちにできることは、彼らが活躍して多くの人を救うことを祈ること、そして、原総理や後藤大臣、山本大臣の動きに対応するために英気を養うことだ」
兄は穏やかに微笑んだまま言う。
「しばらく事態は動かないだろう。俺も休むから、裕仁も梨花も帰って休め。特に、梨花はしっかり休んでおけよ。明日は忙しくなるだろうから」
「……分かったわ」
この様子なら、兄は大丈夫だろう。私は兄に微笑みを返すと、奥御殿から退出して盛岡町の自宅に戻った。
1927(大正12)年3月15日火曜日午前10時10分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「今回の大地震では、丹後半島に多くの被害が出ておりますが……」
兄と私の前で、緊張した表情で報告しているのは、侍従の黒田長敬さんだ。彼は6日前の3月9日に東京を発ち、北丹後地震で被害が大きかった地域を視察して回っていた。
「丹後半島西側の郷村には、今回の地震を生じさせたと思われる断層が出現しました。現在、東京帝国大学理科大学の今村教授などが現地に入り、調査を行っております。なお、郷村の小学校は地震により全壊し、村内では少なくとも7割以上の家屋が倒壊したと見積もられています」
「小学校が倒壊か……」
黒田さんの報告を聞きながら、兄が右の拳を握りしめる。学校は今も、私の時代でも、災害時における地域の拠点になる。そこが倒壊したということは、その地域での避難生活が困難になることを意味する。兄の胸中に思いを馳せた私は無言でうつむいた。
「その他、倒壊家屋が多かったのは市場村、山田村、峰山町、吉原村、長善村、島津村、網野町、浜詰村でございます。特に、峰山町では実に9割5分以上の建物が倒壊しました。これらの町村では、一般の家屋だけではなく、学校や警察署、郵便局、役所なども倒壊しています。幸いだったのは、地震が発生した日は、丹後半島で第4軍管区と第5軍管区の兵による夜間対抗演習が行われていたため、住民たちのほとんどが演習の手伝いや見学のために外に出ていたことです。そのおかげで、建物の倒壊や火事で死亡した者は200人未満でした」
(倒壊率が95%以上って……関東大震災の時の小田原町よりひどい……)
私は顔をしかめてため息をついた。確か、関東大震災で、神奈川県の小田原町では、全体の6割の建物が倒壊したはずだ。今回の北丹後地震では、それ以上に建物が壊れた地域が出てしまった。
「問題は、震災発生以降の被災地の気候でございます」
一度言葉を切った黒田さんは、頭を下げると説明を再開した。
「発災翌日の午後2時ごろから、丹後半島では雨が降りました。かなりまとまった量の雨でしたので、がけ崩れが発生して家屋や道路が損壊しました。また、地震で堤防に亀裂が入った河川が増水し、あわや堤防決壊かと思われた場所も数か所あったとのことです。11日には丹後半島は猛吹雪になりまして、寒さで体調を崩す住民が続出しました。中には、肺炎を起こした者もおりまして……」
「「!」」
「このままですと、家の下敷きになったり、火事に巻き込まれたりして死ぬのではなく、避難生活を送る中で、病気にかかって死ぬ者が増えてしまうかもしれません。赤十字の救援隊も展開していますし、重病者は適宜舞鶴の国軍病院に搬送されていますが、重病者の数が更に増えそうなのが気がかりでした」
「そうか……」
悲しげに呟く兄のそばで、私は歯を食いしばっていた。事前に策を施していたおかげで、圧死者と焼死者は“史実”の3000人弱という人数から減らすことができた。けれど、丹後半島は日本でも豪雪地帯として知られる場所だ。このままでは寒さのために、私の時代で言う“災害関連死”が増えてしまうかもしれない。
「ありがとう。ご苦労だった。このまま、節子のところにも行って、被災地の様子を伝えてくれ」
兄が黒田さんにお礼を言うと、黒田さんは最敬礼して御学問所を出て行く。彼の姿が見えなくなると、兄は大きなため息をついた。
「地震で地盤が緩んだところに豪雨、そして猛吹雪か……」
「兄上……」
私が兄の方に振り向くと、
「悪条件が重なったのか……辛いなぁ、被害に遭った者の身の上を思うと……。一昨年の北但馬地震より大きな地震であるのは分かっていたが、このような形で被害が拡大するとは……」
兄は私の方を見ず、苦しそうな顔で思いを吐露している。居ても立っても居られなくなって、私は兄の右手に自分の手を重ねた。すると、兄は右手を動かして私の手を握り、
「しかし、これ以上の犠牲者を出さないために、俺は天皇として、粛々と務めを果たさなければならないな」
しっかりした声でこう言って、私に微笑を向けた。
「……そうね」
私は兄に微笑み返した。……大丈夫だ。この兄がいれば、北丹後地震の救援は、きっと滞りなく進む。
「それにしても、だ」
兄は私の手を握ったまま呟くと、首を傾げた。
「被災地の衛生状況が気がかりだな。原総理や後藤大臣も手を打っているとは思うが……」
「うん、私もそれはすごく思う。現地の臨時診療所の配置とか、入院施設の設置とか、見直す方がいいかもしれないね。ただ、現地の交通は途絶しているだろうし、医療関係の人材や物資をどう配置するか、判断するのはすごく難しいけれど……」
侍従の黒田さんが提出した資料に目を通しながら、私と兄の討論は続く。それは今日の机上演習の担当者である大山さんが御学問所に入っても続き、結局私たちは昼食の時間になるまで、北丹後地震の救援について激論を交わした。
※実際にはこの時期、舞鶴は鎮守府ではなく“要港部”でした。




