長い内府の夜(2)
1926(大正11)年12月25日土曜日午前1時20分、皇居・表御座所。
「……」
物音1つ無く、静まり返った内大臣室。先ほど、仕事を片付けた私は、椅子に座り、左手首につけた腕時計の盤面を睨んでいた。もうすぐ、兄が“史実”で命を落とした時刻、1926年12月25日の午前1時25分になる。奥御殿の方から兄の急変を示唆する騒ぎ声が響いてこないかに怯えながら、私はその時を待った。
(あと3分……)
兄が洋行した時にお土産として買ってくれたこの腕時計には、秒針もついている。その動く音は、耳を盤面に付くぐらいまで近づけないと聞こえないのだけれど、今はそんなことをしなくても、針が時を刻む音がはっきり聞こえるような気がした。
(あと、2分……)
秒針の音が心臓の鼓動と重なって、頭の中で重く、大きく響く。緊張に耐えられなくなり、私はうつむき、息を大きく吸って、吐いた。腕時計の長針は23分を指し、秒針は30秒を回ったところだった。あと1分と少し……75秒で、兄の……この国の運命が決まる。
(兄上……どうか、無事でいて……お父様、兄上を守って……)
腕時計の長針が24分のところに動いた。例の時刻まで、あと1分を切っている。両肘を机についた私は、両方の手のひらを合わせて祈った。ここまで来てしまったら、あとはもう、運を天に任せるしかない。
秒針が規則正しく刻む音を100まで数えてから、私は合わせていた両手を机の上に下ろした。時刻は1時26分……例の時刻を1分過ぎた。耳を澄ませてみたけれど、秒針の音以外の物音はしない。私は椅子から立ち上がると、内大臣室のドアを開け、表御座所の廊下に出てみた。
兄が表御座所にいる時は、表御座所の廊下には、薄暗くなれば電灯が灯される。けれど今はもちろん、暗闇に包まれていた。奥御殿の方向に顔を向けてみたけれど、何も見えないし、何も聞こえない。さて、これからどうしようか、と考えた矢先、後ろから誰かの足音が近づいてきた。身構えながら振り向くと、まぶしい光が私を襲った。
「ああ、内府殿下ですか……びっくりしたぁ」
とっさに目をガードした右手を慎重に下ろすと、懐中電灯を手にした侍従の甘露寺さんの姿が見えた。彼は今日の当直番である。
「見回り中かしら。お疲れ様」
私が顔に営業スマイルを浮かべると、
「内府殿下、仕事は終わったんですか?」
甘露寺さんは私に質問する。
「もう少しで終わります。少し気分転換をしようと思って、部屋の外に出てみたけれど……」
答えながら、私は考えを巡らせる。これは、またとない機会だ。もし、甘露寺さんが、これから奥御殿を見回るのなら、このまま彼について行って、兄の様子を探ればいい。もちろん、内大臣室に残って、騒ぎが起こらないかを確認する方法を取ってもいいけれど、私自身が兄の様子を探る方が、兄の状態を早く把握できる。
「甘露寺さん、見回りはもう終わったの?」
私は普段と変わらない様子を装って、甘露寺さんに尋ねた。
「いえ、表御殿と表御座所は終えましたが、奥御殿の方はこれからで……」
「じゃあ、私、奥御殿の見回りについて行ってもいいですか?」
甘露寺さんの返答に、私が食い気味にお伺いを立てると、
「ええ?」
彼は明らかに困惑した表情になった。
「ちょうど気分転換をしたかったところだし、夜の奥御殿を見て回る機会もなかなかないですし。ね、いいでしょう?」
「夜の奥御殿なんて、楽しいもんじゃないですよ」
おねだりするように言った私に、甘露寺さんは首を左右に振りながら答える。「暗いから、それなりに怖いですしね。私も、見回りはいまだに慣れなくて……」
「じゃあ、私が一緒に行けば、少しは怖くないんじゃない?」
私が甘露寺さんの言葉を捉えて提案すると、
「内府殿下……私がどう言っても、見回りについていらっしゃるつもりでしょう」
彼は呆れたように言う。私が黙って微笑んでいると、
「……仕方ないなぁ。ま、内府殿下なら問題ないですけれど」
甘露寺さんはため息をつき、「じゃあ、ついて来てください」と言って、奥御殿の方へ歩き出す。
「ありがとうございます。皆には、内緒にしてくださいね」
私は甘露寺さんに頭を下げると、彼について行った。
灯りが落とされた奥御殿は静寂に包まれていて、私と甘露寺さんの足音だけが響いている。奥御殿に部屋がある秩父宮さまは横須賀の第一艦隊にいるし、希宮さまのすぐ下の弟・英宮さま――昨年の9月の成年とともに宮号を賜り、“筑波宮”さまになったけれど――は、東京市内にある第一機動連隊の兵舎に、一番下の弟・倫宮さまは幼年学校の寄宿舎にいる。その分、奥御殿にいる人間の数は少ないので、静かさと怖さが増しているように思えた。
(まだかしら……兄上のところは……)
見回りでは、兄と節子さまが使っている区画は、いつも最後に点検するそうだ。そのいつもの手順に従って、甘露寺さんは奥御殿を丁寧に見回っていく。だから、兄と節子さまのいるところになかなか到着しない。今まで騒ぎがないということは、兄は大丈夫だということなのだろうか、それとも、周りに控える人間が深く眠っていて、兄の異変に気付いていないだけなのだろうか……。兄がいる区画に近づいていくにつれ、焦りと不安とが大きくなって、私は心を押し潰されてしまいそうな感覚に陥った。
けれど、どんなものにも、必ず終わりはやって来る。ゆっくりした速度に焦れながらも、ついに残りの見回り箇所は、兄と節子さまが使っている区画だけになった。
「あの、甘露寺さん。私、ここで待ってますね」
兄と節子さまが使っている区画に続く廊下の角に来ると、私は甘露寺さんに小声で告げた。
「え?あと、この区画だけで見回りはおしまいですよ。……まさか内府殿下、ここに来て怖じ気づかれたのですか?」
不思議そうに尋ねる甘露寺さんに、「そうじゃなくて……」と首を横に振ってから、
「だって、私の気配がしたら、兄上が起きちゃうかもしれないでしょ?」
私がこう答えると、甘露寺さんは「ああ、確かにそうですね」と納得し、先へと歩いて行った。私は廊下の角に姿を隠すと、両手を合わせた。兄は生きているのだろうか。午前1時25分を、無事に乗り越えられたのだろうか。甘露寺さんが、異常を見つけて戻って来るようなことはないだろうか……。緊張が限界まで高まった時、
「……甘露寺か」
少し眠たげな、聞き慣れた声が暗闇に響いた。これは……この声は……。
(兄上!)
目を見開いた私は、左手で慌てて口を押えた。……兄は、生きている。“史実”での崩御の時、1926年12月25日午前1時25分を越えて、兄は元気に生きている。私の両目から、涙があふれだした。
「見回りに来たのか」
更に響く兄の声に、「はっ」と甘露寺さんが応える。すると、
「章子はまだ起きているのか?」
兄は甘露寺さんにこう問うた。
(?!)
私はまた叫びそうになったのを必死に堪えた。私がここにいることを甘露寺さんがバラしてしまったら、私は兄に問い詰められてしまうかもしれない。……もしそうなったら、一連の企みを黙っていられる自信が無い。
(甘露寺さん、お願い!私のこと、上手く隠して!)
口を手で押さえたまま、私が必死に願っていると、
「はい、先ほどお会いした時、“もう少しで仕事が終わる”、とおっしゃっておられました」
甘露寺さんは落ち着いた口調で兄に答えた。「そうか……」と応じた兄は、
「もしお前が表御座所に戻った時に、章子がまだ起きていたら、仕事を終えたらさっさと寝ろ、と俺が言っていたと伝えてくれ」
と甘露寺さんに告げた。障子が閉まる微かな音が響くと、軽い足音が近づいて、
「内府殿下」
姿を現した甘露寺さんが、私を小さな声で呼んだ。
「聞こえました?陛下のお言葉」
私が黙って頷くと、
「これで見回りも終わりですから、内府殿下はさっさと仕事を終わらせて寝てくださいね。内大臣室までお送りしますから」
彼は呆れたように私に言い、私に歩くよう促す。
「ありがとう、ございます……」
泣き顔を見られないように頭を下げると、私は甘露寺さんの後ろをついて、表御座所へと歩き出した。
内大臣室に戻り、甘露寺さんの気配が遠ざかったのを確認すると、私は電話機に手を伸ばした。現在、東京市内と横浜市内では、電話交換が自動化されている。盛岡町邸の別館の電話番号のダイヤルを回すと、
「……外郎」
という男性の声が聞こえる。すかさず私が、
「きしめん!」
と合言葉を答えると、
「失礼いたしました。内府殿下、夜遅くまでお疲れ様でございます」
受話器からは、別館に待機してもらっている中央情報院副総裁・広瀬武夫さんの声が聞こえた。
「内府殿下、御首尾の方は……」
緊張した口調の広瀬さんに、
「無事です!」
私は急いで答えた。
「甘露寺さんについて、例の時刻の後、奥御殿に行きました。甘露寺さんと話す兄上の声を、はっきり聞きました。兄上は無事です!」
すると、
「おおっ!」
男性の喜ぶ声が、受話器の向こうから聞こえた。この声は、義父の有栖川宮威仁親王殿下のものでも、百歩譲って、大山さんのものでもない。
「……広瀬さん、そこに伊藤さんがいませんか?」
私が呆れながら問うと、
「はい、有栖川宮殿下と大山閣下もご一緒ですが……電話を替わりましょうか?」
広瀬さんが、私の予想と全く同じ答えを返した。
「それには及びません。そこにいる3人に、さっさと寝て、明日の開院式に備えるように伝えてください」
私はため息をつきながらこう言うと、
「ところで、何で、合言葉がこれなんですか……」
前から疑問に思っていたことを広瀬さんに尋ねた。中央情報院の新人教育機関でもある盛岡町邸の別館の電話は、不定期に変更される合言葉にきちんと答えられないと切られてしまう。その合言葉が、今は“外郎”“きしめん”なのだ。
「内府殿下が、このお電話をお使いになると聞きまして、内府殿下の覚えやすいもので揃えたらどうだろうかと……と思いついた次第でございます」
広瀬さんは恭しく私に答えると、
「内府殿下、可能な限り早くお休みください。明日は、帝国議会の開院式がございますから」
私に注意を与える。もしかしたら、そこにいる大山さんに言わされたのかもしれない。
「はい。じゃあ、おやすみなさい。あと、各所への連絡をお願いします」
私は広瀬さんに答えて受話器を置くと、部屋の電気を消し、長椅子に横になって毛布をかぶった。目を閉じた途端に意識は眠りに落ち、目が覚めた時には、机の後ろの窓から、まぶしい朝の光がいっぱいに差し込んでいた。
「おい、梨花」
誰かが、私の肩を揺さぶっている。ゆっくり首を動かすと、視界に兄の顔が入った。
「ふぁ……兄上ぇ……」
1926年12月25日午前1時25分、崩御。その“史実”を乗り越えた兄の顔が、私の目の前にある。嬉しくて、私が右手を兄に向かって伸ばすと、
「お前、まだ寝ぼけているな。嬉しそうだが、いい夢でも見たのか?」
兄が私の右手を掴んで苦笑する。反射的に頷くと、
「それはよかった。……が、早く奥に朝飯を食いに来い。もう8時だぞ」
兄は私に信じられないことを告げた。
「はち……8時?!」
普段なら、早ければ皇居に出勤している時間だ。跳ね起きた私に、
「ああ、そうだぞ」
兄はクスっと笑いながら答えた。
「お前がなかなか奥に来ないから、呼びに来たのだ。仕事が終わっていないのかと思いきや、まさかぐっすり眠っていたとはな」
兄の声を聞きながら、とりあえず、両足を床に下ろしてみたけれど、混乱し過ぎて、何をすればいいのか分からない。そんな私の右手を、兄はグイっと引っ張ると、
「ほら、まずは飯だ。“腹が減っては戦ができぬ”、だからな」
そう言って、私を奥御殿の食堂まで引きずっていった。
……そして、1926(大正11)年12月25日土曜日、午前10時45分。
久しぶりに宮内高等官女子大礼服を着た私は、東京市麹町区内幸町2丁目にある帝国議会議事堂にいた。私が貴族院議長をやっていた頃に授乳などで使っていた皇族控室の隣にあるこの便殿では、原さん以下の国務大臣、枢密院議長と枢密院副議長と枢密顧問官たち、そして貴衆両院の議長と副議長が並び、兄に謁見している。内閣総理大臣の原さん、枢密院議長の黒田さん、国軍大臣の山本権兵衛さんと内務大臣の後藤さん、大蔵大臣の浜口さん、外務大臣の幣原さん、枢密顧問官の伊藤さん、陸奥さん、西郷さん、高橋さん、そして宮内大臣の牧野さんと内大臣秘書官長の大山さん……彼らの表情は、普段のそれと何ら変わる所はなかった。けれど全員、心の中では、兄の元気な姿を見られたことに、安堵しているに違いない。
午前11時、便殿を出た兄は貴族院の本会議場に入り、玉座につく。兄を先導していた牧野さん、そして、兄の後ろを歩いていた私、大山さん、そして迪宮さまと威仁親王殿下も、本会議場向かって左側の指定の位置に並んだ。貴族院議員の席には、西園寺さんと桂さんと渋沢さんがいて、兄の顔をじっと見上げている。ひょっとしたら、国軍参謀本部長の斎藤さんや、山本航空中佐、堀海兵中佐、山下歩兵中佐、そして児玉さんも、傍聴席にいて、兄の姿を見つめているかもしれない。
原さんが玉座前の階段を上がり、勅語書を兄に渡す。兄はゆったりとした動作で勅語書を開き、
「朕茲に帝国議会開院の式を行い貴族院及衆議院の各員に告ぐ。帝国と締盟各国との交際は益々親厚を加う、朕深く之を欣ぶ。朕は国務大臣に命じて大正12年度予算案及各般の法律案を帝国議会に提出せしむ。卿等克く朕が意を体し和衷審議を以て協賛の任を竭さんことを望む」
と、高らかに勅語を読み上げ、勅語書を貴族院議長の徳川家達さんに手渡した。
兄が便殿に戻るのについて行く時、本会議場向かって右側にいた原さんと目が合った。原さんは私の視線に気づくと、顔に会心の笑みを浮かべる。私も原さんに微笑を返すと、小さく頷いた。
こうして、1926年12月25日は、兄の崩御の日ではなく、帝国議会通常会の開院式が開催された日となった。




