長い内府の夜(1)
1926(大正11)年12月24日金曜日午前9時40分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「「誠に申し訳ございません!」」
御学問所の中央で、私に向かって頭を下げたのは、宮内大臣の牧野さんと内大臣秘書官長の大山さんだ。そのまま頭を下げ続けている2人に、
「まぁ、やれと言われたら、とりあえずやるしかないけれど……」
私がため息をついて返すと、
「いや、それはよくないだろう!一体なぜ、こんなことが起こったのだ!」
私の横の椅子に座った兄が、尖った声を牧野さんと大山さんに投げた。
「ですから、宮内省の手違いで、内大臣府に届けるべき請願書をため込んでしまい……」
「その手違いがなぜ起こったのだと聞いている!」
牧野さんの説明に、兄は怒りを叩きつける。牧野さんが身体を縮こまらせたのを見て、
「兄上……少し落ちついてよ」
私は顔をしかめた兄をなだめにかかった。
……なぜ朝から、兄の怒りが炸裂する事態が発生したのか、それを説明するには、“請願令”という勅令のことから説き起こさなければならない。
大日本帝国憲法には、“日本臣民は相当の敬礼を守り別に定むる所の規程に従い請願を為すことを得”という条文がある。この“別に定むる所の規程”というのが“請願令”という勅令で、“史実”と同じく1917年に定められた。そして、天皇あての請願は内大臣が受け取り、内大臣が請願の内容を天皇に申し上げると規定された。
請願は郵便で提出されるのだけれど、内大臣あての郵便物は、この時の流れでは、いったん宮内省に届けられ、宮内省が内大臣に渡すことになっている。天皇あての請願も、通常の内大臣あての郵便物と同じように、宮内省を経由して内大臣に届けられる。ところが、今回、宮内省内の事務のミスで、天皇あての請願だけが宮内省で留め置かれてしまい、私の元に届かなかったのだ。留め置かれた請願は17件に及び、一番古いものは提出の日付が今年の8月21日だった。遅滞なく業務が遂行されるべき官公庁において、この4か月の遅れは致命的である。
「……確かに、請願が宮内省で留め置かれたのは問題だけどさ、今やるべきことは、その原因を追究することじゃないわ。留め置かれていた請願に、私が一刻も早く目を通すことよ」
椅子に座ったまま身構えている兄に、私は穏やかな声を作って進言する。
「17件の請願なら、今日出勤している秘書官の皆が下読みしてくれれば、私が今夜残って仕事をすれば、明日の朝までには仕上がるよ」
「夜に残って仕事をする?!」
私の言葉を聞いた兄は目を剥いた。
「家に持って帰ってすればいいではないか!」
「無理だよ。機密の漏洩につながるから」
叫ぶように言う兄に、私は左右に首を振ってこたえる。
「では、仕事の締め切りを伸ばせないのか?!」
「それも無理。行政の仕事は、可及的速やかに進めないといけないの。文書の滞留で仕事が遅れていると分かった以上、全速力で仕事を進めないと、国民への責任が果たせないよ」
何とか、ここで兄の首を縦に振らせて、私が今夜皇居に泊まることを認めてもらわなければならない。7月の大山さんの家での会合以降、牧野さんに協力してもらってわざと請願の書類をためてもらい、今夜、皇居に私が泊まる理由を作り出したのだから。
(何か月もかかったこの仕込み……ここで潰すわけにはいかないのよ!)
私が口を閉じて兄を見つめていると、
「……分かった。では、今日は奥御殿に、梨花が泊まる部屋を用意させる」
兄は渋い顔で頷き、こんなことを言い始めた。
「いや、兄上、内大臣室は泊まれるようにしてあるから……」
「恐れながら陛下、奥御殿には空き部屋がございませんが……」
私と牧野さんが口々に言うと、兄は「むぅ……」とうなって両腕を組む。だけど、私が今晩皇居に泊まることは認めてくれたようだ。私は心の中で密かに快哉を叫んだ。
「では、せめて今日の夕食と明日の朝食は奥で食べろ」
「いや、そこまではいいってば。盛岡町から夜食を届けさせるし……」
これは、想定の範囲外の反応だ。私が首を左右に振ってお断りすると、
「俺が当直の侍従と侍従武官を呼んで、一緒に夕食をとっているのは梨花も知っているだろう」
兄はムスッとしながら私に言う。
「うん、それは知ってるけどさ、私は当直するわけじゃなくて……」
「皇居に夜通しいるなら、当直ではないか!」
兄の怒鳴り声に、私が思わず身体を兄から遠ざけると、
「あ……すまん」
兄はバツの悪そうな表情になり、私に頭を下げる。そして、
「梨花が一緒に食事をしてくれるなら、節子も珠子も喜ぶだろう。だから夕食と明日の朝食は、奥御殿で俺たちと一緒に食べてくれ」
と、拝むようにして私に言った。
「……分かったわ」
牧野さんと大山さんを巻き込んだ策略も、無事に成功したのだ。それに、兄と一緒に晩御飯をとるということは、例の時刻……1926年12月25日午前1時25分、その数時間前の兄の健康状態も確認できるということでもある。診察はできないけれど……。
「じゃあ兄上、請願書の下読みの分担を決めるから、政務の手伝いは、大山さんに代わってもらうね」
私は兄に営業スマイルを向けると御学問所を出て、今、兄に言った通りの仕事をするべく内大臣秘書官室へと向かった。
1926(大正11)年12月24日金曜日午後6時30分、皇居・奥御殿。
「内府さまと夕食をご一緒できるなんて嬉しいわ!」
当直侍従の甘露寺受長さん、当直侍従武官の西郷従義さんと一緒に奥御殿の食堂に入ると、節子さまが私たちを笑顔で出迎えた。
「本当ですね、お母様」
兄の左隣に座った兄夫妻の長女、22歳になった希宮珠子さまは、節子さまに相槌を打つと、
「梨花叔母さま、今日は当直なのですか?」
私に視線を向けて尋ねる。
「私は章子だよ、希宮さま」
私は姪っ子に訂正を入れてから、
「明日の朝までに、緊急で仕上げないといけない仕事があってね。家には仕事を持って帰れないから、泊まり込んで片付けることにしたのよ」
彼女に優しい声で答えた。
「俺は、章子に泊まり込みをしてほしくなかったのだがな」
私の言葉に、兄は少し不満そうに応じる。「いつも章子は、“無理をするな”と俺に言うのに、自分は無理をして……これではまさに、医者の不養生ではないか」
「まぁまぁお上、そう固いことを言わずに食べましょうよ」
右隣の節子さまがなだめると、「そうだな」と頷いた兄は、顔に微笑を浮かべ、
「じゃあ、始めようか」
と明るく言う。その声で、当直の女官さんたちが配膳を始め、賑やかな夕食がスタートした。
兄一家の夕食メニューは、大体和食である。大膳寮の職員さんが作る食事は、どの品も手間が掛けられているのがよく分かり、しかも美味しい。そして、私のリクエスト通り、全体的に見て栄養バランスが取れたメニューになっていた。
(大膳寮には、色々言っちゃって申し訳なかったけれど、食事も、健康維持には大切だからなぁ……)
私が大根の煮物を箸で切りながら、数か月前に大膳寮の職員さんたちを呼び出して兄の食事に関する要請をした時のことを思い出していると、
「章子の当直で思い出したが……珠子、お前も当直をしているだろう。調子はどうだ?」
兄が娘に問いを投げた。薬剤師の免許を得た希宮さまは、9月から、私の母校・東京女医学校の附属病院で薬剤師として働いているのだ。
「……当直の時は、毎回、自分の未熟さを痛感します」
希宮さまは箸を置くと、真剣な表情で話し始めた。
「自分のやったことが本当に正しいのかを確かめたくても、当直の時は、相談できる先輩や同僚はいません。だから、少しでも不安をなくすために、更に勉強するようになりました。正しい知識を持っていれば、解決できる問題もありますから」
「なるほどな」
希宮さまの言葉に頷いた兄は、今度は私に目を向け、
「章子、お前が軍医として働いていた頃、当直をする時は、やはり珠子と同じような思いをしたのか?」
穏やかな声でこんな質問をした。
「そうね。特に、医者になったばかりの頃は、自分の未熟さを痛感したわ。未熟だから悔しい思いをしたことも何回かあった。そんなことがある度に、猛勉強していたわね」
私が昔のことを思い返しながら答えると、
「ああ、叔母さまも、わたしと同じようなことを考えていらっしゃったんですね」
希宮さまがホッとしたように言った。
「未熟だと感じているのが、わたしだけならどうしよう、と思って……」
「そんなことはないよ。誰だって、初めての当直の時は、自分が未熟だと痛感するものよ。その後、自分が未熟だと感じなくなるまでの時間には個人差があると思うけれど、私は、医者の仕事をやっている間、当直の時はずっと自分の未熟さを感じていたわ」
「へぇ、内府殿下がそんな風に思われていたというのは、意外ですね。余裕綽々で仕事をこなしていたのだろうと想像していておりましたが」
私の右隣に座っていた甘露寺さんがこんなことを言う。その評価は私を買いかぶり過ぎだと思ったので、
「さっき、希宮さまも言ったけれど、夜は助けてくれる先輩や同僚がいませんからね。全部自分1人で判断しないといけないから、心細いやら緊張するやらで、余裕なんてありませんでしたよ」
私は甘露寺さんに訂正を入れる。すると、
「あ、でも、私、乃木がいるから、少しは寂しくないかな」
希宮さまがニッコリ笑ってこう言った。
「乃木閣下がいるから、って、どういうこと?まさか、乃木閣下が希宮さまと一緒に当直をするわけじゃないでしょう?」
希宮さまの言うことが、よく分からない。首を少し傾げて問うた私に、
「当直はしないけれど、乃木は私が当直の時、一緒に女医学校附属病院に泊まってくれるのよ」
希宮さまはとんでもないことを告げた。
「は?!乃木閣下が一緒に泊まってる?!……希宮さま、それ、女医学校の先生方が困ってなかった?」
病院で当直をする時、その当直する人間の家の職員が付き添って病院に泊まるというのは聞いたことが無い。私が戸惑いながら希宮さまに尋ねると、
「いえ、特には聞いていませんよ。乃木も、わたしの当直の件で女医学校に申し入れをしたら、快く聞いてくださったと言っていたし……」
希宮さまは、特に疑問に思うような様子もなく私に答える。……女医学校の先生方は、乃木さんの申し入れを本当に快く聞いてくれたのだろうか。女医学校の先生方と乃木さんとの間で行われた問答の光景を想像し、私はこっそりため息をついた。
「叔母さまは、病院で当直をなさっていた時、大山の爺がそばにいたのでしょう?」
無邪気に尋ねる希宮さまに、愛想笑いをしながら「ひ、1人だったなぁ……」と応じた私は、
(乃木さんが女医学校の先生方に迷惑をかけていないか、確認しないといけないなぁ……)
内心困り果てながら夕食を終えた。
夕食が終わると、私はさっさと表御座所の内大臣室に戻り、請願書の処理を始めた。本当は、こんな仕事などせず、兄の体調に変化がないかを探ることに全精力を注ぎたいのだけれど、仕事が片付いていなければ、明日の朝、兄に怪しまれてしまう。幸い、下読みは内大臣秘書官のみんなが手分けして終わらせてくれて、それぞれの請願書に要約がつけられているから、4、5時間集中すれば、仕事は全部片付くだろう。
「しかし、いつもながら、変な請願が多いわね……」
請願書の内容に目を通しながら、私はため息をついた。“史実”の請願の内容にどのようなものが多かったのかは分からないけれど、私の所にやって来る請願の内容には、例えば、“極東戦争の戦功再調査の嘆願”や、“天皇皇后両陛下に〇〇県への行幸啓を願い奉る嘆願”などがある。他に、“市や県の役人が不正をしているので解雇して欲しい”という、嘆願というよりは内部告発というべき文書が混じっているけれど、こういうものは大山さんと金次郎くん経由で中央情報院に回され、調査されることになる。
けれど、そんな文書よりも多いのが、“内府殿下に〇〇県への御成りを願い奉る嘆願”や、“内府殿下にラジオ放送にて医学に関するご講話を賜りたい”など……要するに、私に対する要請なのだ。国民は、請願令という勅令の意味を本当に理解しているのだろうか……不安になってしまう。
「もっとまともな請願をして欲しいんだけどなぁ……。“普通選挙実施に関する請願”とか、“女子選挙権拡大に関する請願”とか、そういう内容の請願を出して欲しいよ」
私が書類を見ながらぼやいた時、事務机の上に置いてある電話のベルが鳴った。この電話の番号を知っているのは、梨花会の面々と中央情報院の幹部ぐらいだ。受話器を取って「もしもし」と応じると、
「ああ、内府殿下。原でございます」
受話器の向こうから、内閣総理大臣の原敬さんの声が聞こえた。
「原さん、まだ起きてたんですか?もう10時を過ぎましたよ」
私が腕時計の盤面を確認して言うと、
「まだ10時ではないですか。わたしはいつも、もっと遅くまで起きております」
原さんはなぜか少し誇らしげに答え、
「それより内府殿下、陛下のご様子はいかがですか?!」
急に声を大きくして私に尋ねた。
「……元気ですよ」
私は一瞬だけ受話器を耳から遠ざけ、原さんに答えた。「一緒に夕食をとりましたけれど、その時も兄上に特に異常は……」
すると、
「なんと、ご陪食なさったのですか!うらやましい!」
原さんがまた大声を出した。
「あの……原さん、大声は出さないでもらえますか。当直の侍従さんに聞こえちゃうかもしれないので……」
実際にはそんなことは起こりっこないのだけれど、余りの声の大きさに耐えかねた私がこう言うと、「も、申し訳ございません!」と、原さんは先ほどよりは小さな声で謝罪した。
「内府殿下、ご夕食後の陛下のご様子は……」
「分かりませんね」
引き続いての原さんの質問に私は即答した。「内大臣室で仕事をしないといけない人間が、奥御殿にずっといるわけにはいかないですよ。ただ、仕事自体はちょうど例の時刻ぐらいに終わりそうなので、甘露寺さんか従義さんの深夜の見回りについていければいいなと思っていますけれど」
侍従の甘露寺さんも、侍従武官の西郷従義さんも、兄のご学友で、私とは古くからの顔なじみだ。彼らが私に怯えていたのも昔の話で、今は顔を合わせれば気楽に話をする仲である。彼ら2人が今日の当直番になったのは、もちろん、梨花会の面々の策略によるものだ。
「余りご無理なさいませんように、内府殿下」
原さんは声を潜めた。「明日は午前11時から、帝国議会の開院式がございます。内府殿下が陛下に供奉されないとなれば、記者の連中が騒ぎましょう。どうか、ご体調にはくれぐれもお気をつけください」
「その言葉、そっくりそのままあなたに返します」
私は原さんに応じると、またため息をついた。「いいですか、明日の目標は、みんな元気に、兄上を貴族院で出迎えることです。この間も陸奥さんと一緒に注意しましたけれど、今夜、過度な夜更かしをすることや、自分の命と引き換えに兄上の無事を神仏に祈るなんてことは、絶対にやめてくださいよ!」
「分かっております」
電話の向こうの原さんは、真剣な口調で答えた。「先ほど、先生からも同様のお電話をいただきました。誓って、無理なことは致しません」
「その言葉、信じていますよ。……では、また明日」
私は受話器を置くと、再び腕時計の盤面を見た。時刻は午後10時25分……“史実”での兄の崩御時刻まで、あと3時間だった。




