35年
1926(大正11)年11月18日木曜日午前10時35分、皇居・表御座所にある内大臣室。
「内府殿下……お疲れが、かなりたまっているようにお見受けしますが……」
兄と節子さまが東京大宮御所に行幸啓に行き、私が表御座所の留守を預かっているところにやって来た内閣総理大臣の原敬さんは、内大臣室に入るなり、心配そうに私に言った。
「恐れながら、陛下が内府殿下のそのようなお顔をご覧になりますと、我々の企てが露見するかもしれません。ですから内府殿下……」
「せっかく兄上がいないんですから、疲れた顔くらいさせてくださいよ」
私は読んでいた小説の本を机の上に伏せると、
「原さんこそ、滅茶苦茶疲れた顔をしていますけれど、兄上にそんな顔を見せてはいませんよね?」
原さんにこう聞き返した。
「細心の注意を払っております。陛下にわたしの疲れを悟られるようなヘマはしておりません」
原さんは私に恭しく一礼すると、応接セットのソファに腰を下ろす。“座っていい”とはまだ言っていないのだけれど、それを指摘するのも面倒なので、
「12月25日まで、あと1か月くらいになりましたね」
私は原さんに話しかけた。
「ええ」
原さんは頷くと、大きなため息をついた。
「幸い、佐賀県での特別大演習も無事に終わり、陛下は昨日、無事に還幸なさいました。誠に喜ばしいことでございますが……万が一の事態が生じてしまったらという恐怖が常にあります。毎日、綱渡りをしているような感覚です」
「私もですよ」
私は原さんに応じると両肩を落とした。
「毎日、侍医の先生が書いたカルテを読んで、兄上に体調の変化がないか確認しないと、怖くて兄上の前に出られないのです。最近は冷えてきましたから、御学問所や廊下の気温が低すぎないかを確認して、兄上が外に出る時は、マフラーを首に巻いてもらって、外套も着てもらって……。兄上に過度なストレスがかからないように、平日の日中には、兄上が漢詩の制作や乗馬に使う時間を適宜作っていますし、大膳寮の職員さんには、栄養バランスが取れている食事を出すようにお願いしていますし、それから、兄上が、風邪やインフルエンザのウイルスをもらってしまわないように、侍従さんや侍従武官さんには、体調が悪ければすぐに休むように指示していますし……原さん、他に何をしたらいいでしょうか?」
「今、内府殿下がおやりになっていらっしゃること以上のことはないと考えますが……」
原さんは2、3度首を左右に振ると、
「強いて申し上げれば、内府殿下のご疲労から、陛下が“史実”でのご寿命のことを悟ってしまわれることのないよう、内府殿下もご努力を怠らないようにしていただきたい、ということです」
そう言いながら、私に硬い視線を突き刺す。
「兄上は、どうとでも誤魔化せます。“医療行為の統一価格を決める、新しい法律の制定の件で悩んでいる”と言えば、それ以上追究してきませんから。それに、その法律制定の件を口実にして、優秀な医師の先生方を“危険”な日に皇居に待機させておけますから、この新しい法律……“医療行為法”は本当に便利ですよ」
「それは結構なことでございます」
私の答えに、原さんはニヤリと笑った。「内府殿下が気に掛けてくださっているので、若槻厚生大臣も“医療行為法”に精力的に取り組んでいます。次の帝国議会通常会で成立するのは間違いないでしょう。そうすれば、大日本医師会主導で、医療行為の全国統一価格が決められます」
「ですね」
相槌を打つと、私は暗澹たる思いにとらわれた。次の帝国議会通常会は、開院式が12月25日に行われることが決まっている。12月25日……その日は、“史実”で兄が崩御した日だ。
「……いかがなさいました?」
原さんが心配そうに私を見つめる。嘘をついても仕方がないので、
「苦しくて……」
私は自分の思いを正直に原さんに吐露した。
「私は梨花会の面々ほど強くはありません。今も、重圧に押し潰されそうなのを、必死に耐えています。本当は、誰かに愚痴をこぼせればいいのですけれど、大山さんには皇居でしか会わないですから、兄上に内容を聞かれてしまったらと思うと、なかなか愚痴れません。栽仁殿下も、週末にしか会えませんし……。せめて、お母様に会えたらいいのですけれど……」
先月の末、私は大山さんに、お母様と目立たないように会えるよう、調整して欲しいとお願いした。私が特別大演習のため、1週間以上東京を離れたこともあって、お母様とゆっくり会う機会はまだ作れていない。一体、いつになったらお母様と会えるのだろうと思った時、
「大山閣下が、きっと調整してくださいます」
原さんが優しい声で私に言った。
「ですから、今しばらくのご辛抱を」
「……そうですね」
原さんに優しくされると調子が狂うし、何か腹の中でよからぬことを考えているのではないかとも思ったけれど、
「ありがとうございます」
私は素直に原さんにお礼を言った。
「少し、楽になりました。お母様にゆっくりお会いできる日が来るまで、私、頑張ります」
「内府殿下のお役に立つことができ、光栄でございます。内府殿下が皇太后陛下にお目にかかれる日が一刻も早く参りますよう、お祈り申し上げます」
微笑みを向けた私に原さんは最敬礼すると、内大臣室を出て行った。
1926(大正11)年11月20日土曜日午前9時45分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
毎週土曜日の午前10時には、御学問所に迪宮さまがやって来て、兄の政務を見学する。私が1人で、迪宮さまを迎えるための準備をしていると、
「おい、梨花」
奥御殿からやって来た兄が、不機嫌そうに私に声を掛けた。
「何?」
振り返った私に、兄は黒い文箱を押し付け、
「この手紙を、お母様の所に届けろ」
と、ムスッとした顔で命じた。
(?!)
これは、いつもの“使い”だろう。お茶をいただいて、更にお昼ご飯と3時のおやつもいただかないと皇居に戻れない、遊んでいるに等しい仕事だ。これなら、お母様とゆっくり話ができる。
けれど、すんなりと仕事を引き受けてしまったら、かえって怪しまれてしまう。そこで私はいつも“使い”に出される時と同じように、
「は?!今から迪宮さまが来るのよ?!それなのに、何でお母様の所に行かないといけないのよ?!」
兄にこう問い返して、軽く睨みつけた。
すると、
「昨日、大山大将から聞いたが……お前、特別大演習で東京を離れる前、お母様の所にあいさつに行かなかったそうだな」
兄は怖い顔をして私に言った。
「い、いやだって、色々忙しくて……」
私が言い訳しようとすると、
「“医療行為法”のことで、か?」
兄がギロリと私を睨んだ。
「大山大将が嘆いていたぞ。最近、梨花が“医療行為法”に夢中になり過ぎている。疲労がたまっているように感じられるので、有給休暇を取るように進言したが聞き入れない、と……。だから梨花、お母様の所で羽を伸ばしてこい。これは勅命だ」
(よっしゃ!)
きっと、大山さんがある程度話を盛って、兄をけしかけてくれたのだろう。願っても無い勅令だけれど、それを顔に出せば兄に不審がられるので、私は渋々、といった態で「はい……」と頷いた。
「ちゃんと、昼ご飯とおやつもいただいてから戻って来いよ」
兄は怖い顔で付け加えると、私を御学問所から追い出す。私は内心ほっとしながら御学問所を離れると、通りかかった東條さんに、自動車の準備をするようにお願いした。
そして、約2時間後、午前11時50分。
「……お上は、だいぶ怒っていらっしゃいますね」
赤坂御用地内にある東京大宮御所。畳敷きの居間で、兄からの書簡に目を通したお母様は苦笑した。
「“梨花が医療行為の統一価格制定を定める法律に熱中していて、大宮御所に全く行こうとしない。大山大将が休むように梨花に進言しても、休みを取ろうとしないので、大山大将と相談して、いつもの”使い“に出すことにした”……そう書いてありますけれど、真実は違うと、先日、大山どのに伺いました」
穏やかな口調で私に言ったお母様に、
「はい。兄上が書いた内容は、私が兄上を騙すために使っている方便です。そういうことにしておけば、色々と便利に事が運べるので」
私はどうすれば事情が上手く伝えられるかを考えながら説明を始めた。
「医療行為の統一価格制定を定める法律……“医療行為法”について意見を聞くために、私は何回か、大日本医師会の幹部や、各地の帝国大学医科大学の先生方を内大臣室に呼びました。けれど、“医療行為法”についての意見聴取は、表向きの理由です。本当は、“史実”で兄上の体調が悪くなった日……9月11日、10月27日、10月29日に、兄上の体調が悪くなってしまっても万全の態勢で医療ができるように、侍医の先生方だけではなく、他の優秀な先生にも皇居にいて欲しかったという理由で呼び寄せました。……“医療行為法”は、私が口を出さなくても普通に成立します。若槻さんが頑張っているのだから、立派な法律が出来上がるでしょう」
「増宮さん……?」
「それに、疲れていても、“医療行為法”に夢中にだと言えば、兄上は“いつもの医学オタクの暴走だ”と思って、それ以上私を追究しません。だから、とても都合がいいんです。私が色々考えてしまって疲れている理由は、兄上には絶対に知られてはいけないことですから」
「一体、どういうことですか?増宮さんが疲れている理由を、お上に知られてはいけない、というのは……?」
訝しげに問うお母様に、
「私が今、本当に心配して、悩んでいるのは、兄上の体調のことです……」
私は答えると、目を伏せた。
「兄上が“史実”で亡くなったのは、今年の12月25日です。その前にも、さっき言ったように、病状が悪化した日が何日かありました。……この時の流れでの兄上は、健康そのものです。この間の特別大演習の時だって、大演習を立派に統監して、現地で予定されていたハードスケジュールも、滞りなく全てこなしました。“史実”の今頃の兄上とは、健康状態がまるで違うのは、私も分かっています。分かっている、はずなんですけれど……」
言葉が、なぜか上手く出てこない。私は太ももの上に置いた両手で制服のスカートを掴み、呼吸を必死に整えた。
「不安なんです、とても……。この時の流れでの兄上が、“史実”と同じような健康状態に、突然なってしまったら、って……。そんなことあり得ない、医学的に考えても、ほとんどあり得ないって、分かっているのに……もし、兄上が倒れてしまったらどうしよう、致死的な不整脈でも起こして、亡くなってしまったらどうしよう、そう考えずには、いられなくて……」
目頭が、いつの間にか熱くなっている。きっと、お化粧も崩れて、顔がひどいことになっていると思うけれど、私は涙を拭わず、流れるままに任せた。
「だから、備えてしまうんです。兄上に、何が起こってもいいように……。でも、色々考えて、万全の体制を整えても、不安が消えないんです。“危険”とされた日を、兄上が無事に乗り越えても、不安が消えてくれないんです。兄上が……兄上が、“史実”と同じように、12月25日に、死んでしまうんじゃないかって、そんな不安が、ずっと、消えなくて……」
頬を伝った涙が、スカートの上に落ちた時、私の頭に、何かがふわりと乗った。
「よく頑張りましたね、増宮さん」
いつの間にか、お母様が私のそばに座っていて、私の頭を撫でていた。
「お小さい頃から、増宮さんはお上と仲がよろしくて……お上がいつもお健やかであらせられるよう、常に努力をなさっておられました」
「だって、それは……」
私はみっともなく、しゃくり上げてしまった。「私は、お父様と兄上を、医者として助けたいと思ったから、今生でも、医者になったし、兄上の心労を少しでも取り除いて、病気になる確率を下げたいと思ったから、医学以外の勉強もして、兄上を、政治でも助けられるように……」
「そうですね。小学生におなりになったばかりのころから、今日まで、35年……。増宮さんはお上のために、とても頑張ってこられました」
穏やかな口調で話しながら、お母様は私の頭を優しく撫でる。
「その長年のご努力が裏切られてしまって、お上が“史実”と同じように、崩御あらせられてしまうかもしれない……。“史実”での崩御の日が近づくにつれて、そんな不安に増宮さんが苛まれてしまうのも、よく分かるつもりです」
「はい……」
私は声を絞り出した。「兄上が死ぬなんて、絶対に、絶対に嫌です。だから、ここまで、頑張ってきたのに……」
「増宮さん、お顔をお上げになって」
お母様の鈴を転がすような美しい声に、私は反射的に顔を上げた。上げてしまってから、涙でぐちゃぐちゃになってしまっている顔をお母様に見せる訳にはいかないと思ったけれど、お母様の優しい瞳の光が私を包み込み、私はただお母様を見つめ返すことしかできなかった。
「以前、伊藤どのに聞きましたが、増宮さんと一緒に暮らし始めてからのお上は、“史実”と比べて、格段にお健やかにお過ごしだったと……。そして、お健やかにご成長なさったお上は、“史実”ではおできになれなかった洋行も果たされ、天皇の位につかれた今も、お健やかであらせられます。……それは全て増宮さん、あなたがお上を助けようと、ご自身の知識を使って医療や科学技術を発展させ、ご自身も医師として、そして内大臣として、お上を助け、お上の身体と心をお守りになった、そのおかげなのですよ」
私を見つめながら、お母様は優しく私に語り掛ける。お母様の穏やかで美しい声が、私の心にじわじわと沁みていった。
「増宮さん、あなたがお上のためになさってきた35年間のこと……。それは確実に、お上がお健やかに日々を過ごされる力になっています。ですから増宮さん、あなたがなさってきた35年間のこと、もう少し、信じてもよいと思いますよ」
「お母様……」
「増宮さんはお上のために、十分に人事を尽くされました。それは誰もが……八百万の神々も、きっとお認めになります。それに、先帝陛下も、お上のことを必ず守ってくださいますから……」
「はい……」
涙は止めようとしても止まらなかった。泣き続ける私の肩に、お母様がそっと手を掛ける。それにつられるようにして、私がお母様の胸に顔を埋めたその時、居間の障子が突然、不自然に音を立てた。
(え……?!)
人払いはしてもらっているはずだ。けれど今の音は、明らかに風で生じた音ではない。私がお母様の腕の中で身構えた時、
「あら、詠子さん」
お母様が障子の方を向いて微笑む。20cmほど開いた障子の間から、私の弟・鞍馬宮輝仁さまの長女、7歳になった詠子さまが首を突っ込み、私を心配そうに見つめていた。
「章子……伯母さま?」
「い、いや、あの、ちょっとね……」
詠子さまに、泣いているのを見られてしまった。私が慌てていると、障子を更に開けた詠子さまは、私のそばまで歩いてきて、
「よしよし……伯母さま、大丈夫、大丈夫、よ」
そう言いながら、私の頭を撫でた。
(私、何で、子供に頭を撫でられちゃうのかなぁ……)
流石に今は少なくなったけれど、私の子供たちも、私が落ち込んだり、泣いたりしているのを見つけると、私の頭を撫でにやって来る。余程、私が頼りなく見えてしまうのだろうか……と思うけれど、今はそれを深く考えるべき時ではない。
「あの、詠子さま?何でここにいるのかな?」
当たり前だけれど、この東京大宮御所は、詠子さまの自宅ではない。私が姪っ子に尋ねると、
「私、土曜日は、おばば様とお昼ご飯をご一緒することになっています」
彼女は元気よく私に答えた。
「あー……そうなのね。じゃあ、伯母さまは、これでお暇しようかな……」
照れ笑いを顔に浮かべながら、私が立ち上がろうとすると、
「増宮さん」
お母様が苦笑して、私を抱く腕に力を込めた。
「お上へのお返事を書いていないのに、皇居に戻られるのですか?それでは、使いになりませんよ」
「そうでした……」
私が小さくなってその場に正座し直すと、
「増宮さん、詠子さん。私と一緒に3人で、お昼ご飯をいただきましょうか」
お母様は私と詠子さまを笑顔で誘う。もちろん、私も詠子さまもお誘いを喜んで受け、その日の昼食は、たいそう賑やかなものになった。




