微行×微行
1926(大正11)年9月12日日曜日午後2時10分、東京市京橋区銀座。
「……で、結局、昨日はどうしたの?」
いつもシニヨンにしている髪を束髪に結い、薄紫色の和服を着て伊達メガネをかけ、銀座通りをのんびり歩いている私に、横から話しかけたのは夫の栽仁殿下だ。今は微行中なので、彼は灰色の和服の上に薄手の青い羽織を引っ掛けて、鼻の下に変装用の八の字ひげをつけていた。
「三浦先生と、永楽病院の院長の入沢達吉先生を内大臣室に呼んだの。医療行為の統一価格制定のことを話し合う、という名目でね」
私は歩きながら夫に答えた。入沢達吉先生は、東京帝国大学医科大学の卒業生で、三浦謹之助先生の1年後輩にあたる。現在は荒木寅三郎先生の跡を継いで、大日本医師会の会長を務めている。内科医としても非常に優秀な人で、去年、東京帝国大学を定年退職するまでは、三浦先生とともに東京帝国大学医科大学の内科学教授の職にあった。
「それで、話し合いをしながら、11時半になるのを待ったけど、何も起こらなかった。正午を過ぎても何も無かったから、三浦先生と入沢先生には帰ってもらった。兄上のそばで政務を見学していた迪宮さまと、兄上の政務を手伝っていた大山さんにも後で確認したけど、その時間帯、兄上が、具合が悪そうな素振りをすることもなかったって……」
「そうなんだね」
私の話を聞いて頷いた栽仁殿下は、
「じゃあ、斎藤閣下がおっしゃった10月の27日や29日も、大丈夫なんじゃないかな?この時の流れと、“史実”とでは、陛下のご体調は全然違うんだし」
と私に言う。
「私もそう思うのだけれど……どうしても、不安が拭いきれないの」
私は、栽仁殿下とつないでいる右手に、縋るように力をこめた。
「もし、万が一のことが起こったら……例えば、致死的な不整脈が起こっちゃったらどうしよう、って思ってしまうの。あり得ないとは思うのだけれど、つい……」
すると、栽仁殿下が、私の右手をぎゅっと握り返した。
「大丈夫だよ、梨花さん」
栽仁殿下は、私の目を真正面から覗き込んだ。
「陛下はきっと大丈夫だ。だって、梨花さんが支えているんだもの。僕もそんな梨花さんのこと、全力で支えるからね」
「あ、ありがとう……」
栽仁殿下の澄んだ美しい瞳に見据えられた私は、ドキドキしながらやっとお礼を言った。いつもの“おまじない”が掛かっていても、夫にこんな風に見つめられてしまうと、心が舞い上がってしまう。余韻に浸ってしまっていると、
「梨花さん、歩道の端に寄ろうか」
栽仁殿下が私の右手を軽く引っ張る。歩道の真ん中で足を止めてしまった私たちを、道行く人たちが訝しげに見やりながら避けて歩いていく。通行の邪魔にならないよう、私と栽仁殿下はすぐそばの商店の軒下まで移動した。
「さて、梨花さん。今日はどのお店に行こうか?」
歩道の端に寄ると、栽仁殿下は笑顔で私に尋ねる。
「そうね。本屋には行きたいな。江戸川乱歩の新刊が出たって、今日の新聞広告に出てたから」
私も笑顔で答えると、「ああ、そう言うと思った」と頷いた夫は、
「僕も本屋には寄りたい。それから、梨花さんに“榛名”から手紙を書く時に使う紙も買いたいな」
と嬉しそうに続ける。今年の1月から、横須賀港を母港とする装甲巡洋艦“榛名”に勤務している栽仁殿下は、毎週土曜日の夕方に東京に戻り、日曜日の昼食後に横須賀港に戻ることを繰り返している。だから本来、日曜のこの時間には東京にいないのだけれど、明日は私と一緒に、9月初めから来日しているスウェーデンの皇太子、グスタフ・アドルフ殿下とその奥様・ルイーズ妃殿下を歓迎する昼食会に出席するため、栽仁殿下は明後日の朝まで東京にいることになった。日曜の午後に、こうして2人で微行に出かけるのはめったに無いから、栽仁殿下も浮かれているのだろう。
「じゃあ、栽さん、まず、本屋さんから行く?」
「そうしようか」
私の右手を再び取ろうとした夫の動きが、突然止まった。「どうしたの?」と尋ねると、
「ああ、あの、車道の近くにいる女性、大丈夫かな、と思って……」
夫は左手で前方を指し示す。私たちから2、3mほど離れた車道のそばに、白いジャケットを着て、緑色の大きな水玉模様のスカートをはいた背の高い女性が立っていて、車道をぼんやりと眺めていた。
(外国の人……かな?)
私がそう思った刹那、女性はふらふらと車道に足を踏み出す。そこに、1台の自動車がスピードを出しながら通りかかった。
「危ない!」
これから起こるであろう凄惨な交通事故の光景を想像して、私が思わず叫んでしまった時には、数瞬早く飛び出した栽仁殿下が、女性の手を引っ張って、彼女の身体を歩道の上に戻していた。
『大丈夫ですか?!』
私が女性のそばに駆け付けた時には、栽仁殿下は歩道に引き戻した女性に英語で話しかけていた。
『え、ええ……』
彼女は戸惑いながらも頷くと、
『あの……私、何かしたの?』
と、綺麗な英語で反問した。
『あなたは、自動車にひかれかけていたのですよ』
栽仁殿下は、得意の英語で一生懸命説明をした。
『あなたがふらふらと車道に出たところで、自動車が1台走ってきました。そのままだとあなたが車にひかれてしまいそうだったので、手を引っ張って歩道に戻しました。突然無礼な振る舞いに及んでしまい、申し訳ありませんでした』
『いいえ……。ありがとうございました。私、向こうにある、着物を売っているお店に行きたくて、周りを見ていなかったのね、きっと』
女性はそう言って、照れくさそうに微笑む。面長で整った顔立ちで、すらっと通った鼻筋が印象的だ。その顔になぜか見覚えがあり、私が記憶を探ろうとした瞬間、
『日本の伝統的な服を売っている店でしたら、向こうの店より、ここから少しだけ歩いたところにある店の方が、品数が揃っていますよ。……ねえ、梨花さん』
栽仁殿下が彼女に英語で説明しながら、私に確認する。
『そ、そうね。確かに向こうの店は、派手な模様の和服を扱っていますけれど、品質は余り良くないのです。夫が言った店の方が、手ごろな価格のものから最上級品まで、品ぞろえが豊富ですよ』
7月に栽仁殿下と微行でこの辺りを歩いた時の記憶を慌てて引っ張り出しながら私が英語で答えると、
『本当?!』
女性は私の言葉に飛びついた。
『ねぇ、あなた、もしよければ、そのお店に案内してくださらない?』
どうしようか、と思って栽仁殿下の方を見ると、彼は笑顔で首を縦に振った。
『分かりました。お引き受けいたしますわ、えーと……』
そう言えば、彼女の名前をまだ聞いていない。何と呼べばいいのか、戸惑った私に、
『私、マリーと言うの。マリー・オルソンよ』
彼女は名乗って微笑んだ。
『オルソン夫人、私は半井梨花と申します。こちらは夫の半井栽之です。以後、お見知り置きを』
私は自分と夫の偽名をオルソン夫人に紹介した。“半井栽之”というのは、夫が微行の時に名乗る偽名で、横須賀から私に手紙をくれる時に差出人名として使うこともある。
私と栽仁殿下は、オルソン夫人を連れて銀座通りを歩いた。2分ほど歩くと、栽仁殿下が言った呉服店に到着する。店内に入ると、色とりどりの和服や反物が整然と陳列されていた。
『どんな色や柄のものがお好みですか?』
私が反物を見ながらオルソン夫人に尋ねると、
『せっかく日本に来たのだから、日本の伝統的なモチーフが使われているものがいいわ』
と彼女は言う。
『でしたら、この、紅葉が川に浮かんで流れていく様子を表した和服がよいと僕は思いますよ』
栽仁殿下はそう答えて、目の前に掛けられた深緑色の和服を示す。銀の刺繍で表された流水に深紅の紅葉が浮かぶ……という模様は、確かに日本的だ。
『うん、いいわね、これは。主人も見たら喜びそう』
頷きながら和服に見入っているオルソン夫人に、
『あの……ご主人は今どちらに?』
私はこう尋ねてしまった。少し不躾な問いだっただろうか、と、言ってしまってから後悔したけれど、
『今、ホテルで休んでおりますの』
オルソン夫人は快く答えてくれた。
『9月の2日に日本に来てから、日光と箱根に行って、それから、富士山のふもとにある富士五湖というところに行ったの。そうしたら、主人は疲れてしまったみたいでね。でも、あの人は東洋の文化がとても好きだから、こういう、伝統的な柄の和服を見せたら喜ぶかしら、と思って』
(なるほどねぇ……)
私は夫人の言葉に密かに納得していた。大体、日本に来る西洋人たちは、めったに来られない日本という国を、1度の訪問で極限まで堪能しようとして、日本でのスケジュールをぎちぎちに詰め込んでしまいがちなのだ。だから、西洋人たちは、あちこちの観光地を駆け足で回り、そして体力を消耗する。恐らく、オルソン夫人の旦那様も、詰め込み過ぎたスケジュールで疲れてしまったのだろう。
『では、今、この和服を買いますか?』
『やめておくわ。今日は、下見だけのつもりだから』
栽仁殿下の問いに夫人はこう答えると、
『そろそろお茶の時間だから、ホテルに戻ろうかしら』
と呟く。
『分かりました。ホテルはどちらですか?』
私が夫人に尋ねると、彼女は内幸町にあるホテルの名前を告げた。
「送っていこうか」
栽仁殿下の日本語の囁きに、私は黙って首を縦に振った。このどこか危なっかしい外国人の女性を、銀座の街角に放っておいたら、何かの事件や事故に巻き込まれてしまいそうだ。
銀座通りを南下しながら、私と栽仁殿下はオルソン夫人とお喋りをした。彼女と夫はイギリスに住んでいるけれど、今回は世界一周旅行の途中で日本に立ち寄ったそうだ。彼女の旦那様は東洋の文化が好きなので、日本と中国で長い滞在ができるよう、旅行のスケジュールを組み立てたらしい。
『明日から何日かは大事な予定が入っているから、この東京にいないといけないけれど、それが終わったら、鎌倉に寄って、そして西に向かうの。名古屋や京都、奈良に大阪……伊勢神宮にもお参りしないとね』
『奈良と京都はいいですね。歴史ある神社仏閣も多いですし……』
栽仁殿下がオルソン夫人に答えると、
『まぁ、よくご存知ね。奈良や京都に行かれたことがありますの?』
と夫人は更に質問する。
『昔、何度か行ったことがあります。京都は妻とも2回行きました』
『そうなのね。……ねぇ梨花さん、あなたが好きな京都の名所ってどこ?教えてくださらない?』
栽仁殿下の答えを聞くと、オルソン夫人はなぜか私に顔を向け、こんな質問を投げる。
『ええ?!私ですか?!』
『そうよ。私、京都は初めてだから、どこがいいのか分からなくて……何か、こう、女性の目線で教えてくださらないかしら』
(あのさぁ……)
私は両腕で頭を抱えたいのを必死に我慢した。もちろん、私が京都で一番好きな名所は二条城である。しかし、二条城は宮内省が離宮として管理しており、一般人が見学することはできない。もし、二条城が好きだとオルソン夫人に言ってしまったら、私が皇族であることがバレてしまうかもしれない。私は少し考えてから、
『清水寺……ですかね』
オルソン夫人に無難と思われる回答をした。
内幸町のホテルの前までやって来ると、
『今日は本当にありがとう。後日、何かお礼をしたいけれど……』
オルソン夫人は笑顔で私たちに言う。
『いえいえ、お礼などいりませんよ』
『そうですよ。私たち、久しぶりに呉服屋に行けましたし、外国の方とお話できて楽しかったので、お礼はいりません』
栽仁殿下と私は、オルソン夫人に“お礼は不要である”と英語で説明した。“お礼の品を自宅に届けさせる”という話になってしまった場合、私たちの正体がバレる可能性が高くなるのだ。それは避けなければならない。
『そう?なら、いいけれど……』
少し残念そうなオルソン夫人は、すぐに笑顔に戻り、
『じゃあ、ごきげんよう、半井さん、梨花さん。ご縁がありましたらまたの機会に……』
軽く右手を振りながらこう言って、ホテルの玄関をくぐった。
「不思議な人だったわね……」
「そうだね……」
オルソン夫人の後ろ姿を見送った私と栽仁殿下は、顔を見合わせてこう言うと、どちらからともなく手をつなぎ、自分たちの買い物を済ませるべく銀座の街へと戻った。
1926(大正11)年9月13日月曜日午後0時50分、皇居・表御殿。
(うう……この服、堅苦しい……)
薄桃色の通常礼装を着た私は、海兵少佐の夏用の白い通常礼装をまとった夫の隣で、本日の昼食会の主賓であるスウェーデン皇太子夫妻をおとなしく待っていた。今日は、午前中が非番だったので、昼食会の開始に合わせて家を出たけれど、昨日、微行で羽目を外したから、堅苦しい通常礼装が更に堅苦しく感じられる。
「梨花さん、大丈夫?」
小声で話しかけた夫に「大丈夫」と小声で返した瞬間、車寄せの方から、微かなざわめきが伝わって来る。車寄せで主賓を出迎えた迪宮さまが、こちらにやって来ているのだろう。私は猫をしっかりかぶり直し、主賓が来るのを待ち受けた。
迪宮さまに案内されるスウェーデン皇太子、グスタフ・アドルフ殿下は、非常に背の高い、落ち着いた雰囲気をまとった人だった。皇太子でありながら、植物学と考古学の専門家としても知られており、東京での予定が終わった後は、京都と奈良を中心に、数々の神社仏閣を見学して回るそうだ。私と同い年のグスタフ・アドルフ殿下と、私は丁重に挨拶を交わした。
さて、グスタフ・アドルフ殿下とともに来日したルイーズ妃殿下は、グスタフ・アドルフ殿下の2番目の妻である。グスタフ・アドルフ殿下と結婚したのは3年前だ。結婚するまでは、イギリスとドイツを行き来して過ごしていたので、英語とドイツ語に堪能だということだけれど……。
(え゛……)
私たちに近づいてくるルイーズ妃殿下の顔を見て、私は思わず目を見開いた。面長で整った顔立ち、そして、すらっと通った鼻筋……彼女の顔は、昨日、私と栽仁殿下と一緒に銀座の街を回った、あの不思議な雰囲気の外国人の女性のものだったのだ。
「ちょ、ちょっと、どうなってるの……?」
「僕も、何が何だか……」
囁き交わす私と栽仁殿下の前で足を止めたルイーズ妃殿下は、
『こんにちは。……また会いましたね、半井さん、梨花さん』
英語であいさつしてニッコリ笑う。
『あ、ああ、どうも……』
『せ、先日は……』
余りのことに、まともな挨拶を返せない私と栽仁殿下に、
『今日は、おひげとメガネはありませんのね』
そう言って悪戯っぽく微笑むと、ルイーズ妃殿下は私たちのところから去っていった。
「ちょっと……栽さん、昨日、彼女のことに気づいた?!」
「いいや、全然だよ?!もしかしたら彼女、昨日、僕たちの正体に気づいてたのかな?」
「それは分からないけど……てか、昨日、私たちについてくれてた院の人も、彼女のことを教えてくれなかったよね?」
「うん、そんな話は無かったよ。気づいたら、教えてくれそうなものだけれど……」
ルイーズ妃殿下が去った後、私と栽仁殿下は、混乱に襲われながら、コソコソと言葉を交わした。そして、一体何が起こったのか、2人で落ち着いて検証しようとしたのだけれど、
「あの……若宮殿下、内府殿下、いかがなさいましたか?」
宮内次官の一木喜徳郎さんが、怪訝な顔で私たちに声を掛けたので、私たちは急いでその場を離れ、豊明殿に設けられた席についた。
その後の昼食会で、私と栽仁殿下は目立たないように過ごしていた。私たちが目立ってしまうと、一同の話題が昨日の微行のことになってしまうかもしれない。それは避けたいという思いが、私にも栽仁殿下にもあったのだ。
ところが、その願いは、簡単に打ち砕かれてしまった。食後のコーヒーが出された頃、
「栽仁と章子は、今日はやけにおとなしいな」
兄が首を傾げながら、私と栽仁殿下に視線を向けたのだ。
「いやだ、あに……じゃない、陛下。そんなことはありませんよ」
「え、ええ、皆様と、色々お話しさせていただいております」
私と栽仁殿下が慌てて答えると、
『ああ、陛下。きっと、恥ずかしがっていらっしゃるからですわ』
控えている通訳に兄の言葉を訳してもらったルイーズ妃殿下が、笑いながら英語で言った。
『私、昨日、銀座の街を歩いていて、自動車にひかれかけたところを、若宮殿下と内府殿下に助けていただきましたの。それで、ご一緒に呉服屋に行って、ホテルまで送っていただきましたの』
『ひ、妃殿下、それ以上は……!』
『お願いですから、おっしゃらないでください!』
私と栽仁殿下は、必死にルイーズ妃殿下を止めたけれど、
『今日出迎えて下さったお2人の顔を見て、とても驚きましたわ。昨日はお付きの方が誰もいなかったから、まさか皇族の方だったなんて、思ってもみませんでした。もしかしたら、2人きりでお買い物を楽しんでいらっしゃったのを、邪魔してしまったかしら。ごめんなさいね、お2人とも』
妃殿下はあっけらかんとした口調で続け、こちらに笑顔を向ける。
(い、いや、そっちだって、お付きの人がいなかったじゃない!こっちは、院の人が目立たないようについていてくれていたのよ……!)
声に出すわけにはいかないツッコミを、私が心の中で入れた時、
『ほほう、そうでしたか』
兄が英語で相槌を打って、ニヤニヤと笑った。
「何ですか?お上、何ですか?」
身を乗り出して尋ねる節子さまに、兄が耳打ちする。頬を少し赤らめて「まぁ」と応じた節子さまは、私と栽仁殿下をうっとりと見つめた。キョトンとしている良子さまのそばで、彼女の夫の迪宮さまもニコニコ微笑んでいた。
「栽さん……これ、昼食会が終わったら、横須賀に直帰する方がいいと思うわ」
……とても嫌な予感がする。私が栽仁殿下に囁いた瞬間、
「栽仁、章子」
兄が私たちの名を呼んでニヤリと笑った。
「お前たち、昼食会が終わったら奥御殿に来い。昨日の話を聞かせろ」
「お……恐れながら、陛下!午後の御政務はいかがなさるのですか!」
私をからかう気満々の兄に、私はなんとか抵抗を試みる。
ところが、
「本日の御政務は、午前中に全て終わっております」
奥保鞏侍従長がこんなことを言い始め、
「ご結婚から15年以上経っても、若宮殿下と内府殿下は仲がよろしくて、非常に結構ですな」
と言いながら、何度も深く頷いた。
(お、奥閣下―っ?!)
まさか、謹厳、剛直で知られた奥侍従長から、こんなセリフが飛び出すとは……混乱する私の耳に、
「ルイーズ妃殿下をお前たちがどうやって助けたか、それは今後の日本とスウェーデンの友好関係にとって非常に重要だ。詳しく話を聞かせてもらうぞ、2人とも」
兄の妙に浮かれた声が届いた。
(嘘だッ!!!)
兄を罵倒することなど、この場ではもちろんできない。……こうして、奥御殿へと連れ込まれた私と栽仁殿下は、昨日の銀座での微行の一部始終を、兄と節子さまに洗いざらい吐かされてしまった。
※実際にはこの時期、永楽病院は既に無くなっていますが、拙作ではまだあるものとして扱います(場所は移転している設定です)。ご了承ください。




