〇〇阻止会議
1926(大正11)年7月3日土曜日午後2時5分、東京府千駄ヶ谷町穏田にある大山さんの家。
「内府殿下……お疲れのご様子ですが、いかがなさいましたか?」
大山さんの家の応接間。私の前に座った内閣総理大臣の原敬さんは、私の顔を見つめながら心配そうに尋ねた。
「ああ……今日は午前中、牧野さんと一緒に女医学校に行って、9月から希宮さまが附属病院に勤務する時の細々した取り決めをしてきたので……」
午前中の厄介な仕事内容を、素直に原さんに説明すると、
「なるほど、希宮殿下も今月には第一高等学校をご卒業なさって、晴れて薬剤師の免許を得られますからな。女医学校附属病院の職員は大半が女性であるとはいえ、万が一のことが起これば、天皇皇后両陛下にも、そして希宮殿下と御婚約なさっている賀陽宮殿下にも、申し訳ない仕儀に相成ります」
原さんはそう言いながら、真剣な表情で何度も頷く。
すると、
「何、希宮殿下に手を出そうとする愚か者はいないでしょう。万が一、そのようなことを考える不届き者がおりましたら、中央情報院の手できついお灸を据えてやります。……いや、乃木さんが手を下す方が早いかもしれませんが」
私の右斜め前のソファに座る大山さんが、不気味な笑みを原さんに向ける。
(院と乃木さんが、血の雨を降らせるようなことにはなってほしくないわねぇ……)
最悪の結末を予想した私が、一瞬身体を震わせた時、
「原君」
左の方から厳しい声が飛んでくる。原さんが慌てて頭を下げると、
「確かに、希宮殿下のことも大事ではあるけれど、僕たちはもっと大事なことを話し合うために集まったんじゃないのかい?」
枢密顧問官で元内閣総理大臣の陸奥宗光さんが冷静に指摘した。
「そうでした!」
原さんは一声叫ぶと、
「では皆さん、早速始めましょう!天皇陛下の崩御を防ぎ奉るための会議を!」
応接間にいる一同に力強く宣言した。
「あの、1つ伺いたいのですが」
末席にいる山本五十六航空中佐が、空色の軍服に包まれた右腕を挙げた。
「本日の会合は、虎ノ門事件の前に行われた会合と同じような性格のものと理解しましたが、なぜ、今日は伊藤閣下がいらっしゃらないのですか?」
「……私が原さんを説得して、メンバーから外しました」
山本中佐のもっともな疑問に私は回答した。「あの時の会合で、伊藤さんは冷静な判断ができていませんでした。だから、原さんを説得して、今日のメンバーから外してもらったんです。まあ、今日の会合の提唱者である原さんと、会合の場所を提供してくれた大山さんも、冷静な判断ができない可能性は高いのですけれど、陸奥さんを呼んでもらったので何とかなるかな……と」
「何をおっしゃるのですか、内府殿下!この原敬、頭は冷静でございます!」
「梨花さま……落ち着いておりますよ、俺は落ち着いております」
私の言葉に原さんは立ち上がって、そして大山さんはソファに座ったまま反論する。
「原君も大山殿も、全然冷静ではない」
2人の様子を一瞥すると、陸奥さんがクスクス笑った。「本当に冷静な人間は、原君のようにムキになって反論はしないし、大山殿のように無表情で同じ言葉を繰り返すこともしないと思うがね」
陸奥さんの容赦ない指摘に、原さんは顔を真っ赤にしてソファに身体を埋め、大山さんは恨めしげに陸奥さんを見つめる。とりあえず場は落ち着いたと判断した私は、
「じゃあ、斎藤さん、よろしくお願いしますね。斎藤さんだったら冷静でいられると思いますから」
今まで言葉を発していなかった6人目の参加者、国軍参謀本部長の斎藤実さんに笑顔で言った。
「ご期待に沿えず、大変申し訳ございませんが、内府殿下」
ところが、斎藤さんは額に何本も皺を刻み、力無く首を左右に振った。
「俺も、“史実”の陛下の崩御に関しては、冷静に話ができるか自信がありません。努力はしてみますが……」
「え……」
これは困った。斎藤さんなら冷静に対応できるだろうと思っていたのに、これでは、会合が滅茶苦茶になってしまう。救いを求めて応接室の中を見回すと、山本五十六航空中佐の顔が視界に入った。
「山本中佐、あなた、“史実”で兄上が崩御した時は、どこで勤務していたの?」
「はっ、アメリカで、駐在武官をしておりましたが……」
私の問いに畏まって答えた山本中佐に、
「じゃあ、日本から離れていたのだから、兄上が崩御した時の騒ぎに巻き込まれてないわね。好都合だわ。山本中佐、斎藤さんがおかしくなったら止めてちょうだい」
私は営業スマイルを添えてお願いした。
「内府殿下、児玉閣下のような無茶なことをおっしゃらないでいただけますか?」
「大丈夫、大丈夫、あなたならできるから」
不満そうな山本中佐をとりあえずなだめてから、
「じゃあ斎藤さん、覚えている限りで構わないので、“史実”の兄上の病状……特に、原さんが“史実”で暗殺された後の兄上の病状のこと、詳しく教えてくださいね」
私は営業スマイルを、今度は斎藤さんに向けた。
「かしこまりました」
深く頭を下げた斎藤さんは、頭を上げると、
「“史実”で、皇太子殿下が摂政に就任なさった直前に、“御歩行に側近者の扶助を要せらるることあり”、“御注意力御記憶力も減退し”と発表されましたが、その後は、そちらの症状が改善した、という発表は、残念ながらなかったように記憶しています」
言葉を選びながら話し始めた。
すると、
「1924年に、“初夏の頃より軽微の腎臓炎に罹らせられ、御静養の結果、同症は漸次御快方に向わせられ”という発表がありませんでしたか?」
山本中佐が横から斎藤さんに指摘した。
「おお、そうだった。そう言えば、1925年の御容態の発表に、“御脈数は変動し易く御下腿には軽度の浮腫時々隠顕することあり”という文句もあった」
(脈拍数の変動に下腿浮腫……)
斎藤さんの言葉をメモする私に、
「もちろん、公式発表が、御病状の全てを発表しているかどうかは分かりません。特に、“史実”で、皇太子殿下が摂政に立たれる前になされた御病状の発表は、いかに国民を動揺させないかに重点を置いておりましたから……」
原さんが前のめりになりながら忠告する。原さんが“史実”で総理大臣を務めた時期は、兄の体調が悪くなった時期と重なる。兄の病状の発表について、原さんは何らかの形で関与していたのだろう。
「原さんのおっしゃることは正しいです」
斎藤さんが重々しく頷いた。「1925年の12月19日でしたか、軽微な脳貧血があり、沼津への行幸を延期するという発表があったのですが、後日侍従武官の者に聞いたところ、その時は一時呼吸も脈拍も絶えたそうです。人工呼吸を40回ほど行ったところ、2分ほどで意識が戻られたとか」
「は?!呼吸も脈拍も無くなった?!」
血管迷走神経反射が起こって、極端に脈が遅くなったのだろうか、それとも……と考えた瞬間、
「同様に、1926年の5月11日の未明、また、8月に葉山に移られた後、9月11日の午前11時半ごろにも、脳貧血が起こったと聞きました」
斎藤さんは話を続けた。
「特に、9月の脳貧血に関しては、40分ほど意識が戻らなかったと聞いております」
「……」
9月の脳貧血……もしかしたら、1925年12月の脳貧血とは別の原因を考えなければならないのかもしれない。ただ、斎藤さんの話だけでは、兄の身体に何が起こって“脳貧血”となったのか、言い当てることは不可能だ。
「その後、10月27日に御体温が上がり、29日に気管支炎の症状がございました。軽度の咳と痰があり、御体温が下がり切らないので、万が一のことがあっては……ということで、皇太子殿下が、その頃予定されていた特別大演習への行啓をお取り止めになったと記憶しております。12月に入りまして、陛下はお食事の時にむせるようになり、8日ごろには右胸に気管支肺炎の症状がございました。その後も病状は好転せず、むせも続くので、食事をゴム管で差し上げるようになったと、15日に官報の号外で発表がありました。それを聞いて、俺は慌てて、朝鮮から御静養先の葉山に向かいました」
ここまで斎藤さんが話したところで、
「斎藤さん、その……いいか?」
原さんが首を傾げながら右手を挙げた。
「その……食事をゴム管で差し上げる、というのは、どういうことだ?意味がさっぱり分からないのだが……」
「ゴム管を鼻の穴から胃に通して、その管から胃に直接栄養を流し込むんです」
戸惑っている斎藤さんの代わりに、私が原さんに説明した。
「もちろん、固形物は流し込めないので、牛乳やスープのような流動物が主になります。ただ、今の斎藤さんの話から考えると、普通に食事をするとむせてしまって、食べ物が気管に入り込んで肺炎を引き起こしてしまうから、侍医の先生方はゴム管を使うという選択をしたんでしょうね」
一通り説明をした私は、
「それで……肺炎が治らずに、兄上はそのまま亡くなった、という流れですか?」
と斎藤さんに確認した。
「おっしゃる通り……そのまま、1926年12月25日午前1時25分に、崩御あらせられました……」
斎藤さんはこう言うと、がっくりと両肩を落とした。両目には涙が光っている。
「ありがとうございました、斎藤さん。……ある程度、病状の経過については推論が立ちました」
私は自分が取ったメモに目を通しながら、斎藤さんに一礼した。
「最後は誤嚥性肺炎か……。むせるようになったのは、両側の脳梗塞が起こって偽性球麻痺が生じたからなのかな。脈拍数が変動しやすいという文言から考えると、心房細動で左房内に血栓が生じて、それが脳に飛んで脳梗塞になったというのが自然ね。……でも、失神との関連が上手く説明できない。心房細動でも徐脈になることはあるから、やっぱり心房細動のせいで失神したのか、あるいは心房細動に別の徐脈性不整脈が合併していて、徐脈が強く出たから失神したか、それとも、単なる血管迷走神経反射で失神したと考えるか……でも3回目の失神は、1回目と2回目の失神と原因が違うかもしれない。不整脈が原因じゃなくて、低血糖とか脱水とか感染症とか……。うーん、これ、失神と不整脈とを無理に関連付けて説明しない方が……」
私が“史実”で兄を襲った病について考察を深めていると、
「あの、内府殿下、その呪文は一体……?」
「申し訳ありませんが、内府殿下、何をおっしゃっておいでですか?」
「内府殿下、よく分からないので、かみ砕いてご説明をお願いします」
斎藤さん、原さん、そして山本中佐が、一斉に困惑した表情になった。
「梨花さま、悪い癖が出ましたよ」
大山さんは苦笑いしながら私に注意をし、
「お得意の医学講釈は大変結構ですがね、“史実”の陛下と、この時の流れでの陛下の御病状……共通点は何かあるのですか?」
陸奥さんは冷たい視線で私を見つめた。
「共通点は無いですよ」
私は一同に断言する。「この時の流れの兄上は、健康そのものです。誤嚥はもちろんですけれど、失神なんてしたことはないし、不整脈も出てないです」
「では、陛下のご健康については、特別な対策は不要ではないですか?」
私の言葉を聞いた山本中佐が、一同に問いかけるように言うと、
「甘い!甘いぞ、五十六!」
原さんが山本中佐を指さしながら立ち上がる。
「“史実”と同じ日付に、同じような事件が起きることもある。先ほどの斎藤さんの話の中で出てきた日付については留意すべきだ!」
「……とは言うけれど、去年の12月19日と今年の5月11日なんて、どう留意すればいいんだい?」
息巻く原さんに、陸奥さんが至極もっともな指摘をする。今日は7月3日だ。原さんの舌の回転がピタリと止まった。
「そう考えれば、少なくとも脳貧血のことは考えなくてもいいと俺は思いますが……」
斎藤さんが恐る恐るこう言うと、
「念には念を入れなければなりません」
大山さんが強張った顔で返す。
「この夏のご避暑先を葉山とするのは以ての外です。それに、もう過ぎた日付は仕方ないですが、斎藤さんの話にあった9月11日や10月27日、10月29日や12月8日にも注意しなければならないでしょう」
「大山閣下のおっしゃる通り!まずは9月11日です。幸い、その日は9月の第2土曜日。梨花会のある日です。これなら、皆で陛下をお守りできます!」
「原さん、何バカなことを言ってるの?!9月11日に兄上が倒れたのって、午前11時半ごろでしょ?!そんな時間に皆で表御座所に押しかけたら、兄上が絶対不審に思うわよ!それで兄上に“史実”の寿命がバレたらどうするんですか?!」
やや暴走気味の原さんを、私は必死に抑えにかかる。そして、喧々諤々の議論の末、何とか今後の方針は定まったのだけれど、
(つ、疲れたよぉ……)
夜遅くに盛岡町の自宅に帰った私は、夕食を簡単に取るとそのまま寝室に入り、吸い込まれるようにしてベッドに入った。




