書斎よ!私は帰ってきた!
1926(大正11)年5月11日火曜日午後6時30分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「明日から万智子たちに会えないと思うと、胸が張り裂けそうだ」
明日から北海道帝国大学創基50年記念式に出席するため北海道に向かう私の義父・有栖川宮威仁親王殿下は、夕食の席でこう言うと、両目にうっすらと涙を浮かべた。
「それに、北海道でのお役目を無事終えれば、私が戻るのは霞ヶ関、この盛岡町ではない。うう……仕方がないとは言え、どうにかならないものか……」
「あの、お義父さま……これから、週末には子供たちと一緒に、霞ヶ関に参りますから……」
涙を流し始めた義父を何とかなだめようとすると、
「それは分かっていますよ」
義父は私をキッと睨みつけた。
「ただね、愛する孫たちと離れてしまうというのは、心に重くのしかかるものがあるのですよ。分かりますか、嫁御寮どの?!」
(いいえ、全く)
私は反射的にこう思ったけれど、その思いを口には出さなかった。義父に知られたら最後、面倒くさい訴えを延々と聞き続けなければならないのが容易に推測できたからだ。
義父と義母の慰子妃殿下、そして義理の祖母の董子妃殿下が元々住んでいた、霞ヶ関にある有栖川宮家本邸は、関東大震災によって洋館が大破した。そのため、震災が発生した後から、義両親と義理の祖母は盛岡町で私たちと同居していた。“このまま盛岡町に住み続ける”と義父は主張したけれど、この盛岡町邸は宮家当主の住まいとしては手狭だ。本邸の洋館は再び使えるように大修理が行われ、その工事が今月初めに終わった。そこで、有栖川宮家では、義父が北海道に差遣されて東京から離れている期間を利用して、義両親と義理の祖母の引っ越し作業を行うことにした。従って、義両親と義理の祖母が盛岡町邸で眠るのは今夜が最後になる。
(やっと解放されるわ、書道と和歌に苦しめられる日々から……)
関東大震災から今日までのことを思い出した私は、心の中でガッツポーズしていた。義両親と義理の祖母と同居を始めてから、私の心身への負担は大きくなっていた。別に、義両親と義理の祖母と暮らすこと自体が嫌、という訳ではない。震災前まで避けられていた義父からの書道と和歌の課題から、逃げられなくなってしまったのが嫌なのだ。違う家に住んでいれば、1回逃げられればそれでやらずに済んでいた課題が、今は同じ家にいるから、1度逃げても、繰り返し突きつけられてしまう。これでは、課題をやらざるを得ない。
と、
「嫁御寮どの」
義父が厳かな声で私を呼んだ。背筋を伸ばして「はい」と返事をすると、
「私が北海道から戻って以降で構いませんが、毎週月曜日の夕方は、勤務が終わったら本邸に来なさい」
義父は私にこう命じた。
「はあ、それは、宮中の様子が知りたい、ということでしょうか?」
「何をとぼけているのですか」
私の反問に、義父がたちまち不機嫌になった。
「和歌と書道の成果を持って来なさい、ということですよ。……嫁御寮どののことです。私が霞ヶ関に戻れば、和歌も書道もたちまち怠けるでしょう」
義父の的確過ぎる指摘に反論できないでいると、
「ですから、和歌と書道の課題を毎週出すことにします。私は山縣閣下から嫁御寮どのの歌道のことを託された責任があるのです。嫁御寮どのが国務で忙しいのは知っていますが、嫁御寮どのの和歌を熟達させなければ、泉下の山縣閣下に申し訳ありませんから」
義父は厳かな声で更に続ける。
(あれ……?)
山縣さんの遺言のことは、義父には伝えていないはずだ。義父の言葉に違和感を覚えたその時、
「やっぱり。母上、山縣の爺の遺言のこと、おじい様に申し上げていなかったのですね」
私の長女の万智子が、呆れたように私を見た。
「だから、私がおじい様に山縣の爺の遺言のことを申し上げました。母上は、和歌の課題をおじい様からもらいたくないから、絶対に遺言のことをおじい様に申し上げないだろうと思ったので」
(ぬおっ?!)
容赦ない娘の言葉に心をえぐられたところに、
「母上……そういうのはよくないと思うよ」
長男の謙仁の憐れむような視線が私に突き刺さる。母としての面目が丸つぶれになってしまった私は、何も言えなくなってしまった。
「とにかく」
そんな私を見据えた義父は、
「来週の水曜日には、お役目を終えて霞ヶ関に戻る予定です。ですから、再来週の月曜日までに、和歌を5首詠んでおくように。題は何でもいいですから」
と、厳かに申し渡した。
「はい……」
「それから、古今和歌集の和歌から何首か選んでおきますから、それを筆で書いて私に見せるように。……嫁御寮どのは我が有栖川宮家に嫁がれた身、和歌と書道には常に心を寄せていただかなければ困りますよ」
義父の言葉に再び「はい」と返すと、私はうなだれることしかできなくなった。義父の言うことは、余りにも正論なのだ。
「母上、頑張ってね」
斜め向かいに座っている次男の禎仁が、小声で私に言う。その応援が、妙に私の心にしみた。
1926(大正11)年5月15日土曜日午後3時15分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「ふふふ……書斎よ、書斎!私の書斎が戻ってきたわ!」
2階にある私の書斎で、私は1人、部屋の片づけをしながら喜びの声を上げていた。
この盛岡町邸で、私と栽仁殿下は、それぞれの書斎を持っていた。ところが、義両親と義理の祖母が盛岡町邸に移り住むと、栽仁殿下の書斎は威仁親王殿下の書斎として、そして、私の書斎は義母の慰子妃殿下の化粧部屋として使用されることになり、私と栽仁殿下は客間の一室を共通の書斎として使わざるを得なくなった。2つの書斎の機能を無理やり1部屋に押し込んだので、共通の書斎はやや使い勝手が悪かった。
しかし、義両親と義理の祖母が霞ヶ関の本邸に戻ったので、この部屋は再び私の書斎として使えるようになった。そして、机と本棚が以前と同じように配置されたこの書斎を、私は上機嫌で整理しているのだ。
机の周辺と、机に近い本棚の整理は昨日までで終わったので、今日は、机から離れた位置にある本棚を整理している。この本棚には、震災後には倉庫にしまっていた、読む頻度の低い本や、肩の凝らない小説を入れるつもりだ。
倉庫から出してきた箱を開けると、久しぶりに見る本の背表紙が目に入る。昔から買い集めていたシャーロック・ホームズものや、日本の推理小説だ。フランスに行った時に買い揃えた、怪盗アルセーヌ・ルパンが出てくる小説もある。
「あー、久しぶりに見たわ、フランスで買った本。イタリアから日本に戻る船の中で読もうと思ってたのに、お父様が重態って知らせが届いたから、本を読むどころじゃなくなったのよねぇ……」
そう呟きながら、フランス語の本を箱から取り出す。英語とドイツ語ほどではないけれど、フランス語も読むことはできるので、本の最初のページからフランス語の文章を目で追っていると、
「宮さま!」
突然響いた大声にびっくりして、私は本を床に落としてしまった。振り返ると、この家に仕える女官である私の乳母子・東條千夏さんが、私の後ろで仁王立ちして、じっと私を見つめていた。
「ち、千夏さん……ノックぐらいしてよ」
乳母子に抗議しながら、床に落ちた本を拾い上げると、
「致しました。ですが、お返事がなかったので、もし宮さまが書斎でお倒れになっていたら大変だと思い、ドアを開けさせていただきました!」
彼女は私に見事な反論をする。
「心配させてごめん。つい、本に夢中になっちゃって、ノックが聞こえなかった」
私が素直に謝ると、
「宮さま、ご本の整理、お手伝い致します!千夏も手伝えば、早く終わりますし!」
千夏さんは嬉しい申し出をしてくれた。もちろん、私に断る理由はない。私と千夏さんは手分けして、箱に入った本の整理を始めた。
「……そう言えばさ、千夏さん、英道くんと武くんは元気?」
箱から出した本を整理して本棚に立てながら、私は乳母子に尋ねる。東條さんと千夏さんの間には、2人の男の子が生まれている。14歳の英道くんは中学2年生、11歳の武くんは小学5年生だ。
「おかげさまで、2人とも元気にしておりますよ」
笑顔で答えた千夏さんは、
「英道は最近、少年少女向けの本を色々読むようになりました」
と続ける。
「あー……きっと、千夏さんに似たんだね」
私は本を1冊本棚に入れると、
「千夏さん、もし、この本の中に、英道くんが読めそうな小説があったら貸すよ」
乳母子にこう言った。
「本当ですか?!」
喜びの声を上げた千夏さんは、本棚と箱の中にある本の背表紙にざっと目を走らせると、
「……宮さま、大変申し訳ございませんが、お言葉に甘えさせていただくのは、もう何年か後にさせてください」
残念そうに言いながら、私に一礼した。
「ホームズものやルパンものを読むには、英道の語学力は不足していますし、それに、ここにございます日本語の小説は、江戸川乱歩のものばかりで……」
「ああ、そうか。江戸川乱歩の小説は、人が殺される話が多いからね……確かに、英道くんにはちょっと早いかな」
私が、森鴎外、こと森林太郎先生を文学の道から離れさせてしまったことで、近代日本の文学は“史実”とかなり変化してしまったけれど、江戸川乱歩は、“史実”と同じく1923年にデビューした。私は彼の小説の愛読者の1人である。
「じゃあ、英道くんの語学力が上がったら、英道くんにホームズものやルパンものを貸してあげるよ。だから、その時になったら遠慮なく申し出てね」
私の言葉に、千夏さんは「ありがとうございます」と言って深く頭を下げた。私たちは各々の作業に戻り、本の整理を続けた。
「そう言えばさ、千夏さん」
箱から出した本をあらかた本棚に入れ終えた時、私は千夏さんに話しかけた。
「少年少女向けの本って言っても、発禁にする方がいい本もあるわよね」
「はぁ……例えば、どんなものでしょうか?」
千夏さんの質問に、
「“明治牛若伝”みたいな小説よ」
と、私は即座に答えた。
「あの話の主人公、私のことをモデルにしているとしか思えないのよ。それで、ハチャメチャな冒険をして……。おまけに、最後、手術をして命を救った若君と恋仲になって結婚するって、どう考えても私と栽仁殿下のことじゃない。ああ……思い出しているうちに腹が立ってきた。今からでも遅くないわ。作者をぶん殴って、“明治牛若伝”を発禁処分に……」
湧き上がる怒りをぶちまけていたその時、バタン、と大きな音がした。気が付くと、箱を整理していた千夏さんが、床にうつぶせになって倒れている。かけていた眼鏡は、彼女の身体のそばに転がっていた。
「千夏さん?!どうしたの?!」
私は慌てて彼女の身体に飛びつくと、上体を必死に起こした。
「しっかりして!大丈夫?!」
「み……宮さま……」
私に応じる千夏さんの顔は、真っ青になっていた。
「も、申し訳ありません……急に、めまいがして……」
「そうなのね。とりあえず、ベッドか布団の上で横になろう。えーっと、ここから近いのは、私の寝室だから……」
「み、宮さま、それはいけません。恐れ多くも、宮さまのご寝室で寝かせていただくなんて……」
「そんなことを言ってる場合じゃないでしょ!ええと、とにかく、ここから身体を出して……」
私は千夏さんの背中側に回り、両腕をわきの下に差し入れて、彼女の身体を引っ張ろうとする。
「み、宮さま!千夏は歩けますから!」
「ダメよ!急に立ち上がって、まためまいを起こしたらどうするの!」
もがいて私の腕から離れようとする千夏さんを叱りながら、私は千夏さんの身体を書斎の外に出そうと必死だった。けれど、千夏さんがもがいているからか、なかなか身体が動かない。そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけた職員さんたちが駆けつけてくれて、千夏さんは2階にある職員の控室に寝かされたのだけど、
(うーん、人1人、運べなくなったなんて……現役時代は運べてたんだけどなぁ。筋トレでもするべきかしら)
体力の衰えを感じてしまった私は、千夏さんの診察をしながらため息をついた。




