漢城の虐殺
1926(大正11)年4月26日月曜日午前11時35分、皇居・表御座所にある内大臣室。
「おや、梨花さま、いかがなさったのですか?」
内大臣室の長椅子に横になっていると、小さな丸盆を持った人物が、私の顔を上から覗き込んで声を掛ける。視線だけを動かすと、内大臣秘書官長である我が臣下の顔が視界に入った。
「すっごく疲れたのよ」
私は横になったまま大山さんに答えた。「震災前の皇族会議以来の皇族会議だよ。トラブルが起きないか、色々気を遣ったしさ……。本当に疲れたから、お昼の休憩時間まで、だらだらしようと思って」
「そうでしたか」
頷いた大山さんは、私を叱ることはなく、
「では、喉が渇いておられるでしょう。紅茶を淹れてまいりましたが、いかがですか?」
そう言いながら、私の前のテーブルにティーカップを置く。しかも、チョコレートの乗った小皿までティーカップに添えてくれたので、飲み物と甘味に釣られた私は長椅子から身体を起こした。
「……さて、先ほどの皇族会議はいかがでしたか?」
チョコレートを一かけら食べ、紅茶を飲んだ私に、大山さんは優しく尋ねる。
「まずは、無事に終わってよかったって感じかな」
私は大山さんに答えると、チョコレートをもう一かけら口に含んだ。
「……前回の皇族会議は、久邇宮さまと梨本宮さまが変なことを言ったから、兄上が滅茶苦茶怒って大変だったじゃない。でも、今回はそんなことはなくて、普通に始まって普通に終わった。それだけでも御の字よ」
すると、
「そうですか、それは残念です。梨花さまに無礼を働く皇族がおりましたら、うんと懲らしめてやろうと考えていたのですが」
大山さんはとても物騒な発言をして声も無く笑った。
「やめてよ……私にまたあの地獄を味わえ、って言うの?」
我が臣下を睨みつけてみたけれど、彼の笑顔は崩れることはない。私はため息をつくと、「まぁ、話は元に戻るけど」と前置きして、
「ただ、個人的には、今回の議案って、話し合う必要があるのかしら……って思うのよね」
と大山さんに言った。
「確か、本日の議題は、新しく定められる皇族裁判令について……でございましたか」
「そう。皇室典範で定められた、皇族にかかわる裁判の規定が大雑把すぎるから、ちゃんと細かい所まで決めよう、という皇室令だけど……これ、実際に使うことがあるのかな、って思ってさ」
そう言ってから私が紅茶を飲むと、
「万が一、ということもありますよ?」
大山さんは私にこう返す。
「例えば、ブルガリアのプレスラフ公のような不届き者が皇族の中に現れたらどうなさいますか?」
「……確かにね」
大山さんの問いに、私はまたため息をついた。「今の日本では、そういうことはないと信じたいけれど、古今東西、そんな話はいくらでもあるわね。君主の親族が、君主をその座から引きずり下ろしたり、殺したり……」
「その通りでございます」
私の向かいにあるソファに腰かけた大山さんは微笑んだ。「ですから、備えておくことが必要なのです」
「気が重くなる話ね」
私は顔をしかめた。「他にも気が重くなる話があるのに、ますます憂鬱になっちゃう」
「ほう、他にも、ですか?」
「多喜子さまのことよ」
微笑みを向ける大山さんに答えると、私は両肩を落とした。
「昨日、栽仁殿下と一緒に多喜子さまの所に行ったら、“新島さんが怖い”って泣きつかれちゃってさぁ……。でも、あの子、新島さんぐらい強く言える人が注意しないと、必要な休みを取らないだろうし……。輝久殿下と栽仁殿下と一緒に、30分ぐらいかかって多喜子さまをなだめたけれど、あの子、あんな調子じゃ、また新島さんが怖いって言い出すだろうから、それを考えると気が重くなってしょうがないのよ」
私が一通り愚痴を吐き出すと、
「新島どのは恐ろしいですからなぁ」
大山さんはおどけた調子で言う。
「嘘つき。そんなこと、思ってもないくせに」
私が大山さんに言い返してティーカップに手を伸ばそうとした時、内大臣室のドアが廊下側から叩かれる。「どうぞ」と大山さんが声を掛けるとドアが開き、内大臣秘書官の1人、松方金次郎くんが姿を現した。
「内府殿下、大山閣下、赤坂から連絡が入りまして……」
“赤坂”というのは、東京市内の地名だけれど、官僚の間では、中央情報院を指す隠語として使われることがある。私と大山さんが耳をそばだてると、
「昨日の朝、元朝鮮国王の李坧が亡くなったようです」
金次郎くんはこう伝えた。李坧……史実では“純宗”と呼ばれる人物である。この時の流れでは、1910(明治43)年の4月に朝鮮が清に併合された後、首都・漢城にある宮殿でひっそり暮らしていた。
「……ていうか、まだ生きてたのね。すっかり忘れてたわ」
金次郎くんが内大臣室から立ち去った後で私が呟くと、
「それはそれは。清も目論見が成功して、ほくそ笑んでいることでしょう」
大山さんがニッコリ笑って応じる。朝鮮を併合した後、清は、朝鮮の王族たちがどうしているかを世間から忘れさせるため、彼らの動向を新聞やラジオに報道させないようにしてきた。大山さんはそのことを指して言っているのだろう。
「……ってことはさ、三・一独立運動みたいなことも起きないで済むかしらね?」
私は大山さんに確認すると、紅茶を一口飲んだ。“三・一独立運動”とは、“史実”の朝鮮で発生した日本からの独立運動のことだ。李坧の父、かつての朝鮮国王である高宗の死が、発生の1つのきっかけになったと言われていたように思うけれど……。
「分かりませんな」
大山さんは首を傾げた。「“史実”の三・一独立運動は、高宗の死が1つのきっかけになっておりますが、この時の流れでは、高宗は30年近く前に死んでいます。今回の李坧の死去を清はひた隠すでしょうから、その死が朝鮮人たちに知られなければ無事に終わるでしょう。しかし、その死が朝鮮人たちに知られれば……」
「どうなるか分からない、ってことか」
私は大山さんの言葉を引き取るように答えた。
「まぁ、何も起こらないことを祈るしかないわね、私たちは」
「ですな」
大山さんと私が頷き合うと、柱に掛けてある時計が正午の鐘を打つ。それを合図にして大山さんは立ち上がり、私に一礼すると内大臣室を後にした。
1926(大正11)年5月1日土曜日午後2時5分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「漢城では、李坧死亡の噂が流れてから、朝鮮人たちが宮殿の周囲に押し寄せました」
今日の梨花会は、予定にはない臨時の開催だ。だから、去年発生した北但馬地震の被災地の復興状況を視察しに行った迪宮さまは出席していない。議題は残念ながら、李坧の死去を受けて朝鮮で発生した騒動のことで、大山さんが私の隣の席で中央情報院からの報告を淡々と読み上げていた。
「地方からやって来た者も含め、その総数は、先月28日の時点で10万人余りと推定されます。そして朝鮮人たちは朝鮮の独立を叫び始めましたが、宮殿の外壁の上に展開した清軍が、彼らに機関砲を発砲しました。後ろの方にいた者は難を逃れましたが、少なくとも1万人以上が清軍の銃撃で死亡しました」
(おう……)
大山さんの報告を聞きながら、私は眉をひそめた。清が朝鮮を併合して以来、朝鮮では毎年のように、朝鮮人の虐殺事件や、総督を狙った暗殺未遂事件が起こっている。ただ、ここまでの規模の虐殺は発生したことはない。
「毎度のことながら、惨いのう」
“史実”で韓国統監をしていた伊藤さんがため息をつくと、
「で……清はこの事件、もちろん隠すのでしょう?」
原さんの隣に座っている陸奥さんが大山さんに尋ねた。
「そのようです」
大山さんは冷静な口調で答えた。「ちなみに、漢城から逃げ出した朝鮮人たちは、漢城郊外の農家や商店を襲撃しています。そちらは、各地に配備された清軍と、清人の自警団に殺されておりますので、最終的な朝鮮人の死者は1万5000人を超えると思われます」
「そんなになるか……」
兄が顔をしかめると、大山さんが兄に向かって一礼した。
「だけど、大山さん。この事件、隠しきれるのかしら?結構な規模の虐殺よ、これ。それに、朝鮮人たちに李坧が死んだという情報を流したのは誰か、という問題もあるし」
「そちらの犯人は、宮殿の下働きをしていた朝鮮人だと調べがつきました。そ奴は家族ともども銃殺され、虐殺の死者として処理されたようですな」
私の指摘に大山さんは答えると、
「それでも、噂は海外で徐々に流れてしまうでしょうが、清は知らぬ存ぜぬで通すことでしょう。こうして、事件の真相は闇に葬られる訳です」
そう言ってニヤリと笑った。
と、
「おい、実、どうした?」
内務大臣の後藤さんが、隣に座る国軍参謀本部長の斎藤さんの顔を覗き込んだ。
「顔色が良くないぞ。体調が悪いのか?」
「いや、身体は大丈夫だ」
斎藤さんは首を左右に振った。「ただ、“史実”で朝鮮総督だった時のことを思い出してな」
「そう言えば、そうだったな」
兄は斎藤さんの言葉に頷くと、
「もしよければ、その時のことを話してくれないか。卿が朝鮮総督をしていた頃のことを……」
斎藤さんにこう命じる。斎藤さんは頭を下げると、
「俺が朝鮮総督に任命される数か月前に、三・一独立運動が起きました。我が国はこれを巡査や憲兵、そして軍隊の力で鎮圧しましたが、やり過ぎではないかという話も出て、総督を俺に変えて、武力一辺倒だった統治のやり方を変えようとしたのです」
兄に向かって話し始めた。
「途中で一度退任しましたが再び任命されまして、合計で10年ほど朝鮮総督を務めました。最初の着任早々に暗殺されかけるなど、事件も多々ありましたが、政務総監に水野君など優秀な人が就いてくれたので、何とかやれたように思います」
「そうであったか。“史実”で卿が赴任した時の朝鮮は統治が難しかったと思うが、その難しい職を10年も務めたとは……流石だな」
兄の答えに恐縮して一礼した斎藤さんに、
「あの、斎藤さん」
私は右手を挙げて声を掛けた。
「水野さん……って、今、内務次官をやってる水野錬太郎さんですよね?」
私の質問に、「さようでございます」と斎藤さんが答える。水野さんは、この時の流れでは、内務省の官僚から衆議院議員に転身し、原さん率いる立憲自由党に所属している。非常に仕事ができる人で、政権与党が変わっても、関東大震災後の復興計画が順調に進んでいるのは水野さんのおかげだと言われている。
「伊藤さん、斎藤さん、それに水野さん……“史実”では、一流の人材を投入しないと、朝鮮の統治が上手くいかなかったように思うのだけれど、清は、朝鮮の統治に一流の人材を使うつもりはないのかしら?」
これは、誰に向けた訳でもない問いだったのだけれど、
「その余裕は、清には無いでしょうな」
伊藤さんが重い声で答えた。
「清は、人材が未だに不足しています。日本に留学してきて、わしが面倒を見た者たちも徐々に清で活躍し始めていますが、政界の中心に躍り出た者はまだおりません」
「だからこそ、清は陳腐な手法を使わざるを得ないのです」
伊藤さんの言葉を引き取るようにして黒田さんが言った。「朝鮮人を、清の国民共通の敵とみなし、清の国民をまとめるという手法を。恐らく清は、今後も朝鮮に高圧的な態度を取り続けるでしょう」
(なるほどね……)
どうやら、朝鮮に明るい未来が訪れることはなさそうだ。それが将来の破滅につながらないことを祈りながら、私は今日何度目になるか分からないため息をついた。




